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50.出会い(グラシアン視点)①

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王婿は、女王より二十歳年上だった。
 もとは王国騎士団長にして前王の懐刀、のちに若い女王の剣の師匠として仕えた。生まれは下級貴族だが、女王の熱烈な求愛に根負けし、王婿となって一女をもうける。その彼が病に倒れたのは、女王がまだ三十歳、王女に至ってはまだ八歳のときだった。

 国葬はしめやかに行われた。生前の誠実でおおらかな人柄を物語るように、聖堂にひしめく参列者が皆、涙をこぼして故人をおくっている。
 
 十七歳のグラシアンの視線の先に、静かにたたずむツインテールの少女がいた。歳は七、八歳くらいだろうか。喪服の人だかりで黒く塗りこめられたような聖堂のなか、金色の華やかな髪がとても目立っていた。碧い瞳を見開いて奥歯を噛みしめて、棺の中で眠る王婿をじっと見つめている。

「なぁ、……あれは誰だ?」
「ああ。アリス・フィリッパ・オブ・ルワンド、この国で唯一の王女殿下だよ」

 そんなことも知らないのか、と言外にひそませる兄にも珍しく腹がたたない。王女の髪は質の良い鋼でこしらえた剣先のようにキラキラとして、目が惹きつけられる。エメラルドの眼差しからは、戦場に向かう騎士のような覚悟が伝わってきた。

「……美しいな」

 グラシアンは無意識に、感嘆の言葉を呟く。

「そうかな? まだ小さな少女だよ。ご両親はいずれも美男美女だけど、将来どう成長するのか分からないし」
「いや、美しい」

 自分が言いたいのは、見た目ではなくその存在自体のことだ。グラシアンは、生まれて初めて感じる光景に胸を高鳴らせる。
 
 ――欲しい。

 アレは魂の輝きだ。彼は、あの少女に長く執着するであろう自分自身を確信していた。人生のモットーは目立たず、適当に。何事にも執着せず、たいていのことは一度やればできたので、すぐに興味を無くして投げ出す。そんなグラシアンの心を初めて揺さぶる出会いだったのだ。



 葬式が終わったあと、グラシアンはアリスの姿を探した。連れ合いを亡くしたばかりの女王にわが子を気遣う余裕はなく、周囲の者たちもいつもは毅然とした主君の悲しみに右往左往している。少女の姿がみえないにも関わらず、誰も探している様子はなかった。
 
 グラシアンが薔薇園を歩き回っていると、どこからかすすり泣きが聞こえてくる。 見れば、茂みの下に小さな道ができていた。喪服が汚れるのにも構わず、四つん這いになって奥を覗き込む。

 ――ああ、いた。

 しかし、何と声を掛けたらいいだろう。そもそも、悲しむ少女に見ず知らずの自分が声をかけてもいいのだろうか。グラシアンは生まれて初めて、人間らしい躊躇いを覚えた。

「あ……」

 結局何も言えず、舌がもつれたような声だけが零れる。しかし、少女はそれに気が付いて、ひょこっと頭を上げた。
 
「お兄ちゃん、ケガしてる」

 グラシアンが切った覚えもなかった頬を拭うと、指にかすかな血がにじむ。
 アリスは泣きはらした目をこすると、グラシアンの頬に触った。小さな手のぽやっとした感触が不思議だ。弱くて脆いのに、温かい。そうかと思っているうちに、癒しをつかさどるマナが流れ込んできたのだ。

 ――気持ちいい。

 他人のマナが、気持ちいいなどと感じたことはなかった。騎士を目指しているグラシアンは攻撃目的でしか他人のマナとの接触はない。自慢じゃないが癒しのマナを受けるような傷は負ったことがなかった。
 
「治った?」

 頬を擦っても痛みは、なかった。

「ああ。……ありがとう」
「良かった。痛いのは悲しいから」

 少女は小さな手で涙をぬぐい、笑いかけてくる。
 こんな小さな子どもが、父親の死に直面しても人前では泣かないようにしている。だが、ずっと人の目に晒されてきた次代の為政者だ。至極当たり前のことかもしれない。

「……泣いてもいい」

 知らず、グラシアンの口から零れ落ちていた。少女はぽけっと大きな緑色の双眸で自分を見上げる。
 
「ほんとに? わたしが泣いて、お母さまを困らせることにならない?」
「ここには他に誰もいないから。俺は何も言わないし。……わっ」

 グラシアンの腰に、少女が体当たりしてきた。

「うわああああん……っ! お父さまっ!」

 そんな殊勝な性格でもないのに少女が寄りかかりやすいようにと、グラシアンは屈んだ。小さな腕が彼の首に絡みつき、柔らかい感触が彼を包む。少女は、声を上げて延々と涙を流した。

「おとうさま……、会いたいよ……ぉ。アリスをおいていかないで……っ」
 
 しばらく彼女の慟哭を受け止めていると、子どもは泣き疲れて最後は寝てしまった。それでも、十五分ぐらいだろうか。
 子どもは好きじゃない。好き嫌い以前に、他人に興味を持つことができない。

 ――でも、彼女は特別だ。
 
 グラシアンは少女を縦抱きにすると、屈まずに戻れる通路はないかと周囲を見回した。

 *

 結局遠回りして神殿に戻ると、王女を探す声と足音でその場は騒然としていた。金髪の少女を抱えるグラシアンに騎士団長が気が付いて、駆け寄ってくる。

「お一人でいらっしゃったので、お連れしました」

 ぷっちりとした頬に残る涙の後とむくんだ瞼から、誰の目にも王女が泣いていたことは明らかだった。

「ありがとう。そなたは……はて? すまぬが、名はなんだったか?」
「カニア侯爵家次男のグラシアンです」
「そうか、グラシアン卿。娘を見つけてくれてありがとう。――あずかろう」

 蒼白な顔の女王が、腕を広げる。グラシアンは少女を預けようとして、――止めた。女王の手が、空を搔いたのだ。周囲の空気が、一瞬にして凍る。

「この無礼者が!」
「愚息が失礼を働きました! どうか、どうか、平にご容赦を! グラシアン、謝りなさい!」

 女王の叔父である騎士団長の恫喝に、カニア侯爵が必死に首を垂れた。だが、グラシアンは表情も変えず、王女を抱き上げたままなのだ。

 ――騒ぐと、目を覚ましてしまうのに。

 グラシアンの心中は、少女への心配しかない。

「陛下っ!」
 
 そのとき、女官長の声が響いた。見れば、立ち眩みした女王が侍女たちに支えられているではないか。

「ああ。私が倒れるからと、アリスを渡さなかったのだな」
「失礼を致しました。陛下の顔が青ざめていたので」

 愛想一つないグラシアンに、女王はやつれた笑みを見せる。

「そなた、いくつだ?」
「十七です」
「若いな、頼もしい。――その意気で、我が娘に仕えてくれ。王太女にも腹心が必要だ」
「ありがたき幸せにございます」

 結局アリスは騎士団長に抱かれることになった。グラシアンは去って行く女王親子に頭を下げる。その姿を見送りながら、彼は決めた。

 ――必ず、手に入れる。

 グラシアンの願望は、たちまち人生の目標へと変わったのだ。
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