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37.火祭り②
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「わぁ! 賑やかですね!」
大通りから小さな路地まで松明が並べられていて、日が暮れると一斉に火がつけられた。夜の街は灯し火に溢れかえり、昼間のような明るさを保っていた。通りの両端には食べ物や装飾品の屋台がびっしりと並び、祭りを楽しむ人々でごったがえしている。広場ではこの日のために集まった旅芸人たちが音楽を奏で、火吹きや曲芸、あるいは建国劇を披露して、観客たちを楽しませていた。
「俺から離れるなよ。この人だかりではぐれたら面倒だ」
「わかっていますよ」
グラシアンに言われ、わたしは彼に近寄る。
祭りの日に通りを歩くなんて、今までしたことがなかった。毎年、宮殿から赤一色となる街並みを見下ろし、遠くから聞こえる人々の喝采や軽快な音楽に耳を澄ますのが、わたしにとってのお祭りだったのだ。
今は祭りの陽気に誘われて、歌でも歌いたい気分だ。
少し暑さの和らいだ夕方の風が心地よい。わたしは隣を歩く男の顔を見上げた。
「グラシアン様。このドレス、ありがとうございます」
「気に入ったんなら、よかった」
松明の影から露わになったルビーの瞳が、びっくりするほど優しくわたしをとらえる。とたん、こっちの心臓の鼓動が早鐘のように打った。
――反則だわ。
こんなにドキドキさせられるなら、薄っぺらい作り笑顔を見せられたほうがましだったのに。
「……はい、とっても。グラシアン様が選んでくださったのですか?」
「女の服のことはよくわからんが、お前が好きそうな気がした」
メイド長がわたしに手渡してきたのは、クリーム色の生地に小さな薔薇がたくさん刺繍された外出着だった。肩や腰の布地が絞られ普段より身体のラインが出るものの、裾の長さもふくらはぎまでだから動きやすい。もとの金髪だと派手で下品になりそうだが、今はブラウンに染めたおかげでドレスの可愛らしさが際立っていた。今まで着たくても着られなかった服を着て、お祭りに繰り出す。わたしの気持ちが高揚するのは、仕方のないことだ。
「ありがとうございます」
「海に行ったとき、ときどき難しい顔で下を見るから、気になっていた」
わたしは表に出したつもりはなかったけれど、グラシアンに気づかれていたとわかると恥ずかしくなった。つい言い訳がましくなって視線を外す。
「まさか、お勤め先で馬に乗るとは思ってもみないじゃないですか。最初からわかっていたら、わたしだってちゃんと準備しました」
「女はおかしなことにこだわるな。俺はおまえがどんな姿をしていようともかまわないのに」
それがやけに真摯に聞こえて視線を上げると、視線が絡む。暑気を孕んだ夜の空気が、一瞬止まったように感じた。
「グラシアン様?」
目を気持ち大きく開いた彼は、すぐに顔を片手で覆う。
「熱でもあるんですか? 赤くなっていますよ」
松明の灯りのせいじゃない。わたしが手を挙げて額を触ろうとすると、彼はそれをひょいっと避けた。
「やめろ」
「人がせっかく熱を測ろうしてるのに!」
いちいち身長差を強調する行動をとるのが、腹立たしい。
「熱はない。前から思っていたけれど、おまえいろいろ天然すぎやしないか? 以前はそこまで……」
「以前?」
「あ、いや。なんでもない」
「失礼ですよ、グラシアン様。そんなこと一回も言われたことないです」
いずれ女王となる身として不足がないように学問に魔法学にと努めてきたし、女王陛下からもよくやっていると褒められたのだ。数年後には、わたしも女王の後継者にふさわしくなる予定だ。天然といえば思い当たる、少し抜けている、他人とずれている等ありえない。
だが、グラシアンはあからさまにため息をつくともうこの話は終わりとばかりに、わたしに自分の腕を示した。
「ほら」
「なんですか?」
「人込みではぐれたらどうするんだ?」
わたしはモヤった気持ちのまま、仕方なく腕を絡める。
――やっぱり、距離が近い。
猫を被ったグラシアンも素のままの彼も、腕を組む距離は同じだ。だが、不自然な姿勢で人の目に映るのも嫌なので、背筋を伸ばして隣の男に寄り添う。今日は、ドレスを着る時に必須のパニエを履いていないので並びやすかった。
人混みを縫うようにして屋台を練り歩いていると、串に四個ずつ刺された白く丸い塊を見つけた。なんだか、かわいい。
「グラシアン様、あれは何ですか?」
「マシュマロだ。食べてみるか?」
グラシアンは懐からコインを出すと、店主から一本串を受け取った。全身黒づくめのガタイのいい青年に白くて可愛いマシュマロなるもの。うん、違和感が半端ない。本来は魔法具のバーナーで炙ってもらうようだが、どうやら彼はそれを断ったらしい。代わりに、長い人差し指をマシュマロを向ければ、端からジュワッと炎をあげ、いっきに甘い匂いが漂った。売り子が、手を叩いて褒める。
「旦那ぁ、見事な火加減ですねぇ! 一家に一人は欲しい、バーナーいらずだ! 火の騎士グラシアン卿も真っ青ですね!」
「こんなの朝飯前だ。いちいち騒ぎ立てるほうがおかしいぞ」
他の火の使い手が見たら嫉妬で怒りだすだろう。『完璧な』グラシアン卿なら、そこはにっこり笑って、売り子に礼を言うところだ。本当のグラシアンは無愛想でとっつきにくく、言葉も荒い。この名役者ぶりは、わたしも見習いたいところだ。
大通りから小さな路地まで松明が並べられていて、日が暮れると一斉に火がつけられた。夜の街は灯し火に溢れかえり、昼間のような明るさを保っていた。通りの両端には食べ物や装飾品の屋台がびっしりと並び、祭りを楽しむ人々でごったがえしている。広場ではこの日のために集まった旅芸人たちが音楽を奏で、火吹きや曲芸、あるいは建国劇を披露して、観客たちを楽しませていた。
「俺から離れるなよ。この人だかりではぐれたら面倒だ」
「わかっていますよ」
グラシアンに言われ、わたしは彼に近寄る。
祭りの日に通りを歩くなんて、今までしたことがなかった。毎年、宮殿から赤一色となる街並みを見下ろし、遠くから聞こえる人々の喝采や軽快な音楽に耳を澄ますのが、わたしにとってのお祭りだったのだ。
今は祭りの陽気に誘われて、歌でも歌いたい気分だ。
少し暑さの和らいだ夕方の風が心地よい。わたしは隣を歩く男の顔を見上げた。
「グラシアン様。このドレス、ありがとうございます」
「気に入ったんなら、よかった」
松明の影から露わになったルビーの瞳が、びっくりするほど優しくわたしをとらえる。とたん、こっちの心臓の鼓動が早鐘のように打った。
――反則だわ。
こんなにドキドキさせられるなら、薄っぺらい作り笑顔を見せられたほうがましだったのに。
「……はい、とっても。グラシアン様が選んでくださったのですか?」
「女の服のことはよくわからんが、お前が好きそうな気がした」
メイド長がわたしに手渡してきたのは、クリーム色の生地に小さな薔薇がたくさん刺繍された外出着だった。肩や腰の布地が絞られ普段より身体のラインが出るものの、裾の長さもふくらはぎまでだから動きやすい。もとの金髪だと派手で下品になりそうだが、今はブラウンに染めたおかげでドレスの可愛らしさが際立っていた。今まで着たくても着られなかった服を着て、お祭りに繰り出す。わたしの気持ちが高揚するのは、仕方のないことだ。
「ありがとうございます」
「海に行ったとき、ときどき難しい顔で下を見るから、気になっていた」
わたしは表に出したつもりはなかったけれど、グラシアンに気づかれていたとわかると恥ずかしくなった。つい言い訳がましくなって視線を外す。
「まさか、お勤め先で馬に乗るとは思ってもみないじゃないですか。最初からわかっていたら、わたしだってちゃんと準備しました」
「女はおかしなことにこだわるな。俺はおまえがどんな姿をしていようともかまわないのに」
それがやけに真摯に聞こえて視線を上げると、視線が絡む。暑気を孕んだ夜の空気が、一瞬止まったように感じた。
「グラシアン様?」
目を気持ち大きく開いた彼は、すぐに顔を片手で覆う。
「熱でもあるんですか? 赤くなっていますよ」
松明の灯りのせいじゃない。わたしが手を挙げて額を触ろうとすると、彼はそれをひょいっと避けた。
「やめろ」
「人がせっかく熱を測ろうしてるのに!」
いちいち身長差を強調する行動をとるのが、腹立たしい。
「熱はない。前から思っていたけれど、おまえいろいろ天然すぎやしないか? 以前はそこまで……」
「以前?」
「あ、いや。なんでもない」
「失礼ですよ、グラシアン様。そんなこと一回も言われたことないです」
いずれ女王となる身として不足がないように学問に魔法学にと努めてきたし、女王陛下からもよくやっていると褒められたのだ。数年後には、わたしも女王の後継者にふさわしくなる予定だ。天然といえば思い当たる、少し抜けている、他人とずれている等ありえない。
だが、グラシアンはあからさまにため息をつくともうこの話は終わりとばかりに、わたしに自分の腕を示した。
「ほら」
「なんですか?」
「人込みではぐれたらどうするんだ?」
わたしはモヤった気持ちのまま、仕方なく腕を絡める。
――やっぱり、距離が近い。
猫を被ったグラシアンも素のままの彼も、腕を組む距離は同じだ。だが、不自然な姿勢で人の目に映るのも嫌なので、背筋を伸ばして隣の男に寄り添う。今日は、ドレスを着る時に必須のパニエを履いていないので並びやすかった。
人混みを縫うようにして屋台を練り歩いていると、串に四個ずつ刺された白く丸い塊を見つけた。なんだか、かわいい。
「グラシアン様、あれは何ですか?」
「マシュマロだ。食べてみるか?」
グラシアンは懐からコインを出すと、店主から一本串を受け取った。全身黒づくめのガタイのいい青年に白くて可愛いマシュマロなるもの。うん、違和感が半端ない。本来は魔法具のバーナーで炙ってもらうようだが、どうやら彼はそれを断ったらしい。代わりに、長い人差し指をマシュマロを向ければ、端からジュワッと炎をあげ、いっきに甘い匂いが漂った。売り子が、手を叩いて褒める。
「旦那ぁ、見事な火加減ですねぇ! 一家に一人は欲しい、バーナーいらずだ! 火の騎士グラシアン卿も真っ青ですね!」
「こんなの朝飯前だ。いちいち騒ぎ立てるほうがおかしいぞ」
他の火の使い手が見たら嫉妬で怒りだすだろう。『完璧な』グラシアン卿なら、そこはにっこり笑って、売り子に礼を言うところだ。本当のグラシアンは無愛想でとっつきにくく、言葉も荒い。この名役者ぶりは、わたしも見習いたいところだ。
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