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32.火祭り①

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「どう? グラシアンは君のお眼鏡に適ったかな?」

 翌朝、コリンは執務室にわたしを呼びつけた。メイドとしてこの屋敷に滞在するのは今日まで、晩にはこの屋敷を去るわたしがどう判定を下したのか、コリンは気にしているのだ。

「……外向きの顔と内向きの顔が、おありになるそうですね」
「へぇ」

 コリンは肉まん顔をホクホクとさせて、わたしに応接椅子をすすめる。

「内向きの顔を知るのは、家族と昔からの従僕二人と、後は数人の部下だけなんだ。会って数日の人間に晒すなんて、はじめてのことなんだよ。あっという間に弟の懐に潜り込んで、さすがは王女様の密偵だね」

 コリンはしきりに頷いて、わたしを褒める。若手の政務官である次代のカニア侯爵は、女王陛下の前ではどちらかというとイエスマンの印象だった。こういう嫌味がましい言い方を聞いたのは初めてだ。これまで気が付かなかったが、人はだれしも多様な面を持っていて、サイコロのように相手によって見せる面を変えているのかもしれない。
 ただ、グラシアンの場合、六面中五面はまやかしで、残った一面が想像もつかないものだった。

「どうして、本性を偽るのですか?」

 グラシアンの素の性格は、わたしの目には王宮で嘘くさい笑顔を浮かべている時より自然に映った。粗野で無礼だし全然謝らなくて、いちいち私の神経を逆なでしてくるけれど、もともと火の魔法の使い手は熱くなりやすく感情の起伏の激しい人間が多い。怒らず驕らず誰にでも腰が低い、今までのグラシアンが特異だったのだ。しかし、それの何が悪いのだろう。彼は紛れもなく自分の力で騎士団の副団長まで上り詰め、陛下の信頼を得ている。多少性格に難があろうとも、評価が変わるわけではない。
 わたしは自分の思い付きに納得しかけたものの、ふと昨晩のことを思い出した。

 ――人の身体をまさぐってきて謝りもしない人間をどうして庇うのよ! しっかりするのよ、アリス!

 コリンは、何故かそんなわたしを笑う。まるで、大型プリンが揺れているようだった。

「どうしてって? 最初は殿下と仲の良いバロモンテのバーソロミュー王子を婿にとる話でまとまりかけていたから、あいつなりに必死だったんだよ」

 バルが、わたしの婿候補だったですって!? 陛下からそんな話はなかったし、全然気が付かなかった。ただ、わたしも国内の貴族のバランスを考えるなら、婿は国外から取るべきだと考えていた。
 ここは他人事のように聞いてみよう。

「どうして、国内から婿を取る話に変わったのですか?」
「ああ。……君は若いから知らないかもね。僕も父から聞いた限りだけど、なんでもバーソロミュー王子のご母堂が不名誉な亡くなり方をしたらしくて、それを案じた陛下がその件を白紙に戻したんだ」

 不名誉な亡くなり方? そういえば、バルとは幼い頃は頻繁に会っていたけれど、わたしの父が亡くなってからはめっきり交流が途絶えていた。再会したのは、バルが遊学を始めてからだ。

 ――知らなかった。

 こうしてみると、わたしは知らないことばかりだ。不名誉な亡くなり方とはどんな亡くなり方か気になるが、バルがわたしにそれを話さなかったのにも理由があるに違いない。大事な人の暗部を許しもなく覗いてしまうことには躊躇いがあった。
 バルのことで気を取られているわたしをよそに、コリンは話を続ける。
 
「グラシアンが性格を偽るのは、もちろん王女様の婿に選ばれるためだよ。候補に入るには、まず女王陛下のお眼鏡にかなわなければならない」

 その作戦はうまくいったようだ。女王陛下は当事者のわたしより、この結婚に乗り気なのだ。
 
「あんなに粗野で乱暴者のグラシアンが急に品行方正を装うようになって、最初は家族全員笑いが止まらなかったよ。両親が面白がって、マナーや教養を身に着けるための講師をつけてやったら意外とうまくいってさ。猫をかぶり続けてもう十年、あの仮面もすっかり板についちゃった。いっそ性根もまっすぐになればよかったのにね。この前なんて僕の首根っこを掴み上げて、宙づりにしたんだよ。こっちは、たまに弟の本性を大声で叫びたくなるんだ」

 それを聞いたわたしは、雷を打たれたようなショックを受けた。十年前といえば彼はまだ十七歳、わたしに至っては八歳。そんなに昔からグラシアンは自らの性格まで偽ってまで、王太女の婿になりたがっていたのだ。なんていうこと! グラシアンのあの嘘くさい笑顔の下に隠していたもの、それは国で一番の権力者になりたいという野望だったのだ。
 コリンは、人の悪い笑顔を浮かべる。

「優秀な密偵であるキャロルから見て、弟はアリス王女様の婿に相応しいかな?」
「わたしは見たまま、聞いたままを王女様にお伝えするだけです。殿下とグラシアン様の結婚は既に決まっていますから、わたしの報告がどのようであれ、コリン様が心配されることは起こりません」

 グラシアンが無私無欲ではなく野心的な人間だったからといって、婚約破棄できるわけではない。まだ敵意を向けられたわけでもないのだ。
 コリンは攻撃力マイナス百のプリン体型で、わたしとの距離を縮めてきた。

「僕の心配? 君とグラシアンの距離が近くなりすぎて、殿下との結婚のあとに支障が出るんじゃないかって思ってるんだけど。君は王太女様に長く仕える専属侍女なんだよね?」

 肉に埋もれるジト目でうかがってくる。どうも、コリンはわたしの存在が気になって、本物のキャロルについて調べたようだ。わたしが政務の場所に侍女を連れてくることはないので、コリンはキャロルを見たことがない。彼女にはちょうど休暇を出しているから、そう思いこむのも無理からぬ話だった。コリンが気にしているのはメイドのキャロルとグラシアンが親密になりすぎて、結婚後に王太女わたしに隠れて二人が不倫関係に陥ることだろう。キャロルは年より幼い見た目だが、だれよりも仕事に忠実でプロ意識が高い。そして、わたしを裏切らない。
 
「それは、問題ありません。わたしはグラシアン様に対して、特別な感情はありませんから」
「……それ、ほんとかな?」
「はい」

 キャロルなら、そう言うはずだ。コリンは不信そうに眼をすがめたが、わたしは何ら嘘を言っていない。

「そうなんだ、じゃあ、安心だね! じゃあ、今日一日よろしくね!」

 全然納得していない、いかにも作ったニコニコ顔。プリンみたいな見た目なのに、食えない男だった。

 執務室を出ると、なぜかそこに仁王立ちのグラシアンがいた。無造作にかきあげられた前髪に、鋭く光るルビーのような瞳。そして、長身から醸し出される威圧。本性を隠す気もないと見え、不機嫌な顔をしている。
 その背後には目玉が飛び出そうな表情で固まっている使用人たちの姿があった。まるで昨晩の自分を見ているようで、彼らには同情したくなる。

 ――この男、王太女との結婚が確定してもう必要がないから、人格者の振りを辞めたのかしら?

「コリンのやつと、何を話していた?」

 言葉遣いも昨晩のまま、声のトーンも威圧的。わたしにキスをして、身体を触った男。絶対許す気はないけれど、今日まではわたしはメイドの立場なので下出にでなくてはならない。

「おはようございます、グラシアン様。お勤めの最終日なので、コリン様にご挨拶いたしました」
「嫁入り前なのに、男と二人っきりで会うな」

 人に襲い掛かっておいて、よくそんなことが言える。わたしは聞かなかったことにして、メガネの奥で作り笑顔を浮かべた。

「今日のご予定をうかがってもよろしいですか?」
「キャロルを膝に乗せて読書、だろ?」

 それなら、いつもと一緒だ。作り笑顔から一転、思わず苦虫を嚙み潰したようなわたしを見て、グラシアンは目を細める。

「俺は明日から騎士団に戻るから、午前中は鍛錬する。おまえは自由時間だ。後で着替えを持たせるから、昼過ぎまでに準備しておけよ」
「お買い物ですか?」
「キャロルは知らないんだな」

 グラシアンは、口角を上げた。笑うたびにわたしの視線を釘付けにするので、こちらは目をそらすしかない。
 
「……何をですか?」
「今日は、年に一度の火祭りの初日だぞ」

 ――火祭り? ああ、そうだ、忘れていた!

 第一の火の月に、王都でも有名な火祭りがある。祭りの期間は三日。火の精霊を称えるお祭りだ。
 そもそも、 ルワンド王国では一年十二カ月を地火風水の四つの季節に分け、さらに細かく第一から第三まで区分してあった。何故なら、建国の英雄に助けられ恩を感じた精霊たちが、各々の季節の守護者になってくれているからだ。精霊たちは特に無垢な子どもが好きで、建国の英雄の血を引いた子どもが生まれたら必ず祝福を授けてくれる。グラシアンは夏に生まれたから火の精霊の加護を受け、わたしも冬に生まれたので水の精霊の加護を受けているのだ。火の幻獣であるグレードサラマンダーが火の季節に卵を産むのと原理は同じなのである。
 そういうわけで、どの季節にも必ず精霊を称えるお祭りがあるのだが、やはり自分の守護精霊の祭りの時は特に盛り上がるものなのだ。グラシアンが浮かれるのわからないでもない。

 ――だからと言って、何故わたしに着替えろと?
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