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25.ピクニックに行きましょう④
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わたしは慌ててハンカチを取り出し彼の顔や胸を拭いた。海水だからなおのこと不快なはず。 夢中になるあまり、かえって彼にのしかかる体勢となり、それでまた慌ててしまった。
「大丈夫です、落ち着いてください」
「でもっ、あの、……ごめんなさいっ」
彼はわたしを座らせると、濡れた髪をかきあげながら笑みを浮かべる。貴族らしい気品と騎士のストイックな色気に呑まれ、わたしは思わず息をのんでしまった。
「あなたがあんまり楽しそうな笑顔を浮かべていたので、見惚れてしまいました。避け損ねたわたしが悪いのだから、気にしないでください」
「グ、グラシアン様!」
直球な台詞に、わたしは首まで熱くなる。この頭と心臓は、一体どうなってしまったんだろう。わたしはカニア侯爵邸にメイドとして潜入して、今頃グラシアンの化けの皮を剥いで、今後の対策を練ってるはずだったのに。
悩むわたしの正面では、彼が自分のシャツに熱風を送り込んで乾かしていた。
「ほら、綺麗に乾きましたよ」
「はい。申し訳ありませんでした」
「キャロルは、ほんとうに真面目ですね」
グラシアンはわたしに笑いかける。
そのうち、アンバーはイーデンと遊び始めたので、わたしたちはランチを食べることにした。ハムやレタスの具から、生クリームにイチゴといった変わり種までのサンドイッチが並び、スティック野菜やオムレツも盛りだくさん。厨房長やメイド長のグラシアンへの愛情がうかがえた。
ピクルスの入ったサンドイッチをほおばってから、彼の顔を見あげる。
「先ほどの話の続きを教えてください。グレードサラマンダーのことです」
グラシアンは優雅に紅茶を飲んで、声を落とした。
「密猟者がグレードサラマンダーを狙う本当の理由は、その心臓にあります」「心臓?」
グラシアンは微笑みながら、わたしの頬についたパンくずをとった。まばゆいばかりの夏の日差しに少しも負けないキラキラとした微笑である。ただただこっちの心臓に悪くて、私は目をそらした。
「グレードサラマンダーの心臓は、半永久的に使える魔法石のようなものです。密猟者のアジトを襲撃し死骸を回収した際に分かりました。女王陛下に申し上げたところ、これを極秘扱いにするよう指示を受けました。わたしもそれには賛成です」
「そんなことがあったんですか?」
イーデンの背中に乗ったアンバーが、グラシアンの真似をして四本指で手綱を握っていた。ピィーピィーと楽しげに笑うと、イーデンは仕方ないとばかりに駆けてやる。こんなに小さなアンバーの心臓が高性能の魔法石に同等するなんて、信じられなかった。皆が秘匿するのも当たり前だ。
「ところで、……わたしにそれを話しても大丈夫なんですか?」
グラシアンは目をぱちくりさせてわたしを見たのち、ふふっと笑った。
「キャロルなら、人に言ったりしないでしょう?」
「もちろんです」
彼は、わたしを見るといつも笑う。侮られているわけではないので不快ではないが、なんだか恥ずかしくて身の置き所がない。
それからは、わたしたちは黙々とランチに没頭した。
「キャロル、今日はありがとうございます。とても楽しかったです」
「わたしの方こそ、ありがとうございます。グラシアン様のお陰で海を見ることが叶いました。一度行ってみたかったんです」
すると、グラシアンは真っ青な空と海もかすむような笑顔を浮かべる。
「ほかに、キャロルが行ってみたい場所はありませんか? 連れて行って差し上げますよ」
「い、いいえ! わたしもお勤めの期日が近くなっていますから、どうぞ別の方と……よろしければ、婚約者の王太女様をお誘いしてはいかがでしょうか。きっと、喜ばれるはずです!」
彼のキラキラした笑顔を見たせいか、急に自分の野暮ったい茶色のドレスが気になってしまった。わたしの返事は、メイドとして百点満点中何点なのかわからない。仮の自分が誘いを断っておいて、本当の自分を勧めるなんてどうかしている。結局、わたしは彼にまた誘われたいと言っているようなものだ。
そんなことを考えていると、グラシアンが突然わたしの三つ編みに触れてきた。驚いて見上げると、ルビーのような瞳に動揺するわたしが映っていた。王太女の威厳と気品のない、眼鏡をかけたそばかすのメイド。どこにでもいるし、全然グラシアンには似合わない。
彼の長い指が、わたしのあごをとらえた。
「グ、グラシアン……さまっ」
「キャロル、そのままで」
バリトンボイスで囁かれ、わたしの身体は固まる。秀麗な顔が迫ってきて、ふっと瞼を閉じられた。
――あ、睫毛が長い。
人間、目を閉じると顔の美醜が際立つという。この男に絶対寝顔を見られたくない、と真剣に思ったとき、柔らかい感触が唇に落ちてきた。ほわっとして温かい。
――わたし、キスされてる……?
我に返ったときには、もう離れていた。触れたのはほんの一瞬だけ。なのに、わたしの頭はこの広い砂浜のように真っ白になってしまった。茫然とするわたしの目の前で、グラシアンは自分の唇を人差し指で撫でる。そう、これ見よがしに。
「ごちそうさまでした。美味しいデザートでした」
「……え?」
――この男、今わたしのファースト・キスを奪っておいて、しかもデザートと言ったの!?
「大丈夫です、落ち着いてください」
「でもっ、あの、……ごめんなさいっ」
彼はわたしを座らせると、濡れた髪をかきあげながら笑みを浮かべる。貴族らしい気品と騎士のストイックな色気に呑まれ、わたしは思わず息をのんでしまった。
「あなたがあんまり楽しそうな笑顔を浮かべていたので、見惚れてしまいました。避け損ねたわたしが悪いのだから、気にしないでください」
「グ、グラシアン様!」
直球な台詞に、わたしは首まで熱くなる。この頭と心臓は、一体どうなってしまったんだろう。わたしはカニア侯爵邸にメイドとして潜入して、今頃グラシアンの化けの皮を剥いで、今後の対策を練ってるはずだったのに。
悩むわたしの正面では、彼が自分のシャツに熱風を送り込んで乾かしていた。
「ほら、綺麗に乾きましたよ」
「はい。申し訳ありませんでした」
「キャロルは、ほんとうに真面目ですね」
グラシアンはわたしに笑いかける。
そのうち、アンバーはイーデンと遊び始めたので、わたしたちはランチを食べることにした。ハムやレタスの具から、生クリームにイチゴといった変わり種までのサンドイッチが並び、スティック野菜やオムレツも盛りだくさん。厨房長やメイド長のグラシアンへの愛情がうかがえた。
ピクルスの入ったサンドイッチをほおばってから、彼の顔を見あげる。
「先ほどの話の続きを教えてください。グレードサラマンダーのことです」
グラシアンは優雅に紅茶を飲んで、声を落とした。
「密猟者がグレードサラマンダーを狙う本当の理由は、その心臓にあります」「心臓?」
グラシアンは微笑みながら、わたしの頬についたパンくずをとった。まばゆいばかりの夏の日差しに少しも負けないキラキラとした微笑である。ただただこっちの心臓に悪くて、私は目をそらした。
「グレードサラマンダーの心臓は、半永久的に使える魔法石のようなものです。密猟者のアジトを襲撃し死骸を回収した際に分かりました。女王陛下に申し上げたところ、これを極秘扱いにするよう指示を受けました。わたしもそれには賛成です」
「そんなことがあったんですか?」
イーデンの背中に乗ったアンバーが、グラシアンの真似をして四本指で手綱を握っていた。ピィーピィーと楽しげに笑うと、イーデンは仕方ないとばかりに駆けてやる。こんなに小さなアンバーの心臓が高性能の魔法石に同等するなんて、信じられなかった。皆が秘匿するのも当たり前だ。
「ところで、……わたしにそれを話しても大丈夫なんですか?」
グラシアンは目をぱちくりさせてわたしを見たのち、ふふっと笑った。
「キャロルなら、人に言ったりしないでしょう?」
「もちろんです」
彼は、わたしを見るといつも笑う。侮られているわけではないので不快ではないが、なんだか恥ずかしくて身の置き所がない。
それからは、わたしたちは黙々とランチに没頭した。
「キャロル、今日はありがとうございます。とても楽しかったです」
「わたしの方こそ、ありがとうございます。グラシアン様のお陰で海を見ることが叶いました。一度行ってみたかったんです」
すると、グラシアンは真っ青な空と海もかすむような笑顔を浮かべる。
「ほかに、キャロルが行ってみたい場所はありませんか? 連れて行って差し上げますよ」
「い、いいえ! わたしもお勤めの期日が近くなっていますから、どうぞ別の方と……よろしければ、婚約者の王太女様をお誘いしてはいかがでしょうか。きっと、喜ばれるはずです!」
彼のキラキラした笑顔を見たせいか、急に自分の野暮ったい茶色のドレスが気になってしまった。わたしの返事は、メイドとして百点満点中何点なのかわからない。仮の自分が誘いを断っておいて、本当の自分を勧めるなんてどうかしている。結局、わたしは彼にまた誘われたいと言っているようなものだ。
そんなことを考えていると、グラシアンが突然わたしの三つ編みに触れてきた。驚いて見上げると、ルビーのような瞳に動揺するわたしが映っていた。王太女の威厳と気品のない、眼鏡をかけたそばかすのメイド。どこにでもいるし、全然グラシアンには似合わない。
彼の長い指が、わたしのあごをとらえた。
「グ、グラシアン……さまっ」
「キャロル、そのままで」
バリトンボイスで囁かれ、わたしの身体は固まる。秀麗な顔が迫ってきて、ふっと瞼を閉じられた。
――あ、睫毛が長い。
人間、目を閉じると顔の美醜が際立つという。この男に絶対寝顔を見られたくない、と真剣に思ったとき、柔らかい感触が唇に落ちてきた。ほわっとして温かい。
――わたし、キスされてる……?
我に返ったときには、もう離れていた。触れたのはほんの一瞬だけ。なのに、わたしの頭はこの広い砂浜のように真っ白になってしまった。茫然とするわたしの目の前で、グラシアンは自分の唇を人差し指で撫でる。そう、これ見よがしに。
「ごちそうさまでした。美味しいデザートでした」
「……え?」
――この男、今わたしのファースト・キスを奪っておいて、しかもデザートと言ったの!?
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