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19.ある令嬢の日記
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彼が示した丸テーブルの上には、山積みの書類がある。綴られた書類や装幀されたものもまじっており、どれも古そうだ。
「これは、なんですか?」
「グレードサラマンダーに関する先人の研究です。これらをまとめて論文にするようにと、女王陛下から宿題を出されました」
休暇を与えておきながら課題を出すとは、さすがは陛下。グラシアンは続けた。
「実は最近発見されたばかりのグレードサラマンダーの生態をわたしが知りえたのは、この日記の持ち主のおかげなんですよ。彼女は好奇心旺盛で頭が良く、非常に自信家で、そして傲慢でした」
「どんな立場の女性ですか?」
『傲慢』の一言が、人当たりの良いグラシアンには珍しく聞こえる。
「アビゲイル・ドニアという、今は取り潰されたジル男爵家の令嬢でした。この日記は彼女が二十歳のときのものです」
「取り潰されたとは穏やかではないですね。いつ頃の方なのですか? その令嬢は、今はどうなさっているのですか?」
「亡くなりました、この日記の二年後に。二十二年前だそうです」
二十二年前に二十二歳。わたしの親世代だ。若くして亡くなった妙齢の貴族令嬢の日記を読みたいに決まっているが、果たしてメイドのわたしが見てもいいのだろうか。グラシアンは、それをわたしに手渡してきた。
「むしろキャロルには解読してもらいたいです。そして、是非わたしにその内容を教えてください」
「はい?」
意味が分からず、勧められるままにページをめくると、ミミズがのたうち回ったような字が並んでいた。読み返すことを考えず、脳裏に浮かんだ言葉を殴り書きしたのだろうか。わたしとの婚約承諾書にあったグラシアンのサインは整っていたから、かえって汚い字は読めないのかもしれない。
「なんというか……、日記というよりメモ帳ですね」
「ひどい悪筆でしょう? そのうえ、インクがこすれてさらに読みにくくなっています。なんとか解読を試みているのですが、効率が悪くてたまりません」
頭を抱えるグラシアンは珍しく、見ていて面白かった。ゴホンと、わたしは咳払いする。
「試しに読んでみますね。……『ルワンド王国の貴族が……マナを独占してもつことに、果たして意味があるのか。精霊王は……何故、世の理に逆らってまで、英雄王に精霊の祝福をしたのか。本当の目的は? また、使役される精霊の心境は……いかがなものか?』」
ほかに、幻獣や魔法植物、精霊の働きなどへの疑問が忌憚なく述べられている。建国神話は貴族が精霊の力を独占することに根拠を与える、神聖で不可侵な内容だ。少し読んだだけだが、このアビゲイルという女性をグラシアンが『傲慢』と評した意味が分かった。
日記にはほかに彼女の日常生活についても触れられていた。
「『昼過ぎ、年の離れた従兄のPが父を見舞いに来てくれた。Pの幼い頃に父親が亡くなり、その兄であるわたしの父が長年Pの父親代わりになっていた。だから、Pは非番の日には必ず私の父の様子を尋ねてくる。わたしは彼が来る時間に合わせて、とっておきの茶葉の缶を開けてティポットを温めるのが習慣になっていた。』」
一息に読みあげると、グラシアンはぱあっと笑顔を浮かべた。後光が差して、まぶしい。
「あなたの朗読には、聞き惚れてしまいますね」
「とんでもございません。お耳汚しをしました」
「まさか。ずっと聞いていたいですが、キャロルを朝から疲れさせるわけにはいきません。あなたがここにいる間だけでも、読んでいただけるとありがたいです」
「わかりました。グラシアン様の空いている時間にまたお読みいたします。面白い日記なので、わたしも読み甲斐がありますね」
わたしが笑顔で答えると、グラシアンは口に手を当てて何やら考える様子を見せる。
「そうですね。……どうやら、アビゲイル嬢はPに恋をしているようですが、キャロル。あなたも恋愛に興味がありますか?」
言われてみれば、家族以上にPの話題が多かった。
「もちろんです、恋愛と聞くとつい心が躍ってしまいます!」
わたしは王太女なので恋愛は端から諦めてしまったけれど、恋愛小説は寝る前に読んでいるし、新聞のゴシップ記事にもつい目を通してしまうのだ。
「でしたら……」
「これは、なんですか?」
「グレードサラマンダーに関する先人の研究です。これらをまとめて論文にするようにと、女王陛下から宿題を出されました」
休暇を与えておきながら課題を出すとは、さすがは陛下。グラシアンは続けた。
「実は最近発見されたばかりのグレードサラマンダーの生態をわたしが知りえたのは、この日記の持ち主のおかげなんですよ。彼女は好奇心旺盛で頭が良く、非常に自信家で、そして傲慢でした」
「どんな立場の女性ですか?」
『傲慢』の一言が、人当たりの良いグラシアンには珍しく聞こえる。
「アビゲイル・ドニアという、今は取り潰されたジル男爵家の令嬢でした。この日記は彼女が二十歳のときのものです」
「取り潰されたとは穏やかではないですね。いつ頃の方なのですか? その令嬢は、今はどうなさっているのですか?」
「亡くなりました、この日記の二年後に。二十二年前だそうです」
二十二年前に二十二歳。わたしの親世代だ。若くして亡くなった妙齢の貴族令嬢の日記を読みたいに決まっているが、果たしてメイドのわたしが見てもいいのだろうか。グラシアンは、それをわたしに手渡してきた。
「むしろキャロルには解読してもらいたいです。そして、是非わたしにその内容を教えてください」
「はい?」
意味が分からず、勧められるままにページをめくると、ミミズがのたうち回ったような字が並んでいた。読み返すことを考えず、脳裏に浮かんだ言葉を殴り書きしたのだろうか。わたしとの婚約承諾書にあったグラシアンのサインは整っていたから、かえって汚い字は読めないのかもしれない。
「なんというか……、日記というよりメモ帳ですね」
「ひどい悪筆でしょう? そのうえ、インクがこすれてさらに読みにくくなっています。なんとか解読を試みているのですが、効率が悪くてたまりません」
頭を抱えるグラシアンは珍しく、見ていて面白かった。ゴホンと、わたしは咳払いする。
「試しに読んでみますね。……『ルワンド王国の貴族が……マナを独占してもつことに、果たして意味があるのか。精霊王は……何故、世の理に逆らってまで、英雄王に精霊の祝福をしたのか。本当の目的は? また、使役される精霊の心境は……いかがなものか?』」
ほかに、幻獣や魔法植物、精霊の働きなどへの疑問が忌憚なく述べられている。建国神話は貴族が精霊の力を独占することに根拠を与える、神聖で不可侵な内容だ。少し読んだだけだが、このアビゲイルという女性をグラシアンが『傲慢』と評した意味が分かった。
日記にはほかに彼女の日常生活についても触れられていた。
「『昼過ぎ、年の離れた従兄のPが父を見舞いに来てくれた。Pの幼い頃に父親が亡くなり、その兄であるわたしの父が長年Pの父親代わりになっていた。だから、Pは非番の日には必ず私の父の様子を尋ねてくる。わたしは彼が来る時間に合わせて、とっておきの茶葉の缶を開けてティポットを温めるのが習慣になっていた。』」
一息に読みあげると、グラシアンはぱあっと笑顔を浮かべた。後光が差して、まぶしい。
「あなたの朗読には、聞き惚れてしまいますね」
「とんでもございません。お耳汚しをしました」
「まさか。ずっと聞いていたいですが、キャロルを朝から疲れさせるわけにはいきません。あなたがここにいる間だけでも、読んでいただけるとありがたいです」
「わかりました。グラシアン様の空いている時間にまたお読みいたします。面白い日記なので、わたしも読み甲斐がありますね」
わたしが笑顔で答えると、グラシアンは口に手を当てて何やら考える様子を見せる。
「そうですね。……どうやら、アビゲイル嬢はPに恋をしているようですが、キャロル。あなたも恋愛に興味がありますか?」
言われてみれば、家族以上にPの話題が多かった。
「もちろんです、恋愛と聞くとつい心が躍ってしまいます!」
わたしは王太女なので恋愛は端から諦めてしまったけれど、恋愛小説は寝る前に読んでいるし、新聞のゴシップ記事にもつい目を通してしまうのだ。
「でしたら……」
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