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第二部

15.魔女、暴君さまに晒しの刑に処される①

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 何度も回復魔法をかけて、ようやく痛みが引いた。ただ、指輪を中心に変化した紫色の皮膚は元に戻らない。

「先ほど侯爵夫人とすれ違ったとき、たいへんお急ぎの様子で、マデリーナ様もいらっしゃいませんでした。何かございましたか?」
「あら。あったとしても、わたしたちには関係のないことよ。ヘイニが心配することはないわ」

 イルヴァは、後ろを歩く侍女にわからないよう、何度も左の薬指をこすった。袖の長いドレスがうまいこと隠してくれているが、気は抜けない。広い庭を通り、城館へ戻る。ウルリッヒは昼間めったに寝室へは戻らないので、一人になるには最適だった。

「あら、イリスとベンヤミンじゃないの。久しぶりね」

 国王の私室へとつながる廊下の手前、近衛兵の待機部屋を通るとき、ちょうど顔見知りの軍人たちが出てきたのだ。

「イルヴァ様」
「今日は、ウルリッヒの部屋の担当なの? よろしくね」
「我々が、陛下とイルヴァ様の安全をお守りします」
「ごくろうさま。イリス、訓練のときにできた打ち身は、良くなったの?」
「はい、すっかり! イルヴァ様に塗っていただいた薬のおかげです」
「こいつ、イルヴァ様にいいところを見せようと、張りきりすぎたんですよ。今日だって」
「ベンヤミン! だ、黙ってろよっ」

 二十歳ぐらいの若者二人が、じゃれあっているのがなんとも微笑ましい。国王の身辺を守る近衛兵といえば家柄もよく将来性も高い、エリート候補生だった。実戦経験は浅いものの、厳しい訓練により肉体は鍛えられている。
 イルヴァが嫣然えんぜんと笑いかけると、二人はそわそわと視線を泳がせた。

――赤くなっちゃって、可愛いわ。

 ウルリッヒも、昔は天使が舞い降りたかと思うほど愛らしかった。だが、今の彼は全然可愛くない。魔女を軟禁して情婦のようにあつかう、傲岸不遜で厚顔無恥な男だ。イルヴァはすっかり立場を逆転され、主導権を奪われてしまった。
 目の前の若者二人も生き生きとした精力を持ち、『晩餐』の相手として申し分ないのだが、お誘いする気にはなれない。すべては、ウルリッヒのせい。イルヴァは修道女のように二十年も貞操を守り続ける羽目に陥り、魔女の狩猟本能をすっかり退化させてしまった。
 
――ウルリッヒには早く結婚して、赤ちゃんを抱いてもらわないと。

 *

「あとはいいわ、ヘイニ」
「何かありましたら、お呼びください」

 ありがとうと、イルヴァはニルギリの紅茶を口に運んだ。優雅で繊細な味わいに、柑橘系の香りがする。目の前に置かれているラズベリーパイも彼女のお気に入りだが、今はさすがに食べる気にならなかった。

――何度、回復魔法をかけても、戻らないわね。

 むしろどんどん紫に黒色が混ざっている。指輪のうえから、何度もさすった。

――まさか、このまま腐るとか? 

 あの師匠ならやりかねない。大魔女アクセリアの魔法は、本人の性格に似て苛烈で強力、容赦という言葉を知らないのだ。
 思い悩んでいたら、カシャンッという金属音のあと、両扉が大きく開いた。この部屋に入ることを許されているのは、イルヴァのほかには主人だけだ。指を見られたくなくて、そっと腕組みをした。

「マデリーナ嬢をヒキガエルにかえたそうだな。夫人から猛抗議が入ったぞ」

 ウルリッヒは、氷柱のような瞳で見下ろしてくる。一国の主に威迫されたらほとんどの人間は恐れおののくが、イルヴァは涼しい顔で口角を上げてみせた。

「電光石火ね。さすがは、宮廷の権力者だわ」
「なぜ、そんな真似をしたんだ?」
「侯爵夫人がわたしを偽物の魔女だと決めつけるから、本物の力を知らしめてやったのよ。いい気味だったわ」

 マデリーナは軽率で視野が狭く、自分の意見を持たない。だが、なんといっても若く健康で、ウルリッヒの子どもを産むことができる。国王を中傷したことを耳に入れて、万が一でも婚約の話が滞ってはイルヴァが困るのだ。

「ファンニは俺の大切な人だ。本人は言うまでもなく、その令嬢への無礼も許さない」
 
 イルヴァは、クラーク侯爵夫人の名前がファンニだと初めて知った。侯爵夫人とウルリッヒは国王と臣下の妻というだけではなく、個人的に親しい間柄のようだ。ハイティーンの娘がいるなら、四十歳近いはず。三十六歳のウルリッヒとは歳が離れておらず、まさか二人はかつての恋人同士なのか? イルヴァは自分の思いつきに動揺したが、出てきた言葉は全く別のものだった。

「許さないから、どうするの? 簡単なことよ。あなたは魔女を放逐して、マデリーナ嬢を娶るの。そうすれば、すべてが丸く収まるわよ」

 ウルリッヒは、疲れたようにため息をこぼした。同時に怒りも沈下させたらしく、イルヴァの隣にドンっと腰を下ろす。長い脚を組んで、彼女の肩に手をまわすと柑橘系のコロンが香った。

「何度も言うが、俺はマデリーナ嬢とは結婚しない。結婚する日が来るとしたら、相手はあなた以外に考えられない」
「勝手に決めないで、魔女は生涯独身なの。ウルリッヒも、このままじゃ暗君になるわよ」

 この話も平行線上をたどっている。どうしてわかってくれないのだろう。イルヴァは右手で左肩に回された大きな手を外しにかかったが、難なく握りかえされた。

「心配してくれているのか? だが、後継者の話は俺と国の問題であって、イルヴァが気にすることじゃない。そんなことより、あなたが料理人の下着を脱がしただの、床磨きの職人の手を握っただの、俺の耳に逐一入ってくる。大打撃だ。この傷ついた心を癒してくれないか?」
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