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アイオール皇国〜ニエの村

第48話 涙は流れない

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 バサリ、バサリとゆったりとしたテンポで背中の翼をはためかせ、ドラゴンは悠然と空に佇んでいた。
 その強烈な存在感は、見ているだけでつい怖気を感じてしまいそうなほどだ。
 皆の目を釘付けにしたまま、ドラゴンはゆっくりと生贄の祭壇へと近づいていく。

「何でだっ!? あいつはリリアが祭壇に寝かせられたあと、つまり夜明け前に来るはずだろう?」
「し、知らないわよっ! ど、どうするの?」

 そうフィズに聞かれたものの……名案がすぐに浮かぶはずもなく。
 当初のリリア奪還計画の予定は、今や完全に狂ってしまったといえた。
 このままドラゴンの目の前から生贄をさらうとなると必然的に俺たちは奴の敵となり、攻撃を受けるだろう。
 そうなったとして、あの巨体を無事に倒せるだろうか…。
 それならリリアを諦めるか?

「……いや、それは一番ないな」
「ないわね」
「そうですね」
「ああ、そりゃねぇぞ」

 いつの間にか馬車から降りてきたジャックも頷いている。
 ゴンザさんまで降りてきて頷いているけど……危ないからできれば中にいて欲しい。

「ならやっぱり今すぐさらって逃げるしかないんじゃ……ってご主人様、あれっ!」
「ん、あれは……リリア!?」

 フィズが指差す方をみると、リリアが馬車から降りてドラゴンを見上げていた。
 俺たちがドラゴンに気を取られている時、外に出たのだろうが……。
 生贄は供物として捧げられるその時まで眠ったままでいる、とリリア自身が教えてくれたんじゃなかったか。
 それならば何故そこに立って、ドラゴンを見上げている?

 そんな事を考えている間にも、リリアはゆっくりと祭壇へ歩を進めている。
 その瞳はしっかりとドラゴンを見据えたままだ。

「ちょ、ちょっと……どうなってるのかしら?」

 混乱したフィズの問いかけ、その答えを俺は持っていなかった。
 なんの迷いもなくドラゴンへと向かうリリアを半ば呆然とした状態で見つめていると、とうとうリリアは祭壇まで辿り着いてしまった。

 十三段ほどの階段をリリアが一段、また一段と登っていく。
 その様子を見ていると、リリアが死刑台へと向かっているかのような錯覚を覚える。
 しかしリリアの足取りには些かの躊躇もなく、すぐに階段を登りきってしまった。

「ほら、もう着いちゃったわ! 行くなら早く行かないとっ!」
「あれは諦観? いや、違う……」
「ねぇご主人様聞いてるの!?」

 俺は焦るフィズの肩に手を置き、落ち着くように伝えた。

「まだだ、もう少しだけ様子を見たい」
「でも、でも……リリアが……」

 フィズは目の端には涙がたまっていて、今にも零れ落ちてしまいそうだった。
 だからそんな涙の欠片を俺は指ですくい取ってやる。

「大丈夫、涙は流れない。流させないから」

 それから頭をポンポンすると、フィズはようやく落ち着きを取り戻し、わかったわと納得してくれたようだった。

「それにしてもリリアのやつ、どういうつもりなんだろうか……?」

 そんな疑問は、このあとすぐに分かることになった。
 祭壇の最上部、生贄が寝かせられるはずのベッドを素通りしたリリアは、祭壇の縁に立ってドラゴンと向かいあう。
 間近でドラゴンと相対したリリアの足は、遠目からみてもガクガクと震えているのが分かる。
 まぁ自分を軽々と捕食できる存在を前にして恐怖心を抱かないのは難しいだろう。
 いくら虚勢を張ったとしても、本能的に抗えるものでもないはずだ。
 だからリリアは今、湧き上がる本能的な恐怖を超えた目的があってあそこに立っているんだろう。

「我が国の祖にして守り神たる”竜神”タツガミノミコト様へ奏上……いえ、お願いをさせて頂きたく参じました。何卒、対話の機会を頂けませんでしょうか」
「…………」

 やはりリリアには目的があったのだ。
 それにしてもドラゴン相手に話し合いがしたいとはなかなか肝が座っているな。
 問題はドラゴンに言葉が分かるのか、という事だが……。

「…………良かろう」

 ややあって、ドラゴンは当然のように言葉を発した。
 うちの馬や犬でも喋れるんだから当然喋れるか。
 しかし語りかけた当の本人であるリリアは、簡単に許可されると思っていなかったか、目を白黒させている。

「あ……え、ええっと……」
「…………」
「ま、満足して下さいッ!」
「…………?」

 リリアの叫び声にも似た願いを聞いたドラゴンは微動だにしていない。が、困惑して固まっているようにも見える。
 正直、俺もリリアが何を言っているのかわからない。

「…………生贄としての役割を放棄する、貴様はそういっているのか?」

 ドラゴンは厳しく、重苦しい口調でそう尋ねる。

「あ、いえ……そういう訳ではなく……私は食べて頂いて構いません。ですからっ! 私で……私を、最後の生贄にしてもらえないでしょうか?」

 なるほど、リリアが言いたかったのはそういう事だったのか。
 ようやく俺は納得した。
 自分の身は犠牲にするからそれでもう満足しろ、生贄というシステムを終わりにしろ、とそういう事だったらしい。
 だが、それを聞いたドラゴンの答えは——非情だった。

「…………ダメだ。そういう訳にはいかん」
「そ、そんな……わ、私は自分でいうのもなんですけど……け、結構美味しいです!」
「……そういう問題ではない」

 ドラゴンににべもなく断られてしまったリリアは遠目からでも分かるほどに落胆している。
 その願いが通らなかったのなら……自分の身を捧げたとしてもそれはただの時間稼ぎになってしまうだけなのだから。
 それでもきっとリリアは自分を捧げるだろうと思えた。
 わずかばかりの安寧を、国にもたらせるために。

「……わかり……ました……」

 リリアはそういうとフラフラとした足取りでベッドへ向かうと、横たわって目を閉じた。
 最後の願いも届かず、その胸中に何を思うのだろうか。
 ドラゴンはため息のような息を一つ深く吐き、ゆっくりとリリアへと手を伸ばした。

 それを見た瞬間、俺は地面を蹴りつけた。
 きっと俺の後ろからはフィズも、ジャックもついてきてくれている。

「うおっ、なんだ!?」
「ひ、人か!?」

 風のような速度で走る俺を視認できたとしても、その進行を止められる騎士は一人としていなかった。
 よしんば止めようとされたとしても吹き飛ばすだけだが。
 広場に立つ騎士たちを縫うようにして祭壇へ辿り着いた俺は、今にもドラゴンのその指先に掴まれそうになっているリリアを慌てて引き寄せ、抱きかかえた。

「えっ……? カ、カケル……さん……っ!?」
「リリア、お前を助けに……いや、お前をさらいに来た!」
「っ!?」

 次の瞬間、追いついてきたフィズがベッドを思い切り蹴飛ばした。
 ものすごい勢いでドラゴンへ向かって飛んでいったベッドは、わずかにドラゴンの鼻先を掠める。
 微かに仰け反ったその空間が突然爆ぜたのはジャックの魔法か。

「あの魔法が目くらましにしかなりませんか……っ!」
「大丈夫、ちょっと怯んだわ! 今のうちに逃げましょ!」
「ああ、そうしようっ!」
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