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序章

第2話 賢いキツネは口を噤(つぐ)む

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 モンスターが目の前に現れた、と気づいた瞬間、僕は鳥肌が立つとともに自分の中の怖じ気がプツプツとあわ立っていくのを感じた。

「な、なんでモンスターがこんな所に!? え、僕……ここで死ぬの?」

 パニックになった僕は逃げようとした足が空回りして、しまいには尻もちをついてしまう。
 地面を這いながら持っていた木剣を振り回してどうにか距離を取ることは出来たけれど、これで事態が何か変わるかと言えば変わらないだろう。

「ゲ、ゲゴォ?」

 カエルの額にある宝石に反射する光は自分がモンスターと対峙しているんだという事をいやってほど思い知らせてくる。
 モンスターは一般の人とは比べ物にならないくらいの身体能力があるって聞いたことがあるから僕と同じくらいの大きさのカエルは……僕にとって相当な脅威だろう。
 
 でも突然の人との邂逅かいこうで驚いているのか相手カエルもその場を動こうとしない。
 それじゃあその隙にこの場を離れてどろんします……と、そう思った時にはもう遅かった。
 振り回していたはずの木剣が手から消えて、カエルの舌に巻き取られている。
 そしてカエルが足に力を込めて——来るッ!

 僕はガクガクと力の抜けた情けない自分の足を殴りつけ、情けない格好をしながら這う這うの体ほうほうのていで地面を転がる。
 が、ほんの少し間に合わずにカエルの突進がかすってしまい僕は大きく吹き飛ばされた。
 なんとか死なずにすんだけど、ほんの少し体にかすっただけでこれだ。
 あんなもの一撃でもまともに食らったら終わり、そうすぐに分かるほどの衝撃だった。

「く、来るな……来るなよっ!!」

 僕は言葉が通じるはずがないモンスター相手に大声でわめく事しか出来ない。
 せめて手を前に伸ばして少しでも距離を取ろうとする。
 そんな僕を見て——。

「グ……グゴォゴォゴォ」

 わらった。
 僕の目の前で確かにモンスターは僕を嗤った。
 お前なんて弱い、弱い虫ケラだ、という声が聞こえてくるようだった。
 
 そう理解した時、僕の中で何かがプチリと切れた。

「ふ……ざけやがって……どいつも、こいつも。僕もッ! お前もッ!」

 諦めかけていた僕は怒りで立ち上がる。
 武器はない。
 仮に奇跡が起きてモンスターを倒せたとしても魔女がいない以上トドメが刺せず、しばらくするとまた復活するのだろう。
 でもそんな事知るか。これは意地だ。
 一発も入れずに食われるのなんてゴメンだ。

 僕は死を前にして諦めるのをやめた。
 生きるのも騎士になるのも諦めてやるもんか。

「僕は騎士になるんだ! うおぉぉぉぉ!!!」

 それは愚直なまでの特攻。
 自分の身をかえりみないただのパンチ。

 ——そのはずだった。

 僕のパンチなんて屁でもないからか、それともそのまま丸呑みしようと思ったのか、カエルはそのまま口を開けて僕の拳を迎える。
 そして僕とカエルの距離がゼロになった。

 バチバチィッ!!

 僕の拳とカエルが触れ合った瞬間、とんでもない音が森に響いた。
 それはさながら木に落ちる雷のようだった。
 僕はその音に驚いて思わず目を閉じてしまい、自分の人生の終わりを悟った。
 きっとこのまま食われて終わりだろう。

 だけどいくら待ってみても終わりは来なかった。

 恐る恐る目を開けて見るとそこには一粒の宝石が落ちているだけだった。

「こ、これは……さっきのカエルの額にあったやつ? あれ、カエルはどこにいったんだ!?」

 僕は辺りを見回しながら落ちている小さな宝石——魔石を拾いあげる。
 それはまだなんとなく生暖かいようで……。

「もしかして……倒、した?」

 そんなまさかだ。
 魔女の使う魔法で倒さない限りモンスターは魔石にならず、魔素に戻るだけ。
 額の魔石がある限り無限に復活するというのが一般常識だ。
 でもその魔石はこの手の中にある。

「この手の魔石…………ほへっ!?」

 僕は思わず気の抜けた声を出してしまった。
 だって。
 だって魔石を掴む自分の手首に、痣があったから。

 年頃の女の子にしか現れないはずの<魔女の刻印>がそこに——刻まれていたから。


「お、おち……落ち着こう。そうだ、僕は男だ。騎士を目指してる。そして魔女は女の子にしかなれない。ここまではオーケー、大丈夫。ふう、ふう」

 僕はカエルとの戦闘時よりも荒くなる呼吸をなんとか抑えながら一つ一つ確認する。

「そしてモンスターには魔女しかトドメをさせない。けど何故かカエルのモンスターはいなくなって復活の気配もない」

 うーん……っていうとこれはどういう事だ?

「そしておまけにこの手首の痣……これって」

 僕はもう一度しっかりと自分の手首を確認してみる。
 そこには明らかに紋様といえるような痣が現れていた。
 それは僕の手首をぐるりと一周、爪で引っ掻いたような紋だった。

「ん、でも待てよ? たしか<魔女の刻印>っていうのは与えられた属性ごとにある程度の紋様が決まってたはず……」

 火を司る神から与えられた場合は燃える火のような紋。
 水ならば雫、土ならば星というような法則があると聞いた事がある。
 ちなみにリッカに見せてもらったのは火だった。

 じゃあ僕のこれは何だろう?やっぱり<魔女の刻印>ではないのか。
 でもカエルは倒せたようだったし……。

「っていやいや、待てよ。そもそも僕は男だしっ」

 結局疑問が同じ地点に戻ってきた所で自分にツッコミを入れた。

「え、そんな事は知ってるけど!?」
「うわっ!」

 突然、背後から響いた声に僕は文字通り飛び上がってしまった。

「……ってリッカか。驚かせないでよ」

 独り言に返事をされると思ったよりびっくりするもんだな。

「いや、あたしの方こそ森の奥でこそこそブツブツいってる人がいて驚いたんですけどぉ」
「あ、あはは……そりゃそうだね。あれ、なんでこんな所に? 一人で来たら危ないじゃないか」

 僕は自分の事を棚に上げてリッカをいさめる。
 それを聞いたリッカは軽く頬を膨らませて不満を表現した。

「あのねーここはヒ・ミ・ツのお気に入りスポットなの! なんかここの水面に映る自分って可愛く見えるし! ほらっ」

 そう言いながらリッカは顔を水面に映して見ている。
 その様子を見ていたらさっき水の底からバチっと目が合ったカエルを思い出してしまった。

「や、やめなって。ここは危ないよ」

 湖に落ちないように、とリッカの腕を引っ張りながら僕がかけたそんな言葉にリッカは「?」の疑問符を貼り付けたような顔をして首を傾げた。

「さっきも言ってたけど危ないって? ここにはちょくちょく来てるけど危ない事なんてないよ。この森には熊も狼も居ないんだし」
「だってここにはさっきカエルのモン、んんっ。……カエルがいたし!!」

 なんとなくモンスターが居たと言えずに隠そうとしたら「水場にカエルがいた」というごく当たり前の話になってしまった。

「え、カイってカエルがだめだったっけ? ……よっ。……ほいっ!」
「うわっ! びっくりしたぁ。カエルを顔の前に突き出すのはやめてよ。別にカエルはだめじゃないけどさっきのはヤツはもっと大きかったっていうか……」

 リッカは「カイがごめんね」と他人ひとの所為にしながら捕まえたカエルを放して、ふと僕の手首に目をやった。

「あれ、カイ。手首おさえてるけど、どした?」
「ん!? あ、これは、えっと……大きいカエルに驚いて転んじゃってね。でも大丈夫だよ、痛くはないし」
「ふーん……」

 リッカはそんな僕の説明に納得したようなしてないような顔で頷いている。
 きっと心配してくれているんだろうな。

「ま、いっか」

 なんか流すような軽い言葉が聞こえたけどきっと心配してくれているんだ。
 いや、だ。

「あのさ、カイ。……ここにあたしが来てること、みんなには内緒にしてくれない?」

 リッカが突然目を逸しながらそんな事をボソっと呟くように口にした。

「ん、どうして?」
「あたしってもうすぐ村を出ちゃうじゃない? で、あたしらしくないんだけどちょっとナーバスになる時があるっていうかさ。そんな時にここでちょっと泣……顔をさ、洗ったりね、するんだ。だからあんまりそんな姿を見られたくないっていうか……ね」

 いつも元気で僕らにとっては本当に眩しい太陽のような存在のリッカでもやっぱりそういう時があるんだ、と僕はちょっと意外に思った。
 でもリッカはもうすぐ生まれ育ったこの村を出て、誰も知り合いが居ない所に行くんだからそれは当然かもしれないと思い直した。

「うん、分かったよ。じゃあ今度来る時は僕を誘ってよ」
「え?」
「だって、危ないし。それに僕はもうリッカがここに泣きに来てるって知っちゃったんだからさ」

 そんな僕の言葉にリッカは「泣いてないし」といいながらプイっと顔を背けた。
 それからすぐに俯くと顔を赤くして「あれ、それってデートじゃん」とか言っている。
 え、そうなっちゃうの!?うわ、なんで僕はそんな事を言っちゃったんだ。
 僕も俯いて顔を赤くする事しか出来なくなった。

 しばらくちょっと気まずい空気が続いて。

「……うん、わかった」

 顔を上げたリッカはすっかり元通りの顔色をしていた。
 あれ、僕が意識しすぎただけだったのかな。

「じゃ、約束ね」

 そういってリッカは手をキツネの形にした。
 それに合わせて僕も手首を押さえながらキツネの形にして、お互いのキツネに口づけをさせた。

 もちろんこれは<賢いキツネは口をつぐむ>ということわざから来ている。
 約束は守ったほうがいいことがあるよ、というような意味だ。

 ちなみに「カイと約束……しちゃったぁ」っていう独り言は聞かなかった事にする。


 ——帰ろっか

 どっちが言ったかそんな空気になって、僕らは一緒に村へ帰る事にした。
 そうしたらなんとなくリッカを意識しちゃって。
 リッカの空いてる手の温もりを感じたかったけど、今の僕は手首を隠さないといけないから。
 って自分に言い訳をして歩調を合わせたら、いつもより少しだけゆっくりと村へ戻った。
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