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その十八  いつもと同じように

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 目の前にいる幼馴染みの彼は、胸に片手を当てる。

「私は国王陛下の息子、ウィリアム・グランデだ」
「……だ、第一王子様」

 なんと、ウィルはこの国の第一王子様だった。
 いつも優しくしてくれるウィル。
 毎週のようにふたりの時間を共有し、私を甘やかしてくれるウィル。
 彼は、ウィリアム様だった。
 素敵な彼の存在は私にとって王子様そのもの。

(愛しい幼馴染みは……本当の本当に本物の王子様だったのね)

 信じられない思いで胸がいっぱいになる。
 自分の好きになった人が、いつも私に優しくて甘やかしてくれる幼馴染みが、国の女性たちみんなの憧れ、ウィリアム様だったのだから。

 ウィルの執事、ロラン様が口を開く。

「ウィリアム様、廊下での立ち話ではなくお部屋へ」
「分かった。マリー、ついて来てくれ」

 ウィルが私に背を向けて歩き出すと、少し斜め後ろをロラン様がついて行く。

 ふたりについて行けば、少しは何か説明してもらえるかもしれない。
 廊下の立ち話では、気になることも聞けないし、相手は第一王子様なので誰かに見られたら疑問を抱かれかねない。

 私も黙って彼らの後をついて行くことにした。
 美しいものが好きな私は、以前からこの美丈夫ふたりの後ろ姿がとても好きだ。

 ウィルは金髪で美しい顔立ち。
 けど、背が高くて剣の修練で体格がいいので、シルエットが男らしくてとても素敵だと思う。

 ロラン様は肩よりも長い黒髪。
 切れ長の目が印象的で、二十代前半の頼れるお兄様タイプだ。
 背はウィルより少しだけ高くて少し線が細い。
 いつもロラン様の提案にウィルが従う様子から、彼が信頼されているとよく分かる。

「本はこの階の王族私書室にある」

 そう言ってウィルが廊下の先まで行くと、一番奥の扉をゆっくり開けた。
 私も彼と一緒に部屋へ入る。

 ロラン様はいつもと同じで、幼馴染みの私たちに気を遣って部屋の外で待つようだ。
 私は扉が閉まるのを確認してから、彼に問いかける。

「あの! ウィル、あっ……ウィリアム……様」
「悪い、突然の告白で混乱させたな。いつも通り、俺のことはウィルと呼んでくれ」

「で、でも、第一王子様なので……」
「どうか頼む。ふたりでいるときは、これまでと同じように呼んで欲しい」

 じっと見つめる彼の瞳が、私の胸を高鳴らせる。
 まるで私を求めているように見えた。
 そんなに真剣な眼差しで見つめられたら、どこの令嬢だって断れやしない。

 でも高貴な方への従順さを示すため、あえて無礼な呼び方をするのは、なんだか不思議な感じがする。

「ウ、ウィル……は王子様だったのですね……」
「やっぱり距離ができるのか」

 私の態度に彼はため息をついた。
 いくらいつも通りにと言われても、丁寧にしゃべらなくてはと委縮する。

「当然です。どうかこれまでの数々のご無礼、お許しください」
「マリー……。いつものように接してくれないか」

 やはりウィルは高貴な身分だった。
 だけど、上位貴族だと思っていた私の予想よりもはるか上の存在、王族だったなんて。
 それも王位継承権第一位の王子様が、毎週私の部屋へ来る幼馴染みの正体だったなんて。
 そんなの、誰だって予想できないと思う。

「これまでのようには……難しいです。下位貴族の孫娘である私にとって、王族の方は雲の上の存在。身分の高い方とお話する際は、感情を表に出さないよう幼いころから教育され――」
「なら、俺が感情を出させてあげよう」

 ウィルは私の体を引き寄せると、なんと腰に腕を回す。

「え、あ、ちょっと? ウィル?」
「最初からこうすればよかった。ほらいつものように話そう」

「ウィル、いえ、王子様。王子様がこのようなこと」
「強情だな。ならもう手段は選ばない」

 そう言いながら少し嬉しそうにしたウィルは、後ろから私の頭に手を当てて包むように抱きしめた。
 彼のごつごつした手が私の耳に当てられて、その硬い感触に体がビクンと跳ねる。

(待って待って待って! この手は反則だって!)

 もう片手は腰に回されて引き寄せられているので、ウィルとの距離はゼロ。
 私は誘惑に逆らえず、自分の意志で彼の胸へ顔をうずめる。

 大好きな人がいま、こんなに近い。

 これまでだって、腰を抱かれて体を近づけたことはなかった。
 厚い胸板、彼の体温を感じる……。
 あ、この匂い。

 私は緊張で胸が高鳴なって恥ずかしくなり、顔を見られないように彼の胸に頬を押しつけていた。

 いつも彼がつけている香水のさわやかな匂いとともに、かすかにウィルの肌の匂いを感じる。
 彼特有のこの匂いを知っているのは、身の回りを世話するメイドと幼馴染みの私だけだと思う。

 彼は剣の修練が終わると、私が準備した濡れタオルで汗を拭く。
 私の部屋に来るときは、柑橘系の香水とわずかな汗の匂いがするのだけど、それとは違う彼特有の匂いがあるのを最近知った。

 ウィルは私をからかうために、体をそばに寄せることが増えて、そのときに気づいてしまった。
 大好きな人の肌の匂いは私の好きな匂いなのだ。
 チャンスとばかり胸に顔をうずめてこっそり幸せを満喫する。

 ウィルはそんな私の頬に手を当てると、顔を近づけて……。
 そして彼は……私の頬に優しくキスをした。
 そのあとすぐにひたいへもキスする。
 大好きな人からのキスは幸せで、だけど短くて。
 その先のキスがあるかもとドキドキして期待する。
 けれど、彼はすぐに私を開放した。

「ウィル⁉ いまキスしたよね⁉」
「ふう。やっと、いつものように話してくれたな」

「いつものように?」
「ああ、いつものマリーに戻って欲しくてな」

「ちょっと、ウィル! あなたまさか動揺させるためにキスをしたの?」
「いや、キスはただ俺がしたかったんだ。仲良くしていた大切な人から、他人行儀にされるのはつらいしな」

(したかったって……ウィルが私を好きになった訳じゃないの?)

 私が王子様の身分に委縮して距離をとったから、彼が過激なことをしていつもの私に戻そうとしたのだろうか。
 だからって、幼馴染み相手に頬やひたいにキスするだろうか。

(……普通はしないわよね。じゃあ彼は、私を女性として見ているってこと?)

 混乱しながらも思考がぐるぐる回って、結論にたどりつく。

(頬とひたいへのキスだけど、一歩前進ってことにしよう!)

 理想は好きって言わせてからのキスだけど、もう時間がないからいいにしよう。
 だって彼の婚約まで、あと二か月しかない。
 それまでに、絶対私を好きって言わせたいから。

「ま、まあ、ひたいへのキスくらいなら、ゆ、許してあげようかな」
「じゃあまた今度、マリーに隙があればしよう」

「す、隙があれば⁉」
「ああ。結婚したい相手のことなど忘れさせて、絶対言わせたい言葉があるからな」

 い、言わせたい言葉?

 私がキョトンとすると、彼は楽しそうに笑った。
 ずいぶん噂とは違う王子様だ。
 スザンヌ様たちは氷の王子様とか言っていたのに。
 王子様だと知って最初は委縮して、王族に対する接し方をしなければと意識したけど、なんかもうこれまで通りに話せそう。

「マリー。そろそろ本を探そう」
「そ、そういえば本が目的だったわね」

 彼はあの手で私の頭を優しく撫でてから、この部屋の奥へ移動すると、ずらりと並ぶ大きくて分厚い本の列を指さした。

「実は二百年前の俺の先祖、その時代の王妃に時空魔法の特性を持った人がいたらしい」
「二百年前の王妃様?」

「二百年前、魔物の集団に王都を襲われたとき、時空魔法で奇跡を起こして王国を救ったのがその王妃だ」
「ウィルにとって、ずっと昔のおばあ様ね」

「この本が、そのころの王族にまつわる伝記だ」
「さすがにこんな貴重で大きな本、借りられないわ」

 本というだけでも高価なのに、王家の歴史が細かく書かれている貴重なものだ。
 もし万が一、汚したり失くしたりしたら、ウチの家は賠償金が払えず破産してしまう。

「なら、時間を作ってここで少しずつ読めばいい」
「時間は作れても、王族でもない私がこの部屋へ出入りすることはできないわ」

 ここは宮殿だ。
 ただでさえジゼル様とスザンヌ様に宮殿の出入り時間を制限されている。
 なのに、王族のための本が並ぶ王族私書室へひとりで入り浸っているのを見られたら、何を言われるか分からない。

 激高するジゼル様とスザンヌ様の顔が目に浮かぶ。
 第一王子様であるウィリアム様に許可されたと言っても、信じてもらえないだろう。

「分かった。この本を王城の書庫へ移動させて、さらにマリーを期間限定の司書官手伝いにしよう」
「私が司書官手伝いに⁉」

 王城の書庫へ、私が気兼ねなく出入りできるように配慮してくれたのは分かる。

(でも、ちょっと無理やりな気が……)

 読み書きは普通にできるけどあまり好きじゃないし、日記ですら三日坊主でちゃんと書けない。
 そんな私が司書官手伝いというのは、あまりに頼りない人選だと自分で思う。

 仕事を頑張るのは得意でも、文章に関わる仕事で私が王城の書庫へ出入りして、先輩メイドたちが納得するのか心配だ。
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