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二章
3
しおりを挟む理事長室へと移動した私たちは、鞠と緑に『用事が出来て合流出来なくなった』と、メッセージを送った。
先程からずっと無言の佐藤は、何を考えているのか、わからない。
私たちは理事長室にあるソファーに座らせてもらって、お茶を出していただいていた。
あくまで理事長相手なので、ちょっと恐れ多いけれど。
「あの……先程は私も取り乱して、お騒がせしてしまい、申し訳ございませんでした」
「いやいや、いいんだよ。それだけ氷と真剣に向き合ってくれているということじゃあないか」
氷……佐藤の、本当の名前。
佐藤氷
「その、どこから聞いたらいいのか……どこまで今話せるものなのかも、私にはわかりませんが……。あまり無理に聞きたいわけではないので、今聞ける所だけでも、教えていただけますか」
何がどうなっているのか、私としても未だ情報が整理できていない。
すると、俯いていた佐藤がふいに顔を上げて私を見る。
「和香……怒ってないの?」
「事情が事情っぽそうだから聞けること全部聞くまでヘタな判断しないようにしてるだけ。話し終わったら覚えといて」
「ハイ」
またしょぼくれる佐藤に、私は溜め息をついてからそのウィッグ越しの赤毛の頭に触れ、よしよし、と撫でる。
別に責めたいわけでも、佐藤を軽蔑しているわけでもない。
ただ、私も少し混乱しているだけ、なんだ。
「妹が、いる。三つ下の」
「うん」
三歳下、ということはまだ未成年で、高校生か。
「……蜜は今病院で……ずっと、眠ってる」
「ずっと……?」
「三年前、親の車で事故を起こした時から、今までずっと」
――それはつまり、植物状態ということ?
というかこの話は恐らく、佐藤にとって一番人に話しにくいことではないだろうか。
蜜という妹の名前を使って生活していたくらいなんだから。
「佐藤、それ、本当に私が聞いていいの?」
「言ったでしょ、和香には遅かれ早かれ話す気でいた。和香が嫌じゃなければ、聞いて欲しい」
私は考える間もなく答えていた。
「……もちろん、聞く」
今日も綺麗に赤くネイルされている指先で一口お茶を含む佐藤。
豪快なように見えて、一つ一つの仕草は丁寧で綺麗だ。
この人が本当に、高校生まではガラの悪い人達に囲まれていたヤンキーだったと……誰が気付けるというのか。
「親は蜜と一緒のその時に事故で亡くなったから、今この叔父さんの元で兄妹揃って世話になってる」
ということは、二人の引き取り先が理事長になった、ということなんだろうか。
「事故当時の俺は受験の年で、全然勉強なんてしてなくて……コネでここに入ったのは本当」
「そこは本当なのか」
「マジマジ。生意気の赤髪ヤンキーなんて誰が引き取ってくれんだっつうの。……それでも、こんなどうしようもない俺でも、叔父さんが兄妹揃って引き取ってくれてさ」
佐藤が理事長の方を向いて、微かに笑う。
悲しそうに、けれど、本当に感謝をしているような眼差しで。
理事長も優しい笑みで、返してくれる。
「氷も、突然家族を失ったもんだからね。当時は相当荒れて……それで、最初は蜜の入院費の為に高校をやめて働くなんて言い出してね。それはもう全力で止めたもんさ」
「え……それは佐藤、無茶が過ぎるって。高校中退する気だったの?」
「俺が馬鹿してる罰が下ったと思ってたから、馬車馬のように働くのが当然じゃねぇかって思ってて。けどさ、そんな経歴じゃ会社にも安く使われるだけだからって、大学に入ることを勧めてくれたのが叔父さん。ほんと、ばかみたいにいい人。すぐ騙されそう」
「それは悪口だよ佐藤」
「でも、すっげぇ尊敬できる人」
本当に理事長のことを尊敬してるんだなというのが、よく伝わってくる。
佐藤も叔父さんのおかげで、ヤンキーでいることをやめたのだろうか……だからといってなぜ方向転換した先がなぜギャルなのか。
「残りの高校生活は出来る限り勉強して、それから大学に来た」
「なんで妹の名前で?」
「目が覚めた時に、友達がいなかったら寂しいだろ」
……?
「どういうこと?」
佐藤は少し照れたように視線を反らして、口を尖らせる。
「俺のダチじゃ、ガラ悪いし、男だし……」
「うん?」
「蜜の為に、何か出来ないかって考えて……目が覚めた時、学校くらいでしかつくれない質のいい女友達、一人でもいいから連れてってやりたいと、思って」
「……ばか、じゃないの。なんでそれでギャルなの」
「う、うるさい!ガラ悪い野郎だとクソ野郎にしか集まってこないから、そしたら女は逃げるだろっ」
どうやら、ヤンキーだった割にはシスコンだったらしく、それも愛情表現が凄まじくへたくそというギャップ。
かわい……いや、不謹慎かもしれないけれど、そんな佐藤も嫌いじゃない。
「人間関係の選び方、すごく勉強して……頭良さそうに見せられるならそうしたけど、さすがにそれは無理だったから、コミュ力おばけを参考にして……」
「それで、行き着いた先がギャルか」
その結果のギャル化。
いや、それで丸二年間もギャルを続けられて、誰にも気付かれることなく三年目に突入出来てるんだから、もはや正解だった説すらあるのかもしれない。
私なら男装を四年もバレずに続けろと言われたら一ヶ月以内に音を上げる気がする。
そう思えば、佐藤の決意は本物だったとしか言いようがないだろう。
努力の方向性がちょっとおかしいけれど。
「それで実際、佐藤は女装癖はあるの?そこのところ一番気になってたんだけど」
「心も体も野郎で恋愛対象は女だよ」
「なるほど」
佐藤の中身は完全に男だった。
本当に妹の為にギャルになるよう徹して、自分のことそっちのけで妹の友達探しをしていたんだろう。
元々の友達とはつるめているんだろうか?
佐藤の人生なのに、佐藤はそれで後悔することはないんだろうか。
細かい仕草や、メイクやネイル技術、声も……佐藤が一から努力して吸収したんだろうか。
としたら本当に、努力の底が知れない。
その短期間でどれだけの人を観察して、技術も振る舞いも吸収してきたんだろう。
「佐藤って」
「うん?」
「すごくすごく……頑張って来たんだね」
その言葉に、反らされていた瞳にようやく私が映り込む。
「……なに、言って、」
「自暴自棄になったっておかしくない状況の中、それでも佐藤は妹の為に出来ることを必死に探してきたわけでしょう?罰だなんて、佐藤と事故のことは関係ないことじゃない。それで自分を責めて来たの?今もそうなの?」
「……」
「今も自分のせいだなんて思ってるなら、私は怒るから」
きっとその出来事が、佐藤に呪いのように絡み付いて、開放させてくれていない。
そんな苦しい素振りなんて欠片も見せないで、ようやく話してくれたと思ったら『自分は男だ』という、この話の規模からしたらそんなどうでもいいことだけ。
……いや、それもかなり衝撃的だったから、どうでもいいって言うのもなんだけど。
「佐藤の方から苦しみに行ってる状況なら、私は佐藤を許さないよ。佐藤は私の友達……でしょう?今は、まだ、うん、それで、だから……」
友達……というには近付き過ぎたように感じるから、少しどもってしまう。
けれど理事長の前だし、ここの関係性のところは一旦端に置いといて。
「助かる気のない人に手を貸すほど私は優しくない。佐藤の方から這い上がって来てよ」
「……和香」
「そしたら、こっちだって安心して、丸ごと受け止められるから」
私は佐藤に向かって両手を広げる。
来るなら来い、ただし自分からその状況を脱する決意がなければ私は受け止められないし、助けにもなってあげない。
何を助けられるかなんて、こんな面倒くさがりの私になんてわからないし、こんなちっぽけな女一人に出来ることなんてたかが知れてるかもしれない。
でもね、佐藤の苦しみをほぐして、はんぶんこにして受け止めるくらいの余裕は持ってるつもりだよ。
怠惰だったから、そんな余裕は持て余してるの。
私も少し怖いけど、佐藤がいるなら怖くない。
それに鞠と緑だっている。
佐藤が二人に自分のことを話したがらなくても、私は鞠と緑にも寄りかかれるの。
「ビビってないでちゃっちゃと縋りに来てよ。何が怖いの?罪悪感でもあるの?」
「……和香の、負担になるから」
「へたれ」
「へっ……!?」
「私が、いいって言ってる。それ以上に必要なことなんてある?」
借金してるわけでもあるまいし、例えそうだとしてもこの理事長が放っておくはずがないだろう。
コネで大学に入らせたような人なんだから。
ただ、佐藤の勇気がないだけなら、それだけなら問題ない。
「私が、佐藤に頼ってほしいの。ここまで話したのにそれでおしまいなんて、そんなのないでしょう?」
「のどか……」
「来るの?来ないの?」
珍しく真剣に、真っ直ぐと佐藤に瞳を向ける私を見て、彼は一瞬、泣きそうな顔を見せて。
それから、私の腕の中へと飛び込んできた。
それでいいのよ、ばぁか。
耳の後ろで鼻をすする音がする、鼻水垂らさないでよね。
緊張していた私の気持ちもふっとほぐれて、ギュッと力の入っていた肩を降ろす。
佐藤のふわふわとした赤髪をゆるりと撫でてから、背中をポンポンと優しく叩く。
それに応えるように、私の首に巻き付いた腕にギュッと力が入れられて……ちょっと苦しいよ佐藤、殺さないでね。
理事長と目が合うと、柔らかい笑みを返してくれたので、こちらは困ったような笑みを返した。
この状況、絶対後で恥ずかしい思いするね、佐藤。
一緒だからいいよね。
ねぇ、佐藤。
「佐藤が時々沈んだ顔してたのって、このこと?」
「……蜜の、見舞い……たまに行ってる、から」
「……嫌だったらいいけど、私も今度一緒に連れてってよ」
「和香が……?」
腕の力を抜いて起き上がった佐藤が顔を見せると、目も鼻の頭も赤くなっていて、私はクスリと笑ってしまった。
いいよ、もっと好きなだけ、今まで我慢してきた分、みんな受け止めるよ。
ぽんぽんと、また佐藤の頭を撫でる。
「その蜜ちゃんに、私たちを合わせようとしてたんでしょう?妹の為に友達を作ってたってことは。じゃあ、先に私が会ってもいいんじゃないかと思って」
「来てくれる、の?眠ってて、話とかもできない、けど」
「いーの。顔、見ておきたいし。寝てたって蜜ちゃんは蜜ちゃんでしょ」
「……和香、それよく言うよね」
「佐藤も……氷も、ずっと氷だよ。名前が違うとわかっても、変わらない。私の大事な人」
「……っ」
ぐっと、私の首裏に力の入った手が回り、今度は私が佐藤の胸にダイブする。
佐藤の背中に手を回していたから、回避も出来ないまま、トン、とその胸に額が当たり、佐藤の香りにふわりと包まれる。
「俺も、そんな和香が大事」
「……佐藤、理事長の前、だから」
慌てて腕を引っ込めて佐藤の胸に当てて離そうとすると、その胸のクッションが作りものだということに気が付いてしまう。
いや、そりゃそうなんだけど、頭では知ってはいたんだけど、今まで佐藤の胸なんて触ろうとしたこともなかったからどうなってんのとか知らなかったし……むにっとした何かが入って……いや待って今私変態みたいだから待って。
慌てて起き上がると、ははっと楽しそうな佐藤に笑われた。
「叔父さん、今度和香連れて蜜んとこ行くわ」
「本当、仲がいいね。いいよ、行っておいで」
優し気なその声に、顔に熱を持ったまま私は理事長に顔を合わせる。
「和香さん」
「……ハイ」
「どうか、蜜も、氷とも、これからも仲良くしてもらえたら嬉しいよ」
ふわりと佐藤の手が私の手に重ねられる。
「もちろん。こちらこそよろしくお願いします」
佐藤を見上げると、その表情からはもう苦しさなんて消えていて、清々しさすら感じられた。
理事長室を出ても、まだ佐藤の手は離れず、気恥ずかしさはあるけれど今日だけはいいかと受け入れていた。
「佐藤ってさ」
「うん?」
「普段声高いけど、なんか練習とかしてたの?」
「地声の声域が広かっただぁけ」
いつの間にか、いつも通りのギャルに戻っていた佐藤は、今度ははぐらかすことなく、私の質問に答えてくれる。
「じゃあ、妹の名前使ってたのって、なんで?氷だと女っぽくなかったから?」
その質問に一拍置いてから、佐藤は口を開く。
「それもあるけど、蜜って学校ちゃんと行けてないわけじゃあん?」
「うん?」
「蜜の友達を作りに来てるのに、『蜜』っていう名前に馴染めないまま友達候補を蜜に合わせるとなると、あーしの友達感が拭えないしぃ……」
うん?
『氷の妹』、としてではなくて、『蜜ちゃん』として見てほしいから名前を馴染ませたかったっていうこと?
「それに名前を借りることで、蜜の一部と一緒に学校に通っている気でいたかった」
「でも蜜って自分のことを呼ばれるのは嫌だったと」
「あーしの名前じゃないからね」
佐藤の心の中は複雑で、私には全部理解できるわけではない……というか、人の全部理解することなんて誰にでも無理なことだろう。
それでも、理解が出来ないことがあったとしても、それが佐藤の心なのだと受け入れていられれば、それでいい気がした。
「あれ、でもそれなら、なんでこんな中途半端な時期に私にだけ打ち明けたの?最終的には緑や鞠にもこのこと話す気でいたってこと……じゃないの?友達紹介したかったというなら」
そう、蜜ちゃんに合わせるのはなにも私だけと決まっていたわけではないはずだ。
だって『友達』を連れていきたかったわけだし、佐藤が蜜として接してきた友達は私だけではない。
私が逆に、例外……?
そうだとしたら、それはなぜ……。
「あぁ、それね」
顔は前を向いたまま、瞳だけが私をそこに映すと。
「和香には男として意識して貰いたかったかぁら」
色気を纏った流し目を向けるそんな佐藤氷に、また私の胸がギュッと締め付けられた。
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