25 / 63
第伍章 冥界
後ろは、見ずに……
しおりを挟む《よく言った、人間よ。では…………君に本当の、最後の試練を用意しよう》
すると、ルーフェの目の前の空間に、人一人がくぐれる程の裂け目が開いた。
その先は漆黒の闇に覆われ、先に何があるか分からない。
《裂け目をくぐり、真っすぐ進めば、現世へとたどり着く。そこまで君は、歩いて向かうがいい。君の愛した人間も、もちろん一緒に》
ルーフェは、裂け目の先に広がる、深い闇を見据える。
この先を進めば、エディアと共に、現世へと戻れる――。そう考えるだけでも、ルーフェは安堵と喜びに満ちた。
《だが、無事に現世へとたどり着くまで…………決して後ろを振り向いてはいけない。それが、私が君に与える――最終試練さ
さぁ前に進むといい、後ろを振り向かず、自らの願いへと!》
冥王の言葉に見送られ、ルーフェは闇が広がる裂け目に――足を進める。
ルーフェは裂け目をくぐった。それと同時に裂け目は閉じ……そして消えた。
――――
裂け目をくぐると、ルーフェは先ほどの広場へと戻っていた。
外は相変わらずの闇景色、冥界の後であると、その寂寥さが更に際立つ。
現世へと戻るには、来た道を戻るだけで良い。
…………後ろは絶対に、振り向かずに。
光の階段は、同じ場所に存在していた。
ルーフェは階段へと進み、一歩、また一歩と階段を下りて行く。
目の前には、さながら奈落の底へと降りてゆくかのような、漆黒の中ぽつりと続く、虚空に浮かぶ白い光の階段。
階段を降りる度、足音が辺りに響く。
コツコツ、コツコツと…………ルーフェ一人の足音が、この空間唯一の音として、ただ寂しく響き渡る。
人の気配もない。ここにいるのは彼だけのようだ。
――冥王は後ろを振り向くなと言ったが、一体どうしてだ? この場所にいるのは、俺一人のはず――
そう思っていた、まさにその時だった。
いきなり、背後に何かの気配を感じた。だがそれは、人の物とは思えない程に弱弱しく、本当に存在しているのかどうかすら、正直怪しい気配。
そして、ルーフェの足音に交じり、ペタペタと別の足音が聞こえ出した。
一体誰の足音か……そう考えていた彼は、冥王のある言葉を思い出す
『――裂け目をくぐり、真っすぐ進めば、現世へとたどり着く。そこまで君は、歩いて向かうがいい。君の愛した人間も、もちろん一緒に――』
――もしかして、後ろにいるのは……エディアか――
ルーフェはこう考えた途端、反射的に後ろを振り向きたくなった。
それでも衝動を抑え、冥王の警告を守った。
後ろに何かの存在を感じながら、彼は下へと降り続ける。
決して、後ろを振り向いてはいけない――冥王はそう言った。
それが……最後の試練だとも。
初めは、何のことはない試練だとルーフェは考えていた。
しかし、今自分の後ろにエディアがいるかもしれない。
長い間、ずっと求めていた愛する人が、すぐ傍にいる…………。そう考えるだけでも、後ろを振り向きたくて堪らなかった。
――もし彼女がいるのなら、今すぐにでも顔を見たい、そしてその身体に触れ、言葉を交わしたい――
「……後ろにいるのか、エディア?」
ルーフェは前を向いたまま、後ろにいるであろう存在に話しかけた。
だが返事はない。
「なぁ、いるなら……返事をしてくれ。――――お願いだ」
その哀願に近い、彼の言葉。それにすら、返事が返って来ることはなかった。
「……エディア」
彼女かもしれない存在がいるかもしれない、それなのに、何の反応を見せない。ルーフェにとっては、身に裂かれる程に辛かった。
絶対に振り向く事は許されない。
しかし知りたい、感じたい、エディアの存在を、すぐにでも…………。
この二つの葛藤は、恐ろしいまでにルーフェを苦しめた。
なのに――――今歩くこの道は、どうしようもなく長い。
彼の精神が苦悩に苛まれていたその瞬間、更に様子が一変した。
後ろから聞こえる足音が、突然変わった。それはペタペタとした柔らかいものでなく、ガサッ、ガサッとかさついた音。
そして、それとともに漂う、妙な悪臭。
匂いを嗅ぎ取った瞬間、ルーフェはその正体を知った。
「…………っつ!」
以前にも嗅いだ覚えがある――その匂い。
それをよく知っている彼は、大きくよろめいて顔を歪めた。
匂いの正体は、肉の焦げた匂い。…………それも、人肉の焼けた。
鼻に入る悪臭は、嫌でもルーフェの脳裏に、あの記憶を思い起こさせる。
辛い記憶、非業の死を遂げたエディアとの、最後の記憶。
――駄目だ、見てはいけないと分かっている。けど、後ろには彼女が……エディアがいるんだ。例え、どんな姿であっても――
歩く度に忍耐がすり減り、次第に限界へと近づいて行く。
それでも終わる気配のない、長い道のり。
そして限界が訪れた。
――せめて、ほんの少しだけなら――
ついに耐え切れず、ルーフェはゆっくりと…………後ろを振り向く。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
麗しのラシェール
真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」
わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。
ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる?
これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。
…………………………………………………………………………………………
短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。
悪役令嬢にざまぁされた王子のその後
柚木崎 史乃
ファンタジー
王子アルフレッドは、婚約者である侯爵令嬢レティシアに窃盗の濡れ衣を着せ陥れようとした罪で父王から廃嫡を言い渡され、国外に追放された。
その後、炭鉱の町で鉱夫として働くアルフレッドは反省するどころかレティシアや彼女の味方をした弟への恨みを募らせていく。
そんなある日、アルフレッドは行く当てのない訳ありの少女マリエルを拾う。
マリエルを養子として迎え、共に生活するうちにアルフレッドはやがて自身の過去の過ちを猛省するようになり改心していった。
人生がいい方向に変わったように見えたが……平穏な生活は長く続かず、事態は思わぬ方向へ動き出したのだった。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる