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第弐章 青年と少女

ルーフェの過去

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 ――――


 その日もいつもと同じように、ラキサはルーフェに、昼食を運びに来た。
 いつもなら、彼が休んでいるあの部屋にいるはずだった。
 だが、部屋に入るとルーフェの姿は無かった。
 他にも家中探してみたが、どこを探しても姿は見当たらない。
 そこでラキサは二階に上がり、トリウスの書斎へと向かう。
 書斎の扉をノックしてから、彼女は部屋の中へと入る。

「失礼します、お父様」

 部屋には無数の本が並ぶ本棚があり、複数ある机の上には、様々な骨董品や用途不明の道具などが置かれている。


 そしてトリウスは、奥で何やら書き物をしていた。
 辞書のように分厚いそれは、彼がこれまでの毎日を、習慣的に記して来た日記である。
 また、その傍には同じ日記帳が何冊も並んで置かれていた。これらを全て埋めるには長い年月が必要であったと、簡単に察しが付く程の分量だ。
 彼は書き物を中断すると、椅子に座ったまま後ろを振り向く。

「どうしたラキサ、何の用だ?」

「あの、ルーフェさんはどこに? もしかして、もう……」

「まだ出て行ってはいない。幾らか傷が治ったようだから、部屋から出歩いても良いと許可を出しただけだ」

「けど家の中には、見当たらなかったわ」

「ああ、それなら多分、庭にいるはずだ。彼はある本を借りたいと私に頼んできたからな、恐らくそこで読書でもしてるのだろう」

 それを聞くとラキサは早速、ありがとうとトリウスに伝えると、ルーフェを探しに庭へと行った。



 霊峰ハイテルペストの中腹から延びた広い高台、家はそこに建てられていた。家はレンガ建ての大きな家で、外から隔てられてもその暮らしは快適だと思わせる。
 外の庭には雪は積もっておらず、空は晴れて日の光が差していた。
 しかしそれは、家の半径約二十メートルの範囲のみで、雲も同じくその円形の部分だけ、不自然にくり抜かれていた。
 さながらそれは、小型の台風の目のようである。
 そして境界の一歩外は雲に覆われ、猛吹雪が吹き荒れていた。どうやら、この現象はトリウスの魔術による結界らしい。


 周囲は寒さと吹雪に包まれた死の世界。円形に張られた結界の中のみ、太陽に照らされて暖かく、草花が芽吹く。非現実性の対比性が同居するこの光景は、幻想的な美しさが感じられる。
 庭には草が生え花が咲いているのみならず、家の傍には小規模な果樹園があり、大木が中央に一本生えていた。


 その木の下で、ルーフェは今、本を読んでいた。
 彼の様子は落ち着いて見え、心なしか穏やかに感じられる。
 こうして一人の時間を満喫している時、傍の茂みがガサガサと動く。

「…………っ!」

 ルーフェは傍らの剣を手にすると、切先を茂みに向ける。

「ご、ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったの」

 茂みから現れたのは、ラキサだった。

「何だ……君か」

 その正体が分かると、ルーフェは剣を下した。

「つい警戒して、剣を向けてしまった。長旅の癖だ、許してほしい」

 彼はそう言うと、先ほど読んでいた所から、再び読書を始めた。
 本を読みながら、ルーフェはラキサに聞いた。

「それで、どうしたんだ?」

「食事が出来たから、呼びに来たの。ルーフェさんがここにいると、お父様から聞いたから」

「そうか。…………悪いが、本を読み終えるまで、待っていてくれないか?」

 熱中して彼が何を読んでいるのか、ラキサは興味を持った。

「この本は、お父様に借りた本ね。一体、どんな本なの?」

 彼女からの質問に、ルーフェは本を読むのを止める。
 そしてラキサに寂しそうな顔を向けると、フッと笑った。

「よくある話さ。ある国の王子と町娘、身分の違う二人が恋に落ち、周囲の反対にも負けずに愛を育む恋物語…………。『彼女』がこの物語を一番気に入っていたのは――――きっと自分の境遇を無意識に重ねていたからだろうな」

「それが……ルーフェさんが生き返らせたい人。もしかして、恋人だったの?」

 ルーフェは黙って頷いた。

「ああ、そうだ。名前はエディア、かつて俺の屋敷の召使だった少女さ……」

 そして、一人語りはじめる。




 ――――

 エディアと初めて会ったのは、ルーフェが十才の時。かつて上流貴族の息子だった彼は、両親からは常に貴族としての考え方やマナーを押し付けられ、ただ一族に見合う貴族である事だけを求められた。
 そこには愛も、温もりもなく、自分自身され必要とされず、友達を作ることさえ許さなかった。そんな彼の唯一の楽しみは、広い庭園の隅にある、誰も来ないような木陰で読書。それが唯一、自分が自分でいられた時間だった。

 
 ある日彼は、いつもと同じように、本を片手に秘密の場所へと向かった。彼女と出会ったのは、そんな時。
 エディアはあの場所で泣いていた。後で知った話だが、彼女は親を病気で亡くし、家の召使として引き取られたばかりだった。
 その時のルーフェにはそれが分からず、目の前で泣いている少女のなだめ方すら知らなった。ただ出来たのは彼女の隣に座って…………持ってきた本を読み聞かせて気を紛そうとしただけだった。
 彼が読み聞かせている内に、次第にエディアは泣き止んでいった。そして本を読み終わる頃には、俺の肩に寄りかかって、泣き疲れて眠っていた。


 事情を聞いたのは、エディアが目を覚ました後。彼女には親もなく、友達もいなかった。だからだろうか、身分が違っても互いに惹かれ合ったきっかけは。
 ルーフェが彼女と会うようになったのは、それからだった。俺は本を庭園に持って来ては、そこで待っていた彼女に読み聞かせた。何しろ、身分のせいで文字を学ぶことは無かったからだ。それでも、彼が読み聞かせている時は、いつも嬉しそうだった。今まで孤独だった二人はすぐに、互いに大切な存在だと認識するようになった。

 それが、ルーフェとエディア、身分も育ちも違う、二人が出会った経緯。
 まるで絵本か童話の、物語のような心温まる出来事――だった。



 ――――

「……あの場所は、初めはただの逃げ場だった。それがいつの間にか、エディアと一緒に過ごす、かけがえのない場所へと変わったんだ」

 ルーフェが語っている間、ラキサは何も言えなかった。この二人の結末は、もう察しがつくからだ。

「俺が住んでいた街では階級に対する考えが強く、異なる身分との関係なんて許されるものではなかった。俺達は人目のつかない場所か、俺達の事を知る人間がいない街の中ではないと一緒になれなかった。
 それでも、例え周囲から認められなかった関係だとしても、俺はエディアと一緒にいる時間が、一番幸福だった。彼女だって…………その気持ちは同じだったはずだ」

 ここまで話すと、ルーフェは口を閉ざし、沈黙する
 そして彼は一息つくと、立ち上がった。

「……話は、これで終わりだ。食事は部屋にあるんだろう? どの道、本は後で読める。先にそっちを済ませた方がいいだろ」

 そう言って去ろうとする彼の様子には、さっきまで見せていた人間味は消え、その雰囲気は冷たくなっていた。

「……ごめんなさい」

 小さくなって行くルーフェの背中に、ラキサは申し訳なさそうに一人呟いた。
 だが、その一部始終を、二階の窓から見ていた者がいた。人影は二人が別れたのを確認すると、窓から離れて部屋の中へと戻った。

 
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