鬼哭龍乱

サトレ

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玖の巻 龍と姫がとものいほり

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輝夜こうや?」

 日も暮れ切った頃、竜巳は薄闇の中で目を覚ました。
 起き上がろうと身体に力を入れようとしたが、全体が軋んで上手くいかない。
 当然か、と諦め、竜巳は再び筵の上に四肢を投げ出した。
 あの後、竜巳の値踏み――腕試しを終えた輝夜は、竜巳にしなだれかかって戯れるようにその身体を抱いた。
 竜巳は己の流されやすい性分を呪い、恥じた。
 しかし、そもそも悪いのはあの男だ。あの目に求められると、何故か逆らえなくなってしまう。彼がひどく優しく触れて来るのも悪い。欲の処理ならばもっと乱暴にしてくれればまだ折り合いがつく。それをしないということは、つまりまあ女慣れしているのだろう。いや、男慣れの可能性も否定はできないが。
 兎角、彼はどうすれば人を丸め込むことができるかを熟知しすぎていて、まったく太刀打ちできない。
 だがやはり己も己だ。佐平をあれだけ憎んでいながら、輝夜のことは憎み切れないでいる。当時は何より、自分にのしかかってくる男が恐ろしかったのを覚えていた。この太腿の跡さえなければ、こんなにもあの男を憎むこともなかったのかもしれないが、理由なく己を辱めた佐平が恐ろしく、憎い。この感情はどうしようもないのだ。
 それにしても、輝夜の残す鬱血の跡もなかなかのものだ。全身に散った花弁(かべん)はしばらく消えることは無いだろう。
 とんだ男を師にしてしまったものだ、と思いながら、今度こそ痛む身体に鞭打って起き上がった。
 囲炉裏がまだぱちぱちと爆ぜているのを確認して、湯で身体を清めようと手拭いを手に取った。
 そこで竜巳は眉根を寄せる。

「……あれ?」
 身体がさらついている。中に出されたというのに溢れてくる様子もなかった。
 わざわざ白濁にまみれた弟子の身体を拭き清めたと?
 あの男はどこまで世話焼きなのだ。それで師など名乗れるものか。怒りと照れくささと、言いようのない感情で胸の奥がじわじわと熱くなる。

「……くそ、そんなことより、飯の準備しないと……」

 なんだか胸が熱い。きっと「疲れたから」と理不尽な抱かれ方をしたせいだ。それで憤っているのだ、と無理やり理由を付けて、竜巳はかぶりを振った。
 今日の飯を考えるのも億劫だったが、数日代わり映えのしない献立ばかりだったのを思い出す。味噌で野菜や肉を似た汁は、竜巳の鉱物になりつつある。
 仏頂面の竜巳がのそのそと衣服を纏った、その時だった。

「おーい、輝夜―!」
「!」
 どんどん、戸を叩く音がした。若い、聞き覚えのない男の声だ。

「いねえのか?」

 立て付けの悪い引き戸ががたりと開く。
 慌てた竜巳が隠れる間も無く、その人物はひょこりと顔を出した。

「なんだ、いるじゃねえ、か……? ……え、誰だ、おまえ」

 そう間の抜けたような声を上げたのは、どこか人の好さのしそうな少年だった。年は竜巳と輝夜の間といったところだろうか。まなじりの下がった人の好さそうな顔をしている。無造作に伸ばされた短髪を逆立たせ、巣から顔を出した鼠のような恰好で竜巳を見ている。たすきあげた袖に黒目がちな瞳がどこか溌剌はつらつとした印象を受けさせる。
 竜巳は首を何度も横に振って狼狽した。

「お、俺は輝夜の弟子で――」
「弟子⁉ あの輝夜が?」

 素っ頓狂な声を上げた少年は、一拍の間の後、ぶっ、と噴き出した。

「おもしれえ、あいつが弟子をねえ~、へえ」

 そんなにおかしなことなのだろうか。へらへら笑いながら歩み寄ってきた少年は、竜巳に顔の高さを合わせて顔をまじまじと覗き込んできた。その瞳に探るような色は見えず、純粋な好奇心でのみ輝いているのがわかる。
 そうしてにやにやと笑っていた少年が、はっ、と身を引いて何かを考え込みだした。
 竜巳は不審げにその様子を眺めている。
 数秒の間の後、おそるおそるといった様子で竜巳に声をかけた。

「なあ、もしかしてお前が竜巳たつみか?」
「? そうだけど」

 なぜ自分の名を知っているのか妙だと思ったものの、輝夜の知人であれば居候が出来たぐらいの話はしていたのかもしれない。首肯すると、少年はぎょっと目を剥いてから困ったように笑った。

「へえ~! まさか、本当に連れて来るとはなあ!」

 少年が竜巳の背中をばんばんと叩いた。痛くは無かったが、状況を飲み込めない竜巳は身体を強張らせる。
それに気づいた少年は、にかりと笑って自分自身を指差した。

「俺は伊織いおり。輝夜と同じ里の者だ、よろしくな」
「あ、ああ、よろしく……!」

 彼とは仲良くなれそうだ、というのが竜巳の感想だった。明るい人間は好感が持てる。輝夜のように腹の内の知れぬ男と違って、変に気を張る必要もない。

「生憎、輝夜はどこかに出て行ったみたいなんだ」
 なんだか新鮮なやり取りがこそばゆくなって頬をかくと、伊織は「大したことじゃないからいいんだ」と笑ってから、竜巳を見下ろして、気まずそうに視線を彷徨わせた。

「あーと、竜巳。お盛んなのはいいけどよ、首、隠した方がいいぞ」
「え? ……あっ、うわ!」
 忘れていた自分の身体の惨状を思い出す。首には情事の痕がくっきりいくつも残されているはずだ。顔が真っ赤を通り越して真っ青になる。慌てて首を両手で絞めるようにして隠した後、部屋の隅に落ちていた襟巻を手に取り、首にぐるぐると巻き付けてやった。

「こ、これで見えないか?」
「ああ、大丈夫だ、見えない。……しかし、お前も苦労してそうだなあ」
「……まあ、別に」

 伊織が心底同情した様子で嘆息した。
 己の決めたことだ。今更文句を言うつもりなどなく、そして哀憫(あいびん)もいらなかった。たとえ苦労していたとしても、それを自分から語る気にはなれず、竜巳は押し黙る。

「……それよりあんた、これからどうする。ここで輝夜が帰って来るの待つか?」
「いいのか? 竜巳は優しいな!」

 遠慮がないところもまた、何となく愛嬌があって、人に好かれるだろうなあと思った。
 外は寒いからなあ、などと呟きながら、二人そろって囲炉裏の傍に腰を下ろす。
直火にかざされた彼の手は、散る直前の紅葉のように赤い。白湯であれば出しても叱られまいと、仕掛けられた鍋から湯をすくって湯呑に移し、伊織に差し出した。

「こりゃあすまねえ、ありがたく頂くぞ」

 白湯を啜る伊織を盗み見る。年の甲は十七――いや二十手前か。顔つきのために実年齢より若く見えそうな性質である。こんな地方には珍しく、胸元のだらりと空いた着流し姿だ。縞模様の柄がさっぱりとしていてよく似合うな、と思った。

 不躾にまじまじと観察していると、視線に気づいた伊織が「そう固くなんなよ」と苦笑した。

「竜巳はいつからここに?」
「そうだな……ひと月……は立っていないな。新の月から望月に変わるぐらいだと思う。あいつ、俺の事斬り付けたくせに拾って来たんだ」

 あまりの成り行きに竜巳自身困惑しながら答えると、伊織は白湯をぶっ、と噴き出してむせ始めた。

「げほっ……けほっ……! あいつお前の事まで斬ったのか! 拗らせてんなあ、あの色男」
「ああ、斬られて、傷がここに――」
「うわ、いい! 見せなくていいぞ、大丈夫だ! 輝夜に殺される!」
「? そうか?」

 袷に掛けた手を戻すと、伊織は安堵したようにため息を漏らした。慌てふためいたかと思えば心底安心して、忙しい御仁ごじんである。

「いやー、大変な目に遭ったんだなあ……おっと、湯をもう一杯もらえるか?」
「ああ、分かった……ん?」

 伊織から湯呑を受け取ったその時、引き戸ががらりと開いた。
 現れたのは、すらりとした長身の男で――輝夜だった。

「おい、起き、て……」

 輝夜は屋内に入るなり、竜巳の横に堂々と座した伊織を見止めて眉根を寄せた。

「よお輝夜」
「なぜお前が居る」
「用があったからだよ。しかし、随分と可愛い弟子を取ったもんじゃねえか」

 伊織はにや、と笑った後、輝夜のただならぬ怒気にその表情を引き締めた。

「ああ、そうだろう。よく出来た弟子だ。……近づかないでもらおうか」

 竜巳と伊織を交互に見遣った後、伊織を睨んだ輝夜の瞳がつい、と細められた。無言のまま発せられる殺気に、雰囲気に、伊織のみならず竜巳まで息を呑む。
 竜巳は内心、焦燥に胸を焼いた。輝夜の知人であると判断した故に招き入れたのだが、何か間違いだったろうか。

「な、なあ、そう怒るなよ。竜巳には何もしてない。美人が台無しだぞ」
「はっ、俺の見かけがそう衰えるものか。狐(こ)狸(り)のような面の奴は黙ってろ」
「やっぱひでぇや、黙ってりゃただの色男ですむのになあ」

 輝夜が吐き捨てるように返すが、伊織はけらけらと笑うのみだった。竜巳は少しだけ身を縮こまらせて、輝夜を見上げた。

「ごめん、輝夜。あんたの知り合いみたいだったから、俺がいれたんだ」
「……分かっている」

 輝夜はもう一つ大きく息を吐いてから、いつもの定位置に腰を下ろした。

「何の用だ」
「次の仕事の件、おさからの通達があったからよ。ほれ」

 伊織は袂からて文を取り出すと、輝夜に手渡した。裏と表を確認するように眺めた輝夜は、「確かに」と返して文を読まずに懐にしまいこんでしまった。

「他に要件は?」
「ねーよ。……はいはいはい、馬に蹴られる前に邪魔者は帰るって、まったくよお。――竜巳のことは黙っとく。ま、もう遅いかもしんねえけどな」

 剣呑な面持ちで立ち上がった伊織は、不安げな竜巳を見ると、お前は心配するなと笑った。
 竜巳は困惑の後に輝夜を見る。視線が交差してから、輝夜は伊織をぎろ、と睨み付けた。

「……伊織、こいつに何か余計なことを吹き込んじゃいないだろうな」
「いや、何も」

 伊織が首を大きく振って見せると、輝夜はことさらに目を細めて訝しんだ。

「本当だって。……お前の邪魔はしねえよ」

 そう返した伊織の穏やかな声色には、どこか諦めのようなものが滲んで聞こえた気がする。竜巳は首を傾げながら二人のやり取りを見守ることしかできずにいた。

「ま、竜巳を苛めてやるのもほどほどにしておけよ」
「お前には関係のないことだろう」
「あるさ。俺と竜巳は“友“だ。竜巳、何かあったら俺を呼べよ」
「……とも」
「そうだ、友だ。抱き潰されて死にそうになったらうちに逃げて来ると良い、俺でも、鬼丸おにまるを止める時間稼ぎぐらいはできるだろうよ」
「伊織」
 伊織が呵々かかと笑うと、輝夜が静かに、低く語気を強めた。竜巳であれば一たまりもないだろうが、伊織はすっかり慣れているのか、へらへらと笑ったままでいる。
 竜巳は友という言葉に浮かれたようになっていた。山賊でいた頃は年の近い者などいなかった上、その関係は決して友ではなく、言うなれば仲間であった。

 ――友。

 その語句を反芻して脳裏を過るのは、与一の姿だ。最近、何を考えていても与一のことが頭を過るようになってしまった。山賊だったころには佐平への復讐に燃えてばかりでそんな余裕などなかったというのに、不思議なものだと思った。

「じゃあ、俺は本当にこれで帰るぞ。またな拗らせ色男、竜巳には忠告したが、お盛んなのもほどほどにな」
「いいから早く帰れ」

 急かされた伊織は、へえへえと間延びした返事をしてから、軽く片手を振って行ってしまった。
 まるで嵐のような男だったな、などと受け取ったままの湯呑の底を覗き込みながら思案する。しかし悪い男ではなさそうであった。もし兄が出来たとしたらあの男のように接してくれたのだろうか。頭の片隅の温かい記憶を引きずり出してみると、胸がぽかぽかしてくる。輝夜もそんな節があるから、兄が二人できたことになる。竜巳は胸のこそばゆさに頬が緩むのを堪えるのに必死だった。
 隙間、風がひょうと音を立てて吹き込む。驚いて顔を持ち上げた時、輝夜がじっとこちらを見ていることに気づいた。その視線はいつも以上に剣呑けんのんだった。

「おい」

 低い声に慌てて居住まいを正す。蜂蜜を溶かしたような色の瞳は、暗がりで炎の光を受けて昏い赤に染まっていた。

「な、なんだ?」
「もう、俺の不在時に人を家に入れるのはやめろ」
「……分かった」
「顔を見せて断るのもならん。誰もいないふりをしろ」
「それは――」

 竜巳は鼻をつままれたような顔をした。家主がいないと伝えることの何がいけないというのだろう。

「ちょっと待ってくれよ、俺はあんたがいないと外に出られないし、人と話すのもいけないってことか?」
「そうなるな」

 真剣に頷いた輝夜に不信感がつのった。稽古をするよりもまぐわう時間の方が長いなんて、まるでただ囲われているようではないか。無意識のうちに輝夜を睨みつけていた。

「……そこまで言うことを聞かなくちゃならない理由はなんだ? 伊織は良い奴そうだったし、ここだってそんなに物騒ってわけじゃ」
「あいつは例外だ。いいか、これは師の命令だ、おとなしく従え。ならんといったらならん」

 輝夜は頑なだった。
 師の命令だと言われてしまえば、竜巳にそれを拒む権利などなくなってしまう。
 彼は何故、竜巳をこの家の中に閉じ込めておこうとするのか。
 竜巳はひどく思案を巡らせたが、答えにはたどり着けず、胸にわだかまるもののみが残った。
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