カフェ・ロビンソン

夏目知佳

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第2章

打ち明ける気持ち

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「美味しかった……」
ぽつりと漏らすと、マリさんが「戻られましたね」と言った。
「え?」
「顔色が。先程まで青ざめていてお辛そうだったので」
気付かれてたんだ。
思えば、私は格好に構うことなく出て来た。
髪もほつれてリップすらろくにつけず、よくここまで来たなと思う。
今更ながら、雰囲気のいいカフェにこんな格好でやって来てしまった事が恥ずかしく思えた。
いたたまれなくなって、頭を下げる。
「すみません! こんな格好で来てしまって。みっともない、私……。ごはんを食べるのも辛くて、ここのパンケーキなら入りそうな気がして」
「え? いえいえ。来て頂いてとても嬉しいです。誤解させてしまったならごめんなさい。胃が荒れていると先刻おっしゃっていたのと、来店時の顔色。もしかして、とても体調が悪くてお辛いんじゃないかと。なのに私達が沢山話しかけてしまったから、大丈夫かしらと思って」
穏やかな口調で言われて、私は面を上げる。
「そんな、全然! 話しかけて下さってむしろ気が晴れました。1人で家にいたら鬱々と考え込んじゃうし……」
「お仕事、大変なんですか?」
マリさんが心配げに首を傾げる。
「仕事……っていうより、人間関係ですね」
「ああ、就職した俺の友達も言ってました。仕事の内容より、一緒に働く人との相性の良しあしで楽しかったり疲れたりするって」
柊真君が横から言った。
「島田さんの会社、大きいからその分人も多くて大変そうですね」
「そうね。……え?」
その言葉に頷きかけて、私は驚く。
「私、名前言ったっけ?」
種明かしはマリさんがしてくれた。
「まだ直接お名前は聞いてはいないんですけど。この間来られた時に」
綺麗な白い手で小さな長方形を作る。
「社員証を首から提げられていたので。覚えちゃったみたいで。柊真君記憶力がすごく良くて」
「ああ、そうか。私昼休みにそのまま来たから……」
「柊真君、教えてない名前をいきなり呼ばれたらびっくりするわよ」
マリさんの注意に柊真君が素直に頭を下げる。
「俺、人の顔と名前覚えるの得意で。気を悪くされたならすみません」
「ううん。いいの。すごい特技だね。接客業に向いてるよ。私、記憶力悪いから羨ましいな」
私は自分の言葉に、喉を締め付けられるような感覚に襲われる。
記憶力。
チロルと過ごした約1日半。
私の記憶では何もなかった。
いや、どこか思い違いをしている?
思わず、溜息をついた私に花梨ちゃんが不思議そうな顔をした。
マリさんが声をかけてくれる。
「やっぱり具合が……」
「あ、いえ、違うんです」
首を振って、私は迷った。
こんな話をいきなりされたら、マリさん達は戸惑うだろう。
でも、1人で悩んでも答えは出ない。
何より、堂々巡りはもう辛かった。
「……犬が」
「え?」
犬? と問い返す柊真君と花梨ちゃん。
マリさんは言葉を挟む事無く、静かに耳を傾けている。
「犬が急に散歩に行かなくなる事ってあるんでしょうか?」
自分の右手を、左手でぎゅっと握って私は尋ねた。
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