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第1章
あらぬ疑い
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満たされた気分で会社に戻り、書類の重なったデスクをさっと片付ける。いくらこれらの書類の処理が総務の役割とは言え、人の机にざっと積み重ねる杜撰な営業さんも多い。
午前中、胃が痛かったから念のため胃薬を飲んでおこうと財布を持って、自販機に向かう。角を曲がろうとした時、声が聞こえて足を止めた。
宇都さんだ。
「絶対あの子の所為よ」
「あの子って島田さん?」
「あの子に預かってもらってからだもの。チロルの様子がおかしいの」
その言葉に心臓がきゅっと縮むような気がした。引き返そうにも、緊張で足が動かない。
「でも、時々プライベートでお茶したり、映画に行ったりするくらい可愛がってじゃない。島田さんの事。信頼してたんじゃないの?」
あの声は経理の海堂さん。
新卒採用の宇都さんと中途採用で入社した海堂さんは年齢が同じという事もあってかとにかく仲が良い。
「してたわよ、すごく。だから預けたの。芽衣子の家は菜々美ちゃんがいるでしょ。子供のお世話でも忙しいのにチロルまで預かってもらうのは申し訳なかったから。でも……。こんな事になるならペットホテルに預けた方がマシだった」
「ウチの事なら気にしなくて良かったのに」
「絶対何かしたのよ、じゃなきゃおかしい! 今まで大好きだったのよ」
おさまっていた筈の胃の痛みがぶり返す。ぎゅっと目を瞑る。冷や汗が出た。
「チロルが散歩に行けなくなるなんて」
宇都さんから愛犬のチロルを週末の2日間預かって欲しいと言われた時、私は2つ返事でOKした。
会社で仲の良い先輩からの頼み事だったし、別段予定も入っていなかった。今は1人暮らしをしているけれど、実家にいた時はポメラニアンのメスを飼っていて、元々犬は好きだ。
けれど今思えば、もっと考えるべきだったんだろうと思う。
週が明けて、私のマンションからチロルを連れて帰った時の宇都さんの機嫌は良かった。
おかげで久々に娘との小旅行を楽しめた。本当にありがとう。これ、お土産。
にこにこと話す様子は本当にいつもの気のいい先輩で、だからこそ私も預かって良かったなと思ったのだ。
私が宇都さんの愛犬を預かり、返した日から2日目。
急に宇都さんの様子がおかしくなった。話しかけても素っ気なく、苛立ちを押さえている感じだ。
何かしただろうかと思いつつも、単に仕事が忙しくてピリピリしているだけかもしれない、なんて考えていた私は呑気だった。
宇都さんは犬が好きだし、この間その犬を預かった身として、私がチロルの話を振ったのはなんらおかしい事ではない。。
けど、宇都さんにとってはそうではなかった。
きっと私を睨みつける彼女の目。
私は自分で地雷を踏みに行ったのだ。
「歩かないんだけど」
端的にそう言われて、私は思わず「え?」と聞き返していた。
「貴方に預けてから、チロルが散歩に行かなくなったんだけど!」
眉間に皺を寄せて、詰め寄る宇都さんは、私を見据えて言った。
「お散歩が大好きだったチロルが、外に出ようとしないの。すぐに部屋に戻ろうとするの。どういう事? おまけに、私が家に帰るとおもちゃを壊して待ってるようになったの。今までそんな事なかったのに」
「え、ま、待ってください、宇都さん。私は何も……」
予想外の展開に私は慌てる。
「貴方じゃなかったら誰なのよ?」
宇都さんは完全にキレていて、余計な事を言える雰囲気じゃなかった。けれども、ここで認めてしまうと、何もしていない私がいわれもない罪を被る事になってしまう。
どうにかして、私は言葉を挟む。
「本当に、何もしてません! 私が預かってた時は、普通に散歩に行ってくれたし、玩具を壊すなんて……。本当です。私変な事を教えたり、チロルが嫌がる様な事一切してません」
「本当かしら?」
探る様な目で見つめてくる宇都さんは、私の主張を信じてくれる気など、毛頭なさそうだった。
嫌な沈黙が落ちる。
「預かってもらってなんだけど、チロルにとてもストレスのかかる様な事、したんじゃない? お散歩が怖くなるような……例えば、叩いたりとか」
「してません!」
最後の方は、ほとんど叫んでいた。
いくらなんでもあんまりだ。無実の罪を着せられた事も辛いけど、ここまで信用されていないとは。
宇都さんはショックのあまり泣きそうになっている私を一瞥して、冷たく言った。
「素直でいい子だと思ってたのに。裏切られた気分よ」
午前中、胃が痛かったから念のため胃薬を飲んでおこうと財布を持って、自販機に向かう。角を曲がろうとした時、声が聞こえて足を止めた。
宇都さんだ。
「絶対あの子の所為よ」
「あの子って島田さん?」
「あの子に預かってもらってからだもの。チロルの様子がおかしいの」
その言葉に心臓がきゅっと縮むような気がした。引き返そうにも、緊張で足が動かない。
「でも、時々プライベートでお茶したり、映画に行ったりするくらい可愛がってじゃない。島田さんの事。信頼してたんじゃないの?」
あの声は経理の海堂さん。
新卒採用の宇都さんと中途採用で入社した海堂さんは年齢が同じという事もあってかとにかく仲が良い。
「してたわよ、すごく。だから預けたの。芽衣子の家は菜々美ちゃんがいるでしょ。子供のお世話でも忙しいのにチロルまで預かってもらうのは申し訳なかったから。でも……。こんな事になるならペットホテルに預けた方がマシだった」
「ウチの事なら気にしなくて良かったのに」
「絶対何かしたのよ、じゃなきゃおかしい! 今まで大好きだったのよ」
おさまっていた筈の胃の痛みがぶり返す。ぎゅっと目を瞑る。冷や汗が出た。
「チロルが散歩に行けなくなるなんて」
宇都さんから愛犬のチロルを週末の2日間預かって欲しいと言われた時、私は2つ返事でOKした。
会社で仲の良い先輩からの頼み事だったし、別段予定も入っていなかった。今は1人暮らしをしているけれど、実家にいた時はポメラニアンのメスを飼っていて、元々犬は好きだ。
けれど今思えば、もっと考えるべきだったんだろうと思う。
週が明けて、私のマンションからチロルを連れて帰った時の宇都さんの機嫌は良かった。
おかげで久々に娘との小旅行を楽しめた。本当にありがとう。これ、お土産。
にこにこと話す様子は本当にいつもの気のいい先輩で、だからこそ私も預かって良かったなと思ったのだ。
私が宇都さんの愛犬を預かり、返した日から2日目。
急に宇都さんの様子がおかしくなった。話しかけても素っ気なく、苛立ちを押さえている感じだ。
何かしただろうかと思いつつも、単に仕事が忙しくてピリピリしているだけかもしれない、なんて考えていた私は呑気だった。
宇都さんは犬が好きだし、この間その犬を預かった身として、私がチロルの話を振ったのはなんらおかしい事ではない。。
けど、宇都さんにとってはそうではなかった。
きっと私を睨みつける彼女の目。
私は自分で地雷を踏みに行ったのだ。
「歩かないんだけど」
端的にそう言われて、私は思わず「え?」と聞き返していた。
「貴方に預けてから、チロルが散歩に行かなくなったんだけど!」
眉間に皺を寄せて、詰め寄る宇都さんは、私を見据えて言った。
「お散歩が大好きだったチロルが、外に出ようとしないの。すぐに部屋に戻ろうとするの。どういう事? おまけに、私が家に帰るとおもちゃを壊して待ってるようになったの。今までそんな事なかったのに」
「え、ま、待ってください、宇都さん。私は何も……」
予想外の展開に私は慌てる。
「貴方じゃなかったら誰なのよ?」
宇都さんは完全にキレていて、余計な事を言える雰囲気じゃなかった。けれども、ここで認めてしまうと、何もしていない私がいわれもない罪を被る事になってしまう。
どうにかして、私は言葉を挟む。
「本当に、何もしてません! 私が預かってた時は、普通に散歩に行ってくれたし、玩具を壊すなんて……。本当です。私変な事を教えたり、チロルが嫌がる様な事一切してません」
「本当かしら?」
探る様な目で見つめてくる宇都さんは、私の主張を信じてくれる気など、毛頭なさそうだった。
嫌な沈黙が落ちる。
「預かってもらってなんだけど、チロルにとてもストレスのかかる様な事、したんじゃない? お散歩が怖くなるような……例えば、叩いたりとか」
「してません!」
最後の方は、ほとんど叫んでいた。
いくらなんでもあんまりだ。無実の罪を着せられた事も辛いけど、ここまで信用されていないとは。
宇都さんはショックのあまり泣きそうになっている私を一瞥して、冷たく言った。
「素直でいい子だと思ってたのに。裏切られた気分よ」
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