秀才くんの憂鬱

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過去と向き合え です。

ユウの魏での暮らし です。

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 こう寒い日が何日も続くと、口数も自ずと減ってくる。村だってポンポンと現れるものではない。吐く息は白く、指先と鼻の頭が赤くなる。チラリとサワの方を見ると、サワはどうやら寒くても赤くならないらしい。

「魏はここよりももっと寒いんでしょ」
手を擦り合わせて、ハーっと息を吹き掛ける僕をサワが見る。
「あ、うん。川が凍ったりするからね」
ユウが留学していたのは、魏の中心部である洛陽。
「ユウくんってなんで留学したの?だって、警学校にせっかく入学したのに」
紛れもなく、国内最高レベルの一流学校。およそ10年の学生期間を設け卒業すれば、警官の特殊部隊や、王族護衛隊や幹部候補への道が開かれる。他にも薬師免許を取れるコースがあったりして、邪馬台国に居る人であれば、誰もが一度は憧れる。
「憧れの人が、魏に留学していたから、かな」
それと、父の仕事の都合。でも、僕自身が生きづらかった。今日は、誰と遊んで、何を食べて、何を家族で話して、誰も彼もが、僕の私生活にまで控えめなふりをしながら、土足で踏み込んでくる。
「一般人には分からない感覚だな」
魏へ人を一人送るだけでもすごいお金がかけられる。それこそ、一人だったら一生、生きることに困らないくらいのお金だ。シキの言葉の背景にはそんな意味がある。
「私、あんまり、ユウの留学先の話し聞いてないかも、寮とか学校とか」
サワがそう呟く。
「そうか?ちょこちょこ話しているとは思うんだが」
「10年も居たんだろう?」
「まあ、」


ユウは、魏での暮らしを思い出す。

 生活の基盤となるのは寮での暮らし。寮といっていっているが、実際は、住み込みの塾のようなもので、規律が厳しく、休みの日以外は掃除と食事の時の私語は厳禁。太陽と共に起きて、薄暗い中で稽古。それが終われば、学校へ行って、日がどっぷりと暮れてから寮には帰ってくる。風呂と食事を済ませてから宿題。それから、筋トレ。友達がいなければ、あの生活は耐えられない。

 魏へ渡ってすぐの頃は、言葉も伝わっているのか伝わっていないのかわからないし、文字も満足に書くことはできなかったし、食べるのも、走るのも、勉強も全部、同学年の寮生よりも遅くて、泣きながら勉強をしていたのを覚えている。それに、そんなことをしているから、「バカ」というレッテルを貼られ虐められたものだ。朝起きると、服が犬小屋にあったこともあった。あれは、服が臭くなって最悪だった記憶がある。今、考えれば、僕が当時思っていた以上に酷い待遇を受けていたのかも知れない。当時では、新参者はそんなものなのかと感覚が麻痺していた。
ただ、唯一、シュェンだけは、つたない僕の言葉を一生懸命に聞いてくれた。お先真っ暗だと感じていた寮生活に見えた一筋の光みたいに輝いていた。シュエンは、同級生からの信頼が厚く、シュエンが僕を庇ってくれたから、打ち解けることができたというのは多分にある。
 
 魏に留学して2年がたつ頃になると、そろそろ志望校を考え始める時期に突入する。
 これを言っては自慢になるが、警学校と軍学校のダブル合格を果たすくらいには頭は良かったし、勉強は好きだし、何より、隣で勉強しているアイツよりも勉強が出来ない なんてことは、プライドが許さなかったこともあって、第一志望の学校は魏の一番難しい学校に設定した。魏ではじめの頃に勉強が出来ないのは言葉の壁が厚かったからである。

 寮と学校で馴染めるようになってからは早かった。
魏の人は、邪馬台国の人よりも、事をハッキリとさせたがる。邪馬台国では遠回しな表現で、相手に自発的に気が付いてもらうということを前提としたコミュニケーションが取られることが多いが、それでは例え言葉が完璧であったとしても魏では通用しなかった。ただ、ずっと関わりを持っていると、だんだんと評価は変わってくる。始めこそ、何を言っているんだ?みたいな顔をされることも多かったが、いずれ、相手に気を遣った丁寧な表現で話している と言われるようになる。

週に一度、邪馬台国の大使館の職員が僕を訪ねて、母国語の練習をさせる。敬語やら、大衆文字やら、とにかく何時間にもわたって教えてくれる。この瞬間、僕は王子でいなければならなかった。クニの繁栄を左右する存在として、一挙手一投足に注目が集まる。完璧を求められ、常に、国益を念頭に置いておかなければならない。ただ、言語を学ぶだけでそれほどまでに、僕の生活を圧迫するのだ。言葉を通じて、僕は邪馬台国の生まれの邪馬台国の王子になるんだ。大人たちは、僕のことを、影でコソコソと噂をする。
「まだ子供なのに魏に来たのは、女王に嫌われているからだ」
「王子は勉強だけができても…」
「大人になって戻っても、嫁いでくれる人はいない」
表だって言わなくなたって、悪口を言われていることはわかる。無理もない。仕事もなにもせず、ただやりたいようにやりたいことに熱中できる環境が魏であったのは、僕の努力ではなくて、王子という立場。

 ただ、僕が王子として生を受けたことに一番、すがっていたのは他でもない自分自身。王子だから、これをしなければならない、あれをするべきだ。 判断基準はそうだった。

 親友のシュエンは僕が王子であるとかどうとかっていうのは、すっ飛ばして、僕という一人の少年と話してくれた。それが、どれ程、嬉しかったか。シュエンが居てくれたから、今の僕があると言っても過言ではない。本当に、今まで出会ったどんな友とも違う特別な絆が僕らにはあった。シュエンは、貧しい家の生まれで、売られて、寮にやって来た。なに不自由なく育てられた、僕とはまるで違うけど、シュエンは 官僚になって自分みたいな子供を救うんだ と高い志を持って、魏の最高峰の学校を目指して昼夜を問わず勉強していた。
 シュエンが政治という力で、多くの人を広く助けるのならば、反対に僕は母のように目の前にいる一人の命を救える医者を目指した。
もちろん、大使館の人は、医者という道を表では支援する姿勢ながら、「王という役に相応しくない」と言っていた。母が資格を取った時と、僕では状況がまるで違っているんだ。でも、大人と夢の狭間で僕は、夢のための努力を続けた。

 13歳の冬、朝起き上がれない程の倦怠感と吐き気と皮膚にピリピリとクラゲに刺されたときのような痛み。僕は、当時流行り始めていた病に身をおかされていた。顔や腕に赤い発疹。寮生の誰もが僕を避けていく。ただ、シュエンはマスクと手袋を付け、僕を甲斐甲斐しく看病してくれた。
多分、シュエンの看病がなければ僕は死んでいただろう。それくらい、辛かった。人生でそれだけだ、本気で死を覚悟した病は。患ったことで、その辛さは僕が一番知っていたはずなのに、僕が回復後発症し、僕が担当で看病していたシュエンの異変に気が付けなかった。僕の前では無理矢理に元気そうに振る舞っていたシュエンの笑顔が今でも脳裏に焼き付いている。

「ユウ、一緒に長官学校入って、一緒に卒業、約束な」
「うん、約束」
「頑張れよ、ユウ」
「頑張るのはお互いでしょ。シュエンは、まず、病気治しなよ」
「そうだな、ユウに遅れちゃう」
シュエンはそう言って、ニカッと笑った。
もしも、僕の生かされた命を半分に分けることができるのなら、シュエンに半分をあげたい。そうして、謝って、それから、同じ学校に、シュエンは政治部門、僕は医学部門で入学する。でも、現実にはそんなことはできっこない。どれだけ、後悔したところで、シュエンの髪一本すらもう戻ることはない。
 僕は、医学から政治部門へと志を変えた。結局、こんな風に誰かの死を目の当たりにすることが怖くなったからだ。それと、シュエンの意志を受け継ぎたかった。そうすれば、シュエンが色濃く僕の中で生き続けると思ったんだ。

結局、14歳になってから、僕は第一志望へ合格をした。当時の合格最年少記録を塗り替えた。入学式、シュエンと一緒にくぐるはずだった、大きな赤い門が僕を待つ。恐らく、世界中の天才、秀才が一同に集っている。
学校が始まると、僕は、真ん中よりも少し下で、誰にも勉強では負けないと思っていたのに、ずっと平均点にすら手が届かなかった。どれだけ、僕が勉強をしても、平均点より上を取っている人とは決定的な何かが違う。その人たちは、一度聞いたことや見たことは全て復唱できるくらいの記憶力や、何十時間でも集中できる集中力、そんな常人とはかけ離れた才能を持っていた。
本当の天才  きっと、努力もしているのだろうけど、努力でどうにかなる範疇かどうか疑問だ。僕がどれだけ記憶力を鍛えても、一度見聞きしたものを完全に再現することはできないだろう。

 勉学で苦しいなら と、僕は学校で斡旋があった軍への採用試験を受けた。保険として、軍での訓練期間は、平均点扱いを受けることができる。
 採用試験では次席合格を果たした。馬術と剣術が評価された。その結果、剣術部隊の士官候補生になれた。訓練は厳しかったが、思い切り、好きだった剣術の腕を磨くことができて、楽しかった。自分的に、結構向いているなと思うほどだ。机にしがみついて勉強をしても見ることが出来なかった世界が広がっていて、実際に体を動かして学ぶことが僕は好きなんだなと思えた。
でも、一時帰国を挟んでから軍へ戻ると隊長が変わっていて、「外人」である僕を、剣術部隊には入れることが出来ないと言われて、僕は脱退を余儀なくされた。

 それから、僕は勉強をもっともっと真面目にきちんと取り組むようになった。一時帰国をしているときに「ユウは王になれない」と聞かされて、普通なら頑張る意味を見失ってしまうかもしれない。でも、その当時の僕は「王になる」ことなんかよりも「シュエンの分まで学ぶ」それが最重要項目になっていた。
 シュエンが生きていたら、こんなことをしたかな。どんな話を聞いただろう。弱音を吐きそうになる僕を胸の奥で奮い立たせるのは、シュエンの存在。

 学園生活の思い出といえば、同級生の魏の王様の娘から告白をされたことだろうか。僕はまだ学ばなければならないことが多かったし、邪馬台国の王子である僕が魏の王女と親しくなることへの反対が大きくて、僕は、彼女を振った。でも、実の本心を言うと、僕は彼女の人柄が好きだった。初恋を挙げるなら、きっと彼女を想う心だろう。ただ、僕と彼女は途中で学級も専攻も離れてしまったし、僕が邪馬台国に戻るために中退をしたことで関わりは一切ない。

 中退をしなければならなくなって、一晩中泣いたこともあった。長官学校での生活が楽しすぎたのに辞めないといけないこと、シュエンとの約束を果たせない不甲斐なさ。涙を流すには十分な理由になった。

帰国直前に初めてシュエンの墓を訪ねて、本当の別れを告げた。

魏は僕の人生を作った大切な場所なんだ。







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