秀才くんの憂鬱

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仲間入り です。

温泉の話 です。

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サワの心にはモヤがかかりはっきりしないものが一つあった。

「イチナの食事は美味しいな。ありがとう」
お椀を持ち上げて、お汁をすするシキ。
「良かった、シキくんがどんな味付け好きかあんまりよく分からなかったから、ちょっと不安だったんだよね」
「これは、イチナの故郷の味かい?」
「うん、キノコで出汁を取るんだよ」
「そうなんだ、芳ばしい香りはそれからか」

楽しい夕食が終わり、風呂の時間。

 川の一部から温かい温泉がわき出ていて、その周辺にだけ湯気が立ち込めていた。チャポっと足をつけてみる。うん、この温度大丈夫だ。
「ユウ、覗きはダメだからね!」
「覗かないよ!」

サワとイチナは、温泉につかる。
「生き返る~」
「うん」
肩まで湯に浸かり、ホーッと息を吐く。
「イチナちゃん、脚どうしたの?」
「これ?」
イチナのふくらはぎに大きな傷痕があった。足首から膝裏までを縦断するようについたその傷は痛々しかった。イチナは普段はゲートルのような感じのものでふくらはぎを覆っていて決して見せない。ただそれは、弥生時代ではメジャーな服装の一つで無理に見ようとすることもなければ、見たいということもない。
「もう何年も前の傷だよ」
「痛そう」
「もう、痛くないよ。この傷は。つけられた時のことは忘れないけど」
そう言って、イチナは自身の左ふくらはぎをそっと撫でた。温泉の水面が、ゆらりと波打つ。
「なんで、怪我したの?」
「喧嘩に巻き込まれて かな…
 私が住んでいた集落は、もともと邪馬台国には属さない集落でさ、ド田舎だし、小さいし、立地だって良くなかったけど、平和なところだったんだ。でも、今から6年前、邪馬台国の役人が来て邪馬台国の一部にしたいって申し込んだんだよね。その年は不作で、食うにも困るくらい貧乏だったから、邪馬台国の申し出は嬉しかったの」
「邪馬台国には、大量の米があるし、不作の地域があればそれを配るから?」
「うん、邪馬台国の噂は私の集落でも有名で、制度の充実さに憧れる人も多かったんだよね」
邪馬台国は、リスクを好まない国民性も相まって、多少税金が高くても福祉制度を充実させようという政治がとられていた。
「でも、やっぱり、どこかのクニに従属するのは嫌って言う人もいて、小さい集落なのに二分化しちゃって」
「…ごめん」
「ハハ、サワちゃんが謝ることないよ」
「私、そんなこと全然、知らなかったから。邪馬台国にずっと住んでいたのに」
「邪馬台国の役人は凄くいい人だったよ。私たちの集落の決定を尊重するって言って、無理に併合しようとしたりしなかった」
「それで、その怪我は?」
「兄に切られたんだよね」
ちょっと散歩に行ってくる。 くらいの軽い口調でイチナはそう言った。
「え!」
「兄とは歳が離れてて、9歳差で、小さい頃は仲良かったんだけど、お兄ちゃんが18歳くらいの時、家を出ていっちゃってさ、それから疎遠だったんだけど、内乱が起きた時に、兄は反対派、私の父は賛成派でバチバチで、いっつも口論になってて、そのうちに口論じゃ収まらなくなって、私ん家の中で、包丁をお兄ちゃんが振り回してそれで、妹を抱っこしてて逃げ遅れた私が」
イチナは脚を畳んだ。ちゃぽんと水面に膝が浮かび、やがてその膝はもう一度水面に沈んだ。
「今、お兄さんは?」
「怪我を負わせたことに、流石に反対派の仲間も兄を派閥から追放して、結局、併合した後に、邪馬台国の警察が兄を逮捕したから、今は強制労働にでもついてるんじゃない?もう、今は家族じゃないよ。あんな奴」
バシャッとイチナは水面を叩き怒りを露にした。
「ごめん、辛い話させちゃって」
「良いんだよ。こうやって、誰かに話したことなかったし、スッキリした!」
イチナのとびきりの笑顔にちょっと驚いたサワ。
「それに、小さかった妹をかばってついた傷だもん。今では、私の名誉の傷なんだよ」
イチナは傷を擦った。
「妹さん、無事だと良いね、私もできる限りのことはする」
「きっと、大丈夫。だって、あの子は私の妹なんだから」
ハハッと笑ったイチナ。どうして、あんなに強く居られるのだろうか。時が解決では済まない重りをつけられているように見えるのに。
「…そっか、やっぱり、イチナちゃんは凄いや」
サワは小声で呟いた。

「ねぇ、次は私から質問してもいい?」
イチナが小さくてをあげた。
「良いよー、私が答えられることだったら」
「超、変な質問かもしれないんだけどさ」
「うん」
「サワちゃんとユウくんは好き同士なの?」
純粋な眼差し、嘘偽りなく真実を求める瞳。眩しい、とても眩しい。
ドキンと心臓が跳ねた。
「…どうなのかな?私は、ユウのことは好きだ」
「え?!」
「人としてだよ。やっぱり、ユウはすごい人だ。直向きに努力を重ね、一つ一つ信頼を確かなものに変えていく。真面目で勤勉で、正義感が強くて優しくて、正直、私は非の打ち所のない人だと思ってる」
「べた褒めじゃん!前のあれ、シキが 好きなのか?って聞いて、そうです って答えてたやつとか実際どうなの?」
心拍が速まる。じつは、モヤモヤしていることとはその事なのだ。あの堅物のユウのことだ、敢えて相手の挑発的な態度にのって、離れさせる口実を作りにいったのかもしれない。私の手前、嫌い なんて性格的に言えなさそうだし。
「なんなんだろうね、私が知りたいくらい」
「真剣そうだったけどなぁ」
「そう?」
って、なんで私ってば内心喜んでんの?
「だって、普通に考えてサワちゃんみたいな超絶美人で語学堪能、成績優秀、運動神経抜群、警学校の学生長を世の男が放って置くわけないじゃん。それに、それが幼馴染みなんだよ。私がユウくんの立場なら絶対好きになってる!サワちゃん、話してると楽しいしさ」
「そんなことないよ」
「女官の中の噂なんだけど、ユウくんは魏の王女様との縁談を断って帰国したって。それって、想い人が居たってことなんじゃないの?」
首をかしげ苦笑いを浮かべたサワ。
「う~ん、ユウは常にクニにとっての利益になる選択をするから、王女との結婚に利益がなかっただけかもよ」
「そうかな?」
「一国の王子が、それも王位継承順位一位が国力で圧倒的な差を誇る魏の王女の夫になるっていうことになれば、それこそまるで、魏の一部になっちゃったみたいになるし」
「でも、私の浅い考えだけど、魏ほどの大国に付けば安泰だと思っちゃうや」
「まぁ、それを見極めるのが政治だからね」
サワはグーっと脚を伸ばして、口元まで湯につけて河童みたいにブクブクとあぶくをたてる。
「ふーん、政治って難しそう」
「正解があるような、ないような」
「恋と同じ?」
イチナの言葉にフフッと口から空気が漏れる。
「正解がないって意味ではね」
「私、ユウくんはサワが好きなんだと思ってた」
「な、なんで?」
「う~ん、なんとなく?なんか特に大切にしてる感じがするからかな」
ユウが恋?それも、私に?ないない、あり得ない。あの真面目が手と脚を生やして、模範解答のごとく合理的で現実的でいる男が?
そうやって、即座に否定してしまいたくなるのは、誰だって分かるだろう。サワもまたその一人だった。

「私、のぼせそうだから上がるね、サワちゃん、お先です」
「ちょ、待って、私も」
ジャバっと音をたてて立ち上がる。

ホクホクとしてしっとりとした自身の体に、着物を着せる。

髪の毛の毛先からは透明の雫が揺れる。

「帰ったよ、あれ?シキは寝てる?」
ハンモックの上で、寝息をたてるシキの顔を覗きこむ。
「うん、」
シキが二人が入ってるところを覗こうとしたので、それを阻止すべきとユウと揉めたことなどツユほども思っていなさそうなサワにホッとした。
「いい湯だった?随分、長い時間入っていたみたいだけど?」
サワは広げた布の上に大の字に寝っ転がる。
「うん、イチナちゃんとの話が盛り上がってね」
「そうか。楽しかったなら良かった。冷めないようにね。やはり、朝晩は冷めるようになってきたからな」
「そうだね」
しばらく沈黙が流れる。シンと静まり返って、世界には隣にいる君と自分しか存在していないような空気に包まれた。その空気を破ったのはサワの声。
「ユウってさ、」
「何?」
「私のこと好きなの?」
「急にどうした。人として?それとも恋愛感情として?」
「恋愛感情として」
「う~ん、分からないな。側にいて守りたいって思うのが恋愛感情だったら好きなのかもしれないけど、それは、親友として仲間として、思ってたって不思議じゃない。だから、分からないや」
ユウ節全開の回答に笑いが込み上げた。
「そんなに面白かった?」
「さすがユウ。ぶれないねー」
「そうか?それ、良い意味?」
「ユウっぽいな~」
「あ、でも、サワは僕にとって特別な人の一人だよ」
さらりと放たれた言葉にサワは顔を赤くする。
ユウの心には、サワの母の言葉が鮮明に刻まれている。「サワを守って」もしも、神様が居るのなら、ただその約束を果たすことが一つ、カンさんとサワを助ける手がかりにならないだろうか。これ以上、サワを悲しませたくないんだ。悲しませることが怖いんだ。

ユウは瑠璃に背負わせていた鞄から乾いた手拭いを取り出して、サワに渡した。
「え?」
「入浴後出てくる汗を拭くと、体温が下がりにくくなって湯冷めをしにくくなる」
「ありがと…」
サワは首の後ろを拭いてみる。案外、気持ちが良い。
「イチナは?」
「ちょっと夜風に当たるって。なんか、のぼせちゃったって言ってた」
「大丈夫かな?」
心配そうなユウの声。確かに、か弱い女子一人で夜の森。心配しない理由が見当たらなさそうだ。
「私、見てくるよ」
「分かった」
サワは立ち上がって、辺りをキョロキョロとする。松明の灯りが見えて、そっちへ歩き出した。
「あ、もしも何かあったら、大声で僕を呼んで」
「はいはい」
テキトーな返事で流す。

    
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