秀才くんの憂鬱

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出発前 です。

イチナさん です。

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 ボーッと外を眺める。
じりじりと照りつける太陽は衰えを知らないらしい。
 警学校での生活が始まって、1ヶ月。サワと同じ教室で学んでいる。
「じゃあ、ここを、ユウさん」
「第19条  第3項 の内容に違反をしているので、この文書は受理できません。それに付随して、左の請求は却下されます。」
「そうですね」
法律とその正誤を問う。こういった、このクニの決まりごとがあるものは、魏での知識が役に立ちにくい。しかし、困る程ではない。初歩さえ詰め込めば、後は案外どうにでもなるものだ。



その日の帰り、サワが後ろから走ってきた。いつもより早く終わった学校。影は短く、日は高い。
「今日、図書館、行こうよ」
「いいね、行こう」

 図書館の奥の上の棚にある本は、誰も開けないからか、やたらとホコリ臭い。でも、案外、こういうところに掘り出し物はあったりする。
「ん、」
隙間なく本がギッチリと詰まって、取り出したい本が取り出せない。
「何してんの?」
「取れないんだよ」
「ちょっと、貸してみ」
台をサワに譲る。
「こんなものは、こうやって、思いっきり」
サワは、ボンっと本を引き抜く。
「すご!」
「ユウが非力なだけ」
サワは、台から降りて、本をユウに渡す。
「ありがとう」
「しかし、その分厚いのをよく読もうと思うね」
ユウはパラパラとページをめくる。何十年も開けられていないのか、ページをめくる度に埃が舞う。経済の本か。
「ん?何、これ?」
初めの数ページは、大真面目な経済の本なのに、それから後ろは、作り物語になっている。紙質も、紙が開発されてからまだ間もない頃の厚み。急に紙質は違うし、字体も今のものとは違っていて、所々読めない。虫食いなんかで、ページもぼろけているが、空いていた机に本を置いて、慎重に読み進めた。
「宝剣?」
「あぁ、なんのことだろうな?」
「八つの頭を持つ蛇の尻尾から出てきた?」
最後のページまで読む。


「勇敢を象徴する、神よりこの地に授けられた剣。これを、手にする者は、願いが叶う」


「これ、もしかして、神話じゃないのか?」
「神話?」
「どこかで、聞いたことがあるんだ。このクニ、いや、もっと、広い範囲でこの国を作った神々の話」
「神なんて存在しないでしょ」
「そうなんだけど…」
神というのは、所詮は自分の弱さが生み出した虚像である というのが、このクニの一般認識である。
「仮に剣が本当にあったとして、この紙の感じからして相当ボロい剣だよ」
「そう、だよな」
どんな剣であっても、剣以上にはならない。願いが叶う?蛇の尻尾から生まれた?昔の人が考えることというのは、奇想天外で愉快なものだ。
「どうしたの?」
「僕、一旦、これ借りるよ。こういうのに、詳しい人知ってるから、その人に聞いてみる」
「なーんだ、興味無さそうなふりしながら、本当は興味津々なんだ」
「興味はあるよ、こういった、作り物語が古くからあるということは。それに、所々修復は必要だが、丁寧に扱われていたことが分かる字体だし」
「さすが、研究者」
「研究者じゃないよ」



 ユウは、その分厚くて半端なく重たい本を、王宮の自室まで持っていく。こういう時だけ、廊下がやたらと長く感じる。
「ユウ王子、左様なもの、私どもにお預けください。重たいでしょう」
 何人かの女官が、ユウの後をついてくる。
「大丈夫です。これは、僕が個人的に読みたい物ですし」
なんで、男の僕が重たいと思っているものを、彼女たちに運ばせなければならないのか。寮では誰一人としてユウのことを王子だなんて特別扱いする人が居なかったから慣れない。
「誠によろしいのですか?」
「えぇ、お気遣いありがとうございます」
ニコッと笑顔を向ける。

ユウは自室について、ソッと本を置く。それから、学校の荷物をおろす。
「お茶などはいかがですか?」
女官の一人がそう聞く。
大丈夫です と言いかけて、くっと口をつぐんで言い直す。
「美味しいお茶の差し入れがあったと、妹より聞きました。その、お茶を頂けますか?二杯ほど」
「かしこまりました。直ちにお持ちいたします」
「急がなくても大丈夫ですよ、ありがとうございます」
その若い女官(15~18歳くらい)は軽い足取りで、お茶を支度しに行く。


台所まで行くと、何人かの先輩女官がおしゃべりをしていた。
「ねぇ、優しいお方でしょう?」
若い女官の肩をポンと叩いたのは、30歳くらいの中堅女官。
「は、はい」
「久しぶりに私もお会いしましたが、やはりこのクニの王子様ですね。若いのに、溢れ出す余裕、滲み出る優しさ」
「噂通り、本当に青い瞳をされていたのも驚きでした」
ユウの瞳は、透き通った空のような碧い色をしていた。気味が悪いと言う者もいるのだが、実際に見ると、相手のことを引き込むような魅力を持った綺麗な宝玉のような目をしている。突然変異というものらしい。
「まぁ、その目のせいでいろいろ誤解されることも多かったみたいだけどね」
「そうだったんですか?」
「そうだよ、鬼の生まれ変わりとか」
ツカツカと歩いてくる音が聞こえて、慌てて、二人はお茶の用意をしている風を取り繕う。
「あんたら、何、油売ってんだい?さっさと、準備しなさい、子供じゃあるまいし」
「す、すみません」



  ユウの元にお茶を運ぶ。コンコンとノックをすると、戸の内側から「はい」と返事が聞こえた。そして、ギーッと重たい音を立てて、戸が開く。

「お茶をお持ちいたしました」
顔を伏せたまま、お茶をのせたお盆をソッと置く。
「ありがとうございます、あ、このお花、素敵ですね。ムクゲですか?夏を代表するこのクニの花ですよね。白くて涼しげで」
お盆の上には、二つのコップの他に、三輪のムクゲというアオイ科の植物が乗っていた。白い花びらが、舞っている蝶を彷彿とさせる美しい花だ。
「は、はい、ユウ王子も植物がお好きなんですか?」
ようやく顔をあげてくれた、新人の雰囲気をまとう女官。
「えぇ。母の影響で、幼い頃はよくこの辺りの散策に出掛けていたので」
ユウの母、つまり、卑弥呼は薬師として今でも現役で働いている。女王と薬師と母の三足の草鞋。
「じ、実は私も植物が好きで。ムクゲにしようか、ノウゼンカズラにしようか迷ったんですけど、二杯ということだったので誰かお招きになるのかと思い、静かに見守る感じが強いムクゲを選んでみたんです」
かぁ~っと顔を赤くした女官。
「す、すみません、こんなにペラペラと…お、お邪魔しました!」
慌てて、出ていこうとする女官を呼び止めた。
「あ、ちょっと待ってください。お名前、伺ってもいいですか?多分、初めてですよね」
人の顔と名前など一度聞けば覚えられる。しかし、じっと見てみても分からないということは、初対面である。
「な、名前ですか?」
恥ずかしそうに、顔を手で隠されて、慌ててフォローする。
「はい、すみません、突然すぎましたよね、恥ずかしかったら大丈夫です」
「い、いえ、イチナです」
「イチナさん ですか。響きが綺麗なお名前ですね」
「ユウ王子のお名前も素敵だと思います」
思わず笑いが込み上げた。王子の名にわざわざ触れる者など多くはない。ましてや、ユウに仕える女官であればなおのこと。
「そうですか、ありがとうございます」
名を褒められるというのは、悪い気はしない。

 イチナは、机の上の本を指した。
「あの、その分厚い本ってもしかして」
ユウが図書館で借りた赤い表紙の本。
「これですか?知っているんですか?」
ユウはその本を、戸の近くに立つイチナがハッキリと見える場所に持ってきた。
「この本に出てくる、草薙剣って本当に実在します」
イチナはまっすぐにこちらの目を見て、そう言ってきた。
「どうして、そう思うんですか?僕は、てっきり物語に登場するだけで実在する剣には思いませんでした。まぁ、まだ、少しくらいしか読んでいないんですけど」
イチナは頭を横に振った。
「それは、私の先祖が作り出した霊剣です」
にわかに信じがたい話だった。
「霊剣?」
「我が家に伝わる伝説です。

 いつ時か、ユウという名を持つ王様の御時に、星が降る。星は、国を滅ぼさん。だが、草薙剣のみ星を避ける力を授けん

と」  
「では、イチナさんのお宅に剣はあるのですか?」
「いえ、碧い瞳を持つ王子が見つける と、我が家に伝わる伝説はそこまでです。我が家にはありません。他の親戚たちの家にも、受け継いだ人もおりません」
 ユウはゆっくりと手を目元に持っていった。 碧い目の王子。
「そうなんですか…また、僕の方でも調べてみます」
「そ、そうですよね、本当に、私の家に伝わる伝説なんか信憑性薄いですし、すみません、お茶をお持ちしただけなのに、お喋りが過ぎますよね」
「いえ、呼び止めてしまったのは僕ですし、お話伺えて良かったです」

イチナはペコペコと何度も頭を下げながら部屋から出ていく。

ユウは、一人になった部屋で椅子に腰をかけて足を組み、本を読み進める。
面白いことを言う人が入ったものだ。
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