思い出を探して

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火事

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 学生であれば二学期が始まる頃、まだまだ暑い日が続くが、働かなければならない。夏の怠惰を振り切って、頭を切り替える。
 怜は父の事務所に出社して、パソコンを取り出して働いていた。

「怜先輩、あれ」
先に昼休憩をとった後輩の女性が窓の方を指差した。
「どうしたんですか?」
怜は指の先を視線で追う。
すると、その方角から煙がモクモクと出てきているのを確認できる。あの煙の量からして、かなり大きな火事なんじゃ?
「火事?」

怜のスマホに電話がかかってきた。私用のスマホに電話がかかることは珍しい。
「ごめん、電話」
怜は、事務所の廊下に出て、通話ボタンを押す。

「もしもし、明神怜です」
「あ、怜さん、今日、緊急で仕事が入って、今から家出るわ。ごめん、帰りが何時になるか分からんし、先に食べといて」
切羽詰まった様子の賢太郎の声色に、賢太郎が急いで家を出る準備をしていることが分かる。今日は、非番でゆっくりすると話していたのに。
「OK」
「ほな、行ってくるわ」
「あの、お仕事頑張って、無事に帰ってきて」
怜が電話越しに僕を心配することが伝わる。
「了解、怜さんもお仕事頑張って」
プツリと電話が切られる。


デスクに戻って仕事の続きを。
「怜先輩、どうしたんですか?」
「え?」
「電話してからあんまり元気じゃなさそうに見えて」
「ううん、大丈夫」
嘘だ、賢太郎さんが火事へ赴くであろう時、無事かどうか本当に心配になる。心配したところで、無駄なのだからと言われてしまえばそれはそうなのだが、無理だろう。だって、あんな煙と炎の近くで賢太郎さんは働きに行っているんだ。こんな離れたところから眺める火事とは訳が違うんだ。
怜は、さらに大きくなった灰色の煙が天にのぼる様を見て、一層不安にかられる。


 定時の5時になって、怜は急ぎ足で事務所を出る。
スマホでニュースを確認すると、どうやら、あの火事で、アパートの2階の住人と未だ連絡が取れていないらしい。道が細いところでの火災、消火に時間がかかるとのことだった。延焼もあるのか…

 怜は、帰り道にある小さな神社に立ち寄る。賽銭箱に小銭を一枚投げ入れる。それから、目を瞑って祈る。
 普段は神様なんて信じていないけれど、こういうときは何かにはすがりたくなってしまう。都合がよすぎる気もするが、多くの日本人における神の立ち位置はそんなものだ。怜も例外ではない。
「みんな無事でありますように」



 賢太郎と住む家に帰ってきて、玄関のライトをつけ、エアコンをオンにする。
部屋に鞄を置いて、リビングへ移動する。
誰もいない。賢太郎さんはまだ帰ってきていない。

 テレビをつけると、そこには、あの火災の様子が映っていた。リポーターが、状況を説明する原稿を読み上げる。
「未だ、アパートの2階の住人と連絡を取ることができていない他、この火事でアパートの住人9人が煙を吸うなどし、消防官の一人が火傷を負うなどしたため、救急搬送されました」


「消防官の一人が救急搬送…」
怜は、それが賢太郎でも陽葵でもないことを祈る。
ラインで「無事ですか?」と送ってみたけれど既読にすらならない不安。

 怜は不安を紛らわせるために、料理をする。豚肉のキャベツ炒めを作る。賢太郎が好きな料理。せめて、賢太郎さんがへとへとで帰ってきたときに好きな料理くらいは用意しておきたい。



スマホがダイニングテーブルの上で振動する。怜は、一目散にスマホを取りに行く。
ボタンを押して陽葵からの電話に出る。
「怜、私は無事」
「陽葵…」
「安心して、私は大丈夫だから」
「陽葵、賢太郎さんは?」
「ごめん、まだ見てなくて、でも、こっちに怪我とかそういう連絡はないから安心して」
「そう?良かったぁ」
怜は膝や肩から力が抜ける感じがした。

怜との電話が終わる。
病室のカーテンをシャーと開けた陽葵。ベッドには賢太郎。
「一応、勇元くんの言う通りに伝えといたよ」
そう言って、陽葵はスマホをしまう。
「すみません」
「良かったわけ?怜に嘘ついて」
「怜さんに心配をかけるような真似は出来ません。それに、火傷も大したこと無いですし、あとは異常は無さそうなんで今日中に退院出来ますし」
賢太郎は、自身が負った火傷箇所である左手の甲を見る。実際、傷は小さい。だが、火傷なりの痛みはある。
「まぁ、そうだけど」
「高田先輩、」
「ん?どうした?」
「前の話、僕は賛成です。すみません、あのときは、その場でハッキリ言えないどころか、そのあとも機会を見失って」

賢太郎と陽葵が二人であった日。

陽葵は、これからのことを賢太郎に相談した。それは、あまりに唐突で、賢太郎は、ハッキリと言えなかった。きっと、それは、年も近くて、大学も一緒で、仲が良い彼女からの言葉だからだ。

「あぁ、前の、私が消防士やめて海外に行く話ね、」
「そうです」
「実は、勇元くんに話す前から、署長にも話して、もうこの仕事をやめることは決まってたんだよね」
軽い感じで陽葵はそう言った。
「え?!だったら、何で、僕なんかに相談を?」
もっともである。
「なんて、言ったら、しっくりくるかな」
陽葵は言葉を選ぶ。
「僕とペアを組まされることが多いからですか?先輩がいなくなって、困りやすそうな人が僕だったとか」
「いや、そんなんじゃないよ。ただ、引き留めて欲しかったのかな?」
「行きたくないんですか?」
「勇元くんもなんだか怜みたいになった?」
陽葵はそう言って笑った。
「僕が怜さん?」
「性格悪いよね私。友達の元婚約者のことを好きだったんだから。はっきり言わないと、分からないかな?」
「…」
賢太郎はどんな返事をすべきか分からなかった。
黙りこくった賢太郎を陽葵は見ながら言った。
「もう、違うよ」
一言、言い残して、陽葵は病室を出た。

残された賢太郎の頭は若干の混乱の渦をさ迷う。



賢太郎は、深夜1時頃になってようやく家に帰ってきた。
「ただいま」
静かに、足音すらも立てないように家に入る。

リビングについて、ダイニングテーブルの上を見ると、一枚の紙がおかれていた。

《お帰りなさい
お仕事お疲れ様です。
今日は、豚肉とキャベツの炒め物を作りました。豚肉は疲労に効くそうです。冷蔵庫に他のおかずと一緒に入っているので、レンジの[あたため]で温めて召し上がってください。自信作です!》


ご飯のイラストの添えられた手紙を読んで、賢太郎は冷蔵庫を開ける。すると、ちょうど目の高さにラップがかかった皿がいくつかある。

賢太郎はレンジにそれらを入れる。
あたためボタンを押す。

「おかえり」
後ろから声がして振り向くと、怜が立っていた。急でびっくりする。起こしてしまったか?
「た、ただいま」

怜は、賢太郎に後ろから抱きついた。どん人の温度が伝わる。
「れ、怜さん?!」
心拍数が上昇する。
「心配しました。大きな火事だと言っていたので」
「もう大丈夫やから」
賢太郎は、驚きながらも、優しく答えた。
「す、すみません!」
怜が背中から離れる。大胆な行動に走ってしまった自分が信じられないといったようすの怜。
「謝らんくて良いって、」
ハハッと笑った賢太郎。怜はその笑顔に安心したのか、頬の筋肉を緩ませた。

「とにかく、無事で良かった」
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