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第五章

魂霊の話を聞きたい人間 前編

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「アーベル、ちょっといいかしら?」
 相談所の二階から降りてきたアイリスが、「ケルークス」の店内でお茶を引いていた私に声をかけてきた。

 二〇分ほど前に相談客が来ておりアイリス一人で相手をしていたのだが、私の出番になったらしい。

「上ですか? 行きます」
 私は階段を上って応接室へと入った。

 中にはビシッとしたスーツ姿の中年男性の姿があった。相談客にはあまりいないタイプだ。

「こちらが相談員のアーベル。もと日本人だから人間のルールのことはある程度わかると思うわ。さっきの話をもう一度してもらえないかしら?」
 アイリスが相談客に私を紹介した。

「私は弁護士をしている十把じっぱと申します。ある方の弁護を依頼されているのですが、その方の無実を証明するため、須々木すずき莉依まりいさんにご協力いただきたいのです」
 十把と名乗る男が名刺を私に差し出した。名刺には弁護士だと書かれている。

「……私は何をお話すればいいのですか?」
 私はアイリスに小声で尋ねた。移住相談の話ではないので、ルール上私が答えられそうなことがないからだ。
「私が話をするから、アーベルは聞いていて。その後質問するから」
「わかりました」
 とりあえずアイリスは私に状況を知ってほしいようだった。
 そのため、素直に話を聞くことにした。

「協力ってどのように?」
 アイリスが十把の方を向いた。
「はい。最低限、○○年▼月×日に須々木さんが業務で児林こばやしさんを連れて作業をした施設の名前と場所を教えていただきたいのです」
「それが何の役に?」
「児林さんは今、○○年▼月×日にK県で発生した殺人事件の容疑者として身柄を拘束されています。犯行が起きた時間に彼女は業務で須々木さんに同行していた、と主張しているのですが、行き先の施設の記憶があいまいで、アリバイを証明できずにいるのです」
 私は十把の話に違和感を覚えた。

「アイリス、ちょっと質問させてもらっていいですか?」
「いいわよ」
「はい。○○年って今から十年くらい前ですよね? 今までこちらに来られなかったのは何故でしょうか?」
 そう、○○年なら今から十年くらい前の話だ。今になってここへ来たのはどのような事情からだろうか?

「児林さんが逮捕されたのは十日前なのです。彼女から話を聞いて、何とかここを探し当てた次第でして……」
「?? 今になって逮捕、ですか……」
 私は十把が問題にしている事件のことを知らないし、今になって容疑者を逮捕する事態になった経緯もわからない。

「……アーベル、彼は嘘をついていないわよ」
 アイリスがこっそり私に耳打ちした。魔術で調べていたのだろう。

「……はい。この事件は警察の捜査が難航していたのですが、最近になって被害者の衣服から児林さんの手袋の繊維が検出されたということで彼女が逮捕されたのです。児林さんは事件の日、手袋の片方を落としたそうで、落とした方の手袋が原因ではないかと主張されているのですが」
「「……」」
 専門家の弁護士がそう言うのだから正しいのだろうと思うが、正直なところどうしていいか私には判断できない。
 この後はアイリスが十把に色々質問し、三〇分ほどで話を終えることになった。

「マリィという移住者の情報を確認します。確認が取れ次第、そちらに連絡いたしますがそれでよろしいでしょうか?」
「……可能な限り急いでほしいのです。児林さんには時間がありません。明日の一六時にもう一度こちらに伺いますので、その時までに何らかのお答えをいただきたい」
 アイリスの申し出を十把がきっぱりと断った。
 言葉こそ柔らかいが、有無を言わさぬという姿勢だ。恐らく切羽詰まっているのだろう。

「……明日の一六時ですね。承知しました。それまでに対応しておきます」
 アイリスの言葉に十把はよろしくお願いしますと頭を下げ、相談所を後にした。

「……彼の言葉に嘘はないようだけど、アーベル、存在界でこのようなことはよくあるの?」
 相談所を後にする十把を見送り、「ケルークス」の店内に戻ってからアイリスが私に尋ねてきた。

「……人によるとは思いますけど、私は存在界にいたときに弁護士の世話にはなったことありませんよ」
「マリィに話をしていいと思う?」
「……事件のことを調べた方がいいと思います。児林さんでしたっけ? が逮捕されたことが事実かどうかはフランシスに調べてもらいましょう」
「わかった、フランシスを呼ぶわ」

 アイリスは相談員のフランシスを呼んで、ネットで児林さん逮捕のニュースが流れているかを調べさせた。

「これと、これだな……信頼できる発信元だから事実だと思っていいのじゃないか?」
 フランシスがネットで調べたニュース記事をいくつか示した。これなら逮捕の件は間違いないだろう。

「わかったわ、マリィに話をするわ。アーベルも同席して。念のためフランシスもお店に待機して」
「わかりました」「ああ、わかった」

 アイリスが念話でマリィの契約精霊と連絡を取った。

「マリィは二〇分くらいでこっちに来るわ。事件のことは伝えていないから、応接室で話しましょう」
「アイリス、その場にはユーリも同席させた方がいいと思う。その方がマリィが話しやすいはずだ」
 児林さんとマリィがどの程度親しいかはわからないが、逮捕となると穏やかではない。
 ショックを少しでも和らげるためには、同性のユーリがいた方がいいと私は思ったのだ。

「ええーっ?! 何でそんなことになっているの? その弁護士の人信用できるの? 一山いくらみたいな名前だけど?!」
 アイリスから事情を聞かされたマリィは、驚きを隠さなかった。
 「一山いくらみたいな名前」という部分には笑いそうになったが、冗談を言っている場合ではない。

「魔術で調べた限りでは、その弁護士の人は嘘を言っていないわ」
「……わかりました。事件のことは知っています。私が当時勤めていた会社のすぐ近くで起きたので。知っている職場の人も警察に話を聞かれています……でも、今になって何で?」
 状況は認識してもらったが、マリィさんも突然のことに理解が追いついていないようだ。無理もない。

 アイリスは十把から聞いた事件の内容を説明すると、マリィさんが立ち上がった。
 その勢いにこれまで彼女が座っていた椅子が音を立ててひっくり返った。
「私が児林さんと一緒に行ったのは、S県R町にあるQ社の計算機センターです! 児林さんが普段行く場所じゃないから彼女は知らないはずです!」
 
「……施設の場所がわかっただけで児林さん、だっけ? の無実は証明できるの?」
 ユーリが倒れた椅子を起こしながらマリィさんに尋ねた。

「あの手の施設は入退室の記録を保存しているはずだけど……一〇年となると自信がないわ」
 マリィさんの表情が曇った。

「ユーリ、ストップ。マリィさん、ちょっといいかしら?」
 アイリスがユーリを制しながら言った。
「何でしょう?」

「マリィさんは、児林さんが事件に関係ないと言い切れる自信はあるのかしら?」
「あるに決まっています! 事件の起きた時間は間違いなく計算機センターにいましたし、計算機センターは事件のあった場所から電車で三時間以上かかるくらい離れているんですよ!」
 アイリスの問いにマリィさんは間髪入れず答えた。
 その表情や言っている内容から、児林さんが事件に関係ないと確信していることは明らかだ。

「マリィさん、施設の名前以外に児林さんの無実を証明できそうな情報を持っていないかしら?」
 アイリスが真剣な表情で尋ねた。
「……そうですね……一つ、いいですか?」
「何かしら?」
「その十把とかいう弁護士さんとお話しさせてもらっていいでしょうか? 相談員でもない魂霊が人間に会うのが許されるかわかりませんけど……」
 マリィさんが必死な顔で訴えた。

「……そうなると思ったわ。普通は相談員でない魂霊を人間に会わせることはしないのだけど、今回の件は長老会議に掛け合って許可をもらっているわ」
 アイリスのことだから、長老会議や移住管理委員会の許可が必要なことは事前に根回しをしていると思ったけど……やはり手回しがいい。

「助かります! さすがに無実だとわかっている知り合いが罪を負わされるのは見過ごせないから……ところで、弁護士の人とはいつ会うことになりますか?」
「明日の一六時ね。都合は大丈夫?」
「大丈夫です! できればユーリさんとアーベルさんにも同席していただきたいです!」
 理由はよくわからないが、私とユーリも同席する羽目になった。

※※

 翌日一六時少し前、マリィさんが十把より先に相談所に到着した。
 彼女を応接室に案内すると同時に、私とユーリも応接室に待機する。

 数分後、アイリスが十把を伴って応接室へとやって来た。
 十把の服装は相変わらずビシッとしたスーツであったが、その顔には少し疲れのようなものが見える。
 児林さんの弁護に必要な証拠を集めるために必死なのだろうか?

「私が須々木莉以です。こちらではマリィという名前ですが、詳しく状況と用件を教えていただけないでしょうか?」
「承知しました。やはり、こちらに引っ越されていたのですね。用件ですが……」
 マリィさんの問いに、十把は冷静に答えた。

「……児林さんが置かれている状況はわかりました。ですが、会社に問い合わせれば事件の日に私と児林さんがどこへ行っていたかは簡単にわかるのではないですか?」
 マリィさんの質問ももっともだ。所属企業が従業員が業務で行く行き先を把握していないとは考えにくい。
「……会社の方は六年前に廃業しておりますし、当時のマネージャーだった佐々河ささがわさんも四年前に亡くなられていました。他の関係者に話を伺ったのですが、施設の名前をご存知の方がいらっしゃらなかったのです」
 十把の答えにマリィさんは目を閉じて首を横に振った。

「……佐々河さんの話が聞けないのでは仕方ないですね。メンバー同士が気軽に情報交換できるような職場ではなかったですし……私があの日児林さんと行っていたのはS県R町にあるQ社の計算機センターです」
「なるほど……児林さんはY県の施設だと思っていました。だから特定できなかったのですね。情報提供に感謝します」
 十把が礼儀正しく頭を下げた。

「施設の名前だけで大丈夫なの? 入退室記録は取っていると思うけど、一〇年も前の記録って残っていないんじゃ?」
 ユーリがマリィさんに代わって懸念を表明した。

「Q社は現在も存続している企業ですし、上場しているようなところですから記録はしっかりとられていると思いますが、一〇年だと微妙ですね……他にも児林さんのアリバイを証明できる情報があるとよいのですが……」
 十把が難しい顔をした。
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