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第四章
アーベル、精霊の「揺らぎ」を見る
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「何だこりゃ? 地面が水浸しじゃないか!」
ある日仕事を終えて家へ戻る途中、私は見慣れない光景に思わず声をあげてしまった。
周囲に目をやると、普段は乾いている地面が大きな水たまりになっている。
それほど深くはないので、そのまま通っても靴が濡れるくらいで済みそうだが、様子がおかしい。
私は迂回して水たまりを避けて家に戻った後、リビングに向かった。
この時間ならメラニーがリビングにいるはずだ。
「アーベル!」
私の姿に気付いてメラニーが突進してきたが、私はそれには構わずメラニーに尋ねた。
「メラニー、帰り道が水浸しになっていたのだけど、何があったか知っているか?」
するとメラニーが急ブレーキを踏んだように私の手前でつんのめりながら止まった。
「え、そうなの?! 今初めて聞いたけど……」
「何が起きたか知りたい。悪いのだけど、私と一緒に飛んでもらって上から様子を見たい」
人間時代の私ならこんなことをしようとは思わなかっただろうが、魂霊となった今なら様子を見に行ったところで危険はないだろうと考えたのだ。
「……わかった。他に誰かいた方がいいから、呼んでくる」
メラニーがリビングから出ていった。
私は窓から外を見た。カーリンとリーゼの泉に異変が無いかを確認するためだ。
「……こっちは大丈夫そうだな……」
「アーベル!」「アーベルさん!」
カーリンとリーゼの泉に異常が無さそうのを確認したところに、メラニーがカーリンを連れてリビングに戻ってきた。
二体の表情は真剣そのものだった。何かよくないことが起きているのではないかと私は疑った。
「私はアーベルを抱えて飛ぶわ。カーリンは……」
メラニーが私を背中から抱きかかえてふわっと浮き上がった。その高さは地上一メートルあるかないかといったところだ。
「水のある場所なら私は自由に動けるから、アーベルさんをお願いします!」
カーリンもふわりと浮き上がった。彼女も空を飛べるのだが、飛ぶことにおいてはメラニーの方が得意だということを理解している。
「アーベル、水が出ていたところがどこだか教えて」
「メラニー、わかった。相談所に向かうルートの真ん中あたりだ。」
私の曖昧な指示にも文句を言わずメラニーが飛んでいく。カーリンが後に続く。
「あ、これね? どこから水が出ているのかしら? 私とアーベルで上から見てみる!」
メラニーが水浸しになっている場所を目ざとく見つけて上昇を開始した。この位置からではどこから水が出ているかよくわからない。
「メラニー、私は周辺を見てみます」
カーリンが水たまりの上にすっと降り立った。水の精霊である彼女なら水の上での行動はお手のもの、のはずだ。
メラニーがゆっくりと上昇していく。
水が広がっている範囲は思ったより広く、十メートルほど上昇したところでようやく全貌が把握できた。
「これは……あの川から水が流れているのか?」
数百メートル離れたところに幅二、三メートルの小川が流れているのだが、どうやらそこから漏れだすようにして水が広がっているようだった。
「それだけじゃないわ。川の形も変わっている……」
メラニーの表情が曇った。空を飛ぶことが多い彼女は小川そのものも普段と違うことに気付いたのだ。
「カーリンに知らせないと! 下に行くわね」
メラニーが下降して、水のない乾いた場所に私を降ろした。そして彼女自身はカーリンの方に向かって飛んでいった。
「アーベル、私がカーリンに上から見た様子を話すから、足りないことがあったら言って」
ご丁寧にもメラニーはカーリンを連れて私のところに戻ってきた。
上空から見た光景はメラニーからカーリンに話してくれるようだ。
「それは……ヒメナの川です。メラニー、アーベルさん、ヒメナのところに行きましょう!」
原因となる川を司っているのはカーリンの知り合いの精霊らしい。
「カーリンの知り合いか? 川に住んでいるのか?」
空を飛んで、といっても上空一メートルかそこらの移動中に私はカーリンに尋ねた。
空を飛べない私は後ろからメラニーに抱きかかえられている。
「はい。彼女は川に住んでいるルサルカです。この状況は……」
カーリンがきゅっと唇を噛んだ。良くない状況が予想される。
川の上空に差しかかった。
幅の狭い川だし、深さも膝までないくらいだ。
ルサルカは人間の女性型の精霊だから、近くにいれば問題なく見つけられるはずだが……
「カーリン、ヒメナが住んでいるのってどのあたり? 姿が見えないけど!」
メラニーが私を後ろから抱きかかえたままふわりと上昇を始めた。
上から探そうというのだ。
「このあたりのはずなのですが……川の流れの場所が変わってしまっているので……下流の方に微かに気配を感じます!」
そう言ってカーリンが川に飛び込んだ。彼女は水の精霊なので、空からよりも水の中からの方が捜索しやすいのだろう。
私とメラニーが上空から、カーリンが水面からヒメナというルサルカの捜索を続けること数分、カーリンが立ち上がって
「アーベルさん! メラニー! あ、あっちです!」
と叫んだ。
カーリンが指さす方には川幅に対して大きすぎる岩が川の流れをせき止めていた。
大して深くない川なので、水があふれて周囲へと流れ出してしまっている。
相談所からの帰り道が水に浸かっていたのもこれが原因のようだ。
「アーベル! 高度を下げるね!」
メラニーが岩の方にゆっくりと進みながら高度を下げていく。
上から見た感じではルサルカの姿は見えない。カーリンには見えているのだろうか?
「えーとどこかな? アーベルには見える?」
水面近くにまで高度を下げたところでメラニーが周囲を見回した。
「見えないな……カーリンが岩のところで潜った! 水中じゃないか?」
私にもルサルカの姿は見えないが、カーリンがちゃぽんと小さな音を立てて潜ったのは見えた。
「わかった! アーベル! 私たちも潜るよ!」
「頼む!」
メラニーが岩のそばまで飛んでいき、私を抱えたまま水の中に潜った。
「案外深いな……あれか!」
岩の周囲は私の背丈より少し深いくらいの水深になっている。
カーリンが岩のところでしゃがんでいるが、よく見ると岩に引っかかるようにして女性が横たわっている。
恐らくヒメナというルサルカだ。
「そうみたいね。行こう!」
幸い私は魂霊だし、メラニーも精霊だから水中で会話ができる。
泳いでカーリンのところに向かうと、カーリンは浅瀬に移動すると言ってきた。
ルサルカは眠っているのか、目を閉じている。
三人がかりでルサルカを浅瀬まで引っ張っていった。
この場所なら水位は数センチといったところ。ルサルカの身体が流される可能性も低そうだ。
「……これは……」
私にはルサルカの顔を覗き込んでいるカーリンの顔が青ざめたように見えた。
「……結構『揺らいで』いる、か……アイリスのところに連れていった方がいいわね」
メラニーがそう言ってルサルカの身体を抱きかかえた。
「メラニー、彼女が『揺らいで』いるのがわかるのか?」
「うん。カーリンもわかっているはず。アーベルにもわかると思う。後で見方を教えるから、今は彼女を運ぶわ!」
ルサルカを抱えたメラニーがふわりと浮き上がった。歩くよりこちらの方が早いのだろう。
「わかった。私は歩いて相談所に向かうよ。カーリンはメラニーについて行って欲しいかな」
「わかりました! ヒメナのことは私がよく知っていますので!」
カーリンは私を抱えては無理だが、自分一人なら空を飛べる。
アイリスに診せるにしても知っている者が同行した方が話が早い。
メラニーとカーリンが飛んで、私は歩いて相談所へと向かった。
ここからなら私の足でも十分かからないで移動できるはずだ。
「アーベルさん、こっちです!」
一人歩いて相談所の建物まで移動して「ケルークス」の店内に入ると、カーリンが気付いて私を手招きした。
店内には何組かの客がいるが、皆心配そうにアイリスのいる席を囲んでいる。
私がカーリンに連れられてアイリスのいる席の近くに移動すると、アイリスと向かいに座っているルサルカ・ヒメナの姿が見えた。
ヒメナは目を覚ましたようで、どこか落ち着かない様子で店内をキョロキョロと見回している。
「……アーベル、今のところ彼女は大丈夫よ。すぐに溢壊する、という状況ではないわ。しばらく様子を見守る必要があるけど……」
アイリスがヒメナの状況を教えてくれた。揺らいでいるのは心配だが、危ないというほどではないようだ。
「アーベル、ちょっといい?」
不意にヒメナを囲んでいる輪の中にいたメラニーに声をかけられた。
「どうした?」
「こっちに」
メラニーは私を空いている席へと連れていった。
「彼女は大丈夫そうだから、揺らぎの見方を教えるわ。まずは私の周りに弱い風が流れているのをイメージして」
「?? わかった」
どうやら「揺らぎ」の見分け方を教えてくれるようだ。ヒメナが比較的落ち着いている今のうちに、ということなのだろう。
私はメラニーの指示通り、彼女の周囲に弱い風が吹いている様子をイメージする。
人間の時代はこうした作業はあまり得意ではなかったが、今はメラニーの周囲を穏やかに流れる風がイメージできている。
「どう? 風の強弱が変わったり、風向きが変わったりしていない?」
「いや、全然そういう様子はないけど」
私がイメージしているメラニーの周囲の風は穏やかに一定の方向から流れ続けており、変化する様子すら浮かんでこない。
「私はアーベルに大事にしてもらっているからね、揺らぐ要素がひとつもないの。じゃ、同じようにヒメナを見てみて」
メラニーが意味深な笑みを浮かべた後、私の頭に手をやってヒメナの方に向かせた。
「……そうか……風が吹いたり止んだりしているな……これがそうなのか?」
ヒメナの周囲を流れる風は弱弱しい感じで、時々止んでいるように見えた。
「そう。アイリスみたいに属性を見たり、『揺らぎ』の中味を詳しく見ることができないけど、私やアーベルでも『揺らいで』いるかどうかはわかるから」
「ありがとう。せいぜい役立てるようにするよ」
「アーベルが私たちに使う必要のないことだからね」
礼を言った私にメラニーは悪戯っぽく片目を閉じてみせた。
ヒメナは一時間ほど「ケルークス」の店内で様子を見た後、今のところは問題ないだろうというアイリスの判断で帰されることになった。
ただ、「揺らぎ」が出ていることは事実なので、アイリスは彼女に少なくとも十日ごとに「ケルークス」に来店するよう求めた。
「今すぐに契約が必要、ってことはないけど場合によってはアーベルの力も、って思うけどどう考えてもドナートが適任なのよね……」
ヒメナが「ケルークス」を出た後に、アイリスが私にそう話しかけてきた。
場合によっては私、という部分は冗談なのだろうが。
水属性で強い流れを持つルサルカと相性の良い魂霊となると、やはりドナートになる。
ヒメナはすぐにパートナーと契約させる必要があるほどの「揺らぎ」ではないが、彼女はルサルカだ。
ルサルカはそれなりに強力な精霊で、溢壊した場合存在界に対する影響が大きい。
一気に「揺らぎ」が大きくなるようであれば、急いで誰かと契約させる必要がある。
アイリスの心配の種が一つ増えた、というところだろうか。
移住者が増えて揺らぐ精霊が一体でも減ってくれれば、そしてアイリスの心配の種が減ってくれればよいのだが。
ある日仕事を終えて家へ戻る途中、私は見慣れない光景に思わず声をあげてしまった。
周囲に目をやると、普段は乾いている地面が大きな水たまりになっている。
それほど深くはないので、そのまま通っても靴が濡れるくらいで済みそうだが、様子がおかしい。
私は迂回して水たまりを避けて家に戻った後、リビングに向かった。
この時間ならメラニーがリビングにいるはずだ。
「アーベル!」
私の姿に気付いてメラニーが突進してきたが、私はそれには構わずメラニーに尋ねた。
「メラニー、帰り道が水浸しになっていたのだけど、何があったか知っているか?」
するとメラニーが急ブレーキを踏んだように私の手前でつんのめりながら止まった。
「え、そうなの?! 今初めて聞いたけど……」
「何が起きたか知りたい。悪いのだけど、私と一緒に飛んでもらって上から様子を見たい」
人間時代の私ならこんなことをしようとは思わなかっただろうが、魂霊となった今なら様子を見に行ったところで危険はないだろうと考えたのだ。
「……わかった。他に誰かいた方がいいから、呼んでくる」
メラニーがリビングから出ていった。
私は窓から外を見た。カーリンとリーゼの泉に異変が無いかを確認するためだ。
「……こっちは大丈夫そうだな……」
「アーベル!」「アーベルさん!」
カーリンとリーゼの泉に異常が無さそうのを確認したところに、メラニーがカーリンを連れてリビングに戻ってきた。
二体の表情は真剣そのものだった。何かよくないことが起きているのではないかと私は疑った。
「私はアーベルを抱えて飛ぶわ。カーリンは……」
メラニーが私を背中から抱きかかえてふわっと浮き上がった。その高さは地上一メートルあるかないかといったところだ。
「水のある場所なら私は自由に動けるから、アーベルさんをお願いします!」
カーリンもふわりと浮き上がった。彼女も空を飛べるのだが、飛ぶことにおいてはメラニーの方が得意だということを理解している。
「アーベル、水が出ていたところがどこだか教えて」
「メラニー、わかった。相談所に向かうルートの真ん中あたりだ。」
私の曖昧な指示にも文句を言わずメラニーが飛んでいく。カーリンが後に続く。
「あ、これね? どこから水が出ているのかしら? 私とアーベルで上から見てみる!」
メラニーが水浸しになっている場所を目ざとく見つけて上昇を開始した。この位置からではどこから水が出ているかよくわからない。
「メラニー、私は周辺を見てみます」
カーリンが水たまりの上にすっと降り立った。水の精霊である彼女なら水の上での行動はお手のもの、のはずだ。
メラニーがゆっくりと上昇していく。
水が広がっている範囲は思ったより広く、十メートルほど上昇したところでようやく全貌が把握できた。
「これは……あの川から水が流れているのか?」
数百メートル離れたところに幅二、三メートルの小川が流れているのだが、どうやらそこから漏れだすようにして水が広がっているようだった。
「それだけじゃないわ。川の形も変わっている……」
メラニーの表情が曇った。空を飛ぶことが多い彼女は小川そのものも普段と違うことに気付いたのだ。
「カーリンに知らせないと! 下に行くわね」
メラニーが下降して、水のない乾いた場所に私を降ろした。そして彼女自身はカーリンの方に向かって飛んでいった。
「アーベル、私がカーリンに上から見た様子を話すから、足りないことがあったら言って」
ご丁寧にもメラニーはカーリンを連れて私のところに戻ってきた。
上空から見た光景はメラニーからカーリンに話してくれるようだ。
「それは……ヒメナの川です。メラニー、アーベルさん、ヒメナのところに行きましょう!」
原因となる川を司っているのはカーリンの知り合いの精霊らしい。
「カーリンの知り合いか? 川に住んでいるのか?」
空を飛んで、といっても上空一メートルかそこらの移動中に私はカーリンに尋ねた。
空を飛べない私は後ろからメラニーに抱きかかえられている。
「はい。彼女は川に住んでいるルサルカです。この状況は……」
カーリンがきゅっと唇を噛んだ。良くない状況が予想される。
川の上空に差しかかった。
幅の狭い川だし、深さも膝までないくらいだ。
ルサルカは人間の女性型の精霊だから、近くにいれば問題なく見つけられるはずだが……
「カーリン、ヒメナが住んでいるのってどのあたり? 姿が見えないけど!」
メラニーが私を後ろから抱きかかえたままふわりと上昇を始めた。
上から探そうというのだ。
「このあたりのはずなのですが……川の流れの場所が変わってしまっているので……下流の方に微かに気配を感じます!」
そう言ってカーリンが川に飛び込んだ。彼女は水の精霊なので、空からよりも水の中からの方が捜索しやすいのだろう。
私とメラニーが上空から、カーリンが水面からヒメナというルサルカの捜索を続けること数分、カーリンが立ち上がって
「アーベルさん! メラニー! あ、あっちです!」
と叫んだ。
カーリンが指さす方には川幅に対して大きすぎる岩が川の流れをせき止めていた。
大して深くない川なので、水があふれて周囲へと流れ出してしまっている。
相談所からの帰り道が水に浸かっていたのもこれが原因のようだ。
「アーベル! 高度を下げるね!」
メラニーが岩の方にゆっくりと進みながら高度を下げていく。
上から見た感じではルサルカの姿は見えない。カーリンには見えているのだろうか?
「えーとどこかな? アーベルには見える?」
水面近くにまで高度を下げたところでメラニーが周囲を見回した。
「見えないな……カーリンが岩のところで潜った! 水中じゃないか?」
私にもルサルカの姿は見えないが、カーリンがちゃぽんと小さな音を立てて潜ったのは見えた。
「わかった! アーベル! 私たちも潜るよ!」
「頼む!」
メラニーが岩のそばまで飛んでいき、私を抱えたまま水の中に潜った。
「案外深いな……あれか!」
岩の周囲は私の背丈より少し深いくらいの水深になっている。
カーリンが岩のところでしゃがんでいるが、よく見ると岩に引っかかるようにして女性が横たわっている。
恐らくヒメナというルサルカだ。
「そうみたいね。行こう!」
幸い私は魂霊だし、メラニーも精霊だから水中で会話ができる。
泳いでカーリンのところに向かうと、カーリンは浅瀬に移動すると言ってきた。
ルサルカは眠っているのか、目を閉じている。
三人がかりでルサルカを浅瀬まで引っ張っていった。
この場所なら水位は数センチといったところ。ルサルカの身体が流される可能性も低そうだ。
「……これは……」
私にはルサルカの顔を覗き込んでいるカーリンの顔が青ざめたように見えた。
「……結構『揺らいで』いる、か……アイリスのところに連れていった方がいいわね」
メラニーがそう言ってルサルカの身体を抱きかかえた。
「メラニー、彼女が『揺らいで』いるのがわかるのか?」
「うん。カーリンもわかっているはず。アーベルにもわかると思う。後で見方を教えるから、今は彼女を運ぶわ!」
ルサルカを抱えたメラニーがふわりと浮き上がった。歩くよりこちらの方が早いのだろう。
「わかった。私は歩いて相談所に向かうよ。カーリンはメラニーについて行って欲しいかな」
「わかりました! ヒメナのことは私がよく知っていますので!」
カーリンは私を抱えては無理だが、自分一人なら空を飛べる。
アイリスに診せるにしても知っている者が同行した方が話が早い。
メラニーとカーリンが飛んで、私は歩いて相談所へと向かった。
ここからなら私の足でも十分かからないで移動できるはずだ。
「アーベルさん、こっちです!」
一人歩いて相談所の建物まで移動して「ケルークス」の店内に入ると、カーリンが気付いて私を手招きした。
店内には何組かの客がいるが、皆心配そうにアイリスのいる席を囲んでいる。
私がカーリンに連れられてアイリスのいる席の近くに移動すると、アイリスと向かいに座っているルサルカ・ヒメナの姿が見えた。
ヒメナは目を覚ましたようで、どこか落ち着かない様子で店内をキョロキョロと見回している。
「……アーベル、今のところ彼女は大丈夫よ。すぐに溢壊する、という状況ではないわ。しばらく様子を見守る必要があるけど……」
アイリスがヒメナの状況を教えてくれた。揺らいでいるのは心配だが、危ないというほどではないようだ。
「アーベル、ちょっといい?」
不意にヒメナを囲んでいる輪の中にいたメラニーに声をかけられた。
「どうした?」
「こっちに」
メラニーは私を空いている席へと連れていった。
「彼女は大丈夫そうだから、揺らぎの見方を教えるわ。まずは私の周りに弱い風が流れているのをイメージして」
「?? わかった」
どうやら「揺らぎ」の見分け方を教えてくれるようだ。ヒメナが比較的落ち着いている今のうちに、ということなのだろう。
私はメラニーの指示通り、彼女の周囲に弱い風が吹いている様子をイメージする。
人間の時代はこうした作業はあまり得意ではなかったが、今はメラニーの周囲を穏やかに流れる風がイメージできている。
「どう? 風の強弱が変わったり、風向きが変わったりしていない?」
「いや、全然そういう様子はないけど」
私がイメージしているメラニーの周囲の風は穏やかに一定の方向から流れ続けており、変化する様子すら浮かんでこない。
「私はアーベルに大事にしてもらっているからね、揺らぐ要素がひとつもないの。じゃ、同じようにヒメナを見てみて」
メラニーが意味深な笑みを浮かべた後、私の頭に手をやってヒメナの方に向かせた。
「……そうか……風が吹いたり止んだりしているな……これがそうなのか?」
ヒメナの周囲を流れる風は弱弱しい感じで、時々止んでいるように見えた。
「そう。アイリスみたいに属性を見たり、『揺らぎ』の中味を詳しく見ることができないけど、私やアーベルでも『揺らいで』いるかどうかはわかるから」
「ありがとう。せいぜい役立てるようにするよ」
「アーベルが私たちに使う必要のないことだからね」
礼を言った私にメラニーは悪戯っぽく片目を閉じてみせた。
ヒメナは一時間ほど「ケルークス」の店内で様子を見た後、今のところは問題ないだろうというアイリスの判断で帰されることになった。
ただ、「揺らぎ」が出ていることは事実なので、アイリスは彼女に少なくとも十日ごとに「ケルークス」に来店するよう求めた。
「今すぐに契約が必要、ってことはないけど場合によってはアーベルの力も、って思うけどどう考えてもドナートが適任なのよね……」
ヒメナが「ケルークス」を出た後に、アイリスが私にそう話しかけてきた。
場合によっては私、という部分は冗談なのだろうが。
水属性で強い流れを持つルサルカと相性の良い魂霊となると、やはりドナートになる。
ヒメナはすぐにパートナーと契約させる必要があるほどの「揺らぎ」ではないが、彼女はルサルカだ。
ルサルカはそれなりに強力な精霊で、溢壊した場合存在界に対する影響が大きい。
一気に「揺らぎ」が大きくなるようであれば、急いで誰かと契約させる必要がある。
アイリスの心配の種が一つ増えた、というところだろうか。
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