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第三章
新たな移住者の受け入れ作戦 その5
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「「……」」
私と相談員のベネディクトは「ケルークス」の店内で、イドイさんの娘さんが到着するのを待っている。
時々「ケルークス」店長のユーリがこちらの様子を見に来るが、彼女も落ち着かないようで厨房と店内とをせわしなく行ったり来たりしている。
しばらくすると「ケルークス」の店内に息を切らせてアイリスが入ってきた。
今は妖精の姿なので、人間と同様呼吸もするのだ。
「ユーリ、ブリスとクアンを寄越してもらえないかしら? 手伝ってもらいたいことがあるのよ」
アイリスの声が少し苛立っているように聞こえた。
冗談ではなく本当に苛立つのは珍しい。それだけ状況が良くないということか。
「わ、わかった。ブリス、クアン、悪いのだけどアイリスを手伝って」
「「承知した」」
いつもと違うアイリスの様子にユーリは面食らっているようで、アイリスに言われるままブリスとクアンに指示を出した。
厨房にいたブリスとクアンは「ケルークス」の店内に出てくると、即座に魔法をかけて妖精へと姿を変える。もっとも、少し人間らしくなっただけで、外見はほとんど変わらないのだけど。
精霊の二人が呼ばれ、妖精になったということは存在界の側で何かをする必要が生じたということだ。
車が到着するまでそれほど時間もないだろうから、早く決着するとよいのだけど……
やきもきしながら待っていると、三〇分ほどして厨房からピアが飛び出してきた。
「ベネディクト、アーベル、ワルターから、展望台の下を通り過ぎた、って」
ワルターから連絡を受けたので伝えに来たようだ。
車は予定より少し早く進んでいるようだ。
だとすると、早いうちに外の邪魔者を排除しなければ都合が悪い。
「ピア、悪いけどアイリスにその内容を伝えてくれないか?」
「もうやってる! それと、ワルターが『車は建物の裏側に着ける』って!」
アイリスに状況が伝わらないとまずいと思ったが、そのあたりは抜かりないようだ。
それよりも車が着く場所が変わるなら、こちら側の対応が必要になる。
「わかった。ベネディクト、準備しよう!」
「行きます!」
私とベネディクトが急いで立ち上がった。
「アーベル、どうするんだい? ベッドを動かして正面まで移動させるのかい?」
「いや、それだとかなり遠回りになる。裏口から厨房を経由して階段の下まで運ぼう」
相談所の建物の出入口のうち、存在界とつながっているのは正面の一ヶ所だけだ。
当初は車を正面側につける予定だったのだけど、状況が変わった。
裏側に車を着けるとなると、正面の入口に行くには建物を迂回するように回る必要がある。
「裏口って、存在界に繋がっていない、ですよね?」
「そう。だから、カーテンをかけて存在界側につなげる。ピアにも後で手伝ってもらおう!」
「そういうことでしたか。カーテンは二階でしたよね?」
ベネディクトと私は建物の二階へと移動し、予備のカーテンを引っ張り出してきた。
単なるカーテンではなく、存在界と精霊界を区切るための品物だ。
「よし、これだ。これを厨房の裏に」
「わかりました。脚立を持って行きます」
私はカーテンを抱えて厨房へ、ベネディクトは脚立を探しに「ケルークス」の店内にある棚へと向かった。
ベッドの通り道は段差をなくしておく必要がある。
私は厨房でユーリに声をかけて、頑丈な板を準備してもらった。
そして、ベネディクトが脚立を持ってきたところでカーテンを扉のところに取り付ける。
カーテンレールはないので、画鋲で壁に突き刺していく感じだ。
「ピア、これで存在界につながっただろうか?」
「ちょっと見てくるね~」
ピアが妖精へと姿を変え、カーテンの向こうへと移動した。
ガチャリ、と扉が開く音がした後、ピアの声が返ってきた。
「つながったよ~。でも、あれ? ちょっとドアのところの段差がきついなぁ。板かなんか持ってくるよ」
やれやれ、存在界側もか。
存在界側はピア以外に作業ができる者がいないので、ピアに任せておく。
私とベネディクトはユーリに準備してもらった板を敷いて、建物内の段差を無くしていく。
二階へ行く階段だけはどうにもならないので、ここはガネーシャに魔術を使ってもらって上に運ぶ予定だ。
「ガネーシャが間に合わないかもしれないですね……」
「念のため担架を準備しているから、そのときはベネディクト、担架で運ぶよ」
「……わかった」
ベネディクトは自信がなさそうだが仕方ない。
一気に動きが慌ただしくなってきた。
いきなりアイリスが店内に飛び込んできて、
「ゴメンっ! ワルターが着くまでに例の人間を追っ払えそうもない! ガネーシャに相手をさせるから、二階までイドイさんの娘さんを運んであげて!」
とだけ言って外に飛び出していった。
担架を用意したのは正解だったようだ。
アイリスの後はピアから「あと十分ちょっとで着くよ」と声をかけられた。
確かにもうそんな時間だ。
魂霊になってから、精霊の時間感覚に慣らされてきたのか、動きがゆっくりになったらしい。
ベッドが通る道を確認して受入に備える。
「アイリスが戻っていないのはマズくないですか?」
ベネディクトが不安そうに尋ねてきた。
「マズいけど、こちらでできることもないからな……最悪メイヴに確認してみればいいと思う。彼女くらい高位の精霊なら何か知っているかもしれない」
「わ、わかった」
そうこうしているうちに、ピアが慌ただしく外へ出ていった。
ワルターの車が到着したらしい。
ほぼ同時にブリスとクアンが外から戻ってきた。
「あの人間ども、鬱陶しいったらありゃしないわ!」
「仰る通りです。あとはガネーシャに任せましょう」
二人に状況を確認したところ、見張りの人間は全部で三人いるらしい。
どうも見張りは探偵か何かのようで、やたらしつこいのはそれが原因のようだ。
目をつけられると厄介な相手ではある。
「アーベル、ベネディクト、後は任せます」
ザカリーが裏口から顔を出した。
それからベッドが裏口を通って厨房に運び込まれた。幸い幅は十分だったようだ。
「妾が残るのでな、安心せよ」
ベッドの後ろからメイヴが姿を表した。彼女はここに残り、ワルターとザカリーは車に戻る。
「ところでアイリスはどこだ?」
ワルターが扉から中を覗き込んできた。
アイリスが形態記憶の魔法を解除しないと、車を元に戻すことができない。
「ゴメンっ! ここよ!」
アイリスが「ケルークス」の店内から文字通り飛んできて、裏口から外へ出ていった。
車に関してはとりあえず安心だ。
「ベネディクト、行こう」
「わかりました」
私とベネディクトは慎重にベッドを動かして階段の下へと運んでいく。
「よし、なら相談客を担架に……」
「アーベルとやら、ここは妾に任せよ」
私が担架の準備を始めようとしたところ、メイヴがそれを制してきた。
「フフ……じっとしているがよい」
メイヴはベッドに優しく声をかけた後、右手をすっと振り上げた。
ふわりとベッドが宙に浮き、ゆっくりと上昇していく。
「魔術でベッドを持ち上げたのか?」
「このくらい何てことはない」
メイヴは余裕しゃくしゃくといった表情でベッドをゆっくりと二階まで持ち上げていく。
そして二階の床にふわりと着地させた。
「では、後は任せる」
「ありがとうございます!」
「メイヴ、行ってくる!」
私とベネディクトは階段を駆け上がり、ベッドを応接室へと運び込んだ。
後はアイリスによる意思確認と移住に必要な手続きを行うだけだ。
「大丈夫ですか?」
私はベッドに向けて声をかけた。
色々とバタバタしたので、患者が心配だった。彼女の身に何かあれば洒落では済まない。
「は、はい……な、何とか……」
ぜえぜえという荒い息遣いと共に、弱弱しい声が返ってきた。
あまり長いこと放置することはできないかもしれない。
「「……」」
私とベネディクトは祈るような気持ちで応接室入口のドアの方に目をやった。
アイリスはまだなのか? あまり長いことイドイさんの娘さんを放置するのは……
そんなことを考えだしたところで、バタン、と入口のドアが開いた。
「ハァ、ハァ、待たせたわね。精霊に戻るからちょっと待って」
扉の向こうに肩で息をしているアイリスの姿が見えた。先ほどまで存在界にいたから妖精のままなのだ。
アイリスの身体が一瞬光った。
精霊に戻ったのだろうが、外見的な差異はないといっていいだろう。
「お名前を言ってもらっていいかしら?」
「イドイ……サクラ、です。今日、は……精霊界への……移住、のために……来ました」
アイリスの問いにイドイさんの娘さんは、喘ぐような声でとぎれとぎれに答えた。かなり辛そうだ。
サクラさん、というのが下の名前なのか。
「ありがとう。精霊界に移住したらあなたの住んでいた存在界に戻ることはできなくなるわ。それでいいかしら?」
アイリスによる意思の確認が始まった。
できればすっ飛ばしてしまいたい手順でもあるが、ルールではあるし、失敗が許されない部分だ。
イドイさんの娘さんにとっては辛いところだろうが、何とか持ってもしいものだ。
「はい……」
「それから、移住者には精霊とパートナーとしての契約を結ぶ義務があるわ。未来永劫パートナーと過ごす覚悟はある?」
「は、はい……そのために……来ました……」
その後もアイリスは次々に確認事項を説明し、相手の意思を確認していく。
イドイさんの娘さんの声は弱弱しいものであったが、返答には迷いがない。
だが、呼吸が荒くなる一方なのが気にかかる。
やはり身体に相当な負担がかかっているようだ。
このようなとき、医師や看護師がついていればもう少し状況がマシになると思うのだが……
人間側に移住への理解がないことが悔やまれる。
「……次が最後の質問になるわ。アーベル、ベネディクトも答えを聞いてちょうだい。イドイサクラさん、あなたは精霊界への移住を希望しますか?」
「……はい、希望します……」
希望する、いう部分だけははっきり聞き取れた。
「アーベル、彼女の意思は希望する、と確認しました」
「ベネディクトも同じです!」
「わかったわ。本人の意思は確認できた。これから彼女を魂霊に変換するっ!」
アイリスが手を振り上げて目を閉じた。
精神を集中しイドイさんの娘さんの額に手をかざす。
人間を魂霊に変換する魔法が開始された。
あとは魔法が終わるまで、彼女の身体がもてばいい。
「……」
何だかいつもより魔法に要している時間が長いような気がする。
アイリスは精霊から妖精、妖精から精霊と二度姿を変えているし、先ほどはワルターの車に施した形態記憶の魔術を解除している。
魔力を消費したために魔法に時間を要しているのか?
私も生命が失われかけている状態で同じ魔法をかけてもらったのだが、そのときよりも時間がかかっているのではないだろうか?
しかし、私もただ見ていることしかできない。
「……ふぅ、終わったわ。気分はどう?」
数分後、アイリスが大きく息をついて、魔法が終わったことを告げた。
イドイさんの娘さんが恐る恐る上半身を起こした。
そして、ベッドを操作して高さを低くし、縁に腰かけた。
「……イケるかも……」
先ほどまでとはうって変わって力強い声だ。
ベッドの手すりに手をかけ、力を入れる。
彼女はすっと立ち上がった。
「嘘みたいに楽です。普通に動けます!」
「これで手続きは終わりね。こちらでの名前はもう少ししてから決めるけど、イドイサクラさん、精霊界へようこそ。私たちはあなたの移住を歓迎します」
アイリスの言葉の後、ベネディクトが拍手した。私もつられて手を叩いた。間に合って本当に良かった。
こうしてまた一人、精霊界に魂霊が移り住んできた。
相談所の存在界側で見張りの人間の相手をしていたガネーシャが戻ってきたのは、四時間ばかり後のことであった。
「話好きの人のふりをしてしつこく話しかけていたら、すごく嫌な顔をしていたぞ」
などと言ってガネーシャは面白そうに笑っていた。
今回はうまく行った。
しかし、次はこのような体制を組むことができるかはわからない。
「今後のことは後で考えればいいでしょう。今日は帰って休んだら?」
難しい顔をしていたのか、アイリスに後ろから肩を叩かれた。
確かに今考えてすぐに結論が出るような問題ではない。
今日のところは所長殿のお言葉に甘えることにしよう。
私と相談員のベネディクトは「ケルークス」の店内で、イドイさんの娘さんが到着するのを待っている。
時々「ケルークス」店長のユーリがこちらの様子を見に来るが、彼女も落ち着かないようで厨房と店内とをせわしなく行ったり来たりしている。
しばらくすると「ケルークス」の店内に息を切らせてアイリスが入ってきた。
今は妖精の姿なので、人間と同様呼吸もするのだ。
「ユーリ、ブリスとクアンを寄越してもらえないかしら? 手伝ってもらいたいことがあるのよ」
アイリスの声が少し苛立っているように聞こえた。
冗談ではなく本当に苛立つのは珍しい。それだけ状況が良くないということか。
「わ、わかった。ブリス、クアン、悪いのだけどアイリスを手伝って」
「「承知した」」
いつもと違うアイリスの様子にユーリは面食らっているようで、アイリスに言われるままブリスとクアンに指示を出した。
厨房にいたブリスとクアンは「ケルークス」の店内に出てくると、即座に魔法をかけて妖精へと姿を変える。もっとも、少し人間らしくなっただけで、外見はほとんど変わらないのだけど。
精霊の二人が呼ばれ、妖精になったということは存在界の側で何かをする必要が生じたということだ。
車が到着するまでそれほど時間もないだろうから、早く決着するとよいのだけど……
やきもきしながら待っていると、三〇分ほどして厨房からピアが飛び出してきた。
「ベネディクト、アーベル、ワルターから、展望台の下を通り過ぎた、って」
ワルターから連絡を受けたので伝えに来たようだ。
車は予定より少し早く進んでいるようだ。
だとすると、早いうちに外の邪魔者を排除しなければ都合が悪い。
「ピア、悪いけどアイリスにその内容を伝えてくれないか?」
「もうやってる! それと、ワルターが『車は建物の裏側に着ける』って!」
アイリスに状況が伝わらないとまずいと思ったが、そのあたりは抜かりないようだ。
それよりも車が着く場所が変わるなら、こちら側の対応が必要になる。
「わかった。ベネディクト、準備しよう!」
「行きます!」
私とベネディクトが急いで立ち上がった。
「アーベル、どうするんだい? ベッドを動かして正面まで移動させるのかい?」
「いや、それだとかなり遠回りになる。裏口から厨房を経由して階段の下まで運ぼう」
相談所の建物の出入口のうち、存在界とつながっているのは正面の一ヶ所だけだ。
当初は車を正面側につける予定だったのだけど、状況が変わった。
裏側に車を着けるとなると、正面の入口に行くには建物を迂回するように回る必要がある。
「裏口って、存在界に繋がっていない、ですよね?」
「そう。だから、カーテンをかけて存在界側につなげる。ピアにも後で手伝ってもらおう!」
「そういうことでしたか。カーテンは二階でしたよね?」
ベネディクトと私は建物の二階へと移動し、予備のカーテンを引っ張り出してきた。
単なるカーテンではなく、存在界と精霊界を区切るための品物だ。
「よし、これだ。これを厨房の裏に」
「わかりました。脚立を持って行きます」
私はカーテンを抱えて厨房へ、ベネディクトは脚立を探しに「ケルークス」の店内にある棚へと向かった。
ベッドの通り道は段差をなくしておく必要がある。
私は厨房でユーリに声をかけて、頑丈な板を準備してもらった。
そして、ベネディクトが脚立を持ってきたところでカーテンを扉のところに取り付ける。
カーテンレールはないので、画鋲で壁に突き刺していく感じだ。
「ピア、これで存在界につながっただろうか?」
「ちょっと見てくるね~」
ピアが妖精へと姿を変え、カーテンの向こうへと移動した。
ガチャリ、と扉が開く音がした後、ピアの声が返ってきた。
「つながったよ~。でも、あれ? ちょっとドアのところの段差がきついなぁ。板かなんか持ってくるよ」
やれやれ、存在界側もか。
存在界側はピア以外に作業ができる者がいないので、ピアに任せておく。
私とベネディクトはユーリに準備してもらった板を敷いて、建物内の段差を無くしていく。
二階へ行く階段だけはどうにもならないので、ここはガネーシャに魔術を使ってもらって上に運ぶ予定だ。
「ガネーシャが間に合わないかもしれないですね……」
「念のため担架を準備しているから、そのときはベネディクト、担架で運ぶよ」
「……わかった」
ベネディクトは自信がなさそうだが仕方ない。
一気に動きが慌ただしくなってきた。
いきなりアイリスが店内に飛び込んできて、
「ゴメンっ! ワルターが着くまでに例の人間を追っ払えそうもない! ガネーシャに相手をさせるから、二階までイドイさんの娘さんを運んであげて!」
とだけ言って外に飛び出していった。
担架を用意したのは正解だったようだ。
アイリスの後はピアから「あと十分ちょっとで着くよ」と声をかけられた。
確かにもうそんな時間だ。
魂霊になってから、精霊の時間感覚に慣らされてきたのか、動きがゆっくりになったらしい。
ベッドが通る道を確認して受入に備える。
「アイリスが戻っていないのはマズくないですか?」
ベネディクトが不安そうに尋ねてきた。
「マズいけど、こちらでできることもないからな……最悪メイヴに確認してみればいいと思う。彼女くらい高位の精霊なら何か知っているかもしれない」
「わ、わかった」
そうこうしているうちに、ピアが慌ただしく外へ出ていった。
ワルターの車が到着したらしい。
ほぼ同時にブリスとクアンが外から戻ってきた。
「あの人間ども、鬱陶しいったらありゃしないわ!」
「仰る通りです。あとはガネーシャに任せましょう」
二人に状況を確認したところ、見張りの人間は全部で三人いるらしい。
どうも見張りは探偵か何かのようで、やたらしつこいのはそれが原因のようだ。
目をつけられると厄介な相手ではある。
「アーベル、ベネディクト、後は任せます」
ザカリーが裏口から顔を出した。
それからベッドが裏口を通って厨房に運び込まれた。幸い幅は十分だったようだ。
「妾が残るのでな、安心せよ」
ベッドの後ろからメイヴが姿を表した。彼女はここに残り、ワルターとザカリーは車に戻る。
「ところでアイリスはどこだ?」
ワルターが扉から中を覗き込んできた。
アイリスが形態記憶の魔法を解除しないと、車を元に戻すことができない。
「ゴメンっ! ここよ!」
アイリスが「ケルークス」の店内から文字通り飛んできて、裏口から外へ出ていった。
車に関してはとりあえず安心だ。
「ベネディクト、行こう」
「わかりました」
私とベネディクトは慎重にベッドを動かして階段の下へと運んでいく。
「よし、なら相談客を担架に……」
「アーベルとやら、ここは妾に任せよ」
私が担架の準備を始めようとしたところ、メイヴがそれを制してきた。
「フフ……じっとしているがよい」
メイヴはベッドに優しく声をかけた後、右手をすっと振り上げた。
ふわりとベッドが宙に浮き、ゆっくりと上昇していく。
「魔術でベッドを持ち上げたのか?」
「このくらい何てことはない」
メイヴは余裕しゃくしゃくといった表情でベッドをゆっくりと二階まで持ち上げていく。
そして二階の床にふわりと着地させた。
「では、後は任せる」
「ありがとうございます!」
「メイヴ、行ってくる!」
私とベネディクトは階段を駆け上がり、ベッドを応接室へと運び込んだ。
後はアイリスによる意思確認と移住に必要な手続きを行うだけだ。
「大丈夫ですか?」
私はベッドに向けて声をかけた。
色々とバタバタしたので、患者が心配だった。彼女の身に何かあれば洒落では済まない。
「は、はい……な、何とか……」
ぜえぜえという荒い息遣いと共に、弱弱しい声が返ってきた。
あまり長いこと放置することはできないかもしれない。
「「……」」
私とベネディクトは祈るような気持ちで応接室入口のドアの方に目をやった。
アイリスはまだなのか? あまり長いことイドイさんの娘さんを放置するのは……
そんなことを考えだしたところで、バタン、と入口のドアが開いた。
「ハァ、ハァ、待たせたわね。精霊に戻るからちょっと待って」
扉の向こうに肩で息をしているアイリスの姿が見えた。先ほどまで存在界にいたから妖精のままなのだ。
アイリスの身体が一瞬光った。
精霊に戻ったのだろうが、外見的な差異はないといっていいだろう。
「お名前を言ってもらっていいかしら?」
「イドイ……サクラ、です。今日、は……精霊界への……移住、のために……来ました」
アイリスの問いにイドイさんの娘さんは、喘ぐような声でとぎれとぎれに答えた。かなり辛そうだ。
サクラさん、というのが下の名前なのか。
「ありがとう。精霊界に移住したらあなたの住んでいた存在界に戻ることはできなくなるわ。それでいいかしら?」
アイリスによる意思の確認が始まった。
できればすっ飛ばしてしまいたい手順でもあるが、ルールではあるし、失敗が許されない部分だ。
イドイさんの娘さんにとっては辛いところだろうが、何とか持ってもしいものだ。
「はい……」
「それから、移住者には精霊とパートナーとしての契約を結ぶ義務があるわ。未来永劫パートナーと過ごす覚悟はある?」
「は、はい……そのために……来ました……」
その後もアイリスは次々に確認事項を説明し、相手の意思を確認していく。
イドイさんの娘さんの声は弱弱しいものであったが、返答には迷いがない。
だが、呼吸が荒くなる一方なのが気にかかる。
やはり身体に相当な負担がかかっているようだ。
このようなとき、医師や看護師がついていればもう少し状況がマシになると思うのだが……
人間側に移住への理解がないことが悔やまれる。
「……次が最後の質問になるわ。アーベル、ベネディクトも答えを聞いてちょうだい。イドイサクラさん、あなたは精霊界への移住を希望しますか?」
「……はい、希望します……」
希望する、いう部分だけははっきり聞き取れた。
「アーベル、彼女の意思は希望する、と確認しました」
「ベネディクトも同じです!」
「わかったわ。本人の意思は確認できた。これから彼女を魂霊に変換するっ!」
アイリスが手を振り上げて目を閉じた。
精神を集中しイドイさんの娘さんの額に手をかざす。
人間を魂霊に変換する魔法が開始された。
あとは魔法が終わるまで、彼女の身体がもてばいい。
「……」
何だかいつもより魔法に要している時間が長いような気がする。
アイリスは精霊から妖精、妖精から精霊と二度姿を変えているし、先ほどはワルターの車に施した形態記憶の魔術を解除している。
魔力を消費したために魔法に時間を要しているのか?
私も生命が失われかけている状態で同じ魔法をかけてもらったのだが、そのときよりも時間がかかっているのではないだろうか?
しかし、私もただ見ていることしかできない。
「……ふぅ、終わったわ。気分はどう?」
数分後、アイリスが大きく息をついて、魔法が終わったことを告げた。
イドイさんの娘さんが恐る恐る上半身を起こした。
そして、ベッドを操作して高さを低くし、縁に腰かけた。
「……イケるかも……」
先ほどまでとはうって変わって力強い声だ。
ベッドの手すりに手をかけ、力を入れる。
彼女はすっと立ち上がった。
「嘘みたいに楽です。普通に動けます!」
「これで手続きは終わりね。こちらでの名前はもう少ししてから決めるけど、イドイサクラさん、精霊界へようこそ。私たちはあなたの移住を歓迎します」
アイリスの言葉の後、ベネディクトが拍手した。私もつられて手を叩いた。間に合って本当に良かった。
こうしてまた一人、精霊界に魂霊が移り住んできた。
相談所の存在界側で見張りの人間の相手をしていたガネーシャが戻ってきたのは、四時間ばかり後のことであった。
「話好きの人のふりをしてしつこく話しかけていたら、すごく嫌な顔をしていたぞ」
などと言ってガネーシャは面白そうに笑っていた。
今回はうまく行った。
しかし、次はこのような体制を組むことができるかはわからない。
「今後のことは後で考えればいいでしょう。今日は帰って休んだら?」
難しい顔をしていたのか、アイリスに後ろから肩を叩かれた。
確かに今考えてすぐに結論が出るような問題ではない。
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