精霊界移住相談カフェ「ケルークス」

空乃参三

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第一章

精霊界の夜? の生活(前編)

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 結局、ユキが帰った後、相談客は一人も来なかった。
 リーゼが雑誌を読み終えたところで、私が「ケルークス」に出勤してから八時間半が経過していたから、今日のところは家に戻ることにした。

 リーゼを連れて家に戻ると、ちょうどカーリンがアンブロシア酒造りの作業を終えて作業場からリビングに向かうところに出くわした。

 「アーベルさん、おかえりなさい。リーゼは欲しいもの買えた?」
 「カーリン、ただいま」
 「買えました。お姉ちゃん、興味があるなら読み終わったら貸そうか?」
 リーゼがカーリンの前に新刊を誇らしげに掲げてみせた。

 「アーベルぅ、おかえりー」
 リビングの方から文字通りメラニーが飛んできて、私の左腕に抱きついた。
 その直前に近くにいたリーゼがぱっと身を翻してメラニーを上手に避けた。
 「メラニー、ただいま。リーゼがいるから気を付けてくれよ」
 「大丈夫、大丈夫。リーゼは周りをよく見ているから」
 そういう問題ではないのだが。

 「アーベル様、お帰りなさいませ。これからどうなさいますか?」
 ニーナが礼儀正しく私を出迎えてくれた。
 「リビングで落ち着いてから考える、でいいかい?」
 「畏まりました」

 五人でリビングへと移動する。
 私は「ケルークス」でかなり飲み物を飲んでいるので、積極的に食べ物や飲み物をとろうという気分ではない。
 リーゼも似たような気分ではないだろうか?
 それとなく他の三人に尋ねてみるが、皆、食べ物や飲み物を求めてはいないようだ。
 リーゼを含めた四体のパートナーたちは、どことなく落ち着かない様子に見える。

 念のために、リビングの奥に掲げているボードを見る。
 ボードは縦二かける横五のマス目が入っていて、上の行には四体のパートナーたちの名前が書かれている。
 左からカーリン、リーゼ、メラニー、ニーナの順で一番右は「みんな」とある。
 下の行はマス目に釘が打たれていて、一番右のマス目に〇印が描かれたプレートがぶら下がっている。

 ということは、今日は全員か。
 このプレートは、私の寝室に誰が来るのかを示しているのだ。
 精霊たちにとって、寝室での魂霊とのコミュニケーションは「揺らぎ」を減じたり防止したりする上でもっとも重要なものだ。
 私のパートナーの精霊たちも寝室でのコミュニケーションを楽しみにしていると思う。
 落ち着かない様子に見えるのもそのためではないだろうか。
 彼女たちは非常に私に良くしてくれるので、私も彼女たちには満足してもらいたいと思っている。
 ちなみに現在のローテーションは、カーリン→リーゼ→メラニー→ニーナ→全員の順だ。 

 「シャワーを浴びたら寝室に行こうか」
 私がそう声をかけた。

 「ならアーベルが先にシャワーを浴びて待っていてよ」
 メラニーが私を立たせると、ずいずいと階段の方へと押していく。
 シャワーは二階にあるのだ。

 「皆、私たちの順番を決めますよ? サイコロで勝負です!」
 カーリンが二個のサイコロを手にしている。シャワーの順番をこれで決めるらしい。
 これらのサイコロは、もともとリーゼとボードゲームをするために入手したものなのだが、最近ではパートナーたちの間で何かを決めたりするのにもよく使われているようだ。

 パートナーたちの邪魔をしないよう、私はシャワールームへと向かった。
 精霊は通常、池や川などの水のある場所で身体を洗うことが多いが、魂霊と契約している者はシャワーや風呂を使う。
 うちにも風呂があるのだが、二階の寝室からは少し遠いので今回はシャワーにした。

 シャワーを浴びて寝室で待つ。今日は全員が来るので、私の寝室は二階にある大きい方の寝室となる。
 誰か一体だけが来るときは二階の小さい方の寝室が私の寝室だ。
 大きい寝室は広さで言うと十二畳から十五畳くらい。
 巨大なベッドが部屋の大半を占めている。

 「アーベルっ! おまたせっ!」
 最初に勢いよく飛びこんできたのは下着姿のメラニーだった。
 油断しているとメラニーやリーゼあたりは勝手に脱ごうとする。
 しかし、今日はそうさせてはならない。
 精霊は「恥ずかしい」という感情が薄い上に、契約者の前では自分を見て欲しいという感情が働くらしい。
 メラニーやリーゼは「見て欲しい」が「裸になる」に直結するので、油断も隙も無いのだ。

 「おっと、気をつけないと危ないぞ」
 「だいじょーぶ、だって」
 メラニーがゆっくりと降下し、私に抱きついてきた。
 四体のパートナーの中で、一番グイグイ来るのが彼女だ。
 これは、彼女がドライアドであることが関係していると思う。

 ドライアドというのは精霊の中でも屈指の「揺らぎやすい」種類なのだそうだ。
 妖精化して存在界へ行き、男性にちょっかいをかけるのも「揺らぎを抑えるため」らしい。そうでないケースも少なくないとは聞いているが。
 ドライアドは溢壊すると火の精霊の力を借りて山火事を起こしたり、樹木を枯らす害虫や病気をばらまくから、メラニーと契約して彼女とコミュニケーションを取ることも存在界の平和と安全に貢献していると……思う。
 とはいってもそんな立派なことではなく、単に彼女は魅力的だし、私の方が楽しませてもらっているというのが正直なところだ。

 メラニーがべたべたとくっついているが、今日は全員で寝室に入る日なので他の三体を待つ。
 私とパートナーたちとの取り決めで、全員で寝室に入る日については次の二つのルールを定めている。

 全員が揃うまで、抜け駆け禁止。
 全員が揃うまで、裸になるの禁止。

 公平性を保つためにもこうしたルールは大事だと思う。

 「アーベルさま、二番目でした」
 二番目は髪と同じ水色のネグリジェ姿のリーゼだった。普段は一歩引いて少し離れたところにいることの多い彼女だが、四体の中では一番好奇心が強いように思う。
 最初に存在界の本やゲームに興味を持ったのも彼女だ。
 「今日はこっちに行きます。えへへ……」
 リーゼが私の右腕に抱きついてきた。
 彼女は四体の中でいちばん小柄なためか、狭い場所にでもするすると入り込んでくる。
 ちなみに一番背が高いがメラニーで、一番グラマーなのも彼女だ。
 スタイルならアイリスといい勝負だと思う。

 「なら私はこっちぃ!」
 対抗心を燃やしたのか、メラニーが私を押し倒し、上に覆いかぶさるように抱きつく。
 その勢いでリーゼも倒れたが私の右腕は離さない。

 「カーリンとニーナがまだだからね」
 「はーい」「はい」
 二体とも超えてはいけないラインは弁えているので、四体揃うまではこれ以上何かをしてくることはないはずだ。

 「申し訳ございません、遅くなりました」
 次はニーナだった。彼女は普段自分を抑え込みすぎているようなところがあるから、寝室の中では好きなだけ自分をさらけ出せるようにする必要がある。
 普段と寝室での落差が最も大きいのも彼女だと思うが、普段自分をさらけ出せていないとなると「揺らぎ」が気になる。

 「アーベル様、失礼します」
 「ニーナ、脚は伸ばしていいよ」
 ニーナは私の頭の方にやって来て膝枕をしようとしてきた。
 精霊には脚が痺れるなんてことはないのだけど、正座だと何となく縮こまっているように思われたから、私はニーナに脚を伸ばすように言ったのだ。

 「はい」
 ニーナが私の左側から脚を伸ばして、私の頭を太腿に乗せた。
 「アーベル様……」
 そして瞳を潤ませながら私の顔を覗き込んだ。

 ニーナが私を待っているのはわかるのだが、カーリンがまだだ。
 さすがに他の皆がルールを守っているのに、私がルールに違反してしまっては、彼女たちに示しがつかない。

 ぐっと我慢して (というほどでもない。むしろこれはこれで嬉しいシチュエーションなのだから)最後になったカーリンを待つ。
 最近は慣れたが、私は存在界にいたときはずっと独り者であったから、かつてはこうやってパートナーに求められるのを不思議に思っていた。
 自分に合う精霊を探して引き合わせてくれたとはいえ、こんなにうまくいくものかと前にアイリスに尋ねたことがある。
 私の四体のパートナーは皆魅力的だし、彼女ら以外の精霊たちも魅力的な者が多い。

 「あー、そう感じるように造ったから。精霊とくっついてくれるようにね」
 アイリスによれば精霊たちが人間を造る際、人間からは精霊が皆魅力的に見えるようにした、ということだった。
 「その割には、存在界で描かれる精霊や妖精には異形の者も少なくないのですが……」
 私がそう返すとアイリスは、
 「『ケルークス』のこともそうだけど、人間は自分が見たものじゃないと信じない、ってのが少なくないから。そこまではうまく造れなかったのよねー」
 と答えて首をぶんぶんと横に振った。人間を造るうえで何か嫌なことでもあったのかもしれない。

 「で、ちなみに精霊からは人間はすごく魅力的に見えるからねー。自分をさらけ出す相手として造ったものが魅力的でないなんて納得できないじゃない! そこはもう、皆気合入ってたのよ」
 今度はアイリスがテーブルを叩きながら力説してきた。
 このときも「ケルークス」の店内にいたのだけど、ユーリが飛んできてうるさいと注意したくらいだ。
 しかし、アイリスの熱弁は止まることなく、人間を魅力的に造るのにどれだけ苦労したかを延々と語り続けた。
 確か他の相談員や客がいないときだったから、ユーリの他に迷惑したのは厨房にいたブリスくらいだったはずだけど。

 最初、ユーリは呆れていたけど、最後は何故かアイリスと意気投合していたと思う。あれは何だったのだろう。

 話を戻すと私には魅力的な相手ばかりがいて、かつ私に魅力を感じてくれる相手がいる、という世界に移住してきたということになる。
 我ながらいい選択をしたものだ。
 病が進んで生命の危機を迎えている状態でこの選択をできた自分を褒めたい気分になった。

 「アーベルさん、お待たせしました。今日はツキがなかったです」
 最後にカーリンが寝室に入ってきた。
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