上 下
18 / 134
第一章

宣伝活動

しおりを挟む
 「アーベルさま、もう一冊読みたい本があるのですが……」
 「買えばいいのかい?」
 「ケルークス」の店内のカウンター席で私の隣に座っているリーゼが尋ねてきた。
 先ほどまで、精霊界こちらに強制送還? されてきたバネッサに振り回されていた店内であるが、現在はバネッサが再び存在界に向けて出発した後なので落ち着いている。
 「いえ、お店に置いてある本なので、買う必要はないです。アーベルさまのお時間が大丈夫かどうか……」
 そういうことか。まだ、出勤してから四時間弱だから時間に余裕はある。
 店に置いてある本ということは雑誌だろう。これなら「ケルークス」の客は誰でも無料で読むことができる。
 「まだ時間はあるから大丈夫。何の本かい?」
 「あ、私が自分で持ってくるので大丈夫です」
 リーゼが席を立って、店の奥にある棚の方に向かった。

 現在、「ケルークス」の店内には従業員であるユーリとブリス、相談員がアイリスと私、そして客がリーゼの五人だけがいる。
 ノームの二人組はバネッサが存在界に向かった直後に店を出たし、存在界から戻ってきたヴァルターもアイリスに報告書を出して住処へと戻っていった。

 アイリスが気だるそうに報告書に目を通している。
 「アーベルぅ、精霊界関係の情報を見てくれる人間が減っているみたいなんだけど、何かいい案ないかしら?」
 いきなりアイリスに相談を持ち掛けられた。まあ、よくあることだ。

 「状況がまったくわからないのですが? そもそも精霊界こっちの情報を発信しているって伝えてます?」
 広告宣伝の専門家ではない私に相談しているアイリスもアイリスなのだが、精霊界には情報を広めるなどという仕事が存在しないらしいので仕方ない。
 「精霊界へ移住してみませんか? みたいな情報は流しているみたいなのだけど、すぐに消されちゃうらしいのよねぇ。何てことしてくれるのかしら、まったく」
 アイリスがむくれた。
 そうだとすると、精霊界に関する情報を見ることができる機会そのものが減っているのだろう。

 ちなみに私が人間だった頃の仕事は計測器の検査員だった。広告宣伝の分野は完全に門外漢である。
 「消されちゃうということは、誰かが精霊界への移住に関する情報を問題視している、って気がしますね。宣伝の場所を変えるとか、隠語を使うとかして情報を消されないようにした方がよさそうです」
 門外漢の考える対策などこんなものだ。

 「隠語? そうかぁ、それはいいわね。だったらアーベル、私が『意見ない?』って聞いたら、揺らぎが大きくなりそう、って意味だから」
 アイリスがいい顔をしてこちらをじっと見ている。これは構って欲しいサインの一つだ。
 そもそも構って欲しい状態が「揺らぎ」が大きくなりそうな状態らしいということはわかっているので、隠語を使う必要はないと思うのだが……
 「隠語、って精霊界への移住を表現する隠語ですよ? わかってやってますよね?」
 「うん、もちろん!」
 あざとく振る舞っているつもりなのか、両手を握って顎のあたりに当てながらアイリスが答えた。
 所長としての威厳はゼロだ。

 「おーい、『移住相談所』というのはここか? 客が来たぞ!」
 入口の方から怒鳴っているような声が聞こえてきた。
 経験上、自分で客という相談客にロクな者がいた例はないのだが、一度は相談客と会うのが「精霊界移住相談所」のモットーだ。
 所長のアイリスが入口に向かっていった。
 しばらくして上に上がっていく足音が聞こえたから、過去に出禁にした相談客ではないことがわかる。

 「何か雰囲気悪そうな客じゃなかった?」
 ユーリが心配そうな顔をしながら厨房から出てきた。
 「アイリスならこの手の輩も上手に料理するとは思うけど。いざとなったら魔法を使ってでも追い出すだろうし」
 何だかんだ言っても、相談経験の豊富なアイリスだ。
 厄介な相手でも何とかすると思うし、生身の人間が精霊のアイリスとやり合って勝てるとは思えない。
 妖精なら話は別だが、生身の人間が精霊に触れることはできないので、手の出しようがないからだ。
 一方、アイリスは生命を司る精霊ナイアスである。
 人間の生命を操るのはお手の物で、死なない程度に相手の生命の炎を弱めるなど、寝ぼけていても簡単にやってのけるはずだ。
 私としては、相談客の安全のためにも横柄な態度は厳に慎んでほしいと思っている。

 「そうね。私のカンが当たっているなら、痛めつけて追い出してほしいところだけど」
 こういう時のユーリは過激だ。
 魂霊になる人間に過激な者は少ないのだが、ユーリは少数派に属するのだろう。

 「責任者を出せ! 従業員の教育がなっていないぞ!」
 上から相談客の怒鳴り声が聞こえてきた。
 一階にはっきり聞こえてきたし、窓がビリビリ言っていたから、かなり大きな声だ。
 「ちょっと上を見てくる」
 アイリスなら心配は要らないとは思うが、やりすぎたらマズいので私は二階の応接室へと向かった。
 「アーベル!」
 「アーベルさま、気を付けて」
 後ろでユーリとリーゼが私を案じてくれたようだが、心配は要らないはずだ。

 「失礼します!」
 私が応接室に入ると、相談客が立ち上がって上からアイリスを怒鳴りつけていた。
 「お前が責任者か? 従業員教育がなってないぞ! だから移住者が集まらずこのように寂れていくのだ!」
 相談客は恰幅の良い初老の男性だ。
 この手の輩は指導とか支援とか称して、自分に都合のいい世界を造りたがることが多いと思う。

 「所長なら貴方の目の前に座っているこちらのアイリスです。お客様が大きな声を出されたので何が起きたのかと思って駆けつけてまいりましたが、ご不便などございましたでしょうか?」
 仕事でも外部からのクレーム処理などやったことがないから、この手の輩の相手は苦手なのだが、とりあえず状況を確認してみる。

 「何だと? 所長がこんなのだから成果が出ておらんのだ! 悪いことは言わない。私の指導を受ければ成果がついてくるのだ。今なら遅くない。改心して私の提案を受け入れるのが最善の道だぞ」
 相手はこちらを脅迫しているのか、それとも営業をかけているのかよくわからない様子だ。
 アイリスは冷ややかに相談客の方を見ている。いや、目の前にいるのは相談客でなくて悪意を売っている押し売りの類だな。

 「その手の話は間に合っているわよ。それと、こちらでの暮らしが知りたいなら体験させてあげるわ」
 アイリスは妖艶に微笑んだ後、指をパチンと鳴らした。
 すると、相談客、もとい悪意を売っている押し売りの姿は真っ白な箱に覆われた。
 あーあ、これはアイリスを完全に怒らせたな。

 「アーベルぅ、手伝ってくれる?」
 アイリスが可愛らしく? 私に頼んできたが、こちらとしては頭が痛い。
 「入口と裏の窓から投げ捨てるのはナシですよ」
 「じゃ、廊下の突き当りの窓からね。アーベル、反対側お願い」
 「準備できました。せーのっ!」
 アイリスと私とで白い箱を持ち上げて廊下の突き当りへと向かう。
 そして窓を開けて二人? がかりで箱を放り投げた。
 箱は音を立てて転がっていったが、中の人間に影響はないはずだ。

 アイリスが魔法で造り上げた箱は、精霊界の空間を魔法で存在界の空間に変換したものだ。
 中は真っ暗で何も見えず、何も聞こえないし、中に入っている者は浮遊感を覚えているはずだ。
 このような場所に閉じ込められれば、大抵の人間は気が狂ってしまう。
 魔法の持続時間は恐らく一日くらいだが、恐怖を味わうには十分すぎるはずだ。魔法が切れれば、無事外に出られる。
 多分この押し売りは二度とここへは来ないと思う。精霊界に移住しようとする人たちを阻止する側に回らないといいが。

 「アイリス、あの客、何をしたですか?」
 「移住情報の広告を見たらしいんだけど、こんな寂れたところじゃ人なんか来やしないから娯楽施設を作れとか、美男美女を並べて人を呼びこめとか言ってきたのよ。挙句の果てには自分は町おこしの専門家だから契約してアドバイスを受けろとか、って何言っているのよ、と思ったけどね」
 さすがにそんな話を持ちだしたらアイリスが怒るに決まっている。

 精霊界への移住は、本性をさらけ出せる相手を探している精霊と、その相手を未来永劫続ける人とのマッチングを意味している、と私は思う。
 精霊界は変化の少ない穏やかな世界だし、精霊は極端な変化をあまり得意としていない。
 存在界と比べれば「寂れた」世界である、という指摘はある意味正しい。
 ただ、この「寂れた」世界こそが精霊に合った世界なのだと思う。
 それを劇的に変えようとする人間は、精霊界への移住には向いていないと断言できる。

 「希望者が少ないのも困るけど、変な輩が相談に来るのも困るのよね。宣伝方法を変えた方がいいかしら?」
 アイリスが珍しく真剣に悩みだした。
 変な輩、にはいくつかパターンがある。
 今日のようにこちらが求めてもいないアドバイスを押し売りする輩。
 素敵な異性を自分の好きなようにできると勘違いしている輩、ってこれは自分も他人のことは言えないかもしれない。
 精霊界を自分好みの世界に作り替えようと企む輩。
 このあたりが主だったところだろうか。
 人間は絶対に精霊を傷つけることができないから、何をしようとすべて無駄なのだけど。

 「穏やかに、静かに暮らしたい人に刺さる内容にできるといいのですけどね」
 私にもこれくらいしか言えない。
 「精霊界移住相談所」からは常時百体近い精霊たちが妖精に姿を変えて、存在界で精霊界への移住の宣伝活動に従事している。
 彼らは存在界でネットや口コミなどを駆使しながら、精霊界での暮らしの情報を伝えたり、相談所の場所を広めたりしている。
 宣伝活動を担当している妖精たちは存在界では人間として暮らしており、会社などに所属して仕事に就いている者もいる。
 存在界の物を調達する資金や、宣伝活動に必要な資金は、このように存在界の会社で仕事をしている妖精たちの給与で賄われている。
 存在界では妖精たちも食べなければ生きていけないので、宣伝活動に必要な資金はカツカツだろう。

 「そうねぇ。でも、宣伝活動担当の精霊は、バタバタ動き回っているのも少なくないのよ」
 実情はアイリスの仰る通りで食費や住居費を節約するため、一日に数時間だけ存在界で宣伝活動をして終わったら精霊界に戻る、ということを毎日のように繰り返している精霊も少なくないのだ。
 一般的なサラリーマンほど忙しくはないと思うが、これでは精霊界の実情が半分も伝わらないような気がする。
 なかなか難しいものだ。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

せっかくのクラス転移だけども、俺はポテトチップスでも食べながらクラスメイトの冒険を見守りたいと思います

霖空
ファンタジー
クラス転移に巻き込まれてしまった主人公。 得た能力は悪くない……いや、むしろ、チートじみたものだった。 しかしながら、それ以上のデメリットもあり……。 傍観者にならざるをえない彼が傍観者するお話です。 基本的に、勇者や、影井くんを見守りつつ、ほのぼの?生活していきます。 が、そのうち、彼自身の物語も始まる予定です。

おじさんが異世界転移してしまった。

月見ひろっさん
ファンタジー
ひょんな事からゲーム異世界に転移してしまったおじさん、はたして、無事に帰還できるのだろうか? モンスターが蔓延る異世界で、様々な出会いと別れを経験し、おじさんはまた一つ、歳を重ねる。

いらないスキル買い取ります!スキル「買取」で異世界最強!

町島航太
ファンタジー
 ひょんな事から異世界に召喚された木村哲郎は、救世主として期待されたが、手に入れたスキルはまさかの「買取」。  ハズレと看做され、城を追い出された哲郎だったが、スキル「買取」は他人のスキルを買い取れるという優れ物であった。

チート幼女とSSSランク冒険者

紅 蓮也
ファンタジー
【更新休止中】 三十歳の誕生日に通り魔に刺され人生を終えた小鳥遊葵が 過去にも失敗しまくりの神様から異世界転生を頼まれる。 神様は自分が長々と語っていたからなのに、ある程度は魔法が使える体にしとく、無限収納もあげるといい、時間があまり無いからさっさと転生しちゃおっかと言いだし、転生のため光に包まれ意識が無くなる直前、神様から不安を感じさせる言葉が聞こえたが、どうする事もできない私はそのまま転生された。 目を開けると日本人の男女の顔があった。 転生から四年がたったある日、神様が現れ、異世界じゃなくて地球に転生させちゃったと・・・ 他の人を新たに異世界に転生させるのは無理だからと本来行くはずだった異世界に転移することに・・・ 転移するとそこは森の中でした。見たこともない魔獣に襲われているところを冒険者に助けられる。 そして転移により家族がいない葵は、冒険者になり助けてくれた冒険者たちと冒険したり、しなかったりする物語 ※この作品は小説家になろう様、カクヨム様、ノベルバ様、エブリスタ様でも掲載しています。

勇者召喚に巻き込まれ、異世界転移・貰えたスキルも鑑定だけ・・・・だけど、何かあるはず!

よっしぃ
ファンタジー
9月11日、12日、ファンタジー部門2位達成中です! 僕はもうすぐ25歳になる常山 順平 24歳。 つねやま  じゅんぺいと読む。 何処にでもいる普通のサラリーマン。 仕事帰りの電車で、吊革に捕まりうつらうつらしていると・・・・ 突然気分が悪くなり、倒れそうになる。 周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。 何が起こったか分からないまま、気を失う。 気が付けば電車ではなく、どこかの建物。 周りにも人が倒れている。 僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。 気が付けば誰かがしゃべってる。 どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。 そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。 想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。 どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。 一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・ ですが、ここで問題が。 スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・ より良いスキルは早い者勝ち。 我も我もと群がる人々。 そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。 僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。 気が付けば2人だけになっていて・・・・ スキルも2つしか残っていない。 一つは鑑定。 もう一つは家事全般。 両方とも微妙だ・・・・ 彼女の名は才村 友郁 さいむら ゆか。 23歳。 今年社会人になりたて。 取り残された2人が、すったもんだで生き残り、最終的には成り上がるお話。

日本帝国陸海軍 混成異世界根拠地隊

北鴨梨
ファンタジー
太平洋戦争も終盤に近付いた1944(昭和19)年末、日本海軍が特攻作戦のため終結させた南方の小規模な空母機動部隊、北方の輸送兼対潜掃討部隊、小笠原増援輸送部隊が突如として消失し、異世界へ転移した。米軍相手には苦戦続きの彼らが、航空戦力と火力、機動力を生かして他を圧倒し、図らずも異世界最強の軍隊となってしまい、その情勢に大きく関わって引っ掻き回すことになる。

異世界でお取り寄せ生活

マーチ・メイ
ファンタジー
異世界の魔力不足を補うため、年に数人が魔法を貰い渡り人として渡っていく、そんな世界である日、日本で普通に働いていた橋沼桜が選ばれた。 突然のことに驚く桜だったが、魔法を貰えると知りすぐさま快諾。 貰った魔法は、昔食べて美味しかったチョコレートをまた食べたいがためのお取り寄せ魔法。 意気揚々と異世界へ旅立ち、そして桜の異世界生活が始まる。 貰った魔法を満喫しつつ、異世界で知り合った人達と緩く、のんびりと異世界生活を楽しんでいたら、取り寄せ魔法でとんでもないことが起こり……!? そんな感じの話です。  のんびり緩い話が好きな人向け、恋愛要素は皆無です。 ※小説家になろう、カクヨムでも同時掲載しております。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...