精霊界移住相談カフェ「ケルークス」

空乃参三

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第一章

私(アーベル)の移住

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 「いろいろ考えましたが、私があなたのいる世界━━こちらでは存在界と呼んでいますが━━そこから永遠に消え去ることには変わりありません……」
 そう、精霊界への移住で最大のネックとなるのがこのことであった。
 精霊界へ移住する場合、存在界に私の死体は残らない。
 この状態で残された者たちがどう気持ちを整理するのか、というのは結構重い課題だと思う。

 「迷った挙句、私は弟にこう話しました。『最後に一人で旅行がしたい。途中で野垂れ死ぬかもしれないが、行かずに後悔だけして死ぬのだけは嫌だ』とね」
 「……弟さんはどう答えられたのでしょうか?」
 相談客の表情が険しくなった。
 さすがに最初からこの話は重すぎたかと思うが、私のことを話さなければならない以上、避けられないところだ。

 「最初は難色を示していましたけど、私が葬儀も墓もいらないと言ったら、最後には折れました。弟は『葬儀と墓無しでいいのなら、楽でいいか。行方不明になったら警察などが来るのが面倒だな』と言っていましたよ」
 「……そうでしたか。弟さんは今何を?」
 「精霊界こちらにいると存在界そちらの情報はほとんど入ってこないのです。まあ、今弟が生きていたら百歳を超えていますから、亡くなったと考えるのが自然だと思いますが……」
 「そんなになるのですね」

 その後のことを説明すると、次のようになる。

 医師から告げられた残り時間が三週間くらいになったある秋の日、私は家を出た。
 弟には前日の夜に「明日行ってくる」と連絡しておいた。

 天気の良い日だったので、スムーズに相談所まで行くことができるかと思ったが、それは甘かった。
 気分が優れないし、足が重い。
 しかし、周りからこちらの調子が悪いと思われると、病院に連れていかれる可能性があった。
 そこで私は、平静を装って空いている電車に乗り、座席に座った。

 乗った電車は相談所に向かうのとは違う方向だったのだが、調子が悪いのでやむを得なかった。
 相談所の方向に向かう電車が混んでいたのを今でも鮮明に覚えている。

 いったん乗った電車で終点まで移動し、少し休憩してから相談所へと向かった。
 この頃には電車は空きだしていて、何とか私も座ることができた。

 当時の相談所は今とは違う場所にあった。
 山の上にある神社の参道を途中で脇に逸れて藪の中を進んだ場所だった。
 私は休み休み参道の階段を登り、周囲に人がいないのを確認して脇に移動した。
 最後の方は這うような恰好になったが、何とか相談所にたどり着いた。

 そこでアイリスに移住を決めたと宣言し、書類にサインした。
 サインを確認したアイリスは、その場で私に魂霊になるための魔法をかけた。
 魔法は五、六分だったと思うが、実際の時間はわからない。
 それまで苦しかったのが嘘のように楽になった。
 それ以外に変わったのは、土や落ち葉で汚れていた服や身体がきれいになったことくらいだ。

 こうして私は存在界での五六年の生活を終え、精霊界に移住してきたのだ。

 「ありがとうございます、勉強になります」
 「いえいえ。あくまで私の経験ですので、他の者の話を聞いたら違う話が聞けるかもしれません」
 私の出番はこれで終わりのようで、アイリスの指示で応接室を後にした。

 「アーベルさま、お仕事終わったのでしょうか?」
 一階に降りて席に戻ると、本を閉じてリーゼが私に話しかけてきた。
 「ああ、終わった。本は読み終わったのかい?」
 「いえ、まだ途中です。アーベルさまが戻ってこられたので、気になって……」
 「まだここにいるから、続きを読んでも大丈夫だよ」
 「はい」
 リーゼが再び本を広げた。

 私が精霊界に移住してから、最初にパートナーとなる精霊と契約するまでには少し間がある。
 カーリンとリーゼの姉妹が私が最初に契約したパートナーなのだが、出会ったのは多分移住してから数年後だ。
 というのもアイリスが私の希望を聞いたり、私に合う精霊の属性を見極めるのに当時はそのくらいの時間が必要だったからだ。

 ユーリに飲み物のお代わりをもらって、気分を落ち着ける。
 しばらくすると、アイリスが相談を終えて奥の席へと戻ってきた。

 「今回の相談客は、意外に早くこっちに来そうかも。アーベル、気を付けておくこととかない?」
 「時間がないとかで急いでいる、といったような状況なのですか?」
 存在界での残された時間が短い者であれば、焦って判断を誤る可能性がある。

 「今すぐどうこう、ってのはないみたいだけどね。結構色々聞いてきたから、ちょっとテンポが早いかな、と思っただけ」
 「できるだけ多くの相談員に話をしてもらって、精霊界こっちの実情をよく知ってもらった方がよさそうな気がしますね。あまり情報量が多いと、かえって判断に迷ってしまうかもしれませんが」
 「なるほどね。私たち精霊が造っておいて言うのもアレだけど、人間ってのも厄介な存在よねー。迷ってばかりで決められないのはどうかと思うけど……」
 「確かにそうなのですが……不思議とイラっとしますね」
 さすがに先ほどのアイリスの発言はどうかと思った。
 人間を造ったのはアイリスだけの仕業ではないけど、彼女はかなり根元の方で関与していたはずだ。

 それだけではない、この発言、ある人物にとっては地雷なのだ。
 何度も踏んでいるくせに懲りないアイリスの神経がよくわからない。

 「……スミマセン。アーベルにそう言われるとグゥの音も出ないわぁ。ユーリぃ、お代わりちょうだい」
 アイリスがいじけてみせる。
 「……どうぞ」
 ユーリが無表情でアイリスのテーブルに飲み物のお代わりを置いた。

 「……あのー、ユーリさん。何かあった?」
 アイリスが恐る恐るユーリに声をかける。
 「……」
 ユーリは無表情だ。

 「アーベル、私、何かやった?」
 アイリスが額に脂汗を浮かべている。精霊でも汗はかくのだ。
 それにしても本人に自覚が無いとは……懲りないわけだ。

 「……んにしなさい」
 ユーリが地を這うような声を発した。

 「えっ?!」
 アイリスは私とユーリを交互に見やっている。

 「いい加減にしなさいっ! 私だって早く契約したいのよ! 珍しい属性が何よ! 私が何をしたっていうのよ……」
 ユーリが目に涙を浮かべながら叫んだ。
 「アーベルさま。ユーリ、泣いてる?」
 私の隣に座っているリーゼが小声で尋ねてきた。
 「うーん、本人が一番困っている問題なのに、アイリスが火に油を注いじゃったからなぁ……」

 ユーリは未だ契約する精霊を決めていないから、アイリスや「精霊界移住相談所」に関与している上位の精霊から早く契約相手を決めろとせっつかれている。
 アイリスには「ユーリは迷ってばかりで決められないんだから」としょっちゅうたしなめられているのだ。
 ユーリの側も八つ当たりの部分はあるのだけど、アイリスからもあまり相手候補を紹介されていないみたいなのだ。どっちもどっちだ。

 ただ、しょっちゅう決められないことをせっつかれている本人の前で「精霊が人間を迷って決められないように造った」などと言われてしまっては、文句の一つや二つ言いたくなるのは理解できる。だからこの件については、私はユーリを支持する。

 「アーベル、どう思う? 私だって、私だって早く契約しようとアイリスに色々相談しているのよ。それなのにアイリスったら……」
 ユーリが涙目で私に訴えてきた。

 「うーむ、さすがに今回のアイリスの発言は暴言だと思うな。人間を造り直せとは言わないけど、もうちょっと人間や魂霊の性質を考慮してもいいのじゃないか?」
 「ぐすっ、アーベル……そうだよね。私だって頑張っているんだからぁ」
 ユーリがまだ落ち着いていない。幸い客はリーゼだけだし、ここは仕事を放っても落ち着かせることを優先した方が良さそうだ。
 私はユーリをカウンターの向かいに座らせて休むように言った。

 「……アーベル、私を誘導した?」
 アイリスがユーリの方をチラっと見てから私の方に疑わし気な視線を向けてきた。
 情報量が多いとかえって判断に迷う、と言ったことを指摘しているのだろうか?
 「していません」
 私は一般論としての注意事項を説明しただけだ。

 「あー、もぅ。アーベルがいじめるよぉ! 私だって『揺らいじゃう』んだからぁ」
 今度はアイリスまでが涙で訴えてきた。
 これは失敗したかもしれない。
 「もともとはアイリスの失言でしょう! アーベルに甘えたってダメなものはダメなんだから!」
 ユーリがここぞとばかりにアイリスに突っ込んできた。

 「あーん、ユーリまでぇ! さっき泣いていたのは何なのよぉ!」
 アイリスも受けて立ちそうだ。これはまずい。

 その瞬間、私の左の袖がちょいちょいと引っ張られた。リーゼがいつの間にか本を閉じている。
 さすがにうるさいから本を読んでいられなくなったのだろう。
 「アーベルさま、いいですか?」
 「いいけど」
 「任せてください」
 リーゼがおもむろに立ち上がった。

 「「??」」

 「アイリス、ユーリ、うるさいです。お客が寄り付かなくなっちゃいます」
 静かに、そして鋭くそれだけ言い放った後、リーゼは外を指差した。
 そこには二体の精霊が入ってよいものかどうか逡巡している姿があった。

 「リーゼ、ゴメン! 行ってくる」
 ユーリが店の入口に向けて走った。

 「スミマセンでしたぁ!」
 アイリスはカウンターに這いつくばるようにして頭を下げた。
 
 リーゼは黙って座わると読書を再開したのだった。

 「いらっしゃいませ」
 その直後、ユーリに案内された二体の精霊が「ケルークス」の店内に入ってきた。
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