精霊界移住相談カフェ「ケルークス」

空乃参三

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第一章

「ケルークス」のもう一つの顔

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 カランカラン

 「ケルークス」の入口で来客を告げるベルが鳴った。
 実は「精霊界移住相談所」の建物には四ヶ所の入口がある。
 ひとつ目は相談者が訪れる正面玄関だ。
 正面玄関は存在界側にあり、扉と建物の間にカーテンのような大きな布がかかっている。
 この布は精霊界と存在界の境目を意味するものだ。
 存在界の人や物にこの布を被せると、存在界の住人からは布そのものや布で覆われたものや人が見えなくなるという効果があったりもする。

 残りの三つの入口は精霊界側にある。
 二つ目の入口は私のような相談員が使う通用口だ。
 門から見て左手奥にある入口で、「ケルークス」の店舗につながっている。
 私も通常はこの入口を利用する。

 三つ目は厨房の裏にある裏口だ。こちらは「ケルークス」のスタッフであるユーリやブリスが使う。

 最後の入口は、門を入ったすぐのところにあるガラスの扉だ。
 こちらは精霊界から「ケルークス」を訪れる客用の入口になる。
 扉が開閉されるたびにベルが鳴るのはこの扉だけなので、ベルの音は精霊界からの来客を意味する。

 「ユーリ、アンブロシア酒は入ったかい?」
 「そろそろ新しいのが入ってくると聞いたぞ」
 入ってきたのは二体の精霊だ。
 どちらも男性型で、一体は兜を抱えた甲冑姿だからデュラハンだろう。
 男性型とわかるのは、兜のバイザーを上げているのでその下の顔が見えるからだ。
 もう一体は背が低いひげもじゃのがっしりした体格を持つ精霊で、こちらはスプリガンだ。
 スプリガンの方はイーボルといって、私とは面識がある。

 「よく来たね。そろそろだと思っていたよ」
 イーボルとデュラハンを席に案内したのは、普段は厨房にいるブリスだ。
 デュラハンの方も彼の知り合いのようだ。

 「アンブロシア酒をふたつだ。それとカキノタネを大皿で頼む」
 「はいよ、ちょっと待っててくれよ」
 イーボルの注文を受けてブリスが厨房に戻っていった。

 カキノタネとはもちろん「柿の種」である。
 いま、精霊たちの間では大ブームになっているつまみのひとつだ。
 精霊たちの間では辛いスナックが大人気で、柿の種はその中でも最もポピュラーなものである。
 入荷が安定していて、存在界から持ち込んだつまみの中では安価なのもウケている理由だと思う。

 「アーベルも来ているのか。やはり良いアンブロシア酒がないとここの楽しみがなくなるからな。感謝するぜ」
 イーボルが私に気付いて声をかけてきた。
 「イーボルさん、感謝するならカーリンにですよ。彼女には伝えておきます」
 私は手を挙げてイーボルに応えた。
 一応相談員として待機中なので、彼らとは話だけ付き合うことにする。
 飲んでも魂霊は酔うことはないのだが、気分の問題だ。
 「ああ、そうしてくれ」

 「イーボルさんいらっしゃい。こちらの方は初めまして、かな? ごゆっくり」
 ユーリがイーボルのテーブルにやって来て彼らが注文した品物を置いていった。

 そして今度は私のいるカウンターの方にやってきた。
 「はい、アーベル」
 ユーリが私の前に冷たいウーロン茶を差し出した。
 先ほど店内で相談を受けたので、お代わりを持ってきてもらったのだ。

 「ありがとう。これからお客さんが来る感じかな?」
 「そうね。今日からアンブロシア酒を再開したし」
 ユーリによれば、ここ二日ばかりアンブロシア酒を出していなかったらしい。
 というのも前々回納品分が底をついており、前回納品分が「ケルークス」の空間に馴染んでいなかったからだ。
 アンブロシア酒を美味しくいただくためには、開封する場所に馴染ませる必要がある。
 前回納品分がようやく馴染んだので、六時間ばかり前に開封して販売を再開したのだそうだ。

 そういえば窓から外を見ると、「アンブロシア酒あります」の看板が出ているのが見えた。

 「なるほど……これは良い酒だ! 少しは気分が晴れるというものよ」
 後ろから大きな声がした。
 振り返ると、デュラハンが感心したようにグラスを見つめている。
 首のない甲冑の左手がグラスを掲げており、右手は柿の種をテーブルに置かれた兜の口の部分に運び込んでいる。
 デュラハンがこのような方法で飲食するというのを初めて知った。
 人間だったら食べたものがどこへ行くのだろうと気になるが、相手は精霊だ。特に不思議がる必要はないのだろうと思う。

 「ふむ……それはよいが、その反応だといささかお前さんが心配になるな、クサーファーよ」
 イーボルが難しい顔をしている。
 クサーファーというのがデュラハンの名前らしい。
 二体の様子から、クサーファーの状態が良くないように思われた。「揺らいで」いるのかもしれない。

 「アイリスよ、最近移住者の方はどうなのだ?」
 イーボルが今度はアイリスに向けて言った。
 「有望なのは何人かいるけど、今すぐってのは難しいわね。そこのデュラハンのお相手を捜すの?」
 「いや、我も揺らいでおるかもしれぬが、今すぐ相手が必要、という訳ではないぞ!」
 デュラハンがムキになって右手を横に振った。図星のような気がする。

 「デュラハンということは闇属性だから……そこでぼーっとしているコレットも闇属性は合いやすいのだけど、クサーファーとはちょっと違うわね……」
 アイリスが珍しく真剣な顔で考え込んだ。
 「今すぐ何かが起こる、というほど『揺らぎ』が大きい訳じゃないけど、これは定期的に診た方がいいわね」
 アイリスがクサーファーに向けて鋭く言い放った。
 クサーファーが固まったのを見て、不覚にも私は健康診断の数値を指摘する医師と患者みたいだと感じた。
 私も存在界に住んでいた頃は、この手の話で気分が落ち込むことがたびたびあったのだ。

 「アンブロシア酒を気に入っていただけたのなら、入荷のたびに飲みに来るというのはどうですか?」
 いたたまれなくなって、ついつい私も口を挟んでしまった。
 「そ、そうだな。この酒のためにここへ来る価値はある」
 「造り手を知っているので、いいファンが得られそうだ、と伝えておきますよ」
 「……ああ、よろしく頼む」
 これならクサーファーもこの店に来やすいだろう。カーリンに感謝だ。
 アイリスがグッジョブ! といわんばかりにサムズアップしたが、私としてはもうちょっと言葉に気を遣ってくれと言いたいところだ。

 さすがにデュラハンが溢壊などしたらとんでもない事態になる。アイリスもそれを理解しているからこそ、定期的に診る必要があると言っているのだ。
 デュラハンは生物の死を司る精霊だ。
 溢壊などしたら存在界に大量の死をばらまきかねない。
 逆に死のサイクルが狂うことで災厄が発生するかもしれない。
 どちらにせよ存在界にとってはいい迷惑でしかない。
 しばらくは様子を見る必要がありそうだ。

 カランカラン、カランカラン
 今度はたて続けに二組の客がやってきた。男性型が一体、女性型が四体だ。

 「あれ? こっちに来るなんて久しぶりじゃない?」
 「うん、キーンとする冷たいものが飲みたくなっちゃってね」
 「そういうの好きよね」
 「彼、変わっているからね。」
 「貴女に言われる筋合いはないと思うけど……存在界の変なモノばかり注文するのも変わっているわよ」

 今度の来店客は三体のグループと二体のグループなのだが、知り合いのようだ。
 三体のグループは見たことのない顔なので、このあたりの精霊ではないと思う。

 「アンブロシア酒が四つに、キンキンエール一つ、煉獄ポテチが二つにソフトのマナが一つですね? お待ちください!」
 ユーリが今来た二組の客の注文を受けて厨房へと向かった。
 どうやら一つのテーブルにまとまったようだ。

 カランカラン
 今度は一体のファウヌスが入ってきた。畑を司る地の精霊で、人の若い男性の姿をしている。
 「コレット、今日出勤なのか」
 「そーだよ。サミーはどうしたのー?」
 サミーと呼ばれたこのファウヌスはコレットの知り合いで、確か彼女の住処の近くに住んでいるはずだ。
 「シャルロッテ様が久しぶりに存在界の食べ物を食べたくなったそうで、皆でここに来ることになったのだ」
 「ってことは六席いるよねぇ。ユーリぃー」
 コレットがユーリを呼んだ。席を確保するのだろう。

 「ケルークス」の店内もだいぶ混みあってきた。
 アンブロシア酒が提供され始めると一気に混雑するそうだ。

 「アーベル、隣失礼するわね」
 アイリスがグラスを持って私の隣の席に移動してきた。
 「さすがに相談員が何席も占領するのはマズいですからね」
 「もうちょっとしたらコレットにもこっちに来るよう言った方がいいわね」
 コレットは二人用のテーブルを一人で占領しているが、まだ移動してくる気はないようだ。

 精霊界の来店客にとって「ケルークス」は食べ物や飲み物を楽しむ場であり、普段会わない者と顔を合わせる場でもある。

 「最初ユーリがカフェを作る、って言ったときはどうなるかと思ったけど、『揺らぎ』の進行を遅らせることができるのは助かるわね」
 アイリスが店内を見回した。
 契約した魂霊がいない精霊でも、他の精霊などと話したり遊んだりすれば、「揺らぎ」の進行を遅らせることができるのだ。

 「そうですね。移住者も増やす必要があると思いますけど……」
 精霊の「揺らぎ」を小さくするには魂霊とのコミュニケーションが必須なのだ。
 「だったら。アーベルもパートナーを増やさないとねぇ」
 アイリスの視線が急に妖しいものになった。墓穴を掘ったか。
 「……考えておきますよ」
 私はグラスに残っていたウーロン茶を一気に飲み干した。
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