精霊界移住相談カフェ「ケルークス」

空乃参三

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第一章

「精霊界移住相談所」と相談員

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 「アーベルさま、タイマーの残り時間が百時間を切りました……」
 カーリンのアンブロシア酒造りを手伝ってリビングに戻ってくると、リーゼがそう教えてくれた。
 ということは、前回出勤してから四日以上「ケルークス」に顔を出していないことになる。

 「ありがとう。なら、そろそろ私は出勤することにしよう。悪いけどリーゼ、メラニーとニーナを呼んできてくれるかな?」
 「はい、アーベルさま」
 リーゼは私に近づいてぺこりとお辞儀をしてから上の階に向かった。
 今、私の周りには他のパートナーがいないので、リーゼも遠慮なく私に近づいてこられるのだろう。

 私にくっついて離れないメラニーも、アンブロシア酒造りを手伝っている間は邪魔になることを知っている。
 だからこの間は自分の部屋に引っ込んでいるか、外の樹木の面倒を見ている。
 ニーナは家の中を掃除しているはずだ。
 カーリンは地下にある倉庫に荷物を下ろしてからリビングに来ると言っていたので、わざわざリーゼに呼びに行かせなくてもじきにリビングにやってくるはずだ。

 「アーベルさま、ニーナとメラニーを呼んできました」
 しばらくして、リーゼがリビングに戻ってきた。
 ニーナとメラニーの後ろから顔を出している。
 「アーベル、お仕事?」
 メラニーがそう尋ねながら私の左腕をがしっと抱いた。油断も隙もない。
 「うん、今回は納品じゃないからちょっと長めに仕事してくる。皆には悪いけど……」
 「いえ、わたくしたちにそんなお気遣いは無用に願います」
 折り目正しくニーナが答えた。彼女にはもう少しリラックスしてもらいたいところなのだが……

 「あら? みんな集まっているということは……アーベルさん、お仕事ですね?」
 地下から戻ってきたカーリンがリビングの様子を見て私が出勤を決めたことに気付いた。
 「タイマーの残り時間が百時間を切ったのでね、行ってくるよ。リーゼ、新刊が入っているかは調べてくるから。他の皆からは何かない?」
 リーゼからの頼み以外、他のパートナーからは特に注文はないようだ。
 今回は全員に見送られて私は家を出た。

 「こんにちは、失礼します」
 入口から挨拶しながら店内に入る。
 「あ、アーベルね。アンブロシア酒が結構出ているわ」
 ユーリが私に気付いて声をかけてきた。
 「カーリンが造る量を増やすのにチャレンジしているけど、うまくいったら増やした分も持ってこようか?」
 「是非! 評判いいのよ、カーリンのアンブロシア酒は。最近空になるのが早いから量を増やしてもらえるのは助かるわ」
 ユーリも喜んでくれたようで何よりだ。カーリンには良い報告ができそうだ。

 「アーベルは五日ぶりか。これだけ間隔が開くのは珍しいな」
 そう声をかけてきたのは相談員のフランシスだ。
 前回私が出勤したとき、彼は私が退勤する直前に出勤してきた。
 彼は頻繁に出勤してくるが、ここに滞在している時間は短めというタイプだ。

 「アーベルかぁ、おはよお~」
 眠くなりそうな声で挨拶をしてきたのはコレット。
 彼女も「精霊界移住相談所」の相談員だ。
 彼女や私のような魂霊は睡眠不要なのだが、彼女はいつも眠そうにしているから不思議だ。
 そういう私も眠るのは嫌いではないのだが。

 「アイリスがいない、ということはお客さんが来ているのかな?」
 「ああ、年配の女性が来ている。かなりの重装備だったのだが……」
 フランシスが不思議そうな顔をしていた。
 「ケルークス」の存在界側の入口はハイキングコースから外れた場所にあるから、相談に来るならそれなりの恰好で来る必要がある。

 そのことをフランシスに伝えると、
 「テントが入りそうなくらいバカでかいリュックを背負っていたのさ。さすがにここでは重装備すぎる」
 と一蹴された。
 私には登山の知識がないし、問題となっている客の姿を見ていないから、素直にフランシスに降参を伝えた。

 三人も相談員がいるとなると私が呼ばれる可能性は低そうだな、と思った。
 案の定しばらくしてアイリスが相談員を呼びに来たが、彼女が指名したのはフランシスだった。

 「アーベル、これ知ってる?」
 ユーリが私に茶色い長さ一五センチくらいの角ばった棒を差し出した。
 「麩菓子、か。どうしたんだい?」
 そう、ユーリが差し出したのは駄菓子屋などで売っている麩菓子だった。
 魂霊となった今、そのままでは私が食べることができないが、精霊が魔法をかければ私でも食べられるようになる。
 ユーリによれば差し出されたものにはアイリスが魔法をかけて、精霊や魂霊が食べられるようにしたそうだ。
 「出張していたイサベルが面白がって持って帰ってきたのよ。これはお代要らないからどうぞ」
 「なら遠慮なく」

 麩菓子を食べるのは久しぶりだ。
 前回がいつだったのか、かなり前過ぎて覚えてすらいない。
 それもそのはずで、前回これを口にしたのは私がまだ存在界に住んでいたとき、それも大人になる前の話だったからだ。

 イサベルの名前を聞いて、不意に私はあることを思い出した。
 「そういえば、新しい本は入っているかな?」
 「近いうちにザカリーが出張から帰ってくるから、そのときに持ってくると思う」
 リーゼに新しい本を持っていくのは次回かその次に出勤したときになりそうだ。

 「コレット、起きなさい! これあげるから!」
 ユーリが大量の麩菓子が入った袋でぱこーんとコレットの後頭部を叩いた。
 もちろん、これくらいで痛みを感じることはないし、そもそも魂霊は怪我をしない。

 「うぅ……あと五時間、いや五〇時間……」
 後頭部を押さえながらコレットがうめいた。
 五〇時間は滞在時間の限界を超えてしまうから無理だろうと思うのだが……そもそも睡眠不要の魂霊がどうしてここまで眠りたがるのだろうか?

 「お客がいるのに寝ていたらマズいでしょう! アーベルと話でもしていなさい!」
 「ふぁい」
 ユーリに怒られてコレットが渋々テーブルから顔を上げた。

 「冷たい飲み物でも飲んだらどうかな?」
 「私ぃ~、アイスコーヒー飲んでいるんだけどねぇ~。ふぁぁ」
 コレットが欠伸した。
 冷たい飲み物は魂霊でも目が覚める気分になるが、さすがにカフェインで目が覚めるかどうかは私にはわからない。

 「そういえばぁ~、相談員ってもっと増やせないのかなぁ。そうすれば私のローテが減るのに~。ずず~っ」
 コレットが眠そうな様子でストローに口をつけた。

 「魂霊の数が少ないからな。それでも『ケルークスうち』は相談所の中で一番相談員が多いはずなのだが」
 「へ? そうだったっけ?」
 コレットが驚いていたが、「ケルークス」は現在ある「精霊界移住相談所」の中で抱えている相談員がもっとも多い。

 現在こうした「精霊界移住相談所」は全部で一〇ヶ所ばかりある。
 他の相談所が抱えている相談員の数は三体から五体前後だ。
 相談員になれるのは人間を魂霊に変える能力を持った精霊か、存在界から移住してきた魂霊に限られる。
 これが相談員の数が少ない最大の理由だ。

 「そういえば、今の相談員のしくみってアーベルが考えたのでしょう?」
 油断していると寝そうなコレットを見かねてか、ユーリが会話に割り込んできた。
 「考えたというのは大げさだなぁ。魂霊になった時に思いつきをアイリスに話しただけなのだけど……」

 実は私が精霊界に移住した際、アイリスから移住者が少ないと愚痴られた。
 そこで私は「実際に住んでいる人の話を聞けないと情報が少なすぎて移住の判断がつきにくいから、移住者の話を聞けるようにした方がいい」と言ってやった。
 そうしたら、いつの間にかアイリスが裏であちこちに手を回して移住者を相談員として「精霊界移住相談所」に配置できるようにしてしまった。
 幸か不幸か私はアイリスの下で移住者としての相談員第一号にされてしまったのだ。

 「まあ私は、好きなだけ寝られるって話をするのは楽しいからいいけどね~」
 コレットがくにゃくにゃしながらつぶやいた。

 私も他人のことを言えた立場ではないが、コレットの話を聞くと私たち相談員の存在は移住希望者に役に立っているのかちょっと不安になってきた。
 恐らく彼女は相談客の前でもこの調子なのだろうから。

 ただ、アイリスが言うには「移住者が増えてはいるし、移住の決断までにかかる時間も短くなっている」らしいのだけど、これもアイリスの話だからなぁ……
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