ストランディング・ワールド(Stranding World) ~不時着した宇宙ステーションが拓いた地にて兄を探す~

空乃参三

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第九章

424:旅立ちのとき

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「ユニヴァースさん、僕、外へ出ていますから」
 セスが車椅子でユニヴァースの館を出て行った。
 車椅子がゆっくりと、「はじまりの丘」への道を進んでいく。
 ここへ来た直後はそれほど苦にならなかった道も、今は道が平らになっているところで休憩を取らないとてっぺんまで上りきれないようになっている。

 (もう、そろそろだね……)
 セスはおぼろげながらも自分の身に近いうちに訪れるであろう出来事を理解していた。
 怖くないといえば嘘になるが、それだけではない。
 ECN社を出発する前日、デザートのときのワインを口に含んだ感覚━━
 セスの記憶にはそれが克明に残されている。
 セスはなぜか、その感覚こそが彼の身に近いうちに訪れるであろう出来事と似たようなものであるという確信を持っていた。
 それならば、それほど悪いことじゃないとセスは思っている。
 また、兄が生きているうちに直接面と向かって話すことができなかった。
 「その時」が訪れれば、それが可能になる。
 
 このところは好天に恵まれていた。
 このためセスは「はじまりの丘」にある彼の兄が眠る墓の前で過ごすのを日課としていた。
 兄の墓と向き合い、兄と対話する━━
 今のセスにはそれで十分であった。

 たっぷりと時間をかけて兄の墓の前にたどり着く。
 息は上がり、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
 秋の日差しは穏やかで、時折吹く風が心地よい。
 息を整えてからセスはポケットから記録ディスクと古びた写真を取り出した。
 ウォーリーの墓は東側、すなわちドガン山脈側を向くように建てられている。
 彼が目指した島の東部を見つめることができるように。

 (ロビーは今、どのあたりにいるだろうか?)
 セスが親友の行った先の方角を見つめる。
 彼らが「はじまりの丘」を出発してから、もうすぐ五週間になろうとしている。
 順調に進んでいれば、そろそろドガン山脈を構成するいずれかの山の麓あたりに到達しているはずだ。
 彼らとの連絡手段はなく、彼らが出発してからは一度も言葉を交わしたことはない。
 ただ、ロビーなら絶対にやってのける、という確信めいたものがセスの心のどこかにあった。

 一方、ECN社本社からは先日連絡があった。
 補給物資を届けるための第二隊が出発したとのことであった。
 隊のメンバーには誰一人としてセスの知っている名前はない。
 ただし、「はじまりの丘」まではこのプロジェクトの責任者であるエリック・モトムラが同行するとのことである。
 セスは必ずしもエリックと親しいわけではなかった。
 それでも知った顔がこの地を訪れるのは、喜ばしいことであった。
 セスの視線の遥か先にはドガン山脈の山々の白い頂が見える。
 それらは万年雪に覆われた閉ざされた山々だと聞いている。
 だが、そこへ行って帰ってきた者はまだないのだ。
 どこかに人が通ることができる道だってあるかもしれない。
 ロビーなら間違いなくそれを見つけてくるだろう。
 不意にセスの視線の先で何かが光ったように見えた。
 (あのあたりにいるのだろうか……?)
 それは幻であったかもしれない。
 しかし、セスにはそれが間違いなくロビーたちの存在の証であるように思われた。

 セスが視線を兄の墓へと戻す。
「ロビーたちは順調みたい。
 それと、あと二週間もすれば兄さんの部下だったモトムラマネージャーがここへくるみたい。
 モトムラさんはここへ来たことがなかったから、一度ここへ挨拶にきてもらったほうがいいよね?」
 セスの問いかけに対する答えはない。
 それでもセスは構わず問いかけを続ける。
「ミヤハラ社長やサクライ副社長にもいずれ、ここへ挨拶に来てもらわないとね。
 二人とも出不精だから、何て言って来てもらったらいいかな?」
 
 日が高くなり、セスの右頬を斜め上から穏やかに照らしている。
 いつしかセスの左肩には一羽の小鳥が止まっていた。
 かつて、セスが「フジミの大虐殺」の間の手から逃れてきたとき、この地で放したのと同じ種類の鳥である。
 セスは小鳥に構うことなく兄との対話を続けている。
「もう少しでお昼だね。食事を出しておくよ」
 そう言ってセスは車椅子の後ろにぶら下げていた籠を兄の墓の前へと差し出した。
 セスも籠からパンと飲み物を手に取り、それらを口に含んだ。
 そしてパンの欠片を右手の掌にのせ、左肩の方に差し出す。
 肩に止まった小鳥は、警戒することなくパンの欠片をついばんだ。
 食事を終えると、しばしの間、セスはまどろんだ。
 秋の風が頬に心地よい。
 風に身を委ねるように、車椅子によりかかる。
 目の前が白くなり、穏やかな空気が彼を包み込む。
 ふわふわとして、いい気持ちだな……
 セスは空気の心地よさに身を任せた。
 (ロビー、島の東はどうなっていた?
 ここのような、心地よい空気に包まれている場所だった?)
 答えはなかった。
 (ロビー、報告はしっかり頼むよ。兄やイナ社長が心待ちにしているはずだからね。
 僕も楽しみに待っているよ)
 不意に意識が戻る。
 目の前には先ほどと変わりない、兄が眠る墓があった。
「兄さん、もうちょっと待っていてください。ロビーが近いうちに探索の報告に来ます。そのとき、島の東がどうだったか、すべてがわかると思う」
 セスは遥か先の山々へと目をやった。
 ふと山々の隙間にうっすらとした道のようなものが見えた気がした。
 (ロビー、あそこだ! あそこに道がある!
 あの道を越えていけば、簡単に向こう側に抜けられるかもしれない!)
 更に目を凝らすと、今度は微かに緑色の線が見えた気がした。
 (もしかしたら、あれが東側だろうか……?)

 目を凝らしたことで、少し疲れたようだ。
 セスは再び目を閉じ、心地よい風に身を任せた。
 その表情は、あらゆる苦しみや不安から解放されたかのように穏やかであった。
 秋の日差しがセスの頬を照らす。
 陽はまだまだ高く、その光は暖かである。
 不意にセスの左肩に止まっていた小鳥が飛び立った。
 上空にはもう一羽の小鳥がそれを待つかのように旋回していた。
 旋回していた小鳥は飛び立った小鳥と上空で合流した。
 そして二羽は何処かへと飛び去っていった。

 セスは穏やかな表情で目を閉じている。
 その頬は、うっすらと白く照らされている。暖かい光だ。
 穏やかな風が近くの木の葉を舞い上げた。
 舞い上げられた木の葉がセスの頬を優しく撫でていった……
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