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第九章
420:引き継がれた意志と遺志
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レイカの言葉を信じてロビーとセスがグラスの中の液体を少し、口に含んだ。
口の中で甘酸っぱい香りが霧のように広がって、鼻を刺激する。
広がった香りは、まるで天を埋め尽くす星々が瞬くように穏やかに舌を刺激する。
次第に目の前が白くなってきた。
周りの音は聞こえない。
口の中に広がった心地よい霧は、まるで彼等の五感を支配するかのようであった。
すでに時の感覚はない。
(これは一体……?)
セスにはこれが生まれてこの方感じたことのない感覚であるかのように思えてきた。
ロビーについても同じである。
舌を刺激する心地よい甘酸っぱさは、未だ衰えようとはしない。
いや、徐々に弱まっているのだが、ワインが圧倒的な支配力を持っているのか、ワインの感覚がなくなるまでは、相当な時間を要するように思われた。
既に目の前は真っ白で、周囲の様子はわからなくなっている。
不意に肩が揺さぶられる。
「おい! どうしたっていうんだ?」
その声の直後、口の中の心地よい霧は広がって消えていった。最後に喉への心地よい刺激を残して。
慌ててセスが目を開いて振り向く。どうやら目を閉じてしまっていたらしい。
「おい、何やっているんだ?!」
声の主はサクライだった。
セスは飲んでみればわかる、とばかりにサクライに向かってうなずいてみせる。
「すげえなぁ……一歩間違えれば、こりゃ麻薬だぜ……」
ロビーは感心した様子だ。
すると、レイカが瓶をグラスに持ち替えて中の液体を示してみせた。
「私もこのワインは一度試飲しただけなのですが、今のタカミ君やクルス君みたいに、しばらくこのワインの世界に閉じ込められてしまいました。それほどのものなのです。
これほどの甘味と酸味があればフルーツタルトにも味で負けませんから、安心してデザートと一緒に楽しんでください。
このワインですけど、健康な葡萄が熟した直後に冬の寒さが訪れないと、ここまで綺麗に仕上がりません。不健康な葡萄ですと、どうしても余計な味がついてしまいますし、葡萄が熟さなければ、酸っぱいだけのワインになってしまいます」
レイカがグラスの中の液体を口に含んだのを見て、他の者もそれに続く。
その直後、テーブルから言葉が消えた。
ワインの持つ圧倒的な支配力に、皆が屈した瞬間であったかもしれない。
メイの目の前も白くなる。
彼女が感じている感覚はセスが感じたものに似ていたが、セスとは異なり、彼女にはこの感覚に覚えがある。
それは彼女が母親のもとで暮らしていた幼少の頃、自由に空想を張り巡らせていたときに感じたものと酷似していた。
(社長……)
不意に彼女の口から言葉が漏れた。
それはかなり小さいもので、他の誰にも聞き取れなかったに違いない。
彼女が成長するに連れて、母は徐々に厳しさを増していった。
教師であった彼女の母は団体行動が取れない娘に対し厳しく当たったのだ。
それが徐々に彼女を追い詰めていった。
それでも母親のもとを離れられない、彼女はそういう少女であった。
そして八年前、彼女は母親の自殺という形で母親のもとを離れることになる。
先ほど口に出たのは、あるときから彼女が常に心の支えとしていた人物の名だった。
(社長……私……見てきますね、東に何があるかを……)
「……すごいな、おい」
ミヤハラが他に言い表しようがない、という様子でワインを評価した。
「そうですね、ケーキと一緒に飲んでも全然負けませんね」
サクライも感心していた。
「それにしてもイナの奴……どこでこんなものを知ったんだ? あの野郎」
ミヤハラは未だ帰らぬ親友に向かってそう文句を言ってみせた。
セスはグラスの中の液体をほんの少し、持っていた封筒に垂らした。
中には荼毘に付されたウォーリーの遺骨の欠片が入れられていた。
※※
宴から三日後のLH五一年八月一日、この日は「東部探索隊」がECN社本社のあるハモネスを出発する日でもあった。
チームマネージャー以上の社員と隊のメンバーが本社大会議室に集められ、出発式が行われた。
式は極めて形式的に行われた。
これは形だけ整っていれば十分とミヤハラが判断した結果だった。
その後、メンバーは社長室に集められ、ミヤハラから激励の言葉をかけられた。
社長室には他にサクライとレイカとモリタの姿もあった。
「僕は行くことができないけど、気をつけて」
モリタがセスとロビーに声をかけた。
これがセスとの今生の別れになるであろうことを、モリタはいまだ知らない。
知っていたところで、彼の反応が変わったとは思えなかったが、あえて知らせる者もなかった。
「まあ、頑張ってくれ」
サクライは、そう声をかけたのち、一人一人の肩を軽く叩いた。
「私は社に残って頑張るから、皆も気をつけてね」
今度はレイカだ。
カネサキとオオイダが、まかせておけと言わんばかりにうなずいてみせた。
「先生に危ないことはさせられないからね」
カネサキはそう言ってレイカの前で親指を立ててみせる。
「あんまりしんみりさせないでくれ。たかが半年かそこらだろうが、縁起でもない、行くぞ!」
ロビーの言葉に他の隊員が続く。
隊に参加しない者にとっては、これがセスとの今生の別れになるであろう。
しかし、今は、少しでも早く前に進むしかなかった。
可能であれば、東部の探索を終えて、生きているセスにその結果を伝えたい。
その気持ちがロビーを急がせる。
ミヤハラ、サクライ、モリタは本社に残った。
一方、レイカとエリックが「はじまりの丘」に向かう街道まで隊と一緒に歩いた。
街道に入ったところで、レイカとエリックが隊から離れた。
ロビーとセスが二人に手を振った。
そして、隊のメンバーがあらかじめ決められた位置へ℃移動する。
隊の先頭はロビーとアイネスである。
セスと物資を運ぶためのソリを二人で引いている。
ソリの後ろにカネサキとオオイダが付いてセスを気遣っている。
その後ろにコナカ、コナカの後ろにメイ、そして最後尾はホンゴウである。
ここから「はじまりの丘」まで、八人での短い旅が始まる……
口の中で甘酸っぱい香りが霧のように広がって、鼻を刺激する。
広がった香りは、まるで天を埋め尽くす星々が瞬くように穏やかに舌を刺激する。
次第に目の前が白くなってきた。
周りの音は聞こえない。
口の中に広がった心地よい霧は、まるで彼等の五感を支配するかのようであった。
すでに時の感覚はない。
(これは一体……?)
セスにはこれが生まれてこの方感じたことのない感覚であるかのように思えてきた。
ロビーについても同じである。
舌を刺激する心地よい甘酸っぱさは、未だ衰えようとはしない。
いや、徐々に弱まっているのだが、ワインが圧倒的な支配力を持っているのか、ワインの感覚がなくなるまでは、相当な時間を要するように思われた。
既に目の前は真っ白で、周囲の様子はわからなくなっている。
不意に肩が揺さぶられる。
「おい! どうしたっていうんだ?」
その声の直後、口の中の心地よい霧は広がって消えていった。最後に喉への心地よい刺激を残して。
慌ててセスが目を開いて振り向く。どうやら目を閉じてしまっていたらしい。
「おい、何やっているんだ?!」
声の主はサクライだった。
セスは飲んでみればわかる、とばかりにサクライに向かってうなずいてみせる。
「すげえなぁ……一歩間違えれば、こりゃ麻薬だぜ……」
ロビーは感心した様子だ。
すると、レイカが瓶をグラスに持ち替えて中の液体を示してみせた。
「私もこのワインは一度試飲しただけなのですが、今のタカミ君やクルス君みたいに、しばらくこのワインの世界に閉じ込められてしまいました。それほどのものなのです。
これほどの甘味と酸味があればフルーツタルトにも味で負けませんから、安心してデザートと一緒に楽しんでください。
このワインですけど、健康な葡萄が熟した直後に冬の寒さが訪れないと、ここまで綺麗に仕上がりません。不健康な葡萄ですと、どうしても余計な味がついてしまいますし、葡萄が熟さなければ、酸っぱいだけのワインになってしまいます」
レイカがグラスの中の液体を口に含んだのを見て、他の者もそれに続く。
その直後、テーブルから言葉が消えた。
ワインの持つ圧倒的な支配力に、皆が屈した瞬間であったかもしれない。
メイの目の前も白くなる。
彼女が感じている感覚はセスが感じたものに似ていたが、セスとは異なり、彼女にはこの感覚に覚えがある。
それは彼女が母親のもとで暮らしていた幼少の頃、自由に空想を張り巡らせていたときに感じたものと酷似していた。
(社長……)
不意に彼女の口から言葉が漏れた。
それはかなり小さいもので、他の誰にも聞き取れなかったに違いない。
彼女が成長するに連れて、母は徐々に厳しさを増していった。
教師であった彼女の母は団体行動が取れない娘に対し厳しく当たったのだ。
それが徐々に彼女を追い詰めていった。
それでも母親のもとを離れられない、彼女はそういう少女であった。
そして八年前、彼女は母親の自殺という形で母親のもとを離れることになる。
先ほど口に出たのは、あるときから彼女が常に心の支えとしていた人物の名だった。
(社長……私……見てきますね、東に何があるかを……)
「……すごいな、おい」
ミヤハラが他に言い表しようがない、という様子でワインを評価した。
「そうですね、ケーキと一緒に飲んでも全然負けませんね」
サクライも感心していた。
「それにしてもイナの奴……どこでこんなものを知ったんだ? あの野郎」
ミヤハラは未だ帰らぬ親友に向かってそう文句を言ってみせた。
セスはグラスの中の液体をほんの少し、持っていた封筒に垂らした。
中には荼毘に付されたウォーリーの遺骨の欠片が入れられていた。
※※
宴から三日後のLH五一年八月一日、この日は「東部探索隊」がECN社本社のあるハモネスを出発する日でもあった。
チームマネージャー以上の社員と隊のメンバーが本社大会議室に集められ、出発式が行われた。
式は極めて形式的に行われた。
これは形だけ整っていれば十分とミヤハラが判断した結果だった。
その後、メンバーは社長室に集められ、ミヤハラから激励の言葉をかけられた。
社長室には他にサクライとレイカとモリタの姿もあった。
「僕は行くことができないけど、気をつけて」
モリタがセスとロビーに声をかけた。
これがセスとの今生の別れになるであろうことを、モリタはいまだ知らない。
知っていたところで、彼の反応が変わったとは思えなかったが、あえて知らせる者もなかった。
「まあ、頑張ってくれ」
サクライは、そう声をかけたのち、一人一人の肩を軽く叩いた。
「私は社に残って頑張るから、皆も気をつけてね」
今度はレイカだ。
カネサキとオオイダが、まかせておけと言わんばかりにうなずいてみせた。
「先生に危ないことはさせられないからね」
カネサキはそう言ってレイカの前で親指を立ててみせる。
「あんまりしんみりさせないでくれ。たかが半年かそこらだろうが、縁起でもない、行くぞ!」
ロビーの言葉に他の隊員が続く。
隊に参加しない者にとっては、これがセスとの今生の別れになるであろう。
しかし、今は、少しでも早く前に進むしかなかった。
可能であれば、東部の探索を終えて、生きているセスにその結果を伝えたい。
その気持ちがロビーを急がせる。
ミヤハラ、サクライ、モリタは本社に残った。
一方、レイカとエリックが「はじまりの丘」に向かう街道まで隊と一緒に歩いた。
街道に入ったところで、レイカとエリックが隊から離れた。
ロビーとセスが二人に手を振った。
そして、隊のメンバーがあらかじめ決められた位置へ℃移動する。
隊の先頭はロビーとアイネスである。
セスと物資を運ぶためのソリを二人で引いている。
ソリの後ろにカネサキとオオイダが付いてセスを気遣っている。
その後ろにコナカ、コナカの後ろにメイ、そして最後尾はホンゴウである。
ここから「はじまりの丘」まで、八人での短い旅が始まる……
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