ストランディング・ワールド(Stranding World) ~不時着した宇宙ステーションが拓いた地にて兄を探す~

空乃参三

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第八章

330:カミングアウト

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 四月二四日、ハドリの率いる部隊は未だインデストの西約一二〇キロの地点に留まっていた。風雨がひどく、部隊を進めるのが困難だったためだ。
「OP社、未だ姿を見せず」との報告を受けたウォーリーは、わかった、と答えただけで椅子に腰掛けた。
 この朝、ウォーリーはメディットからの極秘通信で自らの身体の異状について聞かされた。
 アイネスの診断によれば、身体の各所で酸素吸収に異状が出ているとのことであった。特に深刻なのが脳である。
 ウォーリーには知らされていなかったが、この症状はセスが抱えているものとよく似ている。しかし、彼の場合はセスのように短時間で急速に酸素交換反応に異変が起きるという症状が出ているわけではない。
 ウォーリーの場合は酸素交換反応がゆっくりと弱まり、その状態が長く続く、という症状であった。このため、異状がそれほど大きくならない代わりに症状が長く続く傾向があるようだった。
 どちらにせよインデストでは治療ができず、放置しておけば生命に関わる、とアイネスに伝えられた。今でも死に至るリスクがあり、時間が経てば経つほど、その危険は大きくなる、とも釘を刺された。

 (とにかく気合で持たせるとして、ハドリの奴を早いところ倒すなり考えを変えさせるなりしなければならないな……)
 すぐに治療に行けない以上、目の前に対処すべき事柄があるのは、ウォーリーにとって幸いだった。
 彼は怖いもの知らずといわれるし、精神力もかなり強靭ではある。
 しかし、現在彼に迫っている生命の危機はかなり深刻なものだ。それを知ってまったく動揺しないとしたら、それは神経のネジが数十本ほどまとめて外れているか、人類とは異なる精神構造を持つ者であろう。その意味では、ウォーリーは人間らしい精神を持った青年である。
 目の前の敵に集中することで生命の危機から意識を逸らすことはできる。
 ただ、万が一、ということもある。その場合に備える必要はあるだろう。

 ウォーリーは唯一彼に同行させている「タブーなきエンジニア集団」の幹部、エリック・モトムラを呼んだ。
 しばらくしてエリックが現れると、ウォーリーはエリックを連れて自分の執務室へと移動する。ここインデストだけでも支持者が一万を軽く超えると言われている「タブーなきエンジニア集団」のトップに個室のひとつもないというのはあんまりだ、ということでサン・アカシがウォーリー専用の部屋を提供したのだ。

 ウォーリーは執務室に入ると、鍵をかけ、いつもとはうって変わった小さな声でエリックに話しかけた。
「エリック……これから話すことは、誰にも話すな。いいか?」
 ウォーリーの真剣な表情にエリックはただうなずくだけだった。
「誰にも、というのはミヤハラやサクライにも、ということだ。いずれ奴等には話さなければならんが、今は通信回線を通して話すしかないからな、他人に聞かれる恐れがある」
 ウォーリーの声は喉から無理矢理絞り出すような調子だった。
 エリックの知っているウォーリーの発声ではない。その言葉や表情からも、並々ならぬ事態であることがエリックにも感じられる。
 エリックはあまり気の大きいほうではない。
 根拠もなく、ウォーリーの身に何かあったのではないか、と思い浮かべてしまう。そして、エリックの想像は悪い意味で的中してしまうのだ。
「……エリック、実はな……こういうことだ」
 更に声のトーンを落としてウォーリーが言った。近くにいるエリックが辛うじて聞き取れるくらいの声だった。
 ウォーリーがテーブルの上にあった紙を一枚引き寄せてペンを走らせる。
「どうも身体の状態が悪いらしい。詳しいことはメディットに行かないとわからんが、いつ倒れても不思議ではないらしい」
 エリックはお世辞にも綺麗とはいえないウォーリーのメモを見ながら、神妙な面持ちでうなずいた。
 ウォーリーは二枚目の紙を引き寄せて、続けてペンを走らせる。
「俺の身に何かあったら、当面はお前が指揮を執れ、以上」
 エリックは、自らが受けた衝撃があまりにも大きかったのか、表情の選択に困った顔をしている。
 ウォーリーは普段滅多に見せない真剣な表情で、そういうことだ、とうなずく。
 エリックはウォーリーに促されて部屋の外へ出た。

 (今、俺が倒れれば「タブーなきエンジニア集団」もアカシのところも動揺する……
 俺の状況が知れても同じことだろう。ミヤハラとサクライにはいずれ伝える必要があるだろうが、今は無理だ……
 早急に治療さえ受けられれば、こんなもん、どうにでもなるというのに!
 まったく、肝心なときに身体がおかしくなるなんてどうなっているんだ!)
 ウォーリーが手にしていたペンを壁に向けて投げつける。
 ペンは彼の精神のごとくまっすぐ飛んでいき、壁に垂直に突き刺さる。
 (俺は自分の身体にも、ハドリにも負ける訳にはいかねぇんだ!
 これしきの敵に負けるくらいならば、俺のこれから先の人生に勝利などない!)
 今度は壁に拳を叩きつける。
 手の甲の皮膚が切れて血が流れるが、彼は意に介さなかった。
 (まずは己の身体に勝つ!)
 ウォーリーは医師から出された薬の袋を手にすると、乱暴にその封を破き、中味を喉に無理矢理流し込んだ。
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