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第七章
307:社長秘書の旅立ち
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一方、自室に取り残されたメイが目を覚ましたのは、日も高くなった頃だった。
一緒に居たはずのオイゲンの姿は既にない。
メイは知らなかったが、オイゲンは既にOP社に向けて出発してしまった後だった。
彼女は自らの存在が陽炎のように薄れ、消えていくような感覚に襲われた。
(私はもう、無くなってしまうのかもしれない……
誰にも知られず、ただ一人で水が蒸発していくかのように薄れ、消えていくんだ……)
自らの存在を受け入れてくれた上司の姿はもうない。
彼女にとってオイゲンの存在は、あてもなく漂う空気のような存在を留めておく器のようなものであった。
その器は自分の全てをただ受け入れて「在る」ことを許してくれる存在だった。
器がなければ自分の存在は霧散してしまい、人々の心の中から消えうせてしまうだろう。もちろん、器となってくれた人の心の中からも。
そう思うと、胸の奥からたまらなく辛い、悲しい想いが湧きおこってきた。
自然と頬を涙が伝う。もともと血の気が薄く、白っぽい肌だが、このときばかりはやや赤みが差していた。
涙が落ちて彼女の手の甲に当たる。
その涙は誰にも受け止められず、手の甲で小さな水溜りをつくり、やがて蒸発して消えていく……
(私も同じ……誰にも知られることなく、一人寂しさに包まれて、消えていくだけ……
異形の者として存在を拒否されて……
唯一、存在を許してくれるものも取りあげられて……)
そう思うと更に自分が居たたまれなくなった。
今朝まで彼女の存在を受け入れてくれた上司の姿はない。
彼女は何かから逃れようと、後ずさりした。思わずついた手に何かが当たる。
しばらく躊躇した後、辺りを見回すと、枕もとにメモ書きが置かれている。
メモ書きが救世主であるかのように、彼女はすがりつくようにメモ書きを手にした。
四つ折にたたまれた紙を広げる。
それには次のようなメッセージが記されていた。
「無事に戻ってくるように努力します。カワナさんも無理をしないで危ないと思ったらどこかに逃げてください。ウォーリーやミヤハラたちにもよろしく」
(戻ってくるって……どこへなのだろう……?)
メイはオイゲンから「タブーなきエンジニア集団」へ走るよう指示されている。
この関係もあって彼女は三月ニ〇日付けでECN社を退職している。ニ一日以降の一〇日間は残務処理の形で出社していたのだ。
ECN社内に彼女の帰る場所もいるべき場所もない。
しかし、彼女の居場所であるオイゲンは未だECN社の社長のままである。
無事に彼が戻ってくれば、その地位はECN社の社長のままだろう。
そうしたら私はどこへ行くのだろう……?
メイは疑問を覚えながらも出立の準備を始めた。
眠りにつく前、彼女は人生最大の覚悟を決めて、オイゲンに想いを告げた。
「今度お会いできたときは……ずっと隣に置いておいてくださいね」
それはオイゲンが聞き取れなかった言葉だった。
自分が唯一在ることができる場所に置いておいて欲しい、それが彼女の願いだった。
「ずっと隣に置いておく」、それは、空中を漂うような彼女の存在を器として受け入れ続けること……すなわち、常にありのままの彼女を受け入れること、を意味している。このようなことは彼女と常に一緒にいられる立場にならなければ難しい。社長と秘書の関係を超えるものの可能性があるのだ。彼女自身は意識していなかったが、プロポーズとも受け取られかねない。
自分がオイゲンに受け入れてもらえるかはわからない。恐らくその可能性は限りなく低いだろう。何故、そのようなことを口走ってしまったのかも、彼女自身理解できていないのだ。
ただ、自分の居場所が自分のところから遠く離れ、どこかへ行ってしまう。そして、それを追う事は自分自身にはできない。そう感じたからこそ、口をついて出たのであった。それでも、それを口にするのは相当の覚悟が必要だったのである。
(社長は……もう一度私を受け入れてくれるのだろうか……? どこへ戻ってくるのだろう……?)
彼女の疑問に答える上司はもういない。
(私は……社長の指示のまま「タブーなきエンジニア集団」に赴くしかないのだ……)
たっぷりと二時間ばかりかけてメイは出立の準備を済ませた。
ECN社から奨学金を支給された時期から住み続けたアパートもこれで最後だ。
やや大きめのカートバッグ一つと、オイゲンに託されたリュック、これが彼女の荷物全てだった。
唯一残されたテーブルは、オイゲンが手配してアパートの管理会社に引き取ってもらうことになっていた。彼女はただ、管理会社のポストに部屋の鍵を返せばよい。
八年の間、彼女の存在を無言で受け入れてきたこの部屋ともお別れだ。
ふと、寂しさがこみ上げてくるが、サングラスのおかげで涙は見えない。
しかし、そろそろ行かなくてはならない。
一〇分ばかり建物の前で立ち尽くした後、メイは建物の入口にある管理会社のポストへ部屋の鍵を返却した。
そして、最寄りのハモネス中央駅へと向けて歩き出した。
鉄道でジンへと移動するためだ。
一緒に居たはずのオイゲンの姿は既にない。
メイは知らなかったが、オイゲンは既にOP社に向けて出発してしまった後だった。
彼女は自らの存在が陽炎のように薄れ、消えていくような感覚に襲われた。
(私はもう、無くなってしまうのかもしれない……
誰にも知られず、ただ一人で水が蒸発していくかのように薄れ、消えていくんだ……)
自らの存在を受け入れてくれた上司の姿はもうない。
彼女にとってオイゲンの存在は、あてもなく漂う空気のような存在を留めておく器のようなものであった。
その器は自分の全てをただ受け入れて「在る」ことを許してくれる存在だった。
器がなければ自分の存在は霧散してしまい、人々の心の中から消えうせてしまうだろう。もちろん、器となってくれた人の心の中からも。
そう思うと、胸の奥からたまらなく辛い、悲しい想いが湧きおこってきた。
自然と頬を涙が伝う。もともと血の気が薄く、白っぽい肌だが、このときばかりはやや赤みが差していた。
涙が落ちて彼女の手の甲に当たる。
その涙は誰にも受け止められず、手の甲で小さな水溜りをつくり、やがて蒸発して消えていく……
(私も同じ……誰にも知られることなく、一人寂しさに包まれて、消えていくだけ……
異形の者として存在を拒否されて……
唯一、存在を許してくれるものも取りあげられて……)
そう思うと更に自分が居たたまれなくなった。
今朝まで彼女の存在を受け入れてくれた上司の姿はない。
彼女は何かから逃れようと、後ずさりした。思わずついた手に何かが当たる。
しばらく躊躇した後、辺りを見回すと、枕もとにメモ書きが置かれている。
メモ書きが救世主であるかのように、彼女はすがりつくようにメモ書きを手にした。
四つ折にたたまれた紙を広げる。
それには次のようなメッセージが記されていた。
「無事に戻ってくるように努力します。カワナさんも無理をしないで危ないと思ったらどこかに逃げてください。ウォーリーやミヤハラたちにもよろしく」
(戻ってくるって……どこへなのだろう……?)
メイはオイゲンから「タブーなきエンジニア集団」へ走るよう指示されている。
この関係もあって彼女は三月ニ〇日付けでECN社を退職している。ニ一日以降の一〇日間は残務処理の形で出社していたのだ。
ECN社内に彼女の帰る場所もいるべき場所もない。
しかし、彼女の居場所であるオイゲンは未だECN社の社長のままである。
無事に彼が戻ってくれば、その地位はECN社の社長のままだろう。
そうしたら私はどこへ行くのだろう……?
メイは疑問を覚えながらも出立の準備を始めた。
眠りにつく前、彼女は人生最大の覚悟を決めて、オイゲンに想いを告げた。
「今度お会いできたときは……ずっと隣に置いておいてくださいね」
それはオイゲンが聞き取れなかった言葉だった。
自分が唯一在ることができる場所に置いておいて欲しい、それが彼女の願いだった。
「ずっと隣に置いておく」、それは、空中を漂うような彼女の存在を器として受け入れ続けること……すなわち、常にありのままの彼女を受け入れること、を意味している。このようなことは彼女と常に一緒にいられる立場にならなければ難しい。社長と秘書の関係を超えるものの可能性があるのだ。彼女自身は意識していなかったが、プロポーズとも受け取られかねない。
自分がオイゲンに受け入れてもらえるかはわからない。恐らくその可能性は限りなく低いだろう。何故、そのようなことを口走ってしまったのかも、彼女自身理解できていないのだ。
ただ、自分の居場所が自分のところから遠く離れ、どこかへ行ってしまう。そして、それを追う事は自分自身にはできない。そう感じたからこそ、口をついて出たのであった。それでも、それを口にするのは相当の覚悟が必要だったのである。
(社長は……もう一度私を受け入れてくれるのだろうか……? どこへ戻ってくるのだろう……?)
彼女の疑問に答える上司はもういない。
(私は……社長の指示のまま「タブーなきエンジニア集団」に赴くしかないのだ……)
たっぷりと二時間ばかりかけてメイは出立の準備を済ませた。
ECN社から奨学金を支給された時期から住み続けたアパートもこれで最後だ。
やや大きめのカートバッグ一つと、オイゲンに託されたリュック、これが彼女の荷物全てだった。
唯一残されたテーブルは、オイゲンが手配してアパートの管理会社に引き取ってもらうことになっていた。彼女はただ、管理会社のポストに部屋の鍵を返せばよい。
八年の間、彼女の存在を無言で受け入れてきたこの部屋ともお別れだ。
ふと、寂しさがこみ上げてくるが、サングラスのおかげで涙は見えない。
しかし、そろそろ行かなくてはならない。
一〇分ばかり建物の前で立ち尽くした後、メイは建物の入口にある管理会社のポストへ部屋の鍵を返却した。
そして、最寄りのハモネス中央駅へと向けて歩き出した。
鉄道でジンへと移動するためだ。
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