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第七章
306:手にしたもの
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オイゲンがメイの部屋を訪れた翌日、LH五一年三月三〇日のことである。
この日、オイゲンはいつもより少し早く出社した。
社長室に入るや否や、ハドリに同行するための準備を始めた。
(参ったなぁ、これじゃ秘書が愛人、になってしまうよなぁ……)
昨夜、メイは彼から離れたがらなかった。
オイゲンがグラスの中の液体を飲み干した後、メイはオイゲンの方にもたれかかってきたのだ。
普段ならこの程度の酒量でも酔いを感じるオイゲンだが、何故かこのときは完全に覚めていた。
オイゲンが少しでも離れようとすると、メイは無言で身体を寄せてきた。無理に離れようとすると、オイゲンが今まで見たこともないような表情を見せたのだ。
怒っているようにも見えるのだが、なぜか寂しげで、その目には不安と恐怖が映っているようにも見えた。
黒地にエメラルドグリーンを被せた色の瞳は、混沌の世界へと人を誘う輝きさえ見せているように思われたのだ。
オイゲンは、ふと、メイが自らの瞳の色について話をしたことを思い出した。
彼女の対人恐怖症はその原因のひとつに、この瞳の色を気味悪がられたことがあるようだと思われる。
メイも自分の瞳の色を過剰に意識しているように見えるのだが、少なくともオイゲンはそのことを彼女に指摘しようとは思わなかった。
オイゲンから見れば彼女の瞳は綺麗な色なのだが、世の中にはいろいろなものの捉え方をする者がいるのだ。
オイゲンは今のメイの瞳を見て、はじめて彼女の瞳の色に別の感情を抱いたように思ったからだ。
確かに気味悪く見えなくもない、と考えてしまったのだ。
慌ててその思いを打ち消す。そう思ってしまったら最後、メイが完全に心の扉を閉ざしてしまうように思われたからだ。
(彼女の髪の色がレイカ・メルツさんのようなブロンドなら、こういうことにもならなかったのかもしれないな……)
確かにメイの髪がレイカのような見事なブロンドであれば、メイのような瞳の色でも気味悪く思われなかったかもしれない。
しかし、幸か不幸かメイの髪は艶やかで飾り気の無い黒のストレートである。これはこれで魅力的だとオイゲンは思うのだが。
オイゲンは金髪にしたメイの姿も想像してみたが、どうもしっくりこない。やはり彼女は黒い髪が似合うようだ。
我に返ってメイの方を見ると、瞳に涙を浮かべて恐る恐るこちらと床を交互に見ていた。こうなると、オイゲンとしても放っておく訳にいかなかったのだ。
(それにしても雰囲気に流されやすいというか、自制心が無いと言うか。意志薄弱だなぁ……)
結局、メイの心の奥底にある何かと自分の抱える恐怖とに負けてメイと身体を重ねた。彼女の瞳の奥底にある混沌の世界へ落ちたのかもしれない。
メイがそれを望んでいたようにも思えたが、それは自分に対する言い訳に過ぎない、とオイゲンは思っている。たとえ酔っていたとしても、だ。むしろ酔っていたほうが責任は重大である。部下の自宅で酔いに任せて行動するということが、オイゲンには許せないのだ。
オイゲン自身にも不安があった。今度はウォーリー率いる「タブーなきエンジニア集団」との武力対決は避けられないだろう。オイゲンに戦いの経験は無いし、ハドリの近くで戦いに参加するなど考えただけでも恐ろしい。
ウォーリーたちとは戦いたくない。しかし、ハドリは容赦の無い男だ。オイゲンの行動に怪しいところがあれば、ハドリによって殺害される危険もある。ハドリの過去の行動を見れば、これは決して根拠の無い恐怖ではないはずだ。その恐怖に負けたのだ。
この夜、オイゲンは一睡もできず朝を迎えた。メイが明け方眠りにつくまで、徹底して身体が離れるのを嫌がったからだ。
メイが眠りにつく直前の表情をオイゲンは一生忘れないだろう。
彼女は名残惜しそうにオイゲンの唇に自らのそれを黙って重ねてきた。
黒地にエメラルドグリーンを被せた色の瞳には大粒の涙が浮かんでいる。しかし、その表情は微笑んでいるようにも見えた。
オイゲンは黙って彼女のしたいようにさせることしかできなかった。
メイはしばらくそうしていると、満足したように目を閉じて眠りについた。
眠りにつく直前、彼女の唇が何かを告げるかのように動いたが、オイゲンにその言葉は聞き取れなかった。
オイゲンは恐る恐る彼女の華奢な上半身を床に下ろし、その様子を見守っていた。
何故だかはわからないが、メイから手を離すと彼女が不安そうな表情を見せるように思われたので、オイゲンはずっと彼女の頬に手を当てていた。
(それにしてもこんなに華奢だったのか……小柄だとは思っていたけど……)
オイゲンは対応に困った表情を浮かべながら、すぐ脇で寝息を立てているメイを見守っていた。
メイはサブマリン島の成人女性としてはかなり小柄な部類に入る。また、線も細い。
丁重に取り扱わないと折れてしまいそうな、そんな不安を抱かせるような存在だ。
(何とか彼女だけでも安全な場所へ……)
オイゲンは彼女の無事を願いながら、その寝顔を見守っていた。
そのまま時が過ぎ、ついに彼が出発しなければならない時間がやってきた。
隣で寝息を立てているメイの枕元にメモ書きを残し、出社した。
正直なところメイの行動には驚きを隠せなかった。彼女にこうした一面があるとは思えなかったからだ。人を避けているように見えて、実は人肌を求めているという一面を。
彼としてもどう対処してよいか、最適解を導き出せなかった。だから、場の流れに身を委ねてしまったのだ。
彼にはこの行動が正解だとは思えなかった。だが、彼女を責めるつもりは毛頭ない。自分が管理者なのだから自分で責任を負うのは当然だと思っている。
昨夜のことで彼は自身がメイにどれだけ頼っていたか、改めて気付かされることになった。
立場と行動が逆だ、とも思う。上司として本来メイに頼られるべき存在ではなかったのか?
しかし、結果は彼女の温かさと優しさに甘え、依存している自分がいる。彼女の持つ雰囲気に流されてしまった自分が。
(上司の権限で部下の弱みにつけ込んで手を出したってことだよな……我ながらひどい上司だ)
オイゲンもメイもまだ若い。そして、どちらも独身で現在付き合っている相手もいない。いくら鈍感なオイゲンでもメイの様子を見れば、彼女に付き合っている相手がいないであろうことは、おおよそ見当がついている。
それを考えれば、それほど不自然なことではないはずなのだが、この程度で自己嫌悪に陥るのがオイゲンらしい。
彼はこうした面でひどく晩生である。そのメンタリティは職業学校の学生レベルと大差ない。いや、職業学校の学生のほうが進んでいるかもしれない。
この日、オイゲンはいつもより少し早く出社した。
社長室に入るや否や、ハドリに同行するための準備を始めた。
(参ったなぁ、これじゃ秘書が愛人、になってしまうよなぁ……)
昨夜、メイは彼から離れたがらなかった。
オイゲンがグラスの中の液体を飲み干した後、メイはオイゲンの方にもたれかかってきたのだ。
普段ならこの程度の酒量でも酔いを感じるオイゲンだが、何故かこのときは完全に覚めていた。
オイゲンが少しでも離れようとすると、メイは無言で身体を寄せてきた。無理に離れようとすると、オイゲンが今まで見たこともないような表情を見せたのだ。
怒っているようにも見えるのだが、なぜか寂しげで、その目には不安と恐怖が映っているようにも見えた。
黒地にエメラルドグリーンを被せた色の瞳は、混沌の世界へと人を誘う輝きさえ見せているように思われたのだ。
オイゲンは、ふと、メイが自らの瞳の色について話をしたことを思い出した。
彼女の対人恐怖症はその原因のひとつに、この瞳の色を気味悪がられたことがあるようだと思われる。
メイも自分の瞳の色を過剰に意識しているように見えるのだが、少なくともオイゲンはそのことを彼女に指摘しようとは思わなかった。
オイゲンから見れば彼女の瞳は綺麗な色なのだが、世の中にはいろいろなものの捉え方をする者がいるのだ。
オイゲンは今のメイの瞳を見て、はじめて彼女の瞳の色に別の感情を抱いたように思ったからだ。
確かに気味悪く見えなくもない、と考えてしまったのだ。
慌ててその思いを打ち消す。そう思ってしまったら最後、メイが完全に心の扉を閉ざしてしまうように思われたからだ。
(彼女の髪の色がレイカ・メルツさんのようなブロンドなら、こういうことにもならなかったのかもしれないな……)
確かにメイの髪がレイカのような見事なブロンドであれば、メイのような瞳の色でも気味悪く思われなかったかもしれない。
しかし、幸か不幸かメイの髪は艶やかで飾り気の無い黒のストレートである。これはこれで魅力的だとオイゲンは思うのだが。
オイゲンは金髪にしたメイの姿も想像してみたが、どうもしっくりこない。やはり彼女は黒い髪が似合うようだ。
我に返ってメイの方を見ると、瞳に涙を浮かべて恐る恐るこちらと床を交互に見ていた。こうなると、オイゲンとしても放っておく訳にいかなかったのだ。
(それにしても雰囲気に流されやすいというか、自制心が無いと言うか。意志薄弱だなぁ……)
結局、メイの心の奥底にある何かと自分の抱える恐怖とに負けてメイと身体を重ねた。彼女の瞳の奥底にある混沌の世界へ落ちたのかもしれない。
メイがそれを望んでいたようにも思えたが、それは自分に対する言い訳に過ぎない、とオイゲンは思っている。たとえ酔っていたとしても、だ。むしろ酔っていたほうが責任は重大である。部下の自宅で酔いに任せて行動するということが、オイゲンには許せないのだ。
オイゲン自身にも不安があった。今度はウォーリー率いる「タブーなきエンジニア集団」との武力対決は避けられないだろう。オイゲンに戦いの経験は無いし、ハドリの近くで戦いに参加するなど考えただけでも恐ろしい。
ウォーリーたちとは戦いたくない。しかし、ハドリは容赦の無い男だ。オイゲンの行動に怪しいところがあれば、ハドリによって殺害される危険もある。ハドリの過去の行動を見れば、これは決して根拠の無い恐怖ではないはずだ。その恐怖に負けたのだ。
この夜、オイゲンは一睡もできず朝を迎えた。メイが明け方眠りにつくまで、徹底して身体が離れるのを嫌がったからだ。
メイが眠りにつく直前の表情をオイゲンは一生忘れないだろう。
彼女は名残惜しそうにオイゲンの唇に自らのそれを黙って重ねてきた。
黒地にエメラルドグリーンを被せた色の瞳には大粒の涙が浮かんでいる。しかし、その表情は微笑んでいるようにも見えた。
オイゲンは黙って彼女のしたいようにさせることしかできなかった。
メイはしばらくそうしていると、満足したように目を閉じて眠りについた。
眠りにつく直前、彼女の唇が何かを告げるかのように動いたが、オイゲンにその言葉は聞き取れなかった。
オイゲンは恐る恐る彼女の華奢な上半身を床に下ろし、その様子を見守っていた。
何故だかはわからないが、メイから手を離すと彼女が不安そうな表情を見せるように思われたので、オイゲンはずっと彼女の頬に手を当てていた。
(それにしてもこんなに華奢だったのか……小柄だとは思っていたけど……)
オイゲンは対応に困った表情を浮かべながら、すぐ脇で寝息を立てているメイを見守っていた。
メイはサブマリン島の成人女性としてはかなり小柄な部類に入る。また、線も細い。
丁重に取り扱わないと折れてしまいそうな、そんな不安を抱かせるような存在だ。
(何とか彼女だけでも安全な場所へ……)
オイゲンは彼女の無事を願いながら、その寝顔を見守っていた。
そのまま時が過ぎ、ついに彼が出発しなければならない時間がやってきた。
隣で寝息を立てているメイの枕元にメモ書きを残し、出社した。
正直なところメイの行動には驚きを隠せなかった。彼女にこうした一面があるとは思えなかったからだ。人を避けているように見えて、実は人肌を求めているという一面を。
彼としてもどう対処してよいか、最適解を導き出せなかった。だから、場の流れに身を委ねてしまったのだ。
彼にはこの行動が正解だとは思えなかった。だが、彼女を責めるつもりは毛頭ない。自分が管理者なのだから自分で責任を負うのは当然だと思っている。
昨夜のことで彼は自身がメイにどれだけ頼っていたか、改めて気付かされることになった。
立場と行動が逆だ、とも思う。上司として本来メイに頼られるべき存在ではなかったのか?
しかし、結果は彼女の温かさと優しさに甘え、依存している自分がいる。彼女の持つ雰囲気に流されてしまった自分が。
(上司の権限で部下の弱みにつけ込んで手を出したってことだよな……我ながらひどい上司だ)
オイゲンもメイもまだ若い。そして、どちらも独身で現在付き合っている相手もいない。いくら鈍感なオイゲンでもメイの様子を見れば、彼女に付き合っている相手がいないであろうことは、おおよそ見当がついている。
それを考えれば、それほど不自然なことではないはずなのだが、この程度で自己嫌悪に陥るのがオイゲンらしい。
彼はこうした面でひどく晩生である。そのメンタリティは職業学校の学生レベルと大差ない。いや、職業学校の学生のほうが進んでいるかもしれない。
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