上 下
312 / 436
第七章

304:社長秘書の部屋

しおりを挟む
 部屋の明かりをつけて、メイがオイゲンに囁いた。
 社内にいるときよりもオイゲンとの距離が近い。
「社長は……私の家、初めてでしたよね?」
「……そうです」
「実は……私の家に、他の人に上がっていただいたの、初めてなのですよ」
「そうですか……」
 オイゲンは居難そうに周囲を落ち着きなく見回している。
 お世辞にも広いとはいえない1Kの間取りで、オイゲンから見て左前方がキッチン、右前方が玄関へと続く廊下になっている。
 廊下の途中にトイレとバスがあるという、このあたりでは比較的よくみられるタイプのものだ。メイのような若い女性よりも独身の男性がよく利用するタイプではあるのだが。
 メイはキッチンへと向かったのだが、オイゲンのいる部屋とキッチンの間には背の高いカウンターがあるため彼女が何をしているのかはわからない。
 オイゲンが室内へと視線を移動させた。
 テーブル以外には家具らしい家具もない殺風景な部屋だ。
 テーブルの上には情報端末が置かれている。自宅で調査などをするときは、この端末を使っているのだろう、とオイゲンは思った。
 そこへメイがグラスを二つ持って現れた。グラスの中にはルビー色をした液体が注がれている。
「社長は……アルコールって、大丈夫ですか?」
「す、少しなら……」
 実のところオイゲンは、ほとんど酒が飲めない。メイが強引に勧めてきたので、断るに断りきれず、言葉を濁したのだ。
 グラスの中の液体が何だかわからないが、色から考えて、それほど強い酒ではないだろう。ワインとは多少異なる色である。それなら、グラス一杯なら何とかなる、と考えた。
(それにしても……カワナさんが飲めるとは意外だな……)
 オイゲンは先にグラスに手をつけたメイを見ながら、ふとそう思った。
 そして、目の前のグラスに手を伸ばし、ルビー色の液体を少し口に含んだ。
 やや苦味のある柑橘系の香りが、彼の口から鼻に抜けた。
(このくらいなら大丈夫だろう。それほど強いものではなさそうだ)
 今度はもう少し多くの量を口に含んでみた。
 メイはグラスの半分ほどの量を飲んでいるようだ。そしてこちらの様子を窺っている。
(これから一体何を……?)
 オイゲンは、ままよ、と思いながら口の中に含んだ液体を喉へと流し込んだ。
「社長……」
 メイがオイゲンに語りかける。
「あの……ジンへ行くのはいいのですけど……道が不案内で……」
「ジンの駅へ行けば、看板を出しているはずなのでわかると思うのですが……」
「それとは少し違って……」
 メイの態度は煮え切らないものであった。このこと自体は「いつものこと」なので、オイゲンも驚かないが、彼女の意図を測りかねている。これは一度探りを入れたほうがよいだろう、と彼は判断した。
「えーと……カワナさんの携帯端末に地図作成機能を登録しましょうか?」
「ちょっと違うんです……方向とか方位とかわかる仕組みが……」
 オイゲンは彼女の真意を測りかねたが、彼女の言っている仕組みを持っているものには心当たりがある。彼自身が持っている腕時計にその機能はある。
 単なる趣味の問題なのだが、オイゲンの持っている腕時計は、時計としての機能のほかに方位磁針、寒暖計、湿度計の機能がある。今の彼にはあまり必要のない機能であるし、他に方位がわかるものなど彼は持っていない。時間は携帯端末で知ればよいのだ。
「僕の時計に方位磁針の機能があるから……それでいいですか?」
「え?! いただいてしまっていいのですか……? そこまで……」
 メイが意外そうな顔をした。だが、オイゲンにとってそれは些細な問題であった。
 オイゲンは黙って腕時計を外し、メイに差し出した。
 メイは、ありがとうございます、と礼を言ってから恐る恐る時計を受け取った。
 彼女の腕には少し大きすぎるので、携帯端末のストラップにそれを取り付ける。
「すみません、厄介なことを頼んでしまって……」
 オイゲンがすまなそうに頭を下げた。
「タブーなきエンジニア集団」へ走れという指示は、彼女にとって相当な苦痛を伴うものであることはオイゲン自身も理解している。
 そのようなことを半ば強制する形にしてしまったことについて、オイゲンにも負い目がある。

「あ、いえ……そんな……」
「ところで……僕は明日からOP社に行くことになります。多分、ハドリ氏はウォーリーのチームを屈服させたいのではないかと僕は思っています」
「(コクリ)」
 メイは黙ってうなずきながらオイゲンの話を聞いている。
「できれば僕は、ウォーリーとハドリ氏の衝突を回避したいと思っています。ハドリ氏が翻意してくれれば助かるのですが、僕の意見を聞き入れるとは考えにくいですね……」
 オイゲンがそこで言葉を止めるとメイがそれまでとはうって変わった冷静な口調で話を始めた。
「他人の意志を変えるのは難しいと思われます。もし、変えられるとするならば……
 いえ、『変える』というよりこの場合は、『無くす』に近いですから……」
 そこでメイが大きく息を吸った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ワイルド・ソルジャー

アサシン工房
SF
時は199X年。世界各地で戦争が行われ、終戦を迎えようとしていた。 世界は荒廃し、辺りは無法者で溢れかえっていた。 主人公のマティアス・マッカーサーは、かつては裕福な家庭で育ったが、戦争に巻き込まれて両親と弟を失い、その後傭兵となって生きてきた。 旅の途中、人間離れした強さを持つ大柄な軍人ハンニバル・クルーガーにスカウトされ、マティアスは軍人として活動することになる。 ハンニバルと共に任務をこなしていくうちに、冷徹で利己主義だったマティアスは利害を超えた友情を覚えていく。 世紀末の荒廃したアメリカを舞台にしたバトルファンタジー。 他の小説サイトにも投稿しています。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ゲート0 -zero- 自衛隊 銀座にて、斯く戦えり

柳内たくみ
ファンタジー
20XX年、うだるような暑さの8月某日―― 東京・銀座四丁目交差点中央に、突如巨大な『門(ゲート)』が現れた。 中からなだれ込んできたのは、見目醜悪な怪異の群れ、そして剣や弓を携えた謎の軍勢。 彼らは何の躊躇いもなく、奇声と雄叫びを上げながら、そこで戸惑う人々を殺戮しはじめる。 無慈悲で凄惨な殺戮劇によって、瞬く間に血の海と化した銀座。 政府も警察もマスコミも、誰もがこの状況になすすべもなく混乱するばかりだった。 「皇居だ! 皇居に逃げるんだ!」 ただ、一人を除いて―― これは、たまたま現場に居合わせたオタク自衛官が、 たまたま人々を救い出し、たまたま英雄になっちゃうまでを描いた、7日間の壮絶な物語。

性転のへきれき

廣瀬純一
ファンタジー
高校生の男女の入れ替わり

Another World〜自衛隊 まだ見ぬ世界へ〜

華厳 秋
ファンタジー
───2025年1月1日  この日、日本国は大きな歴史の転換点を迎えた。  札幌、渋谷、博多の3箇所に突如として『異界への門』──アナザーゲート──が出現した。  渋谷に現れた『門』から、異界の軍勢が押し寄せ、無抵抗の民間人を虐殺。緊急出動した自衛隊が到着した頃には、敵軍の姿はもうなく、スクランブル交差点は無惨に殺された民間人の亡骸と血で赤く染まっていた。  この緊急事態に、日本政府は『門』内部を調査するべく自衛隊を『異界』──アナザーワールド──へと派遣する事となった。  一方地球では、日本の急激な軍備拡大や『異界』内部の資源を巡って、極東での緊張感は日に日に増して行く。  そして、自衛隊は国や国民の安全のため『門』内外問わず奮闘するのであった。 この作品は、小説家になろう様カクヨム様にも投稿しています。 この作品はフィクションです。 実在する国、団体、人物とは関係ありません。ご注意ください。

処理中です...