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第六章
268:イナ一族が抱えるもの その1
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オイゲンの話は宇宙ステーション「ルナ・ヘヴンス」がまだ地球の衛星軌道上にある時点まで遡った。
「ルナ・ヘヴンス」内にあるECN社にはその制御を司るマシンルームを管理する部署が存在する。
一五〇人ほどで構成されているこの部署に、当時入社二年目のカズト・イナがいた。オイゲンの父であり、後にECN社の二代目社長となる人物だ。そしてその兄は当時のECN社の社長であるユウダイ・イナであった。
彼は学生時代からアルバイトとして兄の経営するECN社に入り込み、大学卒業と同時に社員として就職した。
ECN社がその機能の一部を「ルナ・ヘヴンス」へ移転すると、彼も社長である兄により「ルナ・ヘヴンス」への移住を命じられた。
カズトの話によると、社長である兄ユウダイは厳格な人物で、弟であるカズトに対して他の従業員よりも厳しく遇したという。社長の兄弟だからといって、特別扱いしたくはないというのが理由であったらしい。
社長の意図を知ってか、ごく一部を除いて社員たちはカズトとの接触を避けるようにしていたそうだ。
「特別扱いしたくない、って逆の意味で特別扱いだったな。ろくに口も聞いてくれないんだから。気の利く先輩方が、『お前、社長と仲悪いのか?』と心配してくれたぐらいだったよ」
生前、カズトはオイゲンにこのように愚痴を言っていたものだ。
話をしているオイゲンは「地球の」ECN社の初代社長であるこの伯父と面識がない。
ユウダイはオイゲンが生まれる前に他界していたのだから……
LH元年四月一日、カズト・イナは「ルナ・ヘヴンス」に乗り込んだ。
乗り込んでからの数ヶ月間は特に何事もなく過ぎていった。宇宙ステーションという特殊な環境に慣れてしまえば、特に地上と変わることが無かったのだ。
カズトは当初「ルナ・ヘヴンス」での生活が地上でのそれと大きく異なるものかと考えていたようだった。
しかし、実際に居住してみると、重力と産業構造の偏りの問題を除けば、地上とは大差ないことがわかってきた。これは移住への不安をもっていたカズト・イナを大いに安心させたのだった。
あえて言えば業務上での出張が激減したので、会社での楽しみが少し減ったことが気になったくらいだ。
キーボードの打鍵音などで会話を楽しむ「打音メッセ」はこうした環境の下、カズト・イナたちのチームで開発されたものである。
カズトの所属していた部署は一ニ名単位のチームに分けられ、チームごとに担当するブロックを割り当てられていた。
同じメンバーが顔をつき合わせて仕事をしているとはいえ、業務時間中、堂々と私語を楽しむのは気が引ける。
また、彼の所属していた部署の上長はこうしたことにかなりうるさいクチだったので、私語を楽しもうとしても無理だという環境だった。
この上長からはカズトの仕事ぶりについて頻繁にユウダイへの報告がなされており、何か問題があれば、容赦なくユウダイからの叱責がカズトへと飛んだくらいだ。
そのため彼らは私語を楽しむための知恵を絞ったのである。
当初は各メンバーの端末を使ってメッセージ交換ソフトによる私語を楽しんだのだが、これは会社に見つかってしまい、大目玉を食う羽目になった。カズトはこのとき、けん責処分を受けている。
この後、ECN社ではネットワークを流れるメッセージを監視するシステムが導入され、この方法での私語は困難になってしまった。
彼らは次にキーボードに注目した。
キーボードを叩いている限り、仕事をしているようには見えるようだ。
キーボードを叩いても、そのメッセージをネットワークに流さなければ問題は無い。
そこで、彼らが目をつけたのがキータイプ音だったのだ。
チームメンバーの一人がモールス信号を知っていたことも、幸いした。
彼らは、キータイプ音を四種類の音に分け、これらの音を用いてモールス信号とは体系の異なる独自の伝達手段を作り上げた。これが「打音メッセ」のはじまりなのだ。
当初は音の聞き違いなどによる混乱があったが、基本的に管理しているブロックやシステムに異常が無ければ待機しているのが仕事の部署である。時間はいくらでもあった。
一ヶ月もメッセージを交換していれば、「打音メッセ」にもかなり通じてくる。
使っているうちに改良を加えていくことで、伝達速度も飛躍的に向上した。
速い者は日常会話の五分の一程度の速度で会話できるようになったのだ。
それと同時に彼らは、「打音メッセ」の情報が他チームに漏れないようにも気を遣った。
他チームに漏れたが最後、彼らのやっていることが会社の上層部に知られてしまうことになる可能性が高いからだ。
こうして更に平穏な数ヶ月が過ぎた。
最初に彼らのチームに異変が報告されたのは、LH元年九月ニ六日のことである。
「ルナ・ヘヴンス」の中央制御システムと、カズト・イナが所属するチームが管理する制御システムとの間の通信に遅延が生じたのだ。
このため、「ルナ・ヘヴンス」の軌道が本来のものを十数センチ外れてしまった。
原因を調査するためチームが慌ただしく動き出した。
機器や伝送経路を確認したが、通信速度が落ちているという現象が確認されただけで、その日のうちに原因は判明しなかった。
「ルナ・ヘヴンス」内にあるECN社にはその制御を司るマシンルームを管理する部署が存在する。
一五〇人ほどで構成されているこの部署に、当時入社二年目のカズト・イナがいた。オイゲンの父であり、後にECN社の二代目社長となる人物だ。そしてその兄は当時のECN社の社長であるユウダイ・イナであった。
彼は学生時代からアルバイトとして兄の経営するECN社に入り込み、大学卒業と同時に社員として就職した。
ECN社がその機能の一部を「ルナ・ヘヴンス」へ移転すると、彼も社長である兄により「ルナ・ヘヴンス」への移住を命じられた。
カズトの話によると、社長である兄ユウダイは厳格な人物で、弟であるカズトに対して他の従業員よりも厳しく遇したという。社長の兄弟だからといって、特別扱いしたくはないというのが理由であったらしい。
社長の意図を知ってか、ごく一部を除いて社員たちはカズトとの接触を避けるようにしていたそうだ。
「特別扱いしたくない、って逆の意味で特別扱いだったな。ろくに口も聞いてくれないんだから。気の利く先輩方が、『お前、社長と仲悪いのか?』と心配してくれたぐらいだったよ」
生前、カズトはオイゲンにこのように愚痴を言っていたものだ。
話をしているオイゲンは「地球の」ECN社の初代社長であるこの伯父と面識がない。
ユウダイはオイゲンが生まれる前に他界していたのだから……
LH元年四月一日、カズト・イナは「ルナ・ヘヴンス」に乗り込んだ。
乗り込んでからの数ヶ月間は特に何事もなく過ぎていった。宇宙ステーションという特殊な環境に慣れてしまえば、特に地上と変わることが無かったのだ。
カズトは当初「ルナ・ヘヴンス」での生活が地上でのそれと大きく異なるものかと考えていたようだった。
しかし、実際に居住してみると、重力と産業構造の偏りの問題を除けば、地上とは大差ないことがわかってきた。これは移住への不安をもっていたカズト・イナを大いに安心させたのだった。
あえて言えば業務上での出張が激減したので、会社での楽しみが少し減ったことが気になったくらいだ。
キーボードの打鍵音などで会話を楽しむ「打音メッセ」はこうした環境の下、カズト・イナたちのチームで開発されたものである。
カズトの所属していた部署は一ニ名単位のチームに分けられ、チームごとに担当するブロックを割り当てられていた。
同じメンバーが顔をつき合わせて仕事をしているとはいえ、業務時間中、堂々と私語を楽しむのは気が引ける。
また、彼の所属していた部署の上長はこうしたことにかなりうるさいクチだったので、私語を楽しもうとしても無理だという環境だった。
この上長からはカズトの仕事ぶりについて頻繁にユウダイへの報告がなされており、何か問題があれば、容赦なくユウダイからの叱責がカズトへと飛んだくらいだ。
そのため彼らは私語を楽しむための知恵を絞ったのである。
当初は各メンバーの端末を使ってメッセージ交換ソフトによる私語を楽しんだのだが、これは会社に見つかってしまい、大目玉を食う羽目になった。カズトはこのとき、けん責処分を受けている。
この後、ECN社ではネットワークを流れるメッセージを監視するシステムが導入され、この方法での私語は困難になってしまった。
彼らは次にキーボードに注目した。
キーボードを叩いている限り、仕事をしているようには見えるようだ。
キーボードを叩いても、そのメッセージをネットワークに流さなければ問題は無い。
そこで、彼らが目をつけたのがキータイプ音だったのだ。
チームメンバーの一人がモールス信号を知っていたことも、幸いした。
彼らは、キータイプ音を四種類の音に分け、これらの音を用いてモールス信号とは体系の異なる独自の伝達手段を作り上げた。これが「打音メッセ」のはじまりなのだ。
当初は音の聞き違いなどによる混乱があったが、基本的に管理しているブロックやシステムに異常が無ければ待機しているのが仕事の部署である。時間はいくらでもあった。
一ヶ月もメッセージを交換していれば、「打音メッセ」にもかなり通じてくる。
使っているうちに改良を加えていくことで、伝達速度も飛躍的に向上した。
速い者は日常会話の五分の一程度の速度で会話できるようになったのだ。
それと同時に彼らは、「打音メッセ」の情報が他チームに漏れないようにも気を遣った。
他チームに漏れたが最後、彼らのやっていることが会社の上層部に知られてしまうことになる可能性が高いからだ。
こうして更に平穏な数ヶ月が過ぎた。
最初に彼らのチームに異変が報告されたのは、LH元年九月ニ六日のことである。
「ルナ・ヘヴンス」の中央制御システムと、カズト・イナが所属するチームが管理する制御システムとの間の通信に遅延が生じたのだ。
このため、「ルナ・ヘヴンス」の軌道が本来のものを十数センチ外れてしまった。
原因を調査するためチームが慌ただしく動き出した。
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