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第四章
182:託された生命
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今から約二〇年前のことである。
LH三〇年三月一一日の早朝、フジミ・タウンの市長であったユキナリ・クルスは海沿いの道を散歩していた。
早朝の散歩は彼の日課だったが、この数日間は天候が荒れ模様だったため久々の散歩である。
散歩の途中、見慣れない褐色の物体が彼の目に入った。
急いで駆け寄ると、三人の人が乗った船であることがわかった。
うち一人は横たわったまま動かず、一人は母親らしき女性に抱かれた赤子であった。
船のある場所はようやくその一隻が入るほどの岩場だった。
ユキナリのいる場所からは崖の下になる。崖の高さは十メートル弱といったところだろう。
ユキナリは目を疑った。
船がフジミ近くまで来るなど、通常ではあり得ないことだった。
エクザロームの海は流れが速く、そして複雑である。
船を使って移動するなど狂気の沙汰だ。
その中でもフジミ・タウンの周辺は特に海流の悪いところだった。人が海の近くを歩くことはあっても、海に入ることなどあり得ない。
しかし、ユキナリが何度見ても見えるものは船であり、中に人がいるのだ。
海洋調査隊の船が遭難したのだろうか?
よく見ると船体には救命ボートの表示がある。海洋調査隊の調査船に積まれているものだとユキナリは推測した。
「……海洋調査隊か……」
ユキナリは船に残されている者達を救助するかどうか考えた。
というのも海洋調査隊の隊員には犯罪者も少なくない。そのため、助けた後でこちらが襲われたりする可能性がある。
フジミ・タウンの市民を危険にさらすようなことは避けるべきである。
「どなたか存じませんが、この子を助けてください!」
赤子を抱いた女性が助けを求める声をあげた。
徐々に潮が満ちており、船が流されるのは時間の問題に見える。
(……少なくとも赤子には罪はなかろう。助ける!)
赤子の存在を知り、ユキナリは決断した。
急いで無線で連絡を取り、自警団の者十数名を集める。船にいる者たちを救助するためだ。
距離こそ近いとはいえ、海の中に入って彼らを救助することはできなかった。その前に激流に飲み込まれるのがおちだ。
そのため丈夫なロープを使って崖の上から船へと移動し、ロープで船を固定した後に順番に中の親子を助けることにした。
「慌てるな! 確実に、だ」
「はい!」
崖の上から自警団の団員が慎重にロープを下ろしていく。
一分ほどでロープは船に達した。
「今行くぞ!」
自警団の団員の一人がロープで船まで降りた。そしてロープを船首に結びつける。
船に降りた自警団の団員が船に残された者達の様子を確認する。
このときはじめて、団員は中に乗っている者の構成が妙なものであることに気付いた。
片手で赤子を抱いた二十代後半くらいの女性が手前にいる。
よく見ると反対側の腕がだらんと垂れ下がっている。どうやら骨が折れているようだ。
赤子はその大きさを見る限り、生後間もないことがわかる。このような赤子が何故危険な船に乗っているのか?
もし、この船が海洋調査隊のものであるならば、赤子を乗せて調査するなど考えられない。
更に奥に横たわっているのは、彼女の親くらいの年齢に見える男性だった。こちらは海洋調査隊のメンバーとしては高齢すぎるようにも見える。
「この子を先にお願いします!」
赤子を抱いた若い女性が必死に訴えた。
「ま、任せてください!」
女性の声に我に返った団員が赤子を抱きかかえてロープを上る。
「奥の男の人はどうしましたか?」
崖の上からユキナリが問うた。
若い女性は首を横に振った。
「……残念ながら息がありません」
確かに彼女の言うとおりのようだった。船の奥に横たわっている男性はぴくりとも動かない。
赤子が崖の上に助けあげられた。
団員が再びロープで船まで下りようとする。
「いかん! 急げ!」
ユキナリが叫んだ。
潮が急速に満ちてきて船を揺らしだしたのだ。
団員が苦労して船に近づこうとするが、船とロープが揺れてなかなか思うように進めない。
「ロープをしっかり引け! 流されるな!」
ユキナリが叫んだ。彼も必死でロープを引いている。
激流に船が揺らされ、ロープが岩と擦れる。
「早く! ジャンプしてロープに飛び移って!」
ロープにぶら下がった自警団の団員が叫んだ。
しかし、彼女は首を横に振った。
折れていないほうの腕だけで自分の体重を支えるのは不可能だと悟っていたのだ。
団員が急いで船の方に下りようとするが、ロープが揺れて思うように進めない。
「くそっ! ロープさえ岩から離せば!」
団員の身体はロープの擦れている部分より二メートルほど上にある。
女性の乗った船は更に二メートルほど下だ。
団員は両足を岩壁につけ、踏ん張るようにしてロープを岩から離そうと試みる。
しかし、ロープは思うように岩から離れず、擦れてブチブチと嫌な音をたて始めた。
「すみません、これを!」
女性が叫んで小さな箱をロープの団員目掛けて投げた。
団員がそれを受け取った直後、ロープが切れた。
「子供をお願いします!」
女性の叫び声が聞こえた。
「ああっ!」
自警団の団員たちの奮闘も空しく、船はあっという間に沖へと流され、消えていった。
「……」
ユキナリを含めた全員が呆然と船を見送ることしかできなかった。
LH三〇年三月一一日の早朝、フジミ・タウンの市長であったユキナリ・クルスは海沿いの道を散歩していた。
早朝の散歩は彼の日課だったが、この数日間は天候が荒れ模様だったため久々の散歩である。
散歩の途中、見慣れない褐色の物体が彼の目に入った。
急いで駆け寄ると、三人の人が乗った船であることがわかった。
うち一人は横たわったまま動かず、一人は母親らしき女性に抱かれた赤子であった。
船のある場所はようやくその一隻が入るほどの岩場だった。
ユキナリのいる場所からは崖の下になる。崖の高さは十メートル弱といったところだろう。
ユキナリは目を疑った。
船がフジミ近くまで来るなど、通常ではあり得ないことだった。
エクザロームの海は流れが速く、そして複雑である。
船を使って移動するなど狂気の沙汰だ。
その中でもフジミ・タウンの周辺は特に海流の悪いところだった。人が海の近くを歩くことはあっても、海に入ることなどあり得ない。
しかし、ユキナリが何度見ても見えるものは船であり、中に人がいるのだ。
海洋調査隊の船が遭難したのだろうか?
よく見ると船体には救命ボートの表示がある。海洋調査隊の調査船に積まれているものだとユキナリは推測した。
「……海洋調査隊か……」
ユキナリは船に残されている者達を救助するかどうか考えた。
というのも海洋調査隊の隊員には犯罪者も少なくない。そのため、助けた後でこちらが襲われたりする可能性がある。
フジミ・タウンの市民を危険にさらすようなことは避けるべきである。
「どなたか存じませんが、この子を助けてください!」
赤子を抱いた女性が助けを求める声をあげた。
徐々に潮が満ちており、船が流されるのは時間の問題に見える。
(……少なくとも赤子には罪はなかろう。助ける!)
赤子の存在を知り、ユキナリは決断した。
急いで無線で連絡を取り、自警団の者十数名を集める。船にいる者たちを救助するためだ。
距離こそ近いとはいえ、海の中に入って彼らを救助することはできなかった。その前に激流に飲み込まれるのがおちだ。
そのため丈夫なロープを使って崖の上から船へと移動し、ロープで船を固定した後に順番に中の親子を助けることにした。
「慌てるな! 確実に、だ」
「はい!」
崖の上から自警団の団員が慎重にロープを下ろしていく。
一分ほどでロープは船に達した。
「今行くぞ!」
自警団の団員の一人がロープで船まで降りた。そしてロープを船首に結びつける。
船に降りた自警団の団員が船に残された者達の様子を確認する。
このときはじめて、団員は中に乗っている者の構成が妙なものであることに気付いた。
片手で赤子を抱いた二十代後半くらいの女性が手前にいる。
よく見ると反対側の腕がだらんと垂れ下がっている。どうやら骨が折れているようだ。
赤子はその大きさを見る限り、生後間もないことがわかる。このような赤子が何故危険な船に乗っているのか?
もし、この船が海洋調査隊のものであるならば、赤子を乗せて調査するなど考えられない。
更に奥に横たわっているのは、彼女の親くらいの年齢に見える男性だった。こちらは海洋調査隊のメンバーとしては高齢すぎるようにも見える。
「この子を先にお願いします!」
赤子を抱いた若い女性が必死に訴えた。
「ま、任せてください!」
女性の声に我に返った団員が赤子を抱きかかえてロープを上る。
「奥の男の人はどうしましたか?」
崖の上からユキナリが問うた。
若い女性は首を横に振った。
「……残念ながら息がありません」
確かに彼女の言うとおりのようだった。船の奥に横たわっている男性はぴくりとも動かない。
赤子が崖の上に助けあげられた。
団員が再びロープで船まで下りようとする。
「いかん! 急げ!」
ユキナリが叫んだ。
潮が急速に満ちてきて船を揺らしだしたのだ。
団員が苦労して船に近づこうとするが、船とロープが揺れてなかなか思うように進めない。
「ロープをしっかり引け! 流されるな!」
ユキナリが叫んだ。彼も必死でロープを引いている。
激流に船が揺らされ、ロープが岩と擦れる。
「早く! ジャンプしてロープに飛び移って!」
ロープにぶら下がった自警団の団員が叫んだ。
しかし、彼女は首を横に振った。
折れていないほうの腕だけで自分の体重を支えるのは不可能だと悟っていたのだ。
団員が急いで船の方に下りようとするが、ロープが揺れて思うように進めない。
「くそっ! ロープさえ岩から離せば!」
団員の身体はロープの擦れている部分より二メートルほど上にある。
女性の乗った船は更に二メートルほど下だ。
団員は両足を岩壁につけ、踏ん張るようにしてロープを岩から離そうと試みる。
しかし、ロープは思うように岩から離れず、擦れてブチブチと嫌な音をたて始めた。
「すみません、これを!」
女性が叫んで小さな箱をロープの団員目掛けて投げた。
団員がそれを受け取った直後、ロープが切れた。
「子供をお願いします!」
女性の叫び声が聞こえた。
「ああっ!」
自警団の団員たちの奮闘も空しく、船はあっという間に沖へと流され、消えていった。
「……」
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