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言葉の林
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そこは不思議な林だった。木が整然と並び、青々と茂った葉には文字が浮かんでいた。落ち葉を拾い上げて読んでみると「あ」から始まる言葉が書かれてあった。
他の木の葉を確認してみると「あ」から始まる別の言葉が書かれていた。1本1本の木が国語辞典の項目になっているようだ。
金曜日の帰宅途中、私は古書店へ立ち寄った。私は、ADHDという発達障害で、脳の機能に障害があるため、いつも気を張って仕事をしなければミスをする。そのため週末になるとどっと疲れが出る。気分転換に小説を読むのが週末の楽しみだ。小説を探すために立ち寄った古書店で、私は、1冊の国語辞典を見つけた。
「えっ! 初版!?」
私は、ある国語辞典を愛用していた。語句の説明がとても独特で面白いためその辞典の虜になったのだ。現在までに第8版まで出ていて、初版以外はすべて持っていたが、初版はまだ持っていなかった。
私は辞典を手に取り、レジへ向かった。
帰宅して机に向かい、買って来た国語辞典をバッグから出した。灰色がかった函の中に入っていた国語辞典は、美しいあかがね色をしていた。序文、凡例と読み進め、「あ」から読み始めようとしたところで猛烈な眠気が襲った。そして私は林の中にいた。これはおそらく夢なのだろう。
林の中を探検するのは本当に楽しかった。とても長い期間、歩いた気がする。私は最後の木である「んぼ」にたどり着いた。その先を見ると、満開の桜が見えた。とても太い幹だった。桜の幹には、大きなうろがあった。その中で眼鏡をかけたスーツ姿の男性が机に向かっていた。私の視線に気づいた男性は、うろから出てきて私を手招きした。私は男性に近づいた。
「よくお越しくださいましたね。言葉の林はいかがでしたか? 申し遅れましたが、わたくしは、主幹です」
「主幹ですか! はっ、はじめまして」
男性は、もうお亡くなりになった、私が愛用している国語辞典の主幹だった。
「お会いできて光栄です。言葉の林の探検はとても楽しかったです。」
「それは良かったです。わたくしは、あなたに1つ伝えたいことがあってこの林にお招きしました」
「主幹がこの林に私を招待して下さったのですか?」
私はとても驚いた。
「はい。あなたは不器用に生まれて辛いと思っているかもしれませんが、不器用なことは生きていく上でとても大切なことなんですよ。それを伝えたいと思いました。国語辞典の中に載っている世渡りの秘訣はご存じですよね?」
「運鈍根のことですか?」
「はい、そうです。不器用で辛い思いをしているからこそ、小さな幸せでも感じることができます。不器用だからこそ、才気に走ったりしません。不器用だからこそ、根気づよく粘ろうと思います。辛いどころか、幸いなことなんですよ」
「ありがとうございます。なんだか、とても力が湧いてきました」
私が目に涙を浮かべてそう答えると主幹は微笑んだ。
「わたくしは、いつも辞典の中にいて、あなたのことを見守ってますよ」
主幹は胸ポケットから万年筆を取り出した。
「ウーン! ドーン! コーン!」
主幹は万年筆で天に向かって3回大きく円を描いた。すると強烈な風が吹き、桜吹雪が私の体を包み込んだ。
目が覚めたとき、私は机に伏せて眠っていた。時計を見たら帰宅してまだ数時間しか経っていなかった。外では鳥のさえずりが聞こえる。私はベランダへ出て大きく伸びをした。
「とても良い夢だったな。運鈍根か……」
その時、柔らかい風が吹き、私の頬を撫でた。それと同時に頭についていた桜の花びらがふわりと空に舞い上がった。(了)
他の木の葉を確認してみると「あ」から始まる別の言葉が書かれていた。1本1本の木が国語辞典の項目になっているようだ。
金曜日の帰宅途中、私は古書店へ立ち寄った。私は、ADHDという発達障害で、脳の機能に障害があるため、いつも気を張って仕事をしなければミスをする。そのため週末になるとどっと疲れが出る。気分転換に小説を読むのが週末の楽しみだ。小説を探すために立ち寄った古書店で、私は、1冊の国語辞典を見つけた。
「えっ! 初版!?」
私は、ある国語辞典を愛用していた。語句の説明がとても独特で面白いためその辞典の虜になったのだ。現在までに第8版まで出ていて、初版以外はすべて持っていたが、初版はまだ持っていなかった。
私は辞典を手に取り、レジへ向かった。
帰宅して机に向かい、買って来た国語辞典をバッグから出した。灰色がかった函の中に入っていた国語辞典は、美しいあかがね色をしていた。序文、凡例と読み進め、「あ」から読み始めようとしたところで猛烈な眠気が襲った。そして私は林の中にいた。これはおそらく夢なのだろう。
林の中を探検するのは本当に楽しかった。とても長い期間、歩いた気がする。私は最後の木である「んぼ」にたどり着いた。その先を見ると、満開の桜が見えた。とても太い幹だった。桜の幹には、大きなうろがあった。その中で眼鏡をかけたスーツ姿の男性が机に向かっていた。私の視線に気づいた男性は、うろから出てきて私を手招きした。私は男性に近づいた。
「よくお越しくださいましたね。言葉の林はいかがでしたか? 申し遅れましたが、わたくしは、主幹です」
「主幹ですか! はっ、はじめまして」
男性は、もうお亡くなりになった、私が愛用している国語辞典の主幹だった。
「お会いできて光栄です。言葉の林の探検はとても楽しかったです。」
「それは良かったです。わたくしは、あなたに1つ伝えたいことがあってこの林にお招きしました」
「主幹がこの林に私を招待して下さったのですか?」
私はとても驚いた。
「はい。あなたは不器用に生まれて辛いと思っているかもしれませんが、不器用なことは生きていく上でとても大切なことなんですよ。それを伝えたいと思いました。国語辞典の中に載っている世渡りの秘訣はご存じですよね?」
「運鈍根のことですか?」
「はい、そうです。不器用で辛い思いをしているからこそ、小さな幸せでも感じることができます。不器用だからこそ、才気に走ったりしません。不器用だからこそ、根気づよく粘ろうと思います。辛いどころか、幸いなことなんですよ」
「ありがとうございます。なんだか、とても力が湧いてきました」
私が目に涙を浮かべてそう答えると主幹は微笑んだ。
「わたくしは、いつも辞典の中にいて、あなたのことを見守ってますよ」
主幹は胸ポケットから万年筆を取り出した。
「ウーン! ドーン! コーン!」
主幹は万年筆で天に向かって3回大きく円を描いた。すると強烈な風が吹き、桜吹雪が私の体を包み込んだ。
目が覚めたとき、私は机に伏せて眠っていた。時計を見たら帰宅してまだ数時間しか経っていなかった。外では鳥のさえずりが聞こえる。私はベランダへ出て大きく伸びをした。
「とても良い夢だったな。運鈍根か……」
その時、柔らかい風が吹き、私の頬を撫でた。それと同時に頭についていた桜の花びらがふわりと空に舞い上がった。(了)
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