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1巻
1-3
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『去年の体力測定の結果なんだけどね、体力測定って二日間に分けてやるよね?』
恵梨花は思い出しながら、たしかにそうだと返す。
『あれの成績って、CマイナスからAプラスの9段階で表してたでしょう?』
「うん。私の今年の成績は平均Aマイナス。で、梓はAだったよね?」
『そう。それで、彼の去年の成績なんだけど、一日目の平均がC、二日目がA、二日間合わせて平均B』
また極端な成績だなと思うも、それだけでは何を意味しているのか分からない。
「……それで?」
『ええ、そして今年の彼の成績は、一日目はA、二日目がCで、二日間合わせてやっぱり平均B』
「……え~と?」
何か順番がおかしい。そんな恵梨花の困惑を感じ取れたのだろう。梓が少し愉快そうに補足する。
『ちなみに測定種目の順番は、去年も今年も一緒』
「つまり、彼は全ての種目で、と言うよりも、一日目も二日目もAをとれたってこと?」
『それもあるけど、気になるのは一日目の成績も二日目の成績も、必ずクラスでまったく同じような成績をとっている人がいる。去年の一日目はその時クラスで一緒だった、河野君。今はあたし達のクラスと一緒』
「ああ、河野君……ええ!? 彼と河野君の体力測定の結果が同じ!?」
同じクラスの河野を思い出した恵梨花は驚きで目を丸くする。
河野はとてもおとなしく、運動神経はかなり悪かった。今日あの立ち回りを見せた彼とあの河野が、一日目だけとはいえ、同じ結果だったことなどとても信じられない。
『そう、去年の一日目だけね。ふふ、そんなんで驚いてちゃダメよ。で、去年の二日目の成績は今四組にいる佐藤君。ほらサッカー部のエース、ジュニア代表にもなってる』
「あの、佐藤君と!?」
佐藤と言えば、容貌は割と平凡なのだが、運動部のエースということもあって、いつも自信に満ちた笑みを浮かべている姿が思い出される。
『そう言えば、恵梨花に何度か言い寄ってたことあったわね』
そんな梓の言葉を聞きながら、恵梨花の困惑はさらに深まった。
「なんか……随分、おかしくない? あの二人とまったく同じ成績なんて」
『そうでしょ? これがおかしくないと言う方がおかしいわ』
「もしかして、今年も?」
『ええ……今年の一日目の成績は彼の今のクラスのバスケ部のエースの小野君、二日目もやっぱり同じクラスの山田君』
小野にも言い寄られた、と言うよりも告白され、丁重にお断りしたことがある。彼はエースなだけあって、運動神経がいいのは周知の事実だ。
ここで恵梨花は知っている人の方よりも、知らない人の方が気になった。
「山田君って子は? どんな人?」
『そうね、悪く言ってしまえば、いるのかいないのか分からないような人よ。運動神経はいいとは言えない』
「その山田君と同じ成績? 去年佐藤君と並んだ彼が?」
『そう、変でしょ?』
「どう考えてもおかしいじゃない……先生達は変に思ったりしないの?」
『先生達だって記録を全部見たら、おかしいと感じるはずよ。けど、彼自体、存在感が薄いからね。変に思う前に誰だっけ、ってなるんじゃない? それで、彼を見たら偶々だったんだと思うようになると思うわ。いちいち、去年の成績と照らし合わせたりする先生なんて稀でしょうけど』
梓の言い分はもっともだ。現に梓ですら最初は少しだけ違和感を覚えた程度なのだし、存在感の薄い生徒を教師がそこまで見ているとも思えない。
『それで、この二年間の成績を見比べたのと、恵梨花の話を聞いたのとで、あたしが最初に抱いた違和感の正体がなんとなく分かったかも』
やっと梓の観察結果を聞けると思うと、恵梨花は思わず居住まいを正した。
「本当!? 何なの?」
『まあまあ、推測の域を出てないんだから』
「いいから、教えてよ」
焦れったそうな声を出す恵梨花に、梓は宥めるように言った。
『はっきりしたら、教えるから。それより気になるなら彼と話したらいいんじゃない? あたしに電話するより、彼に電話したらいいのに』
こう言ったらもう取りつく島もない梓に苛立つが、電話と聞いて恵梨花は思い出した。
「そういえば、電話番号聞いてない……」
『珍しい、聞かれなかったの? ああ、一緒に帰るのを避けて逃げるぐらいだもんね』
「違う。最初、私から聞いたけど、流されて……途中から帰り道に聞けばいいと思ってたけど」
『逃げ去られたってわけ?』
くっくっくと低く笑う梓に、恵梨花はムッとなる。
「ちょっと! 何!?」
『面白いわね……』
「どうせ、私は避けられましたよ!」
『違う、彼よ。桜木亮が』
「面白い? 彼が? 確かに変なところも感じたけど」
『ええ、とても興味深いじゃない。ここまで面白い観察対象がまだ同じ学年にいたなんて』
再び愉快そうな低い笑い声を上げる梓に恵梨花は若干引きながら、言葉の内容に焦りを覚えた。
「ちょ、ちょっと、興味深いってどういう意味!?」
『え? ああ、男としてじゃなく、あくまで観察対象としてよ』
梓のあっさりした返答に、恵梨花は思わず安堵する。
「そ、そう?」
『心配しなくても、恵梨花から盗るような真似はしないから』
「盗るってどういう意味!?」
『そのままの意味だけど……はいはい、なんでもないです』
「もう……そういうのじゃないんだからね!?」
『分かったから……で、明日は彼に会いに行くんでしょ? 学校で』
梓がそう聞くと、途端に狼狽する恵梨花。
「な、な、なんで!?」
『なんでって、あたしも会ってみたいし、もう一度お礼しに行ったらいいんじゃない? お礼し足りないと思ってるんでしょ?』
「たしかにそうは思ってるけど……結局私がすべきなのは黙っているだけだし」
『だから、もう一度会いに行くだけでも、いいんじゃない? あたしも親友を助けてもらったお礼したいし。その時ついでに電話番号も聞いたらいいんじゃない?』
「え……っと、じゃあ、そうしよっかな。教えてくれるかな?」
心配そうな恵梨花の問いに、梓はクスリとして返す。
『大丈夫だと思うよ』
電話を終えた梓は、頬が緩むのを止められなかった。普段から可愛い親友が、今日はいつにも増して可愛かったからだ。途中で電話を切り、テレビ電話でかけ直して顔を見たかったくらいだ。
これが、恋心が女の子に与える変化なのかと考えるも、まだハッキリとは断定できない。その辺に関しては、これから彼と接触していくことで分かるだろう。
そう、接触だ。さっき、恵梨花には大丈夫だと言ったが、梓自身はまったくそう思っていない。
梓の推測では、彼は嫌がるはずだ。しかし親友のため、親友を困惑させた償いを彼にさせるため、自分の楽しみのために、親友を誘導することにした。でも、親友の危ないところを助けてくれたのは間違いない事実みたいだから、そのお返しとして、結果的に彼も幸福になるように手を打っていこうと、梓は心の中で決めた。
彼とはまだ話したこともないが、彼の一連の不可解な行動は、「目立ちたくない」という気持ちから生まれているのではないかと、梓は推測していた。
◇◆◇◆◇◆◇
亮は重い瞼を擦りながら教室に入った。
ほぼ毎日、労働基準法を無視したようなアルバイト先で深夜まで働くことが多く、慢性的に睡眠不足の亮にとって、朝の登校時間はひたすら眠たいだけである。
あくびを噛み殺し、クラスメイトとおはようの挨拶を交わしながら、窓際で後ろから二番目という最高のポジションである自分の席に向かう。
座ると同時に、前の席にいる一年の時から同じクラスの小路明が振り向いた。
「おはよう、今日も眠そうだな」
「おはよう。も、は余計だ。先生が来るまで起こさないでくれ」
亮は挨拶を返しながら教室の時計に目をやり、机に伏せる。
朝のHRまでの残り十分間、寝る以外の選択肢などない。
「先生が来たら起こしてくれ、じゃないんだ」
小さく笑いながらも、明は手振りで肯定して前を向いた。
亮が全神経を集中し、十秒と経たずに眠りの世界に突入しかけた瞬間、教室がざわついた。
周囲の空気の変化を感じとった亮は、一瞬顔を上げようかとも考えたが、眠気が勝り、そのまま動かない。
意識の半分が睡眠に支配された時、再びこちらを振り返る明の気配を感じた。
「お、おい、亮」
亮は小さく舌打ちをした。明は学校の中でも一番仲のいい友人だが、起こすなと言っておいたのにいきなり声をかけてくるとは、ふざけているにもほどがある。
亮は返事をせずにそのままやり過ごそうとした。
「お、おいって」
今度は焦ったような声で、明が亮の体を揺らす。
学校の人間相手にしたことはないが、一発殴ってやろうかと、亮が寝ぼけながら物騒なことを考えていると、頭上から別の声が聞こえてきた。
「桜木君」
それはとても透明度が高く澄んでいて、可愛いというよりも綺麗な、という形容詞が相応しい声だった。その声はさして大きくなかったものの、教室中に聞こえたようで、ざわついていた教室が一瞬で、しん、となる。
聞き覚えのあるその声で眠気は吹き飛んだものの、ピクリとも体を揺らさなかった自分を褒めた。
突っ伏した体勢のまま、背中に冷や汗が流れるのを感じながら、脳は予想外の事態に対応するため、高速回転を始める。
(なんで、昨日の女がこの教室にいる!? 昨日のことはもう終わったはずだろ!? 大体あの馬鹿三人をシメたところで思わずでてしまった殺気に引いてたし、もう接触することはないと思っていたのに……いや、今はそれどころじゃない。寝た振りを維持だ。起きなければ諦めて帰るだろう、いや、帰ってくれ!!)
呼びかけても反応が返ってこなかった恵梨花は、亮の前に座っている明に目を向けて、小首を傾げた。
「寝てるのかな?」
明は少し動揺を見せたが、しっかりと答えた。
「あ、ああ……起こそうか?」
ついさっき頼まれたことを忘れてそんな提案をする友人に、怒りが湧き起こる。亮はそれをどうにか抑えながら微動だにしない。
恵梨花は「そうなの」と返すと、悩むように眉を寄せる。そこで恵梨花と一緒に教室に入ってきた女子が声を出した。
「恵梨花、いいから起こしてみて」
「梓……いいのかな?」
梓は微笑を浮かべて頷いた。
(よくない、よくない。なんだこの女は? 援軍なんてやめてくれ……)
亮は展開が不味い方向に進んでいるのを感じた。
「ねえ、桜木君……桜木君? だめだ、起きないよ?」
(そうだ、桜木君は起きないんだ。だから、早く帰るんだ)
梓は手を揺らしながら言った。
「もっと強く起こさないと」
揺り起こせ、という意味なのは明白だ。恵梨花は一瞬思案したが、頷いて亮の肩に手を置いた。
「ねえ、桜木君……」
(やめてくれー!!)
心の内で、亮の絶叫が虚しく響く。
教室内がさらにざわつく。女子は目を丸くして驚き、男子は「何であんなやつが」と囁き合い、困惑と羨望と嫉妬と殺意が混じった視線を亮に浴びせている。どうやらクラス中が注目しているらしいと強く感じた。
自身を揺らす手に軽い恐怖を覚えた亮は、現状の維持は不可と判断した。内心で諦めのため息を吐くと、さも今起きたような顔を、のろのろと上げる。
「ああ、起きた……ごめんね、桜木君?」
亮は現状がまったく分からない、といった顔に、噂の学校のアイドルが何故自分の前に、といった表情をブレンドしながら言った。
「いえ……何か用ですか?」
恵梨花は、昨日とはまるで違う亮の態度から、無理矢理起こして怒らせてしまったかと思ったようで、しゅんとなって俯き、もう一度謝った。
「あの……ごめんなさい、起こしてしまって。怒ってる?」
弱々しそうに、上目遣いで言った。大事なことだからもう一度繰り返そう。弱弱しそうに、上目遣いで言った。
その効果は抜群らしく、隣の明は真っ赤になっている。
明の隣にいる女子生徒数人も、惚れぼれとしたように顔を赤くしている。
明とは逆隣で様子を見ていた男子生徒のグループは、魂を奪われたような呆けた顔だ。古い言い方をすれば、彼らの心は盗まれたに違いない。
恵梨花の後方にいた男子からは、亮に向けて、怒りと憎しみの声が上がった。それほど大きい声ではなかったが、亮は聴き取れた。てめえ、ふざけんなと。
(男からも女からもって……)
亮は引きつりそうな口元と、自分も真っ赤になりそうな顔を、なんとか抑え込んだ。
「いえ、怒ってないです……それで用件は?」
丁寧な口調なのは、クラスメイトの前では初対面か、もしくは親密ではないように思わせたかったためだ。これは地味学生を目指す亮の、女子への話し方のデフォルトでもある。
そんなことを知る由もない恵梨花は戸惑うような表情を見せたが、意を決したように、深く頭を下げた。
「昨日は本当にありがとう。昨日のとは別に、改めてお礼をさせてもらいたいんですけど、いいですか?」
再び教室内がざわつく。
その厚意をありがた迷惑と感じる自分は傲慢なのだろうかと、思わず考えてしまう亮。
「昨日のことは気にしなくていいんですけど? それに、お礼なら話がついたと思ってたんですが……」
「ええ。でも、それでは私の気が治まらないんです。何らかの形で受け取って頂けると嬉しいんですが……」
恵梨花の口調が少し硬くなっているのは、亮の口調が移ってしまったからだろう。
亮はこれ以上固辞してもしかたがないと、諦めのため息を吐いた。
「……分かりました。でもその前に、昨日のアレは?」
恵梨花の左右には、亮と同じクラスでない女の子がいる。
亮から向かって左側には、恵梨花に劣らないほど綺麗に整った容貌で、大和撫子を連想させるようなロングの黒髪に眼鏡をかけた子がいた。細身の体から伸びる足は黒のストッキングで覆われ、漆黒の髪とも相まって妖艶な魅力を放っている。
右側には背が低く、これまた整った容貌でボブカットの女の子が、無表情で立っていた。
その二人に目を向けながらの言葉だったので、すぐに「アレ」が何なのか、気づいたのだろう。
恵梨花が慌てて口を開こうとしたところに、梓が先に声を出した。
「恵梨花は約束を守っている、心配しなくてもいいわ」
「いや、でもな……分かった」
そんなことを言っている時点で、約束の違反になってないか? と考えたが、約束の内容を誰にも話すな、とは言っていないことを思い出した。
「あの……でも、ごめんね? どうしても話を聞いてもらいたくて……」
恵梨花がこちらを窺うように言うと、亮はもういいから、と手を振る。
普通、女の子が昨日のような目に遭えば相当なストレスになるだろう。誰かに話して発散したくなるのも無理はないので、恵梨花を責めるつもりはなくなった。
お礼についてはみんなの見ている前で話し合いたくない。そろそろ退散してもらおうと口を開こうとした時、梓がニヤリと笑った。
「恵梨花は頑なに君との約束を守っていたわ、私が妬けるぐらいにね」
そんな爆弾発言にも似た言葉で、見事教室を沸騰させた。
亮は、今度は口元が引きつるのを抑えることが出来なかった。
「ちょっ、ちょっと、梓!?」
恵梨花が真っ赤になって、抗議の声を上げる。
「何かな?」
飄々と言う梓に、この女は自分が困るのを分かってやっているのだと、亮は何故だか確信できた。
少し自分に似た匂いを感じたせいもあるだろう。
引きつったままの亮を見て笑みを深くした梓は、恵梨花の抗議を受け流し、腕時計に目を落とした。
「もう時間がないわね。恵梨花、続きはまた今度にしましょう」
亮が教室の時計を確認すると、確かにもうすぐHRが始まる時間だった。
「えっ、もう!? 本当だ、あ、携帯……」
慌てた様子で時計を振り返る恵梨花の言葉に、亮は、まさか、と冷や汗を流す。
「携帯の交換は後にしてもらいましょう。なに、彼なら間違いなく交換してくれるよ」
またもや意味深に微笑む梓に、亮は恐怖を覚えた。
周りの男子からの視線に込められた殺意は、既にピークを迎えつつある。
「ごめんね、桜木君? 後で……昼休みに、また来てもいいかな?」
げっそりとした顔で亮が頷くと、三人の美少女は教室を出て行った。
教室中の視線が一点に集まったところで、HRの開始を告げるチャイムが鳴った。
◇◆◇◆◇◆◇
一時間目が終わった休み時間、亮はクラスの男子に囲まれた。
いや、包囲されたと言ったほうがいいだろう。
「どういうことだ、桜木?」
クラスでAグループの佐々木が、亮に尋問を開始する。
体格のいいこの男が迫ってくると、かなり迫力がある。
前の席からこちらを振り返っている明は、少し興奮した様子だ。
「なんで藤本さんに、鈴木さん、山岡さんまで、亮に会いにきたんだ?」
誰が誰だか分からない亮だが、そのことはおくびにも出さなかった。
「お礼ってなんだ」「昨日何があった」「携帯の交換だと!?」「なんでお前なんかに!」「昼休み一緒にいていいか?」などと次々にぶつけられる疑問や妬みに、返答如何によっては、自分の平穏な生活がなくなってしまうと思わされた。
「実はな……」
そう切り出すと、亮の声を聞き取ろうと全員が口を閉じ、教室が一瞬、しーん、となる。
亮はもちろん、本当のことを話すつもりはない。話したところで、信じてもらうことは難しい。
そこで考えた言い訳はこうだ。
「こけているところを助けただけだ」
誰かがずっこけたような音が聞こえた。
嘘は吐いていない。なぜなら尻もちをついた恵梨花を助けたのは事実だからだ。
地味な自分には地味な話の方が似合うし、みんなも信じるだろうとの亮の結論だ。
一瞬、きょとんとしたクラスメイト達だが、ああ、と納得している顔がちらほら見える。
だが、それだけではすまない者もいる。
「じゃあ、約束ってなんだ?」
「えっと、だな……彼女を起こす時、俺もこけてしまってな。それが恥ずかしくて黙っててくれって言っただけだ」
これは嘘だ。
「はあ!? それだけかよ!?」
「ああ、その通りだ」
亮は眼鏡をクイッと上げながら、無駄に凛々しく答えた。
嘘とは堂々と言ってこそ、嘘である。
「お前、昼休みはどうするんだ?」
「ジュースでも、おごってもらうよ」
肩を竦めて無難な答えを返す。事実、そうしようかと考えていた。
しかし、それでも「うらやましい……」などの呟きが聞こえるが、そこはスルーだ。
「じゃあ、携帯の交換ってなんだ!?」
その言葉で男子にまた火が点く。
「あの人は、自分から男に聞いたりすることは滅多にないんだぞ!!」
これには一番頭を悩ませたが、亮は半分くらい事実を言う方が自然だと考えた。
「お礼をしたいって何度迫られても断ってたら、メールか電話でお礼について相談させてくれって言われたんだ。番号を交換しようとしたら彼女の携帯の電池が切れて、今日になっただけだ。だから、お礼のジュースをもらえば、申し出てくることもないだろう」
会話内容や梓の言動をじっくり考慮すると、多少の矛盾点があるが、それほど無理がない話だと亮は思っている。
実際、クラスメイト達は多少訝しげな顔をしているが、納得しつつあった。
亮はこの言葉で締め括った。
「彼女はすごい律義みたいだな。こけたところに手を差し伸べただけで、あんなにお礼を言ってくるなんて」
男子達は、「ああ、あの人ならきっとそうだ」と恍惚の表情で呟く。
この調子なら、いつも通り影を薄くして過ごせばすぐ忘れてくれるだろうと、亮はほっと胸をなで下ろした。
◇◆◇◆◇◆◇
恵梨花は思い出しながら、たしかにそうだと返す。
『あれの成績って、CマイナスからAプラスの9段階で表してたでしょう?』
「うん。私の今年の成績は平均Aマイナス。で、梓はAだったよね?」
『そう。それで、彼の去年の成績なんだけど、一日目の平均がC、二日目がA、二日間合わせて平均B』
また極端な成績だなと思うも、それだけでは何を意味しているのか分からない。
「……それで?」
『ええ、そして今年の彼の成績は、一日目はA、二日目がCで、二日間合わせてやっぱり平均B』
「……え~と?」
何か順番がおかしい。そんな恵梨花の困惑を感じ取れたのだろう。梓が少し愉快そうに補足する。
『ちなみに測定種目の順番は、去年も今年も一緒』
「つまり、彼は全ての種目で、と言うよりも、一日目も二日目もAをとれたってこと?」
『それもあるけど、気になるのは一日目の成績も二日目の成績も、必ずクラスでまったく同じような成績をとっている人がいる。去年の一日目はその時クラスで一緒だった、河野君。今はあたし達のクラスと一緒』
「ああ、河野君……ええ!? 彼と河野君の体力測定の結果が同じ!?」
同じクラスの河野を思い出した恵梨花は驚きで目を丸くする。
河野はとてもおとなしく、運動神経はかなり悪かった。今日あの立ち回りを見せた彼とあの河野が、一日目だけとはいえ、同じ結果だったことなどとても信じられない。
『そう、去年の一日目だけね。ふふ、そんなんで驚いてちゃダメよ。で、去年の二日目の成績は今四組にいる佐藤君。ほらサッカー部のエース、ジュニア代表にもなってる』
「あの、佐藤君と!?」
佐藤と言えば、容貌は割と平凡なのだが、運動部のエースということもあって、いつも自信に満ちた笑みを浮かべている姿が思い出される。
『そう言えば、恵梨花に何度か言い寄ってたことあったわね』
そんな梓の言葉を聞きながら、恵梨花の困惑はさらに深まった。
「なんか……随分、おかしくない? あの二人とまったく同じ成績なんて」
『そうでしょ? これがおかしくないと言う方がおかしいわ』
「もしかして、今年も?」
『ええ……今年の一日目の成績は彼の今のクラスのバスケ部のエースの小野君、二日目もやっぱり同じクラスの山田君』
小野にも言い寄られた、と言うよりも告白され、丁重にお断りしたことがある。彼はエースなだけあって、運動神経がいいのは周知の事実だ。
ここで恵梨花は知っている人の方よりも、知らない人の方が気になった。
「山田君って子は? どんな人?」
『そうね、悪く言ってしまえば、いるのかいないのか分からないような人よ。運動神経はいいとは言えない』
「その山田君と同じ成績? 去年佐藤君と並んだ彼が?」
『そう、変でしょ?』
「どう考えてもおかしいじゃない……先生達は変に思ったりしないの?」
『先生達だって記録を全部見たら、おかしいと感じるはずよ。けど、彼自体、存在感が薄いからね。変に思う前に誰だっけ、ってなるんじゃない? それで、彼を見たら偶々だったんだと思うようになると思うわ。いちいち、去年の成績と照らし合わせたりする先生なんて稀でしょうけど』
梓の言い分はもっともだ。現に梓ですら最初は少しだけ違和感を覚えた程度なのだし、存在感の薄い生徒を教師がそこまで見ているとも思えない。
『それで、この二年間の成績を見比べたのと、恵梨花の話を聞いたのとで、あたしが最初に抱いた違和感の正体がなんとなく分かったかも』
やっと梓の観察結果を聞けると思うと、恵梨花は思わず居住まいを正した。
「本当!? 何なの?」
『まあまあ、推測の域を出てないんだから』
「いいから、教えてよ」
焦れったそうな声を出す恵梨花に、梓は宥めるように言った。
『はっきりしたら、教えるから。それより気になるなら彼と話したらいいんじゃない? あたしに電話するより、彼に電話したらいいのに』
こう言ったらもう取りつく島もない梓に苛立つが、電話と聞いて恵梨花は思い出した。
「そういえば、電話番号聞いてない……」
『珍しい、聞かれなかったの? ああ、一緒に帰るのを避けて逃げるぐらいだもんね』
「違う。最初、私から聞いたけど、流されて……途中から帰り道に聞けばいいと思ってたけど」
『逃げ去られたってわけ?』
くっくっくと低く笑う梓に、恵梨花はムッとなる。
「ちょっと! 何!?」
『面白いわね……』
「どうせ、私は避けられましたよ!」
『違う、彼よ。桜木亮が』
「面白い? 彼が? 確かに変なところも感じたけど」
『ええ、とても興味深いじゃない。ここまで面白い観察対象がまだ同じ学年にいたなんて』
再び愉快そうな低い笑い声を上げる梓に恵梨花は若干引きながら、言葉の内容に焦りを覚えた。
「ちょ、ちょっと、興味深いってどういう意味!?」
『え? ああ、男としてじゃなく、あくまで観察対象としてよ』
梓のあっさりした返答に、恵梨花は思わず安堵する。
「そ、そう?」
『心配しなくても、恵梨花から盗るような真似はしないから』
「盗るってどういう意味!?」
『そのままの意味だけど……はいはい、なんでもないです』
「もう……そういうのじゃないんだからね!?」
『分かったから……で、明日は彼に会いに行くんでしょ? 学校で』
梓がそう聞くと、途端に狼狽する恵梨花。
「な、な、なんで!?」
『なんでって、あたしも会ってみたいし、もう一度お礼しに行ったらいいんじゃない? お礼し足りないと思ってるんでしょ?』
「たしかにそうは思ってるけど……結局私がすべきなのは黙っているだけだし」
『だから、もう一度会いに行くだけでも、いいんじゃない? あたしも親友を助けてもらったお礼したいし。その時ついでに電話番号も聞いたらいいんじゃない?』
「え……っと、じゃあ、そうしよっかな。教えてくれるかな?」
心配そうな恵梨花の問いに、梓はクスリとして返す。
『大丈夫だと思うよ』
電話を終えた梓は、頬が緩むのを止められなかった。普段から可愛い親友が、今日はいつにも増して可愛かったからだ。途中で電話を切り、テレビ電話でかけ直して顔を見たかったくらいだ。
これが、恋心が女の子に与える変化なのかと考えるも、まだハッキリとは断定できない。その辺に関しては、これから彼と接触していくことで分かるだろう。
そう、接触だ。さっき、恵梨花には大丈夫だと言ったが、梓自身はまったくそう思っていない。
梓の推測では、彼は嫌がるはずだ。しかし親友のため、親友を困惑させた償いを彼にさせるため、自分の楽しみのために、親友を誘導することにした。でも、親友の危ないところを助けてくれたのは間違いない事実みたいだから、そのお返しとして、結果的に彼も幸福になるように手を打っていこうと、梓は心の中で決めた。
彼とはまだ話したこともないが、彼の一連の不可解な行動は、「目立ちたくない」という気持ちから生まれているのではないかと、梓は推測していた。
◇◆◇◆◇◆◇
亮は重い瞼を擦りながら教室に入った。
ほぼ毎日、労働基準法を無視したようなアルバイト先で深夜まで働くことが多く、慢性的に睡眠不足の亮にとって、朝の登校時間はひたすら眠たいだけである。
あくびを噛み殺し、クラスメイトとおはようの挨拶を交わしながら、窓際で後ろから二番目という最高のポジションである自分の席に向かう。
座ると同時に、前の席にいる一年の時から同じクラスの小路明が振り向いた。
「おはよう、今日も眠そうだな」
「おはよう。も、は余計だ。先生が来るまで起こさないでくれ」
亮は挨拶を返しながら教室の時計に目をやり、机に伏せる。
朝のHRまでの残り十分間、寝る以外の選択肢などない。
「先生が来たら起こしてくれ、じゃないんだ」
小さく笑いながらも、明は手振りで肯定して前を向いた。
亮が全神経を集中し、十秒と経たずに眠りの世界に突入しかけた瞬間、教室がざわついた。
周囲の空気の変化を感じとった亮は、一瞬顔を上げようかとも考えたが、眠気が勝り、そのまま動かない。
意識の半分が睡眠に支配された時、再びこちらを振り返る明の気配を感じた。
「お、おい、亮」
亮は小さく舌打ちをした。明は学校の中でも一番仲のいい友人だが、起こすなと言っておいたのにいきなり声をかけてくるとは、ふざけているにもほどがある。
亮は返事をせずにそのままやり過ごそうとした。
「お、おいって」
今度は焦ったような声で、明が亮の体を揺らす。
学校の人間相手にしたことはないが、一発殴ってやろうかと、亮が寝ぼけながら物騒なことを考えていると、頭上から別の声が聞こえてきた。
「桜木君」
それはとても透明度が高く澄んでいて、可愛いというよりも綺麗な、という形容詞が相応しい声だった。その声はさして大きくなかったものの、教室中に聞こえたようで、ざわついていた教室が一瞬で、しん、となる。
聞き覚えのあるその声で眠気は吹き飛んだものの、ピクリとも体を揺らさなかった自分を褒めた。
突っ伏した体勢のまま、背中に冷や汗が流れるのを感じながら、脳は予想外の事態に対応するため、高速回転を始める。
(なんで、昨日の女がこの教室にいる!? 昨日のことはもう終わったはずだろ!? 大体あの馬鹿三人をシメたところで思わずでてしまった殺気に引いてたし、もう接触することはないと思っていたのに……いや、今はそれどころじゃない。寝た振りを維持だ。起きなければ諦めて帰るだろう、いや、帰ってくれ!!)
呼びかけても反応が返ってこなかった恵梨花は、亮の前に座っている明に目を向けて、小首を傾げた。
「寝てるのかな?」
明は少し動揺を見せたが、しっかりと答えた。
「あ、ああ……起こそうか?」
ついさっき頼まれたことを忘れてそんな提案をする友人に、怒りが湧き起こる。亮はそれをどうにか抑えながら微動だにしない。
恵梨花は「そうなの」と返すと、悩むように眉を寄せる。そこで恵梨花と一緒に教室に入ってきた女子が声を出した。
「恵梨花、いいから起こしてみて」
「梓……いいのかな?」
梓は微笑を浮かべて頷いた。
(よくない、よくない。なんだこの女は? 援軍なんてやめてくれ……)
亮は展開が不味い方向に進んでいるのを感じた。
「ねえ、桜木君……桜木君? だめだ、起きないよ?」
(そうだ、桜木君は起きないんだ。だから、早く帰るんだ)
梓は手を揺らしながら言った。
「もっと強く起こさないと」
揺り起こせ、という意味なのは明白だ。恵梨花は一瞬思案したが、頷いて亮の肩に手を置いた。
「ねえ、桜木君……」
(やめてくれー!!)
心の内で、亮の絶叫が虚しく響く。
教室内がさらにざわつく。女子は目を丸くして驚き、男子は「何であんなやつが」と囁き合い、困惑と羨望と嫉妬と殺意が混じった視線を亮に浴びせている。どうやらクラス中が注目しているらしいと強く感じた。
自身を揺らす手に軽い恐怖を覚えた亮は、現状の維持は不可と判断した。内心で諦めのため息を吐くと、さも今起きたような顔を、のろのろと上げる。
「ああ、起きた……ごめんね、桜木君?」
亮は現状がまったく分からない、といった顔に、噂の学校のアイドルが何故自分の前に、といった表情をブレンドしながら言った。
「いえ……何か用ですか?」
恵梨花は、昨日とはまるで違う亮の態度から、無理矢理起こして怒らせてしまったかと思ったようで、しゅんとなって俯き、もう一度謝った。
「あの……ごめんなさい、起こしてしまって。怒ってる?」
弱々しそうに、上目遣いで言った。大事なことだからもう一度繰り返そう。弱弱しそうに、上目遣いで言った。
その効果は抜群らしく、隣の明は真っ赤になっている。
明の隣にいる女子生徒数人も、惚れぼれとしたように顔を赤くしている。
明とは逆隣で様子を見ていた男子生徒のグループは、魂を奪われたような呆けた顔だ。古い言い方をすれば、彼らの心は盗まれたに違いない。
恵梨花の後方にいた男子からは、亮に向けて、怒りと憎しみの声が上がった。それほど大きい声ではなかったが、亮は聴き取れた。てめえ、ふざけんなと。
(男からも女からもって……)
亮は引きつりそうな口元と、自分も真っ赤になりそうな顔を、なんとか抑え込んだ。
「いえ、怒ってないです……それで用件は?」
丁寧な口調なのは、クラスメイトの前では初対面か、もしくは親密ではないように思わせたかったためだ。これは地味学生を目指す亮の、女子への話し方のデフォルトでもある。
そんなことを知る由もない恵梨花は戸惑うような表情を見せたが、意を決したように、深く頭を下げた。
「昨日は本当にありがとう。昨日のとは別に、改めてお礼をさせてもらいたいんですけど、いいですか?」
再び教室内がざわつく。
その厚意をありがた迷惑と感じる自分は傲慢なのだろうかと、思わず考えてしまう亮。
「昨日のことは気にしなくていいんですけど? それに、お礼なら話がついたと思ってたんですが……」
「ええ。でも、それでは私の気が治まらないんです。何らかの形で受け取って頂けると嬉しいんですが……」
恵梨花の口調が少し硬くなっているのは、亮の口調が移ってしまったからだろう。
亮はこれ以上固辞してもしかたがないと、諦めのため息を吐いた。
「……分かりました。でもその前に、昨日のアレは?」
恵梨花の左右には、亮と同じクラスでない女の子がいる。
亮から向かって左側には、恵梨花に劣らないほど綺麗に整った容貌で、大和撫子を連想させるようなロングの黒髪に眼鏡をかけた子がいた。細身の体から伸びる足は黒のストッキングで覆われ、漆黒の髪とも相まって妖艶な魅力を放っている。
右側には背が低く、これまた整った容貌でボブカットの女の子が、無表情で立っていた。
その二人に目を向けながらの言葉だったので、すぐに「アレ」が何なのか、気づいたのだろう。
恵梨花が慌てて口を開こうとしたところに、梓が先に声を出した。
「恵梨花は約束を守っている、心配しなくてもいいわ」
「いや、でもな……分かった」
そんなことを言っている時点で、約束の違反になってないか? と考えたが、約束の内容を誰にも話すな、とは言っていないことを思い出した。
「あの……でも、ごめんね? どうしても話を聞いてもらいたくて……」
恵梨花がこちらを窺うように言うと、亮はもういいから、と手を振る。
普通、女の子が昨日のような目に遭えば相当なストレスになるだろう。誰かに話して発散したくなるのも無理はないので、恵梨花を責めるつもりはなくなった。
お礼についてはみんなの見ている前で話し合いたくない。そろそろ退散してもらおうと口を開こうとした時、梓がニヤリと笑った。
「恵梨花は頑なに君との約束を守っていたわ、私が妬けるぐらいにね」
そんな爆弾発言にも似た言葉で、見事教室を沸騰させた。
亮は、今度は口元が引きつるのを抑えることが出来なかった。
「ちょっ、ちょっと、梓!?」
恵梨花が真っ赤になって、抗議の声を上げる。
「何かな?」
飄々と言う梓に、この女は自分が困るのを分かってやっているのだと、亮は何故だか確信できた。
少し自分に似た匂いを感じたせいもあるだろう。
引きつったままの亮を見て笑みを深くした梓は、恵梨花の抗議を受け流し、腕時計に目を落とした。
「もう時間がないわね。恵梨花、続きはまた今度にしましょう」
亮が教室の時計を確認すると、確かにもうすぐHRが始まる時間だった。
「えっ、もう!? 本当だ、あ、携帯……」
慌てた様子で時計を振り返る恵梨花の言葉に、亮は、まさか、と冷や汗を流す。
「携帯の交換は後にしてもらいましょう。なに、彼なら間違いなく交換してくれるよ」
またもや意味深に微笑む梓に、亮は恐怖を覚えた。
周りの男子からの視線に込められた殺意は、既にピークを迎えつつある。
「ごめんね、桜木君? 後で……昼休みに、また来てもいいかな?」
げっそりとした顔で亮が頷くと、三人の美少女は教室を出て行った。
教室中の視線が一点に集まったところで、HRの開始を告げるチャイムが鳴った。
◇◆◇◆◇◆◇
一時間目が終わった休み時間、亮はクラスの男子に囲まれた。
いや、包囲されたと言ったほうがいいだろう。
「どういうことだ、桜木?」
クラスでAグループの佐々木が、亮に尋問を開始する。
体格のいいこの男が迫ってくると、かなり迫力がある。
前の席からこちらを振り返っている明は、少し興奮した様子だ。
「なんで藤本さんに、鈴木さん、山岡さんまで、亮に会いにきたんだ?」
誰が誰だか分からない亮だが、そのことはおくびにも出さなかった。
「お礼ってなんだ」「昨日何があった」「携帯の交換だと!?」「なんでお前なんかに!」「昼休み一緒にいていいか?」などと次々にぶつけられる疑問や妬みに、返答如何によっては、自分の平穏な生活がなくなってしまうと思わされた。
「実はな……」
そう切り出すと、亮の声を聞き取ろうと全員が口を閉じ、教室が一瞬、しーん、となる。
亮はもちろん、本当のことを話すつもりはない。話したところで、信じてもらうことは難しい。
そこで考えた言い訳はこうだ。
「こけているところを助けただけだ」
誰かがずっこけたような音が聞こえた。
嘘は吐いていない。なぜなら尻もちをついた恵梨花を助けたのは事実だからだ。
地味な自分には地味な話の方が似合うし、みんなも信じるだろうとの亮の結論だ。
一瞬、きょとんとしたクラスメイト達だが、ああ、と納得している顔がちらほら見える。
だが、それだけではすまない者もいる。
「じゃあ、約束ってなんだ?」
「えっと、だな……彼女を起こす時、俺もこけてしまってな。それが恥ずかしくて黙っててくれって言っただけだ」
これは嘘だ。
「はあ!? それだけかよ!?」
「ああ、その通りだ」
亮は眼鏡をクイッと上げながら、無駄に凛々しく答えた。
嘘とは堂々と言ってこそ、嘘である。
「お前、昼休みはどうするんだ?」
「ジュースでも、おごってもらうよ」
肩を竦めて無難な答えを返す。事実、そうしようかと考えていた。
しかし、それでも「うらやましい……」などの呟きが聞こえるが、そこはスルーだ。
「じゃあ、携帯の交換ってなんだ!?」
その言葉で男子にまた火が点く。
「あの人は、自分から男に聞いたりすることは滅多にないんだぞ!!」
これには一番頭を悩ませたが、亮は半分くらい事実を言う方が自然だと考えた。
「お礼をしたいって何度迫られても断ってたら、メールか電話でお礼について相談させてくれって言われたんだ。番号を交換しようとしたら彼女の携帯の電池が切れて、今日になっただけだ。だから、お礼のジュースをもらえば、申し出てくることもないだろう」
会話内容や梓の言動をじっくり考慮すると、多少の矛盾点があるが、それほど無理がない話だと亮は思っている。
実際、クラスメイト達は多少訝しげな顔をしているが、納得しつつあった。
亮はこの言葉で締め括った。
「彼女はすごい律義みたいだな。こけたところに手を差し伸べただけで、あんなにお礼を言ってくるなんて」
男子達は、「ああ、あの人ならきっとそうだ」と恍惚の表情で呟く。
この調子なら、いつも通り影を薄くして過ごせばすぐ忘れてくれるだろうと、亮はほっと胸をなで下ろした。
◇◆◇◆◇◆◇
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