囁きは蜘蛛の糸

深緋莉楓

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第19話 愛喰らう鬼

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 朝食には遅過ぎて昼食には少しだけ早い時間帯に朱殷しゅあんはお腹をぐぅぐぅ鳴らして

おさ、ひもじい……」

 とわざととしか思えないウルウルの上目遣いで食事をねだった。

「おはよ、紫苑しおん! 目が覚めても鬼化解けんね!」
「あ、おはよ……うん……そうなんだよ」

 何故か解けない鬼化。
 自分でも久しぶりに触る角の感触や長く伸びた髪に違和感を感じる。
 そっと角に手を伸ばすと、もう片方の角の付け根を朱殷がそっと触った。

「初めて鬼化した姿見たけど、綺麗やねぇ。長い髪もよう似合うとるよ! ね? 辰臣シンシン?」
「ああ。顔付きも変わったな。初めて会った時の不安そうな表情が嘘みたいだな」

 わしゃわしゃと俺の頭を掻き乱す白群びゃくぐんも朱殷と同じく笑顔で、俺は嬉しいやら照れくさいやらで視線で柚葉に救いを求めた。

「こらっ気安く俺の紫苑に……いや、美しいだろ? たくさん愛でてやってくれ……ただしヘンな事はするなよ?」
「その心配はないわぁ!」
「安心してください長」

 可愛い弟だ、と目を細めた白群が再び手を動かして髪を乱す。
 静かだなと思った朱殷は伸びた俺の髪を弄って遊んでいる。

「ちょ辰臣、わしゃわしゃ止めて! 綺麗に編めんやん!」
「なっ! でも長が愛でて良いと言ってくれたじゃないか。俺にだって紫苑を可愛がる権利はあるだろ?」
「じゃけど今は私!」
「いや、あの、俺……人形じゃないし……柚葉!」

 助けてくれと柚葉を見れば何やら眩しそうに俺達三人を見ている。

「簡単な食事を準備して来るから……紫苑はそのまま二人に遊んでもらえ。良いな?」
「遊んでって……遊ばれてるの間違いだよー!」

 遠ざかって行く柚葉の背中に伸ばした手は宙に浮いたままの俺の髪の一房を引っ張ってソファに座らせると、朱殷は鼻歌を歌いながら俺の髪を編み始めた。
 白群は朱殷にお願いされて昨日台湾で買った髪留めを取りに二人が使った部屋に戻っている。

「紫苑、髪染めた事とかないん?」
「校則で禁止だったし、そういうのうるさい家だったから……」
「そか。ちょっと色素が薄いんかな? 綺麗な色。柔らかぁ」

 猫っ毛で、少し色の抜けたような髪の色は両親のどちらに似たのだろう。
 この中途半端な髪色は俺の人見知りに拍車をかけたし、髪色を理由に少々孤立もした。
 やんちゃな先輩方に、これは自毛だと説明する厄介さは今思い出してもうんざりする。

「私は紫苑の髪、好き。眼の色とよう合っとるよ……柔らかくて優しい、温かい色やね」

 柚葉とはまた違う慈愛の眼差しを向けられるのはむず痒かった。
 色恋に関係のない朱殷の大好きよという言葉は言われ慣れていない俺からすると柚葉の言う愛してるに匹敵する程俺をドキドキさせる。 

「朱殷、持って来たぞ」
「ありがとう辰臣。見て? これでここを留めて……うんうん! 可愛い?」
「可愛いが……こんな紫苑を見たら、長は紫苑を抱えてまた寝室へと逆戻りするんじゃないのか?」

 ああ、俺は今どんな風にされているんだろう……?
 白群のセリフに今朝方の熱に浮かされたような柚葉の眼を思い出した。

「そりゃなかろう……明け方まであんなにがんばっとって、ここでまた寝室へ戻ったら拍手喝采、声援送るわ」
「……まさか、聞いてたの?」

 ひくっと片頬が引きつるのが解った。朱殷は右側から左に移り、また髪を弄っている。

「んー……、微妙じゃな。あの子を天翔てんしょうで送り届けた後、お風呂場から……で、まぁお邪魔はせんとこと思って。しばらくお部屋でお茶しとったらバタバタと。お風呂使わせてもろうたわ。嫌やねぇあの臭い」
「ああ、臭かった! 台湾で服を買っておいて良かった。安心しろ、紫苑。俺達だって野暮でもデバガメでもない。ちゃんと聞こえぬように結界を張ったぞ?」

 にこりと笑いかけられても、俺はイヤな汗が止まらない。

「朝起きて、お湯もらお思うて廊下に出たら……ね? 聞こえたん──ふにゃあぁあぁぁあぁぁんっ──って可愛い猫ちゃんの鳴き声が。そんだけ」

 そんだけって……そんだけってそれって、意識ぶっ飛ぶ直前の俺の喘ぎというか絶叫じゃないか!

 柚葉め……しばく!

 真っ赤な顔で俯く俺の頭をぽんぽんと叩く白群は気にするなと呟いて、空いている右側に腰を下ろした。

「良い匂いがして来たな! しかし長に飯の支度をさせるなんて俺達、ちょっと横柄じゃないか?」

 思案顔の白群に朱殷は笑って大丈夫と答えた。

「呼んだん長やし。ヘタレのお悩み解決するキッカケにはなったじゃろし、問題なかろ?」

……確かに。この二人がこんなに早く来てくれなければ、俺はきっと今日も悩んで、柚葉が俺のモノだと思えぬまま、いつ他の鬼神が柚葉を迎えに来るかと無意識のうちに怯えて過ごしたに違いない。

「運ぶの手伝って来るね。待ってて」

 二人を部屋に残しキッチンへ行くと、目玉焼きを皿に移していた柚葉と目が合った……途端に目玉焼きが皿の上でべちゃっと潰れて、せっかくの半熟の黄身が流れ出してしまった。

「し、しおっ、可愛い! 朱殷がやったのか? だろうな、白群は不器用だと言っていたしな。うん、可愛いぞ!」
「うっぷ! 柚葉苦し……俺、見てないんだけど! どんなにされちゃってんの?」
「とにかく可愛くされてる!」

 うーむ……漠然と可愛いと言われても困る。が、確かめるのもなんとなく怖いので、フライパン片手の柚葉に抱きしめられて顔も上げずにいる。顔を上げたら柚葉の瞳に映る自分を見てしまうだろうから、昨日のお風呂のサンダルウッドの香が微かに残る柚葉の胸に顔を押し当てた。

「ちょっと。聞かれてたんだけど!」
「うん?」
「こーえ! すっげ恥ずかしい!」

 すりすりと俺の角を撫でる柚葉はのんびりとしたもので、片手で器用に調理を続けながらもう片手の手で俺の肩を抱いて、そっと触れるだけのキスをした。

「紫苑の可愛い声を聞かれたのは腹立たしいが、まぁ、うん。何も悪い事はしていないんだぞ? 俺は紫苑を愛しているから求めたし……と、特に昨日は……その、な? 特別だった……」

 柚葉の言う特別の意味。
 初めてワケが解らなくなる前に鬼化していた。
 初めて俺を愛してくれる柚葉の顔をマトモに見た。
 初めて柚葉にフェラをした?

「……ちゃんと心が通じた日、だろ?」

 ボソッと聞こえた柚葉の声は妙に幼く、少し拗ねたような甘えたような声音で、俺の心臓は数秒止まった……と思う。

「運ぶの手伝ってくれ。それと安心しろ、あいつらもヤってた」

 ふふんと笑う柚葉は照れをごまかすようにせっせと手を動かしている。

 キツネ色に焼かれたトーストと目玉焼きとサラダ。カップスープ。
 潰れた目玉焼きは柚葉が食べると言う。

「足りないと朱殷は文句を言うかもな」
「朱殷、あんな細っこいのにすごい大食いだよね。びっくりした」

 実際、台湾の点心食べ放題のレストランや屋台のおじさんおばさんは俺達男の食いっぷりより、細身の可愛らしい朱殷の食いっぷりに目をまん丸にしていたっけ。

「あー良い匂い! 長、お代わりあるん?」

 目の前に置かれた皿を見た朱殷の第一声に思わず吹き出すと、柚葉は冷静にトーストと卵はまだあると伝えて、恐縮している白群に食べるようにと勧めた。

「あんにゃおひゃわらしなじょぎゃとけひゃん!」
「だからな? 女の子が口いっぱいにして喋るんじゃありません! で?」

 で? の一言で通訳しろと言われた白群が焦って口の中の目玉焼きを飲み込む。

「っけほっ、あの。あんな、長、私、謎が解けたん! と言ってます」
「謎? なんだそれ?」

「んっく。謎じゃったんよ! なんで紫苑は魂喰らいたいと思わんのじゃろ? なんで長も喰らわん事なったんじゃろ? て。昨日は長も紫苑も妖力使うたじゃろ?    鬼道開いたり、落ちんように結界でロープ作ったり……実際紫苑は妖力切れで疲れて寝てもうたじゃろ?」

 興奮気味でテーブルに身を乗り出している朱殷は俺と柚葉に視線を彷徨わすとにこりと笑った。

「なのにえっちで妖力満タンじゃもん! あんたらお互いの情欲喰ろうて妖力補給しとるんよ!」

 うんうんと満足気に頷いて食事を再開した朱殷は見た事もないなんとも言えない不気味な笑みを浮かべた。

「……うふぅー萌えるわぁ……愛を喰らい合う鬼やって! たまらんわぁ!」
「朱殷落ち着け」
「萌えってなんだ?」
「……マジ?」

 ジタバタと身悶える朱殷を宥める白群は申し訳なさそうに眉を下げた。
 が、今の話を聞いたからには、はしゃぐ朱殷の態度に申し訳なさそうな白群は俺にとっては二の次だ。

「待って、待って……じゃあ俺、柚葉の魂喰らってた、の?」
「うーん、魂じゃあないよ? 欲じゃ。愛欲、色欲、情欲、愛情……呼び名は色々あるが、まぁそういうモノを喰ろうとるんじゃなかろうか? ヘンな意味はないぞ? あのな紫苑。長に抱かれた後、力が湧くっちゅーか、満たされる、みたいな感覚はないん?」

 そう言われても……いつも不安で、柚葉が俺のナカで果てると深い深い安心感に包まれて眠ってしまっていた。

力が湧く感覚は正直解らないけど、昨日、初めて柚葉のを飲んだ時ハッキリと満たされた感覚があった。

「……でも、じゃあなんで鬼化できな」
「できとるやん。辰臣じゃって鬼化が安定するまで時間がかかったんよ? それに紫苑の場合は長がヘタレじゃけ要らん心配もあったじゃろ?」
「俺が悪いのか?」
「そらそうよ」

 寂しそうに一言、そうか……と呟いて皿に目を落とした柚葉まで申し訳なさそうな顔をする。

「鬼化というのは、単に人間の姿から鬼神の姿へ形を変えるというモノではないんだ。うーん、自分の中にある妖力のコントロール……とでも言おうか。今の紫苑は妖力を上手くコントロールできていないから有り余る妖力が放出されて鬼化している。上手くコントロールできるようになれば妖力を身体に貯めておく事もできるようになるし、必要な時に鬼化できるようになるぞ」
「長が注ぐ妖力が強いんだか多いんじゃろ……ぐふっ」

 茶々を入れる朱殷の頭をコツンと叩く白群の説明と朱殷の言葉を頭の中で繰り返す。

 柚葉の想いを喰らってた?
 柚葉は俺の想いを喰らってた?

「なぁなぁ! 長もじゃろ? そりゃ赤の他人の欲なんぞ喰ろうとれんわな? 純度百パーセントの長への愛を喰ろうとったらそれだけで大満足じゃろ?」
「そう言われれば……」

 と納得しかけた柚葉がやはりおかしいと首を捻る。

「お前達だって連れ合いで、心底愛し合っているのに……喰らうだろ? 人の魂とか」
「確かに」
「むーっ! これはあくまで私の予想よ? 辰臣と紫苑では鬼神になった経緯が違うじゃろ? 辰臣はちゃんとって言ったらアレじゃけど、手順を踏んで、人の食べ物を絶って、私の血と肉を食べて眠って鬼神となった……けど紫苑は……死にかけの状態で長からありったけの妖力を注がれて、目覚めたのもえっちの最中じゃろ?  長、死にかけの紫苑抱いとる時に何考えとったん?」
「……死ぬな、俺の傍に還って来てくれ、愛してる愛してる愛してる愛……」
「ん、もう良い。紫苑は?」

 柚葉の言葉を途中でバッサリと切って、朱殷の目が俺を見る。
 あの時俺は……。

「柚葉が好きだったって言えば良かった、とか……とにかく柚葉の事だけ考えてて、目が覚めた時は……誰にヤられてんのか解んなかったけど柚葉だったら良いなって……」

 ほら! と嬉しそうに手を叩いた朱殷は口の周りにパン粉をつけていて、白群がそれを丁寧に取っている。

「多分私の予想は正しいと思うわ! ……ん? あれ、飛影ひかげじゃなぁい?」

 ベランダの手摺を左右に行ったり来たりする小さな影を指差して、白群の皿からトーストを奪った朱殷が柚葉を見る。

「挨拶に来たのだろう……ちょっと待て、飛影。すぐに解く」

 テーブルに着いたまま、右手をかざして結界を解くなんて技はまだ俺にはできない。
 まだまだ修行が必要だな、と胸の内で自分の未熟さと柚葉のすごさを感じていると飛影が頭に留まった。

「朱殷殿、白群殿ご挨拶に参りましたぞ。この度は──」
「飛影、堅っ苦しいのは要らんよ? それより見て? 紫苑、可愛いじゃろ?」

 見て? と言われた飛影は俺の頭から柚葉の肩へと移動して、くりっとした目で俺を見た。

「……確かに。これは朱殷殿の作ですな? 紫苑、可愛いぞ!」
「……うん……ありがと……?」

 飛影にまで可愛いと言われるとは……若干の切なさというか、俺一応男なのにって思いが胸を過る。

「紫苑、唇尖ってる」

 くすりと笑った柚葉の指が伸びて、飛影の嘴並に尖った俺の唇をやんわりと押す。

「ずいぶん表情が素直に出るようになったな!」
「そうなん! 紫苑はね、やっと色々自覚したん。自分が長の連れ合いやって事とか……」
「へっ? よもや、そこから!?」

「そうなん! そこからよ! 長、どんだけヘタレなん? 飛影もびっくりじゃろ!?」
「……あ、主人あるじは、奥手、なのです! 奥手……違うか……」
「奥手が先に手ぇ出さんて!」
「む、これは擁護が難しい……」

 うるさいな、と立ち上がった柚葉は空いた皿を重ねてキッチンへと向かう。その隙に俺は台湾で買った飛影へのお土産を取りに寝室へと戻った。

 飛影へのお土産を握りしめて、柚葉の帰りを待つ。
 飛影は柚葉の使い魔だから、いくら俺が柚葉の連れ合いで第二の主人と飛影が言ってくれても渡すのは柚葉がいる時が良い。

 食後のコーヒーを淹れて戻った柚葉が手招くので隣に行くと、お前はここだと膝に座らされ、俺達にとってはいつもの、朱殷と白群からしたら甘ったるいコーヒータイムが始まった。

「そだ。飛影にお土産があるんだ! 柚葉、渡しても良い?」
「もちろん。ついでに着けてやれ」
「良いの!?」

 なんだ? なんだ? とキョロキョロしている飛影に、じゃーんと効果音付きで握りしめた掌を開いて見せた。

「すごい! キラキラしている! 美しい!」
「選んだのは紫苑だぞ? ほら、飛影もおとなしく脚を出せ。紫苑が着けてくれる」
「うはぁ……すごい!」
「えへへ……飛影はコレが良いと思ったんだぁ」

 カアァ……と情けなく片翼でつるんとした丸い頭を撫でるフリをする飛影に柚葉が苦い顔をした。

 案の定、飛影の脚に金の指輪は良く似合った。黒い身体に金に翡翠の緑はなかなかに高貴だ。

「うん、飛影、カッコ良いよ!」

 との朱殷からの誉め言葉も飛影のテンションを押し上げた。

「似合うか? 紫苑、主人、ありがとう! うぅ、涙が出そうだ!    森の奴らに見せびらかしてやろう! 私の主人は素晴らしいと自慢しなくては! うはは、嬉しいな嬉しいな! キラキラだ! 綺麗だな! 主人の瞳の色だ! 嬉しいなっそれを紫苑が選んでくれた! 嬉しいなっ!」

 バサバサと落ち着きなく部屋の中を飛び回る飛影を柚葉も朱殷も咎めなかった。
 あまりのはしゃぎっぷりにみんな笑っている。

「ねぇ、紫苑? 主従もね、形は違うけど愛のひとつよ? 愛し愛されるって、あったかくて嬉しいやろ?」

 あったかくて嬉しい……。

「みんな、ありがと」

 俺にそれを与えてくれて。

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