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四 雪のように降り消える

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 熱い肌と肌が隙間なく張り付き、男の腕に引っ掛けられて宙に泳ぐ見慣れた自分の足に全てを受け入れたのだとぼんやりと理解した。
 滲む視界は不規則な呼吸と羞恥の連続だったせいだ。
「痛いですか?」
「ん、大丈夫です……」
 覚悟していたほどの激痛はなかった。彼が言うようにあの恥ずかしさは必要なことだったのかもしれない。男を受け入れた場所はただひたすら熱くまるで第二の心臓がソコに生まれたような妙な感覚を覚えた。
「まだ、きっと動くと痛い、から……馴染むまで、私が何者か……種明かし、しましょうか?」
「え?」
 耳元で囁かれる言葉の意味を理解するのにわずかばかり時間を要した。
「正体不明の男に抱かれて愛を囁かれるなんて、嫌でしょう?」
 頰に軽く唇を当てたまま呟かれるとなんだかこそばゆく、未だ照れもあった私は目を閉じてしまった。彼はそんな私を咎めず、微かに身じろぐとそれはそれは優しく私の乱れた髪を梳き整えてくれたのだった。
「目を。私を見てください」
 変わらぬ美しい顔立ちに澄んだ鳶色の瞳。その瞳の中にいる私と目が合う。彼の瞳の中の私はずいぶんと幸せそうに見えた。
 ヒュッと視界の端に動くものがある。私は無意識に彼の目から視線を外し、二人きりの空間で確かに動いた何かを目で追った。
「……え?」
 ソレは私に体重をかけないようにと気を遣う彼の背後から何本もの放射線を描きユラユラと揺れていた。
「見えますか? もうずいぶんと形が崩れてしまったけれど、お見せできて良かったです」
 薄汚れた灰色の羽根がはらりと落ちる。それはベッドへとたどり着く前に宙で塵のように儚く消えた。
 何枚もの羽根が落ちたのだろう、彼の背から生えていると思われる翼は剥き出しの骨の部分さえあり、とても痛々しかった。
「私はね、貴方がこの世に産まれた瞬間に立ち合った祝福の天使でした。覚えてはいないでしょうけれど、泣き止まない貴方をあやしたこともあるんですよ?」
 ふふっと静かに笑う彼は何故かとても哀しそうで、私は声をかけることができなかった。
「貴方が初めて歩いた日は嬉しくて嬉しくて、天上の神に自慢気に報告したものです。笑われましたけどね。初めて歩いた日、喋った日。初めての教会で聴く讃美歌に目を丸くしていた貴方を見守れることがどれほど嬉しかったか。貴方には光が注ぐ。そんな未来をずっと傍で見ていられると、思っていたの、に……」 
 彼の声がどんどん冷えてゆく。彼の思いに応じるように羽根がバラバラと落ちては消える。
「何故? 何故あんな悪魔のような人間が貴方に触れ、あまつさえ穢す事が許されたのですか? 神の名を語り、なんの非もない貴方が傷付けられ心を殺されなくてはならなかったのですか? おかしいでしょう? もっとおかしいのは神がただ見ていよ、と命じたことです。何度掛け合っても神は貴方に降りかかる汚穢おえを払おうとはしなかった! 我が子だ、愛していると言いながら! 超えられぬ困難を与えはしないなんて痴れごとを繰り返すばかりで貴方を助けなかった!」
 そして彼は目を細め、氷よりも凍てついた声で私に問いかけた。
「そんなモノに、従う価値がありますか?」
 答えられない私の頬をそっと撫でると、彼は再び穏やかさを取り戻し、耳に心地良い声音で話し始めた。
「貴方が老神父を手にかけたあの日。私は神を裏切った。神父の部屋に残された貴方の痕跡を消し、血塗れの貴方の姿を誰の目にも映らぬように隠したんです。口先だけの愛を説く神よりも、私は自身の胸に渦巻く怒りと貴方への想いを信じた。貴方をこの世の罪から救う為なら、翼が薄汚れてゆくサマさえ嬉しかった……貴方はそんな守護天使にもなれず、堕天使にすらなれなかった落伍者に愛され、抱かれるんです」
 嫌ならお逃げなさい、と彼が囁く。
 その声はとても甘く、先ほど神へ呪いの言葉を吐いた激情は完璧に掻き消えていた。
「今なら、まだ間に合う。貴方の中からこの身を引いて……」
「私を置いて、どこへ行くのです? もう既に私に親はない。あんなにも時間をかけて私に貴方を刻み付けたくせに。さっきも言いましたよね? 貴方が毎日来てくれて、私は本当に、嬉しかったんですよ」
「……私も。嬉しかった。貴方を抱いている今は、幸せで壊れそうだ」
 緩やかに弧を描いた唇が降りてくる。私も微笑んで、再び彼の首に腕を絡めると初めての悦楽に溺れていった。
 相変わらず、羽根が降ってくる──目を閉じていてもそれが解る。
 恐らくかつては純白で美しかったのであろう彼の羽根がさらりさらりと宙でその存在を消してゆく音と彼の吐息と規則正しく軋み始めたベッドのスプリングの音が微かに鼓膜を揺らす。
「んっ……!」
「痛くはない、でしょう?」
「それは、まぁ……」
 罪の告白に費やした時間の長さのおかげで、私の身体は今やすっかりと彼のモノになじみ、しっかりと受け入れていた。もちろん、痛みはない。それが私は面映ゆくてならないのだ。
「こう、しても? 痛くない?」
 探るような口調とは裏腹に、深く突き入れられた熱い塊に無様な声が出て顎が浮くと、彼は腰を引くことなくあやすように私の顎や首筋に何度も唇を落とした。
「手加減、なしですか!?」
「だって貴方が離してくれない」
 嬉しそうに軽く腰を揺する彼の意図を察し思わず目を開けて睨みつけると、彼の肩越しに私の為に穢れ抜けた羽根が舞っていた。
「天使、様……」
 羽根に手を伸ばす。指先に触れたそれに温度はなく、シャボン玉のように弾けては消えてゆく。
 彼が天使だった証。それがバラバラとバラバラと散り消える。
「あぁ、泣かないで。もう違うから」
「そんなもの、いないと思っていたのに……いてくれた……! なのに!」
 あの時からこの世には神も仏もないものだと思っていた私は、信仰心厚い両親を安心させる為にだけ教会へと通い、知識を高め職を得たと言っても過言ではない。その過程で得た知識は確実に私を苦しめた。神を恨み、精霊を存在しないものとし、あの老神父への憎しみを消すことができずにいた。
 私は守られていたとも知らずに、神を否定することで同時に彼をも否定し続けていたのだ。
 すぐにでも警察が逮捕令状を持ってやってくるだろうと思っていたのに、ここまでこれたのも運が良かったのだろう程度にしか思っていなかった自分が恥ずかしい。
 私に前科がついていていないのは、彼が自身の信仰の対象であり親にも等しい存在に背を向け、その代償に純白の羽根を汚してまで私を愛してくれた結果であったのだと知った私は、やはり抜け落ちる羽根に手を伸ばし、彼の証に触れようとした。
「天使様、ごめんなさい……汚くてごめんなさい」
「ごめん。ごめんね、助けてあげられなくてごめん。もっと早くに神を裏切れなくて、ごめん……」
 子供に言い聞かせるかのように繰り返し呟く彼の声は私を責めてはいなかった。私のせいで堕天したというのに耳元で囁かれる声は変わらず甘く、涙を拭う指先は温かかった。
「あと……さすがにそろそろ理性も限界だ」
 お説教なら後で聞くよ、と付け足した彼は私の膝裏を掌で持ち上げると深く身体を繋げ、抜き挿しの際のくぐもった水音にさえ満足そうに微笑んでみせた。
「う、んっ、待って……待って……」
 息も絶え絶えの私の懇願に彼は不満そうにほんの少し上唇を尖らせて、奥を突く腰を止めてくれた。
「痛い?」
 心配そうに聞く彼に顔を見られたくなくてぎゅうとしがみつく。
「待って……イってしまうから、待って……」
「そんな可愛い待ては聞けませんね」
「えっ? ちょっ、ホントに待っ怖い! 怖いから!」
 あの時には感じなかった未知の快感、せり上がってくる吐精感、涙でぼやける視界と素肌に感じるお互いの火を纏ったかのような体温……それら全てが怖いと繰り返す私を彼は激しいながらもひたすら優しく抱き、彼の綺麗な掌と指に促されて大量の精液を吐き出した私に彼は
「もう少し、私に抱かれて」
 と、暗に自分はまだ満足していないのだと宣言し、再び繰り返し私に深く楔を打ち込み始めた。
 驚くほど激しく音を立てるベッドのスプリング、耳元を掠める切羽詰まった短い彼の吐息。そして私のナカの奥深くに吐き出された熱い熱い彼の体液。脱力し身体を預けてくる彼の重み──それら全てが心の底から愛おしく、今終えたばかりのこの行為は例え神とやらに咎められようとも、私が産まれて初めて手に入れた真実の愛であり、安寧を意味する行為だった。

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