神がこちらを向いた時

宗治 芳征

文字の大きさ
上 下
63 / 70
第十章

10-1

しおりを挟む
 賢吾は一旦自宅に戻り、自室に入ると着替えを始めた。
 スウェットを脱ぎ、黒の靴下を履き、白地のワイシャツに深緑色のネクタイ。とここまで着て、賢吾はクローゼットを開けた。
 中はスーツだらけだったが、一着だけクリーニングに出してから一切着用していない、ビニールに覆われている紺色のスーツがあった。
 輝成が亡くなった日に着ていたスーツだった。
 もう二度と着ない、着ることはないが自戒として置いていた物。
 けれども、賢吾は迷わずそのスーツを手に取り着用した。
 今日は、これを着なきゃいけない気がした。全ての感情において、決着をつけなければならない日だと賢吾は思ったのである。
 賢吾は支度を済ますとリビングへ行き、猫の面と楓の資料を持って家を出た。
 車に乗り、助手席には楓の資料を入れた鞄と猫の面を置く。賢吾はエンジンをかけるとアクセルを踏み、ハンドルを回した。
 程なくして、賢吾の車は東名高速道路に入った。
 賢吾は前だけを見て運転をする。
 音楽も流さない無音の車内、同じ景色が続く高速道路。
 賢吾は極限に集中していた。だから、俗に言うトランス状態だったのかもしれない。賢吾自身にもわからなかったが、それは急に起こった。
 助手席に猫の面を被った輝成の幻影が現れ、その幻影は猫の面を外す。
 賢吾は流し目で確認をすると、口元を緩めた。
「やってくれたな」
 賢吾はそう切り出し、輝成の幻影との会話が始まった。
 ――いい置き土産でしょう?
「そうだな……フッ……最高だよ」
 ――本当は、自分がやりきれば良かったんですけどね。
「良くやった方だろ。直ぐに殺すのかと思ってたわ」
 ――殺せませんよ。
「何で?」
 ――だって、楓は死んでいるも同然でしたよ。
「……そうだな」
 ――人間として最低だったと思いますが、楓が惨い仕打ちを受けている姿を見て、始めは爽快だったんです。
「いや、わかるよ」
 ――でも、だんだんこれはおかしいだろう? ……って。明らかに、異常な光景でしたからね。
「俺も経緯は見させてもらったよ」
 ――楓を虐げている人達は、10.5の被害者でもなければ関係者でもない。赤の他人です。にも関わらず、彼らは楓を悪の権化と決めつけ、憂さ晴らしの玩具にしていました。
「人間は残酷だからな」
 ――そうなんです。俺はそれを身をもってわかっていたはずなのに、真利亜さんを殺した鉄の娘ということで見えなくなっていた。
「それが普通じゃないのか?」
 ――そうかもしれません。ですが、そうなったら負けだと思いました。
「……負け?」
 ――そうです。俺はいつも苦難に対して感情を制御し、自分を律してきました。けれども、仇の娘に対してはそれができなかった。
「だから負けだと?」
 ――真利亜さんや賢さんが好きになってくれた俺は、いつも当たり前のようにそれができていたんです。だけど……できなかった。好きな二人を裏切ってしまう、二人に申し訳ないという気持ちになったんです。
「昔から言っていたが、お前はどれだけ自分に厳しいんだよ。別にいいだろう? 好きだった真利亜が殺され、自分も苦しめられたんだ。ざまあみろって言えばいい」
 ――冗談でも言えませんよ。
「お前は被害者だ。言う権利はある」
 ――楓も被害者ですよ?
「……それは……生まれたことを呪うんだな」
 ――賢さん。思ってもないことを言わないでください。
「いや、思ってるよ」
 ――いいえ……そんなはずはない。楓は毎日ボロ雑巾のように帰宅し、祖母には心配をかけさせまいと気丈に振る舞っていました。あの姿を見て……賢さんがそんなことを言うはずがない。
「俺の気持ちを勝手に決めるなよ」
 ――もし言うとしたら、それは鉄と同じくサイコパスです。賢さんは人間でしょう?
「その人間が、苛烈に虐げていたことも事実だろ?」
 ――そうですよ。でも、それを助けるのも同じ人間なんです。
「だからって……何でお前なんだよ? お前じゃなくてもいいだろ? 良心が痛むなら、金だけ渡せば良かったはずだ。ガッツリ面倒を見やがって、お前は頭イカレてんのか? 苦しむ道ばっかり選びやがってよ」
 ――前にも言いましたが、鉄の全てを理解しない限り、俺は前には進めませんでした。だから、俺がやらなくてはならなかったんです。それに、彼女はもう充分すぎるほど理不尽な罰を受け続けていました。
「理解に苦しむわ」
 ――嘘が下手ですね。賢さんはわかっているでしょう?
「何がだよ」
 ――楓が……幸せにならなくちゃいけないことを。
「……」
 ――ね?
「ね? じゃねぇよ。だったら、お前が最後までやりきれよ」
 ――だから自分でやりきれば良かったと、最初に謝ったじゃないですか。そんなことはわかっていましたよ。でも、俺が楽しむのはおかしいでしょう? それに、真利亜さんを殺した鉄の娘だと思うと、心のどこかで憎しみが滲んでしまう。
「だからって俺に無茶振りかい」
 ――そうです。賢さんは俺みたいに繊細じゃないでしょう?
「……言ってくれる。守屋さんには繊細と言われたんだけどな」
 ――フフッ。楓もお世辞が上手くなりましたね。
「やっぱりかよ」
 ――でも、楓がそこまで心の内を明かした。いや、それだけじゃない。楓は、賢さんじゃないとダメなんですよ。
「何で俺なんだよ?」
 ――楓を幸せにするには、10.5の被害者や関係者じゃないと無理なんです。楓の業を全てを受け入れ、包み込んであげられるような存在じゃないと。
「俺は菩薩じゃないんだが?」
 ――確かに菩薩とは程遠いですね。ですが、賢さんしかいないんです。それと、他にも理由があります。
「何?」
 ――玲子さんに言われていたでしょう? それが答えです。
「答えになっていない」
 ――いや、賢さんはわかっていますよ。だからこうやって楓を迎えに行っている。
「ハンバーグを食いに行くだけだよ」
 ――ですから、嘘が下手糞なんですよ。
「……はぁ」
 ――楓は幸せにならなくてはならないんです。賢さん、楓を……どうかよろしくお願いします。
「任せろ」
 賢吾が言い切ると、輝成の幻影は優しく笑みを浮かべ消えていった。

 そして、賢吾の迷いも完全に消えた。
 穿つのみである。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

マキノのカフェ開業奮闘記 ~Café Le Repos~

Repos
ライト文芸
カフェ開業を夢見たマキノが、田舎の古民家を改装して開業する物語。 おいしいご飯がたくさん出てきます。 いろんな人に出会って、気づきがあったり、迷ったり、泣いたり。 助けられたり、恋をしたり。 愛とやさしさののあふれるお話です。 なろうにも投降中

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

古屋さんバイト辞めるって

四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。 読んでくださりありがとうございました。 「古屋さんバイト辞めるって」  おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。  学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。  バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……  こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか? 表紙の画像はフリー素材サイトの https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。

サドガシマ作戦、2025年初冬、ロシア共和国は突如として佐渡ヶ島に侵攻した。

セキトネリ
ライト文芸
2025年初冬、ウクライナ戦役が膠着状態の中、ロシア連邦東部軍管区(旧極東軍管区)は突如北海道北部と佐渡ヶ島に侵攻。総責任者は東部軍管区ジトコ大将だった。北海道はダミーで狙いは佐渡ヶ島のガメラレーダーであった。これは中国の南西諸島侵攻と台湾侵攻を援助するための密約のためだった。同時に北朝鮮は38度線を越え、ソウルを占拠した。在韓米軍に対しては戦術核の電磁パルス攻撃で米軍を朝鮮半島から駆逐、日本に退避させた。 その中、欧州ロシアに対して、東部軍管区ジトコ大将はロシア連邦からの離脱を決断、中央軍管区と図ってオビ川以東の領土を東ロシア共和国として独立を宣言、日本との相互安保条約を結んだ。 佐渡ヶ島侵攻(通称サドガシマ作戦、Operation Sadogashima)の副指揮官はジトコ大将の娘エレーナ少佐だ。エレーナ少佐率いる東ロシア共和国軍女性部隊二千人は、北朝鮮のホバークラフトによる上陸作戦を陸自水陸機動団と阻止する。 ※このシリーズはカクヨム版「サドガシマ作戦(https://kakuyomu.jp/works/16818093092605918428)」と重複しています。ただし、カクヨムではできない説明用の軍事地図、武器詳細はこちらで掲載しております。 ※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。

すこやか食堂のゆかいな人々

山いい奈
ライト文芸
貧血体質で悩まされている、常盤みのり。 母親が栄養学の本を読みながらごはんを作ってくれているのを見て、みのりも興味を持った。 心を癒し、食べるもので健康になれる様な食堂を開きたい。それがみのりの目標になっていた。 短大で栄養学を学び、専門学校でお料理を学び、体調を見ながら日本料理店でのアルバイトに励み、お料理教室で技を鍛えて来た。 そしてみのりは、両親や幼なじみ、お料理教室の先生、テナントビルのオーナーの力を借りて、すこやか食堂をオープンする。 一癖も二癖もある周りの人々やお客さまに囲まれて、みのりは奮闘する。 やがて、それはみのりの家族の問題に繋がっていく。 じんわりと、だがほっこりと心暖まる物語。

マキノのカフェで、ヒトヤスミ ~Café Le Repos~

Repos
ライト文芸
田舎の古民家を改装し、カフェを開いたマキノの奮闘記。 やさしい旦那様と綴る幸せな結婚生活。 試行錯誤しながら少しずつ充実していくお店。 カフェスタッフ達の喜怒哀楽の出来事。 自分自身も迷ったり戸惑ったりいろんなことがあるけれど、 ごはんをおいしく食べることが幸せの原点だとマキノは信じています。 お店の名前は 『Cafe Le Repos』 “Repos”るぽ とは フランス語で『ひとやすみ』という意味。 ここに訪れた人が、ホッと一息ついて、小さな元気の芽が出るように。 それがマキノの願いなのです。 - - - - - - - - - - - - このお話は、『Café Le Repos ~マキノのカフェ開業奮闘記~』の続きのお話です。 <なろうに投稿したものを、こちらでリライトしています。>

狗神巡礼ものがたり

唄うたい
ライト文芸
「早苗さん、これだけは信じていて。 俺達は“何があっても貴女を護る”。」 ーーー 「犬居家」は先祖代々続く風習として 守り神である「狗神様」に 十年に一度、生贄を献げてきました。 犬居家の血を引きながら 女中として冷遇されていた娘・早苗は、 本家の娘の身代わりとして 狗神様への生贄に選ばれます。 早苗の前に現れた山犬の神使・仁雷と義嵐は、 生贄の試練として、 三つの聖地を巡礼するよう命じます。 早苗は神使達に導かれるまま、 狗神様の守る広い山々を巡る 旅に出ることとなりました。 ●他サイトでも公開しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...