神がこちらを向いた時

宗治 芳征

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第九章

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 その後、向坂と遠山は二人揃って起立し、賢吾へお辞儀をした。玲子は二人を連れて玄関へと向かった。
 ……いや……待て……まだ話は終わってないだろう。
「賢ちゃん……本当はわかっているよね?」
 戻ってきた玲子の開口一番はこれだった。
 ……何がだよ?
 苦虫を嚙み潰したような顔の賢吾とは異なり、玲子は優しい顔つきであった。
「楓ちゃんは賢ちゃんだけだよ……それに……賢ちゃんもね」
 賢吾の太ももをさすり、玲子は囁いた。
 俺が?
 ……俺も?
「賢吾、何かあったら電話しろよ」
 キッチンから竜次の声が聞こえ、玲子は竜次の方へ足を向けた。
「じゃあ俺らも会社に戻るわ」
 と言って、竜次と玲子もいなくなった。
 ……何でどいつもこいつも待たねぇんだよ……終わってねぇだろ。
 ……勝手に言いたいことだけ言って帰りやがって。
 賢吾は煮えたぎっていた不満を顔には出していたが、結局口にはしなかった。
 家には誰もいなくなり、無音となった。
 賢吾は情報をまとめようと頭を回転させたが、一瞬でショートした。だから考えることはやめて、無心となりソファに身体を預けていた。
 何時間も賢吾は魂が抜けたようにボケーッとしていた。
 喉が渇いたら麦茶を飲みに冷蔵庫へ行き、用を足したくなったらトイレに行く。それ以外はソファの定位置でずっとぼんやりしていた。驚くべきことに、早朝までその状態だった。
 賢吾はソファで気絶するように眠り、その日の夜に起きた。
 時刻は、十月四日午後十時三十五分だった。
 寝汗が酷かったので、賢吾はシャワーを浴びに浴室へと向かった。そして、シャワーを浴び終え身体の不快感が取れると、腹から空腹を知らせる音が鳴った。
 賢吾は冷蔵庫に竜次が作ってくれたタコライスがあると思い出し、タコライスと麦茶をキッチンで立ったまま食した。食べ終えてから、賢吾は再びリビングの定位置へと戻る。
 その間、楓の資料が賢吾の視界に入った。見るつもりはなかったが、無心だった賢吾は手に取って読み始めた。
 守屋楓。
 現在二十二歳で誕生日は三月三日。
 シングルマザーの家庭ではあるが、10.5まではそこそこ平穏。だが、小学三年生の時、帰宅後に母の自殺を目撃し失神。
 地獄はここからか、と賢吾は鼻を鳴らし続きを読み進めた。だが、読み進めていく内に、賢吾はどんどん気分が悪くなっていった。
 イジメの内容が苛烈すぎるのだ。
 犯罪者の娘として教室ではバイ菌扱いや暴力の的に、教師からも露骨に嫌がらせをされていた。
 また、養護施設でも犯罪者の娘に食べさせる物はない、与える物はないと差別され、男性職員には性的悪戯もされていたという。ここに注意書きで【施設ではよくあるケースだが、それでも度が過ぎている】とあった。よくあるのか、と賢吾の顔は更に引きつっていた。
 祖母の妙子と浜松に移住。
 小学六年生の二学期に転校し、小学校を卒業するまでは特に問題はなかった。
 だが、中学に通い半年足らずで鉄の娘とバレる。
 その後は、生徒や職員のただの玩具だった。
 向坂が言っていた通り、妙子が何度も楓の状況改善を望み、学校へ足を運んでいたらしい。証拠として、アザだらけの全身や、無数にある切り傷、痛々しい楓の写真が何枚もあった。
 しかしながら、学校側は絶対にイジメを認めず、逆に犯罪者の娘を通わせてやっているんだから感謝しろと述べていたとのこと。ちなみに、男子生徒や職員からは暴力だけでなく性的暴行もあったが、妊娠はしなかったと記載されていた。
 いやいや、何の慰めだよ。と賢吾は心の中で呟いた。
 輝成の過去も中々酷かったが、比較対象にするレベルではない。母の自殺を直視し、無自覚に父の業を背負わされ、存在自体が悪とされ蹂躙され続ける。
 前世でどんな悪行を積み重ねてたら、この子に生まれ変わるんだろう。
 そう思わせるくらい、どうしようもない。
 ……正しく、生き地獄。
 自分なら迷わず自殺してるなと思いながら、賢吾は楓の資料を乱暴に投げた。
『子供は親を選ぶことができません』
 片倉の台詞が思い浮かんだ。
 輝成にも同じことを言われた。
 確かにそうだ……楓は好んで鉄の娘になったわけじゃないし、そんなことはできない。
 ただ、現実がとてつもなく残酷だっただけの話である。
『だから、社長は違うんです。他の人はずけずけとくるし……やられます』
『……私が……自分に自信を持つことはできませんよ』
 ふと、楓が山下公園で放った言葉、苦悶の表情が浮かんだ。
「かわいそうな女だな」
 無意識に賢吾の口から出ていた。
 憐れむ気持ちと同時に、輝成はよくこんな状況の子を人格者になるように導けたな。と、改めて輝成の才能に恐れ入った。
 この時、日付が十月五日に変わっており、午前三時を回ったところだった。
 ソファに座り一点を見つめていた賢吾は、唐突に立ち上がり家を出た。
 ガレージにある自家用車、白色のトヨタのクラウンに乗り、エンジンをかける。それからガレージのシャッターを開け、車を発進させた。
 まだ闇が支配する真夜中。ヘッドライトで照らされた道路をひたすらに走る。他の車は少なく、人の気配もほとんどなかった。
 走ること約二十分。
 着いた場所は、日野公園墓地だった。
 賢吾はエンジンを切り、車から出るとロックした。トランクから清掃用具を取り出し、歩き始める。
 賢吾は水を汲んだ後、大宮家の墓の前で両手を合わせる。それから無言で墓の清掃を始めた。
 元々今日は輝成と真利亜の命日で、墓参りには来るつもりだった。けれども、賢吾が真夜中にいきなり思い立って来たことには理由があった。
 オカルトじみた発想だが、輝成や真利亜が何か答えをくれるんじゃないか。と心のどこかで思っていたのだ。黙って掃除をし、墓を磨いている最中、何か発してくれてと賢吾はずっと念じていた。
 しかしながら、当たり前だが二時間近く経っても何も反応はなかった。
 俺って霊感がないのか。と落ち込みつつ、墓の前で座った賢吾は天を仰いだ。
 橙色と淀みない青色がまじった綺麗な朝焼けが、賢吾の目に映った。
 今日も雲一つなく晴れそうである。
 ……十月五日でこの天気。輝成が事故死し、楓と初めて会った時と全く一緒だ。
 そう、賢吾は自虐的な笑みを浮かべた。
 賢吾は額に手を当て、うずくまった。そして、その状態から動けなくなった。
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