神がこちらを向いた時

宗治 芳征

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第九章

9-5

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 場が静まり返っている中、
「向坂さんと、遠山さんでしたか? あなた方は僕達と初対面じゃありませんよね?」
 と、片倉が言った。
 賢吾、竜次、玲子が眉を寄せて片倉に視線を向けると、片倉は軽く息を吐いた。
「輝成さんが死んだ後、社長達、というか特に社長は茫然自失としていたから記憶になかったのかもしれませんが、この方達は輝成さんの葬式に来ていましたよ。僕、受付をやっていたので憶えているんです」
 そう述べた片倉に対し、向坂は否定することなく少し目線を下げた。
「輝成さんと知り合いだった。それに、輝成さんが頼りにしたあなたが無能だとは到底思えません。となると、おかしいんですよね」
 片倉は呟くように言い、
「こんなに証拠を集める必要はなかった。筆跡だけでも充分だったし、本当はもっと早い段階でわかっていたんじゃないですか?」
 と向坂に疑惑の眼差しを向けていた。
「……はい」
 向坂は無表情で返事をした。
「何でわかっていながら、完全な証拠を得るまで黙っていたんですか? 輝成さんの賃貸借契約書を確認したいのであれば、社長や瀬戸さんに聞けば直ぐに済んだはずです。事実、あなたは最終手段として瀬戸さんに確認したと言いました。なぜ、こんなに時間を掛けたんです?」
 片倉が質問を続けた。向坂はフーッと息を吐くと、賢吾達の顔を順番に見た。
「逆に伺いますが、楓さんを庇護していた者が輝成君だったのだと、瞬時に喜んで受け入れられますか?」
 向坂は険しい顔つきで言葉を放った。疑いの目を向けていた片倉は顔を背け、賢吾達三人も目を逸らし俯いた。
「私も、輝成君とは付き合いが長く、彼の非凡な才能や人間的に素晴らしいところも知っていました。だからこそ……違う……彼じゃない……彼なわけがない。と思いたかったんです。輝成君じゃない、その線は消そうと無意識に動いていたんでしょうね」
 向坂は苦々しい顔で言葉を絞り出した。その様に賢吾は同情し、他三人も浮かない表情をしていた。
 向坂は大きく息を吐くと、再び賢吾に目を合わせる。
「ですが、残念ながら証拠が揃いました。しかも、楓さんは大宮賢吾という男に庇護され、薫陶を受けました。そこまでやった、やれた人物が現実にいたんです。じゃあ、一体誰がしたのか? 祖母の妙子が亡くなり楓さんは天涯孤独になりました。その事情を精通している者は、私の知る限りたった一人です。しかも、残酷な過去さえも上書きにできるほどの人間力を持ち、楓さんを導ける人物がいるとしたら誰なのか? ……輝成君しかいないんですよ」
 向坂は悲しげな吐息と共に話し、賢吾は表情が死んでいった。
「悲惨な過去がある場合、大抵人は何かが狂っています。でも、守屋さんは紛れもなく人格者です。最低最悪な状態から、ここまで仕上げることができた。庇護した人間は常人じゃありませんよ。輝成さんでした、と言われれば納得はできます」
 片倉は小さく息を吐き、無念そうに言った。
「しかし、先程も申し上げた通り、辿り着いた答えに私は納得できませんでした。輝成君の鉄への憎悪は尋常じゃなかった。鉄の娘がいると教えれば、輝成君は今直ぐにでも殺しにいき兼ねない状態だったんです。殺害はしないし危害も加えない、と輝成君に念書を書いてもらい、情報を開示しました。楓さんを見に行く時も、一緒について行きました。全ては輝成君が狂気に駆られ暴走しないよう、見張るためです。輝成君が初めて楓さんを見た時の顔を見て、ついて来て良かったと心底思いました。それほどまでに憎んでいた相手だったんです。……なのに……その娘を世話をする? 考えられませんでした」
 向坂は大袈裟に首を振った後、フーッと息を吐いた。
「けれども、遠山の言葉で得心しました」
 向坂はそう言うと、遠山に顔を向けた。
「波多野さんは、楓さんを許さなかったし、許したんだと思います」
 遠山は姿勢を正し、言葉を放った。
 ……ん?
 と、賢吾を含めた四人共が困惑の表情を浮かべた。
「楓さんと比べるものではありませんが、私も似たような経験があります。ただ事実を受け止め、一緒に背負っていこうと……許さないし許す。その相手が見せた表情と、波多野さんが最後に訪れた時の表情がそっくりだったんです」
「鉄恭一は仇だけど、楓ちゃんには罪がない。コウちゃんがフラットになったってこと?」
 遠山の解釈に玲子が反応をした。遠山は少し首を振ってから一拍置き、
「無理やりフラットになろうとしていたんだと思います。だから、許したし許していないんです。波多野さんが許していたのであれば、素顔で会いに行き楓さんを施していたはずです。だけどそうはしなかった。いや、できなかったと思うんです。理屈ではわかっていても、相手は憎き仇の血を引いた娘です。その感情を制御することは至難の業ですよ」
 と言って曇った顔をした。
「だから猫の面をした」
 片倉が呟くと、
「苦肉の策だったと私は思いました。目は口ほどにものを言う、ということわざがありますからね」
 そう、遠山は補足した。
 遠山の言い分は、赤の他人なら理解できたかもしれない。だが、賢吾にとっては到底理解できない、理解したくないものであった。
「何でそこまでコウが気を使うんだよ。おかしいだろ?」
 賢吾は不貞腐れた態度で言った。
「社長、面の裏を見てください」
 片倉は真顔のまま賢吾へ促した。
 賢吾は片倉を睨んだが、片倉は猫の面に顔を向けており視線が合わない。賢吾は内心舌打ちをしつつ、面倒くさそうに面を手に取って裏側を見た。
 刹那、賢吾は目を見開いた。

 楓は何も悪くない。
 楓は幸せにならなくてはならない。

 そう、記載されている文字、間違いなく輝成が書いた文字だと賢吾はわかった。
『賢さん。何でここまで俺にしてくれるんですか?』
『コウ。お前は、何も悪くないんだ。幸せにならなくちゃいけない奴なんだよ』
『ちょっと、言っている意味がわからないんですけど?』
『へっ……いいよ別に。俺が勝手にそう決めただけだ』
 一瞬、輝成としたやり取り、その情景が思い浮かんだ。賢吾は天井を見上げ、口を震わせていた。
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