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第九章
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賢吾はひとしきり笑うと、湯飲みに口を付けた。にっこりとして向坂を見るが、向坂は真顔のままだった。
……現実ですよ。しっかり受け止めてください。
そう言われているような気がした。
「嘘だぁぁぁぁぁああああああああああ!」
賢吾は思いっきりテーブルを叩き、怒鳴り声を上げた。
「先程申し上げた件……10.5被害者遺族に対して、楓さんの情報を開示しない件ですが、私に依頼したのは波多野さん……いや、輝成君なんです」
向坂は説明の最後に輝成の呼び名を変えた。そのことで更に現実感が増し、
「は? ……コウが?」
と賢吾は強烈に顔をしかめた。
「輝成は、守屋さんが鉄の娘だと知っていたんですか?」
呆然とした表情で竜次が向坂へ聞くが、
「はい。鉄恭一に関する情報は全て輝成君に伝えていましたので」
さもありなんと回答した。
冷静沈着な向坂の態度に、賢吾は鼻息を荒げる。
「だからって嘘だろ! 何でコウが鉄の娘を助けるんだよ! あいつがどれだけ鉄に執着して苦しんでいたかは、依頼されていたあなたもわかっていたはずだ!」
怒りというよりは苛烈な訴えであった。
平静を保っていた向坂は悲痛な面持ちになり、
「ですから昨日言った通り、私も考えたくない根拠でした」
と言って目を伏せた。
「あり得ない……あり得ない……ないない」
賢吾は断固として拒否を続けた。向坂は顔を上げると賢吾に目を合わせ、深刻な表情で話し始める。
「楓さんの性格を考慮すると、10.5の被害者が大宮さんだとわかった時、彼女は酷く罪悪感に苛まれたはずです。ですが、それだけなら会社を辞めるなり、何かしら申し出があるはずなんです。事情を話さずとも、連絡は取れたはずです。しかし、彼女は行方不明となった。彼女自身の根幹を揺るがす何かがあったんです」
「それが……コウちゃん?」
玲子が困惑した顔で聞き返し、
「自分を支えてくれた肉親ではない、唯一の他人。守屋さんの恩人に対する思いは、半端じゃなかった。それがまさか、自分の父に苦しめられた人間で、しかも死んでしまっている。守屋さんが酷く動揺したのは、容易に想像できるな」
と、竜次は言い聞かせるような口調で重ねた。
「……ない……ない! 絶対にない! 違う!」
だが、賢吾は必死に抗っていた。否、認めるわけにいかなかった。
「コウのことは、俺が一番良くわかっているんだ! あいつがどれだけ鉄を憎んでいたかもな! 鉄の娘を優しく施すとか……あいつがやるわけない! 絶対にあり得ない!」
立ち上がり賢吾は怒号を放った。
「社長」
荒ぶる賢吾に、戻ってきた片倉が一言。片倉は右手を後ろに隠し、真面目な顔つきで賢吾の隣に座った。そして、隠していた右手を出してテーブルの上に何かを置く。
「どうやら向坂さんは……名探偵のようです」
そう呟き片倉が置いたものは、猫の面であった。
怒り狂っていた賢吾の動作が止まり、ただひたすらに凝視していた。
……何で?
いや、どこで?
と賢吾が混乱している中、
「輝成さんの部屋で見つけました」
片倉は寂しそうな表情で告げた。
コウの部屋?
何でだ?
いや……待て……どこかで見たことがある。賢吾は思考を巡らせ、そしてわかった。
……そうか。真利亜が高校二年生の時の文化祭だ。真利亜が時代劇を演じ、その際に被っていた猫の面。真利亜が自分で作って、輝成に自慢をしていた。賢吾は面の事実を受け入れると、力が抜けてしまいソファへ倒れ込むように座った。
「……何で……何でだ……何でだよ……何で……」
お前、あれだけ苦しんでいただろう?
鉄が憎かったんだろう?
「何でだよ……おかしいって!」
苦しみ続けていただろう?
鉄への復讐が全てだったんじゃないのかよ?
それなのに鉄の娘を、お前が面倒を見ていたのか?
「何でまた……苦しむ道を選んだんだよ?」
……何でだよ!
何でそんなことをしていたんだよ!
「コウ……」
心中と口で思いを吐き出しながら、最後に声を絞り出した賢吾は涙ぐむ。咄嗟に両手で目を覆い、賢吾は何度も深呼吸を繰り返していた。
賢吾の息遣いだけが響いていたが、次第に収まると賢吾の耳に向坂の声が届く。
「私も、輝成君の鉄に対する執着と憎悪は、怖いほど知っていました。だから、大宮さんと同じく最初はあり得ないと思っていました。ですが、輝成君は鉄を調べ上げることによって、楓さんの過去も知っていました」
……楓の過去?
賢吾は眉をひそめ向坂を見た。賢吾と目が合った向坂は、小さく頷き話を続ける。
「楓さんは、東京で母の真奈美と二人で暮らしていました。真奈美は娘を女手一つで育てながら復学し、卒業後は大手商社に勤めていました。会社や近所ともトラブルなどは一切なく、平穏に暮らしていたそうです。ですが、二千五年十月五日にご存知の凶悪事件が起きました。事件から数日後、当時小学生だった楓さんは帰宅すると、母である真奈美が首を吊って死んでいる姿を目にしました」
最後の言葉に、玲子は口に手を当て絶句していた。
「当時幼かった楓さんは、計り知れないほどのショックを受けたと思います。実際、玄関で失神しているところを、近所の人に見つけてもらったわけですからね。その後、楓さんは養護施設で暮らすことになりました」
「引き取り手は誰もいなかったんですか?」
「いえ、真奈美の両親は健在でした。ただ、鉄との結婚と離婚で、真奈美は父親の守屋泰三と関係が険悪になりました。しかも自分の孫とはいえ、日本史上最悪の犯罪をした男の娘です。泰三が引き取ることを拒否しました」
竜次の質問にも、向坂は途切れなく説明をした。
「そんな……」
玲子が痛ましい表情で声を漏らすが、
「賢明な判断だな。凶悪犯罪者の親族は、その後自殺や離散することが多く、不幸になると決まっている」
賢吾は嘲笑った。
「ちょっと賢ちゃん……」
玲子が諫めようとしたが、賢吾は真っ向から受け止め睨み返した。
「大宮さんの仰る通りで、事実そのようなケースがほとんどですよ」
遠山が間に入り、玲子を宥めた。
……現実ですよ。しっかり受け止めてください。
そう言われているような気がした。
「嘘だぁぁぁぁぁああああああああああ!」
賢吾は思いっきりテーブルを叩き、怒鳴り声を上げた。
「先程申し上げた件……10.5被害者遺族に対して、楓さんの情報を開示しない件ですが、私に依頼したのは波多野さん……いや、輝成君なんです」
向坂は説明の最後に輝成の呼び名を変えた。そのことで更に現実感が増し、
「は? ……コウが?」
と賢吾は強烈に顔をしかめた。
「輝成は、守屋さんが鉄の娘だと知っていたんですか?」
呆然とした表情で竜次が向坂へ聞くが、
「はい。鉄恭一に関する情報は全て輝成君に伝えていましたので」
さもありなんと回答した。
冷静沈着な向坂の態度に、賢吾は鼻息を荒げる。
「だからって嘘だろ! 何でコウが鉄の娘を助けるんだよ! あいつがどれだけ鉄に執着して苦しんでいたかは、依頼されていたあなたもわかっていたはずだ!」
怒りというよりは苛烈な訴えであった。
平静を保っていた向坂は悲痛な面持ちになり、
「ですから昨日言った通り、私も考えたくない根拠でした」
と言って目を伏せた。
「あり得ない……あり得ない……ないない」
賢吾は断固として拒否を続けた。向坂は顔を上げると賢吾に目を合わせ、深刻な表情で話し始める。
「楓さんの性格を考慮すると、10.5の被害者が大宮さんだとわかった時、彼女は酷く罪悪感に苛まれたはずです。ですが、それだけなら会社を辞めるなり、何かしら申し出があるはずなんです。事情を話さずとも、連絡は取れたはずです。しかし、彼女は行方不明となった。彼女自身の根幹を揺るがす何かがあったんです」
「それが……コウちゃん?」
玲子が困惑した顔で聞き返し、
「自分を支えてくれた肉親ではない、唯一の他人。守屋さんの恩人に対する思いは、半端じゃなかった。それがまさか、自分の父に苦しめられた人間で、しかも死んでしまっている。守屋さんが酷く動揺したのは、容易に想像できるな」
と、竜次は言い聞かせるような口調で重ねた。
「……ない……ない! 絶対にない! 違う!」
だが、賢吾は必死に抗っていた。否、認めるわけにいかなかった。
「コウのことは、俺が一番良くわかっているんだ! あいつがどれだけ鉄を憎んでいたかもな! 鉄の娘を優しく施すとか……あいつがやるわけない! 絶対にあり得ない!」
立ち上がり賢吾は怒号を放った。
「社長」
荒ぶる賢吾に、戻ってきた片倉が一言。片倉は右手を後ろに隠し、真面目な顔つきで賢吾の隣に座った。そして、隠していた右手を出してテーブルの上に何かを置く。
「どうやら向坂さんは……名探偵のようです」
そう呟き片倉が置いたものは、猫の面であった。
怒り狂っていた賢吾の動作が止まり、ただひたすらに凝視していた。
……何で?
いや、どこで?
と賢吾が混乱している中、
「輝成さんの部屋で見つけました」
片倉は寂しそうな表情で告げた。
コウの部屋?
何でだ?
いや……待て……どこかで見たことがある。賢吾は思考を巡らせ、そしてわかった。
……そうか。真利亜が高校二年生の時の文化祭だ。真利亜が時代劇を演じ、その際に被っていた猫の面。真利亜が自分で作って、輝成に自慢をしていた。賢吾は面の事実を受け入れると、力が抜けてしまいソファへ倒れ込むように座った。
「……何で……何でだ……何でだよ……何で……」
お前、あれだけ苦しんでいただろう?
鉄が憎かったんだろう?
「何でだよ……おかしいって!」
苦しみ続けていただろう?
鉄への復讐が全てだったんじゃないのかよ?
それなのに鉄の娘を、お前が面倒を見ていたのか?
「何でまた……苦しむ道を選んだんだよ?」
……何でだよ!
何でそんなことをしていたんだよ!
「コウ……」
心中と口で思いを吐き出しながら、最後に声を絞り出した賢吾は涙ぐむ。咄嗟に両手で目を覆い、賢吾は何度も深呼吸を繰り返していた。
賢吾の息遣いだけが響いていたが、次第に収まると賢吾の耳に向坂の声が届く。
「私も、輝成君の鉄に対する執着と憎悪は、怖いほど知っていました。だから、大宮さんと同じく最初はあり得ないと思っていました。ですが、輝成君は鉄を調べ上げることによって、楓さんの過去も知っていました」
……楓の過去?
賢吾は眉をひそめ向坂を見た。賢吾と目が合った向坂は、小さく頷き話を続ける。
「楓さんは、東京で母の真奈美と二人で暮らしていました。真奈美は娘を女手一つで育てながら復学し、卒業後は大手商社に勤めていました。会社や近所ともトラブルなどは一切なく、平穏に暮らしていたそうです。ですが、二千五年十月五日にご存知の凶悪事件が起きました。事件から数日後、当時小学生だった楓さんは帰宅すると、母である真奈美が首を吊って死んでいる姿を目にしました」
最後の言葉に、玲子は口に手を当て絶句していた。
「当時幼かった楓さんは、計り知れないほどのショックを受けたと思います。実際、玄関で失神しているところを、近所の人に見つけてもらったわけですからね。その後、楓さんは養護施設で暮らすことになりました」
「引き取り手は誰もいなかったんですか?」
「いえ、真奈美の両親は健在でした。ただ、鉄との結婚と離婚で、真奈美は父親の守屋泰三と関係が険悪になりました。しかも自分の孫とはいえ、日本史上最悪の犯罪をした男の娘です。泰三が引き取ることを拒否しました」
竜次の質問にも、向坂は途切れなく説明をした。
「そんな……」
玲子が痛ましい表情で声を漏らすが、
「賢明な判断だな。凶悪犯罪者の親族は、その後自殺や離散することが多く、不幸になると決まっている」
賢吾は嘲笑った。
「ちょっと賢ちゃん……」
玲子が諫めようとしたが、賢吾は真っ向から受け止め睨み返した。
「大宮さんの仰る通りで、事実そのようなケースがほとんどですよ」
遠山が間に入り、玲子を宥めた。
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