神がこちらを向いた時

宗治 芳征

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第八章

8-6

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 もう、土砂降りだった。

『コウ、今日も行くのか?』
『朝ごはん、キッチンに置いてありますから』
『じゃあ、一緒に食おうぜ』
『……すみません』
『なぁ、コウ。会社もお前のお陰で安定し始めている。俺のほら吹きに良く付き合ってくれたし、本当に感謝しているよ。けれど、もういいだろう? これ以上、俺と真利亜のために尽くさないでくれ。お前にはお前の幸せがあるだろう』
『俺は今……幸せですよ』
『だったら何で、未だ鉄に執着をしているんだ?』
『……』
『当初は、精神安定剤にも頼らなくなったから良かったと思ったよ。でも、鬱やパニック発作だった時の方がマシだ。お前は今、鉄の亡霊にとり憑かれている』
『……』
『鉄を調べ上げたところで、真利亜は生き返らない。コウ、頼むから目を覚ましてくれ』
『目ならとっくに覚めていますよ』
『……コウ』
『真利亜さんは俺に告白した時、機械みたいだと俺を称しました。今振り返ると、あの時の俺は確かに機械のようだったと思います。でも、賢さんと真利亜さんのお陰で、俺は機械から人間へと戻ることができた。賢さんや真利亜さんが俺を大切にしてくれたように、俺も二人が大切なんです』
『コウ、わかってるよ。だけど、もう充分だって……』
『終わってない……終わらないんですよ』
『……え?』
『大切な人との日常を壊した鉄恭一。こいつの全てを明かし、全てを理解する。でないと、俺は前に進めない』
『何で苦しむ方を選ぶんだよ』
『俺だけじゃありません。あのテロで殺された遺族の方々は、皆苦しんでいます』
『でも、お前はもういいだろう! 十二分に苦しんだだろう? 何でだよ!』
『……』
『彼女作って! 結婚して! 子供作って! 幸せになれよ! お前はそうならなくちゃいけないんだよ! コウ……何で苦しむんだよ……もう苦しむ必要はないだろうが!』
『賢さん……俺は幸せだよ。会社も盛り上がってきているし、やり甲斐もある。だから、あんまり俺にばっかり気を使わなくていいからね』
『……』
『じゃあ、行ってくるね!』
『……』
『幸せだと? 真利亜がいた時の笑顔は一度も見ていないぞ。……コウ』

 五本目を飲み終え、賢吾は吐き気を感じ天を仰いだ。
 賢吾の瞳に映るのは、吸い込まれていきそうな漆黒の闇。
 闇から降り注がれる豪雨が、賢吾の顔を容赦なく叩き付ける。
 顔から、雨ではないものが流れ始めた。

『私の名前は鉄恭一。警告通り、本校にいる人間を殺させてもらった!』
『私は危険が直ぐに迫っていると、政府へ再三警告した。国自体の武装を強固にすること、私に軍事権を委ねることを要求した。しかし、期日を過ぎても回答がなく、要求を反故したと私は判断した。したがって、警告通り殺した。日本国のミスが、前途有望な若者の命を奪ったのだ!』
『私は今日死ぬだろう。だが、私の意思や思想は誰かが継ぎ、やがて……』
 銃声が響いて、賢吾の回想がぶった切られる。

 土砂降りの中、目が虚ろで激しい息遣いの賢吾に、再び過去の映像が襲いかかる。

『ハハッ。大宮さん面白いこと言いますね? そんな暇があるわけないじゃないですか』
 ――私の名前は鉄恭一。
『コウ君、はいあーん』
『コウが食いにくそうにしているからやめろよ』
『何か変な声がするね? 誰だろ? 彼女いない人が僻んでいるのかな?』
『賢さん……すみません』
『ったく、しょうがねぇな』
 ――名前は鉄恭一。
『真利亜さんの水着、ちょっと露出が多すぎませんか?』
『おやおや。コウ殿もついに拙者の身体に興味を持ってしまったようですな』
『いえ、違います。しっかり紫外線の対策をしましょう。日焼け止めクリームを塗りますので、後ろを向いてください』
『女としてのプライドが崩れていく……ううっ……』
『ブハハ。コウが相手だとお前もそうなんのな』
 ――名前は鉄。
『お前ら、いい夫婦になりそうだな。俺、彼女ができなかったらこのまま一緒に住もうかな』
『俺はいいですよ。真利亜さんに許可をもらってください』
『フッ……絶対に拒否されそうだわ』
 ――犯人は鉄恭一、二十九歳。
『その時さ……。非行に走ろうとか、ヤケにはならなかったの?』
『考えたことなかったですね。生きることに必死で、そんな暇はありませんでした』
 ――犯人は鉄恭一。
『海の近くに住んでいた時、カモメや海鳥は見なかったの?』
『あれ? どうだったかな?』
『……忘れちゃいました』
 ――鉄恭一。
『社長は……繊細ですよね』
『は? ……俺が?』
『私の事情をもっと深く聞きませんし、あえて聞こうとしない。一歩前でしっかり止まる』
『聞いて欲しいなら聞くが、君にとって気持ちのいい話じゃないだろう? むやみに他人の過去をほじくり返すような趣味はない』
『だから、社長は違うんです。他の人はずけずけとくるし……やられます』
 ――くろがねきょういち。
『私なんかが褒められるとか、勿体ないお言葉です』
『なんかが……って何? 事実だろう? 自信を持っていいんだよ』
『……私が……自分に自信を持つことはできませんよ』
 ――くろがね。
『……私の……親族か』
 ――くろがねぇぇぇぇぇええええええええええ!
 激情に駆られる賢吾。
 意識が飛ぶ瞬間だった。
 ふと、頭の中で守屋楓の戸籍謄本が鮮明に浮かび、強引に引き戻される。
『本物です。私が独自のルートから確保した、紛れもない守屋楓の戸籍謄本です』
 ……嘘だろう?
『守屋楓は……鉄楓です』
 ……嘘だって言え!
 言えよ!
 ……なぜなのか?
 何に対してなのか?
 感情が……わけがわからない。
 ごちゃごちゃにまぜられて。
 何が何だか賢吾自身も全くわからない。
 わかっているのは、このどうしようもない悲しみと憤りのマグマが煮えたぎっていることだけ……。
 賢吾は缶チューハイを握り潰し、立ち上がると地面へ思いっきり叩き付けた。
 雨と涙が賢吾の顔を濡らし、肩で息をしていた。
「うううううううぁぁああああああああああああああ!」
 賢吾は座っていたベンチの前に屈むと、泣き叫びながら何度もベンチを叩いた。
「うううううあああああああああ!」
 何に対してなのか。
「ああああああああああ!」
 なぜなのかも、わからないまま。
「あああああ!」
 ベンチに顔を乗せ、賢吾はバンバンとベンチを叩く。
「うっうっうううううう」
 泣いて、泣き叫んで、疲れ果て、賢吾の意識は遠のいていった。
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