神がこちらを向いた時

宗治 芳征

文字の大きさ
上 下
51 / 70
第八章

8-3

しおりを挟む
 向坂は柔和な表情であったが、コホンと一つ息を吐いた後に厳しい顔つきになった。
「では、失礼してこちらから。捜索対象の大宮賢吾という方ですが、やはり私はあなたのことだと思います」
「……は? いやいや、私は守屋さんとは初対面ですよ。本人にも違うと言われましたし」
 素っ頓狂な展開に、賢吾は大袈裟に手を振った。
「そうなんですよね」
「根拠はあるんですか?」
「実は考えたくない根拠なんです。証拠が揃うまで待ってもらえますか?」
「……わかりました」
 険しい表情の向坂に対し、賢吾は不思議に思いながらも頷いた。
「こちらからは以上です。未だに結果がなく申し訳ありません」
「いえいえ、タダ同然でやってもらっているので大丈夫ですよ。本人も気にしていない様子でしたからね」
「それなら良かったです」
 そう、向坂は薄い笑みを浮かべた。反面、賢吾は遠山が再度用意してくれた緑茶に口をつけ、コップを置くと硬い表情に変わる。
「ただ……その本人がいなくなりました」
 賢吾は真剣な目つきで言った。向坂も同じような顔になり、咄嗟に口を開く。
「いつからですか?」
「先週の土曜日、九月二十七日です」
「いなくなってしまった要因や、出来事があったんですか?」
 向坂の問いに、賢吾は大きく頷いた。
「その当日、慰労会をしていました。彼女は突然発作を起こしましたが、直後に病院へ向かい大事には至りませんでした。ここで私は精神のケアや疲れを考慮し、彼女に一週間の休暇を与えました。しかし、それから連絡が全く取れなくなってしまったんです。情緒不安定のままどこかへいなくなってしまったと、非常に危惧しています」
「警察には?」
「ここでの話次第では行くつもりです」
 間を置かず聞いてくる向坂に、賢吾も即答であった。
「なるほど、ウチが楓さんの情報を持っていると判断した。自宅以外に行きそうな場所があれば、そこに自ら行こうと? 警察には聞かれたくないことでもあるんですか?」
 向坂からの言葉に対し、賢吾はまたしても直ぐに頷いた。
「私の推測なんですが、守屋さんは10.5の被害者だと思うんです。私の妹が10.5で死んだと話した後に、発作が起きました。10.5というワードに恐れを抱いている様子だったと、病院へ付き添った社員が証言しました。なので……あまり警察や他人に傷をいじくりまわして欲しくない、過剰に刺激をして悪化させたくないんです」
 賢吾は精一杯感情を込めて向坂に説明した。
 しかし向坂は、
「楓さんを大切にされているんですね」
 同意はしてくれたが、顔が全くの無表情だった。
 賢吾は向坂に気持ちが伝わっていないのだと思い、
「当たり前です! 優秀な社員であることもそうですが、人間的にも素晴らしく、私だけでなく皆からも可愛がられています。彼女を失うわけにはいきません!」
 と、声量を上げて言い返した。
 だが、向坂の態度は変わらない。
 賢吾はおかしいと思い遠山を見るが、遠山からも視線を逸らされてしまった。
 ……何だこれは?
 不穏な雰囲気に賢吾が顔をしかめていると、向坂が立ち上がった。
「わかりました。ではこちらから楓さんの情報を開示したいと思います」
 向坂は無機質な声で言い、自分のデスクへと向かう。デスクから一枚の紙を取り出すと、ソファに座り直し賢吾の前に紙を置いた。
 向坂に置かれた紙。
 用紙は、守屋楓の戸籍謄本であった。
 書かれている文字を視認していく賢吾の身体が震え始める。
「……あの? これって……何かの冗談ですよね?」
 小刻みに口を震わせ、賢吾は向坂に確認をした。だが、向坂からは返事はなく、賢吾と目を逸らさずただ黙っているのみであった。
「やだなぁ……向坂さん。こんな時に冗談はやめてくださいよ」
 震えている賢吾は無理やり口角を上げ、
「……嘘……ですよね? そう言ってください」
 最後は懇願していた。
「本物です。私が独自のルートから確保した、紛れもない守屋楓の戸籍謄本です」
 引き続き向坂は表情を一切崩さず、残酷に告げた。
 賢吾が見ている物、守屋楓の戸籍謄本。
 本名は守屋楓。
「楓さんの母、守屋真奈美は夫と半年足らずで離婚し、親権を取りました」
 母は守屋真奈美まなみ
 ここまではいいんだよ。と賢吾は自分へ言い聞かせる。
「したがって守屋楓となった、母の姓になったわけです。そして、元夫、楓さんの父は記載されている通りです」
 ……言うな!
 違う!
 何かの間違いだろう!
 そう必死に抗うが、次に発した向坂の言葉に、賢吾の希望は砕け散った。
「守屋楓は……鉄楓です」

 父は、鉄恭一と記されていた。

「依頼した時から、知っていたんですか?」
 脱力しきった賢吾がそう聞くと、
「……はい」
 向坂は目線を下げ、小さな声で答えた。
 ……は?
 何でだ?
 楓が鉄の娘?
 そんな……バカな?
 なぜ向坂は黙っていた?
 自分に気を使っていたのか?
 それとも、言えない何かがあったのか?
 賢吾の頭の中は完全に混乱し、喋ろうと何度も口を開くが結局話せない。賢吾はやり場のない気持ちを緑茶へぶつけて飲み干した。
「大宮さん。聞いてください……」
「帰ります」
 向坂が何か言おうとしたが、乱暴にコップを置いた賢吾は一言残して去った。
 賢吾は電車には乗らず、そのまま曙町へ歩き始める。客引きの男性が近付き声を掛けてくるが、賢吾の威圧にたじろぐ。そんなやり取りが何度か続き、伊勢佐木モールも関内駅をも通り過ぎた。
 そのまま賢吾は足を止めずに歩き続け、気付けば日本大通り駅を過ぎ、山下公園の手前にいた。
 賢吾がそれに気付いたのは、雨がぽつぽつと降り始め周囲を確認したからだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

十年目の離婚

杉本凪咲
恋愛
結婚十年目。 夫は離婚を切り出しました。 愛人と、その子供と、一緒に暮らしたいからと。

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

酷熱の時は過ぎゆきて

シナ
恋愛
忘れられない……。 友人の結婚披露宴の隣で行なわれていたのは、かつての恋人の結婚披露宴だった。 10年の月日を経て再開した運命の行く末にあるものは……。

勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス

R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。 そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。 最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。 そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。 ※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※

彼の愛は不透明◆◆若頭からの愛は深く、底が見えない…沼愛◆◆ 【完結】

まぁ
恋愛
【1分先の未来を生きる言葉を口にしろ】 天野玖未(あまのくみ)飲食店勤務 玖の字が表す‘黒色の美しい石’の通りの容姿ではあるが、未来を見据えてはいない。言葉足らずで少々諦め癖のある23歳 須藤悠仁(すどうゆうじん) 東日本最大極道 須藤組若頭 暗闇にも光る黒い宝を見つけ、垂涎三尺…狙い始める 心に深い傷を持つ彼女が、信じられるものを手に入れるまでの……波乱の軌跡 そこには彼の底なしの愛があった… 作中の人名団体名等、全て架空のフィクションです また本作は違法行為等を推奨するものではありません

三年で人ができること

桃青
ライト文芸
もし三年後に死ぬとしたら。占いで自分にもう三年しか生きられないと告げられた男は、死を感じながら、平凡な日常を行き尽くそうとする。壮大でもなく、特別でもなく、ささやかに生きることを、残された時間で模索する、ささやかな話です。

REMAKE~わたしはマンガの神様~

櫃間 武士
ライト文芸
昭和29年(1954年)4月24日土曜の昼下がり。 神戸の異人館通りに住む高校生、手塚雅人の前に金髪の美少女が現れた。 と、その美少女はいきなり泣きながら雅人に抱きついてきた。 「おじいちゃん、会いたかったよ!助けてぇ!!」 彼女は平成29年(2017年)から突然タイムスリップしてきた未来の孫娘、ハルミだったのだ。 こうして雅人はハルミを救うため、60年に渡ってマンガとアニメの業界で生きてゆくことになる。 すべてはハルミを”漫画の神様”にするために!

一条春都の料理帖

藤里 侑
ライト文芸
一条春都の楽しみは、日々の食事である。自分の食べたいものを作り食べることが、彼にとっての幸せであった。時にはありあわせのもので済ませたり、誰かのために料理を作ってみたり。 今日も理想の食事を追い求め、彼の腹は鳴るのだった。 **** いつも読んでいただいてありがとうございます。 とても励みになっています。これからもよろしくお願いします。

処理中です...