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第八章
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向坂は柔和な表情であったが、コホンと一つ息を吐いた後に厳しい顔つきになった。
「では、失礼してこちらから。捜索対象の大宮賢吾という方ですが、やはり私はあなたのことだと思います」
「……は? いやいや、私は守屋さんとは初対面ですよ。本人にも違うと言われましたし」
素っ頓狂な展開に、賢吾は大袈裟に手を振った。
「そうなんですよね」
「根拠はあるんですか?」
「実は考えたくない根拠なんです。証拠が揃うまで待ってもらえますか?」
「……わかりました」
険しい表情の向坂に対し、賢吾は不思議に思いながらも頷いた。
「こちらからは以上です。未だに結果がなく申し訳ありません」
「いえいえ、タダ同然でやってもらっているので大丈夫ですよ。本人も気にしていない様子でしたからね」
「それなら良かったです」
そう、向坂は薄い笑みを浮かべた。反面、賢吾は遠山が再度用意してくれた緑茶に口をつけ、コップを置くと硬い表情に変わる。
「ただ……その本人がいなくなりました」
賢吾は真剣な目つきで言った。向坂も同じような顔になり、咄嗟に口を開く。
「いつからですか?」
「先週の土曜日、九月二十七日です」
「いなくなってしまった要因や、出来事があったんですか?」
向坂の問いに、賢吾は大きく頷いた。
「その当日、慰労会をしていました。彼女は突然発作を起こしましたが、直後に病院へ向かい大事には至りませんでした。ここで私は精神のケアや疲れを考慮し、彼女に一週間の休暇を与えました。しかし、それから連絡が全く取れなくなってしまったんです。情緒不安定のままどこかへいなくなってしまったと、非常に危惧しています」
「警察には?」
「ここでの話次第では行くつもりです」
間を置かず聞いてくる向坂に、賢吾も即答であった。
「なるほど、ウチが楓さんの情報を持っていると判断した。自宅以外に行きそうな場所があれば、そこに自ら行こうと? 警察には聞かれたくないことでもあるんですか?」
向坂からの言葉に対し、賢吾はまたしても直ぐに頷いた。
「私の推測なんですが、守屋さんは10.5の被害者だと思うんです。私の妹が10.5で死んだと話した後に、発作が起きました。10.5というワードに恐れを抱いている様子だったと、病院へ付き添った社員が証言しました。なので……あまり警察や他人に傷をいじくりまわして欲しくない、過剰に刺激をして悪化させたくないんです」
賢吾は精一杯感情を込めて向坂に説明した。
しかし向坂は、
「楓さんを大切にされているんですね」
同意はしてくれたが、顔が全くの無表情だった。
賢吾は向坂に気持ちが伝わっていないのだと思い、
「当たり前です! 優秀な社員であることもそうですが、人間的にも素晴らしく、私だけでなく皆からも可愛がられています。彼女を失うわけにはいきません!」
と、声量を上げて言い返した。
だが、向坂の態度は変わらない。
賢吾はおかしいと思い遠山を見るが、遠山からも視線を逸らされてしまった。
……何だこれは?
不穏な雰囲気に賢吾が顔をしかめていると、向坂が立ち上がった。
「わかりました。ではこちらから楓さんの情報を開示したいと思います」
向坂は無機質な声で言い、自分のデスクへと向かう。デスクから一枚の紙を取り出すと、ソファに座り直し賢吾の前に紙を置いた。
向坂に置かれた紙。
用紙は、守屋楓の戸籍謄本であった。
書かれている文字を視認していく賢吾の身体が震え始める。
「……あの? これって……何かの冗談ですよね?」
小刻みに口を震わせ、賢吾は向坂に確認をした。だが、向坂からは返事はなく、賢吾と目を逸らさずただ黙っているのみであった。
「やだなぁ……向坂さん。こんな時に冗談はやめてくださいよ」
震えている賢吾は無理やり口角を上げ、
「……嘘……ですよね? そう言ってください」
最後は懇願していた。
「本物です。私が独自のルートから確保した、紛れもない守屋楓の戸籍謄本です」
引き続き向坂は表情を一切崩さず、残酷に告げた。
賢吾が見ている物、守屋楓の戸籍謄本。
本名は守屋楓。
「楓さんの母、守屋真奈美は夫と半年足らずで離婚し、親権を取りました」
母は守屋真奈美。
ここまではいいんだよ。と賢吾は自分へ言い聞かせる。
「したがって守屋楓となった、母の姓になったわけです。そして、元夫、楓さんの父は記載されている通りです」
……言うな!
違う!
何かの間違いだろう!
そう必死に抗うが、次に発した向坂の言葉に、賢吾の希望は砕け散った。
「守屋楓は……鉄楓です」
父は、鉄恭一と記されていた。
「依頼した時から、知っていたんですか?」
脱力しきった賢吾がそう聞くと、
「……はい」
向坂は目線を下げ、小さな声で答えた。
……は?
何でだ?
楓が鉄の娘?
そんな……バカな?
なぜ向坂は黙っていた?
自分に気を使っていたのか?
それとも、言えない何かがあったのか?
賢吾の頭の中は完全に混乱し、喋ろうと何度も口を開くが結局話せない。賢吾はやり場のない気持ちを緑茶へぶつけて飲み干した。
「大宮さん。聞いてください……」
「帰ります」
向坂が何か言おうとしたが、乱暴にコップを置いた賢吾は一言残して去った。
賢吾は電車には乗らず、そのまま曙町へ歩き始める。客引きの男性が近付き声を掛けてくるが、賢吾の威圧にたじろぐ。そんなやり取りが何度か続き、伊勢佐木モールも関内駅をも通り過ぎた。
そのまま賢吾は足を止めずに歩き続け、気付けば日本大通り駅を過ぎ、山下公園の手前にいた。
賢吾がそれに気付いたのは、雨がぽつぽつと降り始め周囲を確認したからだった。
「では、失礼してこちらから。捜索対象の大宮賢吾という方ですが、やはり私はあなたのことだと思います」
「……は? いやいや、私は守屋さんとは初対面ですよ。本人にも違うと言われましたし」
素っ頓狂な展開に、賢吾は大袈裟に手を振った。
「そうなんですよね」
「根拠はあるんですか?」
「実は考えたくない根拠なんです。証拠が揃うまで待ってもらえますか?」
「……わかりました」
険しい表情の向坂に対し、賢吾は不思議に思いながらも頷いた。
「こちらからは以上です。未だに結果がなく申し訳ありません」
「いえいえ、タダ同然でやってもらっているので大丈夫ですよ。本人も気にしていない様子でしたからね」
「それなら良かったです」
そう、向坂は薄い笑みを浮かべた。反面、賢吾は遠山が再度用意してくれた緑茶に口をつけ、コップを置くと硬い表情に変わる。
「ただ……その本人がいなくなりました」
賢吾は真剣な目つきで言った。向坂も同じような顔になり、咄嗟に口を開く。
「いつからですか?」
「先週の土曜日、九月二十七日です」
「いなくなってしまった要因や、出来事があったんですか?」
向坂の問いに、賢吾は大きく頷いた。
「その当日、慰労会をしていました。彼女は突然発作を起こしましたが、直後に病院へ向かい大事には至りませんでした。ここで私は精神のケアや疲れを考慮し、彼女に一週間の休暇を与えました。しかし、それから連絡が全く取れなくなってしまったんです。情緒不安定のままどこかへいなくなってしまったと、非常に危惧しています」
「警察には?」
「ここでの話次第では行くつもりです」
間を置かず聞いてくる向坂に、賢吾も即答であった。
「なるほど、ウチが楓さんの情報を持っていると判断した。自宅以外に行きそうな場所があれば、そこに自ら行こうと? 警察には聞かれたくないことでもあるんですか?」
向坂からの言葉に対し、賢吾はまたしても直ぐに頷いた。
「私の推測なんですが、守屋さんは10.5の被害者だと思うんです。私の妹が10.5で死んだと話した後に、発作が起きました。10.5というワードに恐れを抱いている様子だったと、病院へ付き添った社員が証言しました。なので……あまり警察や他人に傷をいじくりまわして欲しくない、過剰に刺激をして悪化させたくないんです」
賢吾は精一杯感情を込めて向坂に説明した。
しかし向坂は、
「楓さんを大切にされているんですね」
同意はしてくれたが、顔が全くの無表情だった。
賢吾は向坂に気持ちが伝わっていないのだと思い、
「当たり前です! 優秀な社員であることもそうですが、人間的にも素晴らしく、私だけでなく皆からも可愛がられています。彼女を失うわけにはいきません!」
と、声量を上げて言い返した。
だが、向坂の態度は変わらない。
賢吾はおかしいと思い遠山を見るが、遠山からも視線を逸らされてしまった。
……何だこれは?
不穏な雰囲気に賢吾が顔をしかめていると、向坂が立ち上がった。
「わかりました。ではこちらから楓さんの情報を開示したいと思います」
向坂は無機質な声で言い、自分のデスクへと向かう。デスクから一枚の紙を取り出すと、ソファに座り直し賢吾の前に紙を置いた。
向坂に置かれた紙。
用紙は、守屋楓の戸籍謄本であった。
書かれている文字を視認していく賢吾の身体が震え始める。
「……あの? これって……何かの冗談ですよね?」
小刻みに口を震わせ、賢吾は向坂に確認をした。だが、向坂からは返事はなく、賢吾と目を逸らさずただ黙っているのみであった。
「やだなぁ……向坂さん。こんな時に冗談はやめてくださいよ」
震えている賢吾は無理やり口角を上げ、
「……嘘……ですよね? そう言ってください」
最後は懇願していた。
「本物です。私が独自のルートから確保した、紛れもない守屋楓の戸籍謄本です」
引き続き向坂は表情を一切崩さず、残酷に告げた。
賢吾が見ている物、守屋楓の戸籍謄本。
本名は守屋楓。
「楓さんの母、守屋真奈美は夫と半年足らずで離婚し、親権を取りました」
母は守屋真奈美。
ここまではいいんだよ。と賢吾は自分へ言い聞かせる。
「したがって守屋楓となった、母の姓になったわけです。そして、元夫、楓さんの父は記載されている通りです」
……言うな!
違う!
何かの間違いだろう!
そう必死に抗うが、次に発した向坂の言葉に、賢吾の希望は砕け散った。
「守屋楓は……鉄楓です」
父は、鉄恭一と記されていた。
「依頼した時から、知っていたんですか?」
脱力しきった賢吾がそう聞くと、
「……はい」
向坂は目線を下げ、小さな声で答えた。
……は?
何でだ?
楓が鉄の娘?
そんな……バカな?
なぜ向坂は黙っていた?
自分に気を使っていたのか?
それとも、言えない何かがあったのか?
賢吾の頭の中は完全に混乱し、喋ろうと何度も口を開くが結局話せない。賢吾はやり場のない気持ちを緑茶へぶつけて飲み干した。
「大宮さん。聞いてください……」
「帰ります」
向坂が何か言おうとしたが、乱暴にコップを置いた賢吾は一言残して去った。
賢吾は電車には乗らず、そのまま曙町へ歩き始める。客引きの男性が近付き声を掛けてくるが、賢吾の威圧にたじろぐ。そんなやり取りが何度か続き、伊勢佐木モールも関内駅をも通り過ぎた。
そのまま賢吾は足を止めずに歩き続け、気付けば日本大通り駅を過ぎ、山下公園の手前にいた。
賢吾がそれに気付いたのは、雨がぽつぽつと降り始め周囲を確認したからだった。
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