38 / 70
第六章
6-3
しおりを挟む
クスッと小さな笑い声がした。
その声に反応し、賢吾と石橋が顔を向ける。
「あ、すみません。普段凛としてる石橋さんが、こうなってるのが信じられなくて」
笑い声の主、楓は賢吾達からの視線に気付くと、柔和な笑みでそう言った。
「私って……凛としてる?」
聞き返した石橋の表情から怒気が消えていく。
「はい、堂々としていて格好いいなっていつも思っていますよ」
「楓ちゃん……やっぱりいい子だね。私と結婚しようか!」
石橋は涙ぐみ、また楓に抱きついた。
「えええ! 結婚?」
「変な冗談はやめなさいって。楓ちゃんが困ってるでしょ」
抱きつかれ固まっている楓を見て、松井が再び石橋を嗜めた。今度は松井の言うことに従い楓から離れたが、その際に石橋はまたもや何度も顔を擦り付けていた。
「まぁ、コウは普段勇ましい石橋さんをこうしてしまう奴だったってことかな」
賢吾は楓にそう言い、薄く笑った。
その後、店員がラストオーダー分の酒を持ってきたので、空になったジョッキやコップ、皿などをまとめて渡した。
「あ、そうだ。嫌なこと思い出した」
店員がいなくなり、日本酒が入ったコップを手に取った瞬間、石橋が独りでに言った。
「輝成さんがケイちゃんを後継者に指名していたのって本当ですか? ケイちゃんが優秀なのはわかっていますけど、輝成さんの後継者にはなれないでしょ。自慢しまくってきて、殴りたくなりましたよ」
石橋は嫌そうな顔をしながらそう言い、日本酒を口にした。
「まぁ、後継者だと断言したわけじゃないけど、業務が拡大したら半分はデカに任せるってコウは言っていたぞ。それに、俺はあいつがコウの後継者だと思うけどな」
「やっぱり、社長の憶測じゃん。私は認めませんからね」
賢吾はありのままを述べたが、石橋のしかめっ面は続いた。
「確かに、輝成君は異次元だったからなぁ」
梅酒が入ったコップを片手に、松井は感慨深そうにしていた。
「姉さんもそう思うでしょ?」
「そうね。でも、橘さんかと言われたらそれは違うし、輝成君に一番近いのは刑事君なんじゃないかな」
石橋から同意を求められた松井だったが、そう言って梅酒を口にした。
「えー、違いますよ。だったら、輝成さんの後継者として私は楓ちゃんを推します」
石橋は眉を中央に寄せた後、不敵な笑みを浮かべて楓の肩に手を置いた。
「……え? うぇえええええ!」
楓は一瞬固まったが、悲鳴を上げた。
「あー、それはアリだね」
松井はコップをテーブルに置き、口角を上げた。
「いやいやいやいや! 待ってください! 私なんかがおこがましいです!」
楓は両手や顔を目一杯振って拒否を示した。
「二人共、冗談を言って守屋さんを委縮させないでよ」
賢吾は楓に同情し、非難の目を向けた。
賢吾の言動で多少落ち着いた様子になったが、松井は表情そのままに話し出す。
「や、これがあながち冗談じゃないんだな。楓ちゃんってアプリの開発や運営に関する業務を、自分自身で一通りやっているんだよね」
「は? 一通りやってる?」
驚愕の事実を聞かされ唖然とした賢吾に、今度は石橋が口を開く。
「業務の落とし込みをした時のCSだけじゃないですよ。デザイン、グラフィック、プログラミング、サーバー構築をある程度やっているんです。だから的確な指示ができるし、上手くまわっているんですよ」
「マジ?」
面を食らった状態のまま賢吾が聞き返すと、石橋は真顔で頷いた。
「業務内容を実際にやっているかやっていないか、これが相当大きいのよね。理解されているってだけでも嬉しいもん」
松井が優しげな顔で楓を見つめると、
「あの、私は単純にどういう仕組みでアプリができるのかなと思って、個人的にやっていただけなんですけど」
そう呟き、楓は恥ずかしそうにして俯いた。
「いつやってんの?」
「休日に家でやっています」
「あれ? 料理でほとんど終わるって言っていなかった?」
「その空いた時間でやってます。趣味がありませんし、お給料も生活費以外に使わないので、だったら後学のために使おうかなと」
賢吾の質問に楓は間断なく答え、意識の高さや努力を怠らない姿勢に賢吾は感心するしかなかった。
「やっぱり私この子と結婚するぅ!」
石橋はまた楓に抱きつき胸に顔を埋めて叫び、
「こらこら」
と松井が苦笑していた。
「そういや、コウも基本的には全業務できていたな」
輝成の仕事振りを回顧し、賢吾は呟いた。
「でしょ。だからかな、指示方法が輝成君と似てる。気持ち良くやれるのよ」
松井は賢吾に目を向けそう言った後、楓へと視線を変えにっこりと笑った。
「勘弁してくださいよぉ」
石橋に抱きつかれたまま、楓は泣きそうな顔であった。
「類似点はまだありますよ。輝成さんも楓ちゃんもお酒を嗜まない」
石橋は顔だけこちらへ向けてそう言った。
「確かに、コウは下戸だったもんな」
「え? 甘党とは知っていましたが、波多野さんはお酒を飲めなかったんですか?」
意外とでも言いたげな顔で楓が聞いてきた。
「ビール一杯で顔が真っ赤になってたわよね」
「それで、苦いからもういいって言って、居酒屋なのにデザートばっかり食ってたな」
松井の言葉に頷き、賢吾は頬を緩ませた。
「アイスを食べてた輝成さん……可愛かったなぁ」
楓から離れ、目を上に向けつつ石橋は呟いた。
「私、お酒は苦手ですが、甘党というわけではないですよ。どちらかというと辛い食べ物の方が好きです」
「あ、そうなんだ。美味しいカレー屋を知ってるから、今度一緒に行こうか?」
石橋が楓にそう言うと、
「是非、お願いします」
楓は嬉しそうにして頭を下げた。
「酒といえばだけど、賢吾は飲まなくなったわよね」
松井は梅酒一杯分を飲み干すと、フッと笑い賢吾に言った。
「コウがいなくなってから、酒やタバコが急に不味く感じるようになったんですよ」
賢吾は少し眉を寄せて言った。
事実、輝成が亡くなった直後は食べ物の味が全くせず、食事自体が苦痛だった。
その声に反応し、賢吾と石橋が顔を向ける。
「あ、すみません。普段凛としてる石橋さんが、こうなってるのが信じられなくて」
笑い声の主、楓は賢吾達からの視線に気付くと、柔和な笑みでそう言った。
「私って……凛としてる?」
聞き返した石橋の表情から怒気が消えていく。
「はい、堂々としていて格好いいなっていつも思っていますよ」
「楓ちゃん……やっぱりいい子だね。私と結婚しようか!」
石橋は涙ぐみ、また楓に抱きついた。
「えええ! 結婚?」
「変な冗談はやめなさいって。楓ちゃんが困ってるでしょ」
抱きつかれ固まっている楓を見て、松井が再び石橋を嗜めた。今度は松井の言うことに従い楓から離れたが、その際に石橋はまたもや何度も顔を擦り付けていた。
「まぁ、コウは普段勇ましい石橋さんをこうしてしまう奴だったってことかな」
賢吾は楓にそう言い、薄く笑った。
その後、店員がラストオーダー分の酒を持ってきたので、空になったジョッキやコップ、皿などをまとめて渡した。
「あ、そうだ。嫌なこと思い出した」
店員がいなくなり、日本酒が入ったコップを手に取った瞬間、石橋が独りでに言った。
「輝成さんがケイちゃんを後継者に指名していたのって本当ですか? ケイちゃんが優秀なのはわかっていますけど、輝成さんの後継者にはなれないでしょ。自慢しまくってきて、殴りたくなりましたよ」
石橋は嫌そうな顔をしながらそう言い、日本酒を口にした。
「まぁ、後継者だと断言したわけじゃないけど、業務が拡大したら半分はデカに任せるってコウは言っていたぞ。それに、俺はあいつがコウの後継者だと思うけどな」
「やっぱり、社長の憶測じゃん。私は認めませんからね」
賢吾はありのままを述べたが、石橋のしかめっ面は続いた。
「確かに、輝成君は異次元だったからなぁ」
梅酒が入ったコップを片手に、松井は感慨深そうにしていた。
「姉さんもそう思うでしょ?」
「そうね。でも、橘さんかと言われたらそれは違うし、輝成君に一番近いのは刑事君なんじゃないかな」
石橋から同意を求められた松井だったが、そう言って梅酒を口にした。
「えー、違いますよ。だったら、輝成さんの後継者として私は楓ちゃんを推します」
石橋は眉を中央に寄せた後、不敵な笑みを浮かべて楓の肩に手を置いた。
「……え? うぇえええええ!」
楓は一瞬固まったが、悲鳴を上げた。
「あー、それはアリだね」
松井はコップをテーブルに置き、口角を上げた。
「いやいやいやいや! 待ってください! 私なんかがおこがましいです!」
楓は両手や顔を目一杯振って拒否を示した。
「二人共、冗談を言って守屋さんを委縮させないでよ」
賢吾は楓に同情し、非難の目を向けた。
賢吾の言動で多少落ち着いた様子になったが、松井は表情そのままに話し出す。
「や、これがあながち冗談じゃないんだな。楓ちゃんってアプリの開発や運営に関する業務を、自分自身で一通りやっているんだよね」
「は? 一通りやってる?」
驚愕の事実を聞かされ唖然とした賢吾に、今度は石橋が口を開く。
「業務の落とし込みをした時のCSだけじゃないですよ。デザイン、グラフィック、プログラミング、サーバー構築をある程度やっているんです。だから的確な指示ができるし、上手くまわっているんですよ」
「マジ?」
面を食らった状態のまま賢吾が聞き返すと、石橋は真顔で頷いた。
「業務内容を実際にやっているかやっていないか、これが相当大きいのよね。理解されているってだけでも嬉しいもん」
松井が優しげな顔で楓を見つめると、
「あの、私は単純にどういう仕組みでアプリができるのかなと思って、個人的にやっていただけなんですけど」
そう呟き、楓は恥ずかしそうにして俯いた。
「いつやってんの?」
「休日に家でやっています」
「あれ? 料理でほとんど終わるって言っていなかった?」
「その空いた時間でやってます。趣味がありませんし、お給料も生活費以外に使わないので、だったら後学のために使おうかなと」
賢吾の質問に楓は間断なく答え、意識の高さや努力を怠らない姿勢に賢吾は感心するしかなかった。
「やっぱり私この子と結婚するぅ!」
石橋はまた楓に抱きつき胸に顔を埋めて叫び、
「こらこら」
と松井が苦笑していた。
「そういや、コウも基本的には全業務できていたな」
輝成の仕事振りを回顧し、賢吾は呟いた。
「でしょ。だからかな、指示方法が輝成君と似てる。気持ち良くやれるのよ」
松井は賢吾に目を向けそう言った後、楓へと視線を変えにっこりと笑った。
「勘弁してくださいよぉ」
石橋に抱きつかれたまま、楓は泣きそうな顔であった。
「類似点はまだありますよ。輝成さんも楓ちゃんもお酒を嗜まない」
石橋は顔だけこちらへ向けてそう言った。
「確かに、コウは下戸だったもんな」
「え? 甘党とは知っていましたが、波多野さんはお酒を飲めなかったんですか?」
意外とでも言いたげな顔で楓が聞いてきた。
「ビール一杯で顔が真っ赤になってたわよね」
「それで、苦いからもういいって言って、居酒屋なのにデザートばっかり食ってたな」
松井の言葉に頷き、賢吾は頬を緩ませた。
「アイスを食べてた輝成さん……可愛かったなぁ」
楓から離れ、目を上に向けつつ石橋は呟いた。
「私、お酒は苦手ですが、甘党というわけではないですよ。どちらかというと辛い食べ物の方が好きです」
「あ、そうなんだ。美味しいカレー屋を知ってるから、今度一緒に行こうか?」
石橋が楓にそう言うと、
「是非、お願いします」
楓は嬉しそうにして頭を下げた。
「酒といえばだけど、賢吾は飲まなくなったわよね」
松井は梅酒一杯分を飲み干すと、フッと笑い賢吾に言った。
「コウがいなくなってから、酒やタバコが急に不味く感じるようになったんですよ」
賢吾は少し眉を寄せて言った。
事実、輝成が亡くなった直後は食べ物の味が全くせず、食事自体が苦痛だった。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
よくできた"妻"でして
真鳥カノ
ライト文芸
ある日突然、妻が亡くなった。
単身赴任先で妻の訃報を聞いた主人公は、帰り着いた我が家で、妻の重大な秘密と遭遇する。
久しぶりに我が家に戻った主人公を待ち受けていたものとは……!?
※こちらの作品はエブリスタにも掲載しております。
もう一度『初めまして』から始めよう
シェリンカ
ライト文芸
『黄昏刻の夢うてな』ep.0 WAKANA
母の再婚を機に、長年会っていなかった父と暮らすと決めた和奏(わかな)
しかし芸術家で田舎暮らしの父は、かなり変わった人物で……
新しい生活に不安を覚えていたところ、とある『不思議な場所』の話を聞く
興味本位に向かった場所で、『椿(つばき)』という同い年の少女と出会い、ようやくその土地での暮らしに慣れ始めるが、実は彼女は……
ごく平凡を自負する少女――和奏が、自分自身と家族を見つめ直す、少し不思議な成長物語
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~
緑谷めい
恋愛
ドーラは金で買われたも同然の妻だった――
レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。
※ 全10話完結予定
一か月ちょっとの願い
full moon
ライト文芸
【第8位獲得】心温まる、涙の物語。
大切な人が居なくなる前に、ちゃんと愛してください。
〈あらすじ〉
今まで、かかあ天下そのものだった妻との関係がある時を境に変わった。家具や食器の場所を夫に教えて、いかにも、もう家を出ますと言わんばかり。夫を捨てて新しい良い人のもとへと行ってしまうのか。
人の温かさを感じるミステリー小説です。
これはバッドエンドか、ハッピーエンドか。皆さんはどう思いますか。
<一言>
世にも奇妙な物語の脚本を書きたい。
日本酒バー「はなやぎ」のおみちびき
山いい奈
ライト文芸
★お知らせ
いつもありがとうございます。
当作品、3月末にて非公開にさせていただきます。再公開の日時は未定です。
ご迷惑をお掛けいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。
小柳世都が切り盛りする大阪の日本酒バー「はなやぎ」。
世都はときおり、サービスでタロットカードでお客さまを占い、悩みを聞いたり、ほんの少し背中を押したりする。
恋愛体質のお客さま、未来の姑と巧く行かないお客さま、辞令が出て転職を悩むお客さま、などなど。
店員の坂道龍平、そしてご常連の高階さんに見守られ、世都は今日も奮闘する。
世都と龍平の関係は。
高階さんの思惑は。
そして家族とは。
優しく、暖かく、そして少し切ない物語。
古屋さんバイト辞めるって
四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。
読んでくださりありがとうございました。
「古屋さんバイト辞めるって」
おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。
学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。
バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……
こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか?
表紙の画像はフリー素材サイトの
https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。
ミッドナイトウルブス
石田 昌行
ライト文芸
走り屋の聖地「八神街道」から、「狼たち」の足跡が失われて十数年。
走り屋予備軍の女子高生「猿渡眞琴」は、隣家に住む冴えない地方公務員「壬生翔一郎」の世話を焼きつつ、青春を謳歌していた。
眞琴にとって、子供の頃からずっとそばにいた、ほっておけない駄目兄貴な翔一郎。
誰から見ても、ぱっとしない三十路オトコに過ぎない翔一郎。
しかし、ひょんなことから眞琴は、そんな彼がかつて「八神の魔術師」と渾名された伝説的な走り屋であったことを知る──…
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる