神がこちらを向いた時

宗治 芳征

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第六章

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 クスッと小さな笑い声がした。
 その声に反応し、賢吾と石橋が顔を向ける。
「あ、すみません。普段凛としてる石橋さんが、こうなってるのが信じられなくて」
 笑い声の主、楓は賢吾達からの視線に気付くと、柔和な笑みでそう言った。
「私って……凛としてる?」
 聞き返した石橋の表情から怒気が消えていく。
「はい、堂々としていて格好いいなっていつも思っていますよ」
「楓ちゃん……やっぱりいい子だね。私と結婚しようか!」
 石橋は涙ぐみ、また楓に抱きついた。
「えええ! 結婚?」
「変な冗談はやめなさいって。楓ちゃんが困ってるでしょ」
 抱きつかれ固まっている楓を見て、松井が再び石橋を嗜めた。今度は松井の言うことに従い楓から離れたが、その際に石橋はまたもや何度も顔を擦り付けていた。
「まぁ、コウは普段勇ましい石橋さんをこうしてしまう奴だったってことかな」
 賢吾は楓にそう言い、薄く笑った。
 その後、店員がラストオーダー分の酒を持ってきたので、空になったジョッキやコップ、皿などをまとめて渡した。
「あ、そうだ。嫌なこと思い出した」
 店員がいなくなり、日本酒が入ったコップを手に取った瞬間、石橋が独りでに言った。
「輝成さんがケイちゃんを後継者に指名していたのって本当ですか? ケイちゃんが優秀なのはわかっていますけど、輝成さんの後継者にはなれないでしょ。自慢しまくってきて、殴りたくなりましたよ」
 石橋は嫌そうな顔をしながらそう言い、日本酒を口にした。
「まぁ、後継者だと断言したわけじゃないけど、業務が拡大したら半分はデカに任せるってコウは言っていたぞ。それに、俺はあいつがコウの後継者だと思うけどな」
「やっぱり、社長の憶測じゃん。私は認めませんからね」
 賢吾はありのままを述べたが、石橋のしかめっ面は続いた。
「確かに、輝成君は異次元だったからなぁ」
 梅酒が入ったコップを片手に、松井は感慨深そうにしていた。
「姉さんもそう思うでしょ?」
「そうね。でも、橘さんかと言われたらそれは違うし、輝成君に一番近いのは刑事君なんじゃないかな」
 石橋から同意を求められた松井だったが、そう言って梅酒を口にした。
「えー、違いますよ。だったら、輝成さんの後継者として私は楓ちゃんを推します」
 石橋は眉を中央に寄せた後、不敵な笑みを浮かべて楓の肩に手を置いた。
「……え? うぇえええええ!」
 楓は一瞬固まったが、悲鳴を上げた。
「あー、それはアリだね」
 松井はコップをテーブルに置き、口角を上げた。
「いやいやいやいや! 待ってください! 私なんかがおこがましいです!」
 楓は両手や顔を目一杯振って拒否を示した。
「二人共、冗談を言って守屋さんを委縮させないでよ」
 賢吾は楓に同情し、非難の目を向けた。
 賢吾の言動で多少落ち着いた様子になったが、松井は表情そのままに話し出す。
「や、これがあながち冗談じゃないんだな。楓ちゃんってアプリの開発や運営に関する業務を、自分自身で一通りやっているんだよね」
「は? 一通りやってる?」
 驚愕の事実を聞かされ唖然とした賢吾に、今度は石橋が口を開く。
「業務の落とし込みをした時のCSだけじゃないですよ。デザイン、グラフィック、プログラミング、サーバー構築をある程度やっているんです。だから的確な指示ができるし、上手くまわっているんですよ」
「マジ?」
 面を食らった状態のまま賢吾が聞き返すと、石橋は真顔で頷いた。
「業務内容を実際にやっているかやっていないか、これが相当大きいのよね。理解されているってだけでも嬉しいもん」
 松井が優しげな顔で楓を見つめると、
「あの、私は単純にどういう仕組みでアプリができるのかなと思って、個人的にやっていただけなんですけど」
 そう呟き、楓は恥ずかしそうにして俯いた。
「いつやってんの?」
「休日に家でやっています」
「あれ? 料理でほとんど終わるって言っていなかった?」
「その空いた時間でやってます。趣味がありませんし、お給料も生活費以外に使わないので、だったら後学のために使おうかなと」
 賢吾の質問に楓は間断なく答え、意識の高さや努力を怠らない姿勢に賢吾は感心するしかなかった。
「やっぱり私この子と結婚するぅ!」
 石橋はまた楓に抱きつき胸に顔を埋めて叫び、
「こらこら」
 と松井が苦笑していた。
「そういや、コウも基本的には全業務できていたな」
 輝成の仕事振りを回顧し、賢吾は呟いた。
「でしょ。だからかな、指示方法が輝成君と似てる。気持ち良くやれるのよ」
 松井は賢吾に目を向けそう言った後、楓へと視線を変えにっこりと笑った。
「勘弁してくださいよぉ」
 石橋に抱きつかれたまま、楓は泣きそうな顔であった。
「類似点はまだありますよ。輝成さんも楓ちゃんもお酒を嗜まない」
 石橋は顔だけこちらへ向けてそう言った。
「確かに、コウは下戸だったもんな」
「え? 甘党とは知っていましたが、波多野さんはお酒を飲めなかったんですか?」
 意外とでも言いたげな顔で楓が聞いてきた。
「ビール一杯で顔が真っ赤になってたわよね」
「それで、苦いからもういいって言って、居酒屋なのにデザートばっかり食ってたな」
 松井の言葉に頷き、賢吾は頬を緩ませた。
「アイスを食べてた輝成さん……可愛かったなぁ」
 楓から離れ、目を上に向けつつ石橋は呟いた。
「私、お酒は苦手ですが、甘党というわけではないですよ。どちらかというと辛い食べ物の方が好きです」
「あ、そうなんだ。美味しいカレー屋を知ってるから、今度一緒に行こうか?」
 石橋が楓にそう言うと、
「是非、お願いします」
 楓は嬉しそうにして頭を下げた。
「酒といえばだけど、賢吾は飲まなくなったわよね」
 松井は梅酒一杯分を飲み干すと、フッと笑い賢吾に言った。
「コウがいなくなってから、酒やタバコが急に不味く感じるようになったんですよ」
 賢吾は少し眉を寄せて言った。
 事実、輝成が亡くなった直後は食べ物の味が全くせず、食事自体が苦痛だった。
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