神がこちらを向いた時

宗治 芳征

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第五章

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 だが、またしても楓は軽く笑う。
「健康状態や精神状態、自分自身を感じて知れ、と恩人から常々言われてきました。実際、自分のことを知らないと、行動や感情制御に大幅なロスがでます。ですから私は、この教えを忠実に守っているんです」
 楓はそう言い切った。
『賢さんは、もっと自分を知ってそれを表現できないとダメだね。自分の長所と短所、それを理解した上で精進しないと』
『いや、自分を知るって結構難しくないか?』
『そんなことないよ。賢さんは知ろうとしていないだけ。言い訳しないで努力してね』
 過去、輝成から放たれた言葉を賢吾は振り返っていた。
「……コウも似たようなことを言っていたな」
 賢吾が呟くと、
「うぇえええ?」
 楓は悲鳴を上げた。
「ごめんごめん、からかうつもりはないよ。事実そうだっただけ」
「波多野さんと比べるのは、本当に勘弁してください」
 楓は表情を暗くし俯いた。
 まずいまずい、比較するのは禁句だった。と賢吾は焦り、一呼吸置いた後に咳払いをする。
「しかし、君は相当その恩人に影響されているね」
 賢吾は仕切り直そうと話題を変えた。
「影響というか、全てです。あの方なくして私はありませんし、私はあの方のために生きています」
 楓は真っ直ぐな眼差しを賢吾へ向けてきた。
 コウが全て、コウのために生きている。
 ……俺と同じか。
 賢吾は楓に親近感がわき、そして楓を心酔させた恩人に興味を持った。
「俺もなんだか会いたくなってきたよ」
「……え?」
「君は天涯孤独だと言った。無礼な言い方だと思うが、君の境遇に同情するだけなら金を渡して終わりにしていたはずだ。だが、君の恩人は金銭面だけではない援助もした。あえて自活させようとしたり、倫理観や感情制御の仕方を教えたり、まるで親、家族のように接している。彼がなぜそうしたのか理由を聞きたいね」
「はい。私も直接会ってお礼を言って、しっかり聞きたいです」
 楓は朗らかに返事をした。
 良い笑顔だ。と賢吾は思いつつも、
「案外下心だけだったりして」
 余計なことを口走ってしまい、楓の笑顔が一瞬で消えた。
「そんな人じゃありません!」
「……あ、ごめんね。冗談だよ冗談」
 怒られた賢吾は即座に謝ったが、楓はむくれたままであった。
 それだけ恩人に感謝をしているんだ。輝成を侮辱されたら自分だってキレる。と賢吾は反省した。
「恩人のこと、好きなんだね」
 賢吾はしかめっ面の楓を見つつ、囁くように言った。すると、楓の硬い表情は徐々に弛緩し赤く染まっていった。

 楓が抹茶パフェを平らげ少し休憩した後、二人は神楽を出た。
 横浜元町商店街の中へと戻って行く最中、
「抹茶パフェ美味しかった?」
 賢吾が感想を聞くと、
「はい。でも食べすぎてお腹がパンパンです」
 楓はお腹をさすりながら苦笑いを浮かべた。
「しかし、奢らせてもらえないとは驚いたよ」
「恩人から、そう教わっています。お金は信頼関係を崩すから、自分が絶対に信頼すると決めた人以外とはやめろと。なので、必ず自分で払うようにしています」
「そう言われると、俺が信用できない奴みたいだな」
 楓の言い分に、賢吾は若干傷ついた。
「あ……いえ! あのっ! 社長にというわけではなく、私は誰に対してもそうしていますので!」
 楓は身振り手振りも加え、必死に弁明をしていた。
 楓の態度に悪気はないのであろう。
「守屋さんのバリアは堅いね。でも、俺はその考え方好きだよ」
 賢吾はクスッと笑い、楓を肯定した。
「……恐縮です」
 恥ずかしそうに顔を下げ、楓はそう呟いた。
 二人は横浜元町商店街を抜けると、辿った道を戻っていた。賢吾が最後に向かうと決めた場所は、山下公園であった。
 山下公園。
 元々は関東大震災の復興事業として海を埋め立てた場所であり、日本最初の臨海公園ともいわれている。
 園内には芝生や木々は勿論だが、バラ園も兼ね備えている。また、氷川丸という船もあり、実際にデッキや船内に入ることも可能である。更に、有料だが水上バスもあり、観光客がよく利用している。
 そして、海沿いにはいくつものベンチが並び景観も綺麗。土日祝祭日は、昼夜問わず観光客やカップル、家族連れで賑わっている横浜屈指の公園である。
 二人は、横浜マリンタワー前から山下公園へと入った。
「わー、また潮の香り。懐かしいです」
 園内に入り海沿いを歩き始め、楓が気持ち良さそうな顔で言った。
「元々住んでいたところは、海の近くだったの?」
「はい。中学の頃に暮らしていた祖母の家が、海に近かったんです」
 楓は頷いた後、
「人もいっぱいで、大きな公園ですね」
 キョロキョロとしていた。
「休日はもっといるぞ。今日は平日だから少ない方だよ」
 賢吾が補足すると、楓は目を丸くしていた。
 それから、心地良い潮風を浴びながら歩く二人だったが、氷川丸がある辺りで楓の足が止まった。
「カモメがちゃんと綺麗に並んでいて、とても可愛いですね」
 そう、楓が笑顔を見せた。
 確かに、氷川丸と園内を繋ぐロープには、カモメが一羽ずつ整列している。賢吾にとっては見慣れた光景だったが、初めて来たのであれば珍しく見えるのかもしれない。賢吾は楓が喜ぶ姿を見て、頬を緩めた。
「海の近くに住んでいた時、カモメや海鳥は見なかったの?」
「あれ? どうだったかな?」
 賢吾の質問に、楓は斜め上を向き考え込んでしまった。
「……忘れちゃいました」
 と答えた楓の声は明るかった。しかし、なぜか浮かない表情であった。
 歩き続けた二人は公園の端へと着き、近くにあった海沿いのベンチに座ることにした。
「今日は連れ回してごめんね」
 賢吾はベンチに腰掛けた瞬間、そう言った。
「いえいえ。観光スポットを案内してもらいましたし、ご飯とスイーツも美味しかったので大満足ですよ。ちょっと、仕事のことを忘れていました」
「それは良かった」
 微笑む楓に、賢吾は胸を撫で下ろした。
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