神がこちらを向いた時

宗治 芳征

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第四章

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 渡辺の言動から、恐らく楓のことだろうと賢吾は察した。
「こんなに入社条件が厳しい中突破してきたのに、片や別件でたまたま訪れた人が片倉さんに熱望され、ヘッドハントをされる。入社一ヶ月ちょいの大学四年生に、抜群のプレゼンをされ企画会議で負ける。恥ずかしながら、今まであんまり挫折とか経験したことがなかったので、枯れるほど悔し泣きをしました」
 言い終えた後、渡辺はコーヒーをグビッと飲む。腹の底から出したような息をし、再び笑顔に戻った。
「でも不思議ですよね。今では全く嫉妬や羨望という気持ちがないんです。楓ちゃんと仕事をしていると楽しいし、自分の力以上のものが出てくる。こんな感覚、初めてなんですよ。他の皆さんも、波多野さんが憑依してきたんじゃないかって言ってます。私、実際に波多野さんとは会ったことがないのでわかりませんけどね」
 そう言った渡辺から嫉妬心は感じられない。本心だろうと賢吾は思った。
「渡辺さん、自分は他の人になることはできない。だから、自分自身を知ること、そしてそれをいかに表現できるかが大事だよ」
 渡辺は賢吾と目を合わせ、コーヒーを飲もうとしていた手を止めた。
「デカがスカウトしたんだ、間違いなく守屋さんは優秀なんだろう。けれども、君もデカに認められて入社をした。経緯はどうであれ、君には君の良さがある。結局アプリ名は君が決めたし、底のない明るさは守屋さんにはないだろう。他人と競争するのはいいが、自分の価値を自分で決めて見誤らないで欲しいな」
 賢吾は渡辺へ優しく言い聞かせた。 
「ふひへへ」
 渡辺は頬を赤く染め、変な声を出して笑った。
 元気になったようで良かったと賢吾は思ったが、ふと危惧していたことが頭をよぎった。
「あ、そうだ。寺島には気を付けろよ。彼氏がいるから大丈夫だと思うけどさ」
 そう、あの遊び人だ。
 渡辺は一瞬びっくりしたような顔になったが、ニヤリとする。
「私、彼氏いませんよ」
「あれ? 寺島がいるって言っていたけど?」
「既婚者であんなチャラ男は絶対に嫌ですもん。言い訳です。言わないでくださいよ」
 渡辺は澄まし顔で述べた。
 見た目もゆるふわ系で軽そうなのに、案外ガードが堅いんだな。と賢吾は目を細めていたが、
「おっと、そんな目はやめてください。社長のことはさっきの話も含めそこそこ尊敬していますが、異性としては全く意識していないので惚れないでくださいねぇ」
 と渡辺から両手で拒否のポーズをされた。
「一瞬見直したけど、一気に株が下がったわ。君、デカみたいだな」
 賢吾が呆れた吐息を漏らした。
「え? 本当ですか。めちゃくちゃ嬉しい!」
 ……貶しているのに何で喜んでいるんだ……こいつ。
 賢吾は更にわけがわからなくなり、だからだろうか頭の中がリセットされ、重要なことを伝え忘れるところだったと思い出した。
「あ、そうだ。守屋さんが優秀なのはわかったが、一つ訂正させてくれ」
「何です?」
「守屋さんにコウは憑依していないよ。コウ……波多野輝成は正真正銘の怪物、化け物だ。スマホアプリ開発運用のナレッジを一人で持ち込み、人材はヤンキーばかりで起業、そしてここまでのブランドへと昇華させた。君が崇拝しているデカが崇拝していた奴だぞ。次元が違いすぎる。コウと比較すると、守屋さんがかわいそうになるよ」
「うぇえええ? ますます才能の差に押し潰されそうです」
 渡辺は愕然としていた。
「だからさっきも言った通り、自分を知り、いかに表現できるか。他人と競争するのも結構だが、己を見失わないようにね」
「さっきも凄く心に染みました。社長いいこと言いますねぇ」
 尊敬の眼差しは心地良かったが、嘘はダメである。賢吾は自嘲的に笑った。
「この言葉、コウの受け売り」
「……あっ……なるほど……こりゃ波多野さんが神格化されるわけだ」
「その通り」
 と淀みなく返す賢吾。二人はクスクスと笑い合った。
「あー、何か元気出ました。私は私のできることを精一杯やりますよ! もやもやしていたことも話せたし、案外社長って癒し系かもしれませんね?」
「……は?」
 渡辺からの意外な評価に、賢吾は面を食らっていた。
「あっと、ダメですよ! 誤解しないで……」
「惚れねぇよ」
 二回も言わせるかい!
 と真顔で言葉をかぶせる賢吾であった。渡辺はまた笑い、コーヒーを飲み干すと背伸びをした。
「じゃ、お先に失礼しまーす」
 渡辺はスッキリした顔で帰っていった。
 その様子に手を振りながら、輝成や片倉が採用する人材に間違いはないと思う反面、やはり癖が強いなと賢吾は感じるのであった。
 賢吾はコーヒーを飲み終えると、カップをゴミ箱へ捨て休憩室を出た。
 自分のデスクに向かっている途中、プロジェクトチームにいる片倉と楓が目に映った。片倉は座ったままだが、楓は帰り支度をしているようだった。
「二人共、お疲れ様。だけどデカ、まだマスターアップ前でもないのに、守屋さんと渡辺さんをこの時間まで残業させるなよ。残業代をだしているからいいって話じゃないぞ」
 挨拶した後、賢吾がそう忠告した。片倉は口を開いたが、
「あの、私達がお願いしたんです。もう帰りますし、片倉さんは悪くありません」
 と楓が謝ってきた。
「いや、守屋さん。責任者は僕なので、社長が言う通り悪いのは僕です」
 片倉は楓に言い聞かせ、
「すみません。二人共興が乗っていたので、仕上がりそうなところまでやってもらっちゃいました。確かに、僕が自制して判断すべきでした」
 賢吾へ頭を下げた。
 悪気がないのは賢吾もわかっていたが、優秀な片倉だからこそ言っておくべきだと思い続ける。
「時間内で仕事を終わらせることが優秀だ、とコウが言っていたろ。俺は自分のことを無能だと自覚しているが、お前は違うだろ?」
「んー。社長の癖にぐうの音も出ないことを言って、やりますね」
 輝成の言葉を引用したから、批判されているのに片倉は嬉しそうだった。
「ちらほら噂を聞きますが、波多野さんって相当凄い方だったんですね」
 リュックを背負った楓は、賢吾と片倉の両方へと目を合わせた。
「僕の憧れであり、尊敬できる唯一無二の存在。キングオブキングスですよ」
「まぁ、人じゃない。化け物だな」
 片倉は恍惚な表情で言い、賢吾は微笑みながらも淡白に評した。
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