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第三章
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再企画会議以降、橘の態度は僅かながらも軟化していたが、これまで挨拶をされたことがなかったので、賢吾は動揺し照れくさそうに頷いた。
「あ、社長ぉ。楓ちゃんと新作アプリの名称を考えているんですけど、いい名称が浮かばなくて困っているんです。一緒に考えてくださいよぉ」
余韻に浸っていた中、渡辺の気の抜けた声で覚める賢吾だった。
「どんなのがあんの?」
賢吾は脱力しつつも聞き返した。
「えーっと。楓ちゃんの案は、メンタルケア、どこでも相談室、心のQアンドA」
「結構シンプルだな」
「……語彙力がなくてすみません」
楓は恥ずかしそうに身を縮めた。
「で、私の方は。癒しのすすめ、これは学問のすすめからで福沢諭吉をリスペクト。あとはメディカルをポップにしてメカちゃんとか、せらぴぃ……これは平仮名です。ラーメンを平仮名でらぁめんって出してる、意識高い系の真似ですね」
渡辺はフンッと息を出し、得意げな顔をしていた。その姿に、
「勝手にらぁめんを意識高い系にするな。全国のらぁめんって出してるお店の方に謝れ」
と賢吾、
「渡辺さん、ふざけてる?」
橘も続いてツッコミを入れた。
「ふざけていませんよ! アプリ名は意外性が重要なんですよ」
渡辺は立ち上がって反論した。さっきのが正気だったのかと賢吾は驚いたが、渡辺の頑張りに報いたい気持ちもあり参加することにした。
賢吾は暫し考え込み、
「じゃあ、ケアフル……とか?」
顔を赤くして提案した。
「おー、社長。タミフルからですか? 心のインフルエンザを癒すアプリって感じですか? いいじゃないですか」
渡辺の表情はぱぁーっと明るくなった。
解説するな、恥ずかしい。と更に赤面する賢吾だった。
「では、カウンセラーとユーザーをリンクさせるという意味合いも込めて、カウンセリンクとかどうでしょう?」
もじもじしながら楓も発言した。
「楓ちゃんいい! 今のところベストかも。あ……ちょっと待って。いいのが浮かんだ」
楓を褒めた後、渡辺はハッとした顔となった。
「メンタルをメディカルする。メディタル! なんてどう?」
「あっ、何かしっくりきますね」
「でしょ! 私凄い!」
喜び合う渡辺と楓を後目に、橘は呆れ顔だった。
「あれ? 社長は何を持っているんですか?」
渡辺はひとしきり喜び終えると、賢吾が両手に抱えていた荷物に気付いた。
「ああ、これね。今日のスポンサーからのお土産、コスメだってよ。いる?」
賢吾は両手を前に出し、紙袋を渡辺へ手渡した。
「えー、いいんですかぁ? てか、もらっちゃお。ほらほら、楓ちゃんも」
渡辺は一応遠慮したものの、自己完結していた。
「いや、私はいいですよ」
「ダメだよ! 可愛い顔してるのに! 二十五歳を超えると肌のダメージが目に見えてくるからね。若い頃からやらなきゃ!」
渡辺が喧しくている中、
「じゃあ、今日は先に上がらせていただきます」
と賢吾は橘へ会釈し、橘も普通に挨拶し返してくれた。
……今までにない充足感である。
その後、賢吾は資料を整理してから竜次へ本日のことを共有し、用事があるので先に退勤させてもらった。
賢吾は会社を出てエレベーターに乗っている最中、財布から名刺を取り出し確認する。
名刺には、【リストランテ 道 オーナー 藤方凛】と記載されていた。
藤方凛は調布市在住で10.5被害者の会の会長であり、副会長だった輝成共々プライベートでも会う友人だ。
10.5当時は独身であったが、その時付き合っていた彼女とそのまま結婚しており、一男一女を持つ立派な父親となっている。よく店へ遊びに行き、輝成が子供達とじゃれていたなと賢吾は感慨深い気持ちになった。
今回賢吾が藤方に連絡を取ったのは、楓の依頼を完遂するため、興信所選びを相談したかったからだった。
というのも、10.5被害者の会で藤方と輝成は密に連絡を取っており、輝成のライフワークにも大きく加担していたからだ。
藤方から推薦されたのは向坂探偵事務所。
以前は調布にあったらしいが、数年前より横浜に移転したらしい。賢吾は藤方を信じ、向坂探偵事務所にアポイントを取った。
そして、その日が今日の午後八時というわけである。
賢吾は横浜でみなとみらい線から京急線へと乗り換え、黄金町駅で下車をした。
黄金町。
第二次世界大戦後、青線やちょんの間、と呼ばれ神奈川屈指の売春街だった場所である。
過去に青線区域だった黄金町近郊は、懸命に負のイメージから脱却を図ろうとしており、清潔な街作りに励んでいる。したがって、現在そのような店は多くない。
ただ、黄金町から徒歩五百メートルも歩けば、曙町という色町があるため、完全に脱却するのは難しいかもなと。賢吾はそんなことを思いながら歩いていた。
黄金町駅から徒歩五分、商店街の中にあった五階建ての雑居ビル。賢吾は一旦足を止め、恐る恐るビルの中へと入った。
エレベーター前にテナント看板があり、三階に向坂探偵事務所とあったので間違いない。と賢吾は確信し、エレベーターのボタンを押した。
三階に着くと、目の前には向坂探偵事務所というパネルが付いたドアがあり、賢吾はノックした。すると、コツコツと足音が聞こえドアが開いた。
「大宮賢吾さんですか? お待ちしておりました」
そう言って賢吾を中へ通した女性。
歳は二十代半ばくらいだろうか、身長は百五十五センチ前後、黒のニットに灰色のタイトスカートで紺色のタイツという身なりに、黒髪ショートカットで目鼻立ちがはっきりとしている美女であった。
「アシスタントの遠山彩夏と言います。本日はよろしくお願いします。中のソファへどうぞ」
美女、改め遠山彩夏は賢吾にお辞儀をしつつ誘導し、
「所長、いらっしゃいましたよ」
と奥へ声を掛けた。
遠山はその後、部屋の隅にあった給湯所へ向かった。
「あ、社長ぉ。楓ちゃんと新作アプリの名称を考えているんですけど、いい名称が浮かばなくて困っているんです。一緒に考えてくださいよぉ」
余韻に浸っていた中、渡辺の気の抜けた声で覚める賢吾だった。
「どんなのがあんの?」
賢吾は脱力しつつも聞き返した。
「えーっと。楓ちゃんの案は、メンタルケア、どこでも相談室、心のQアンドA」
「結構シンプルだな」
「……語彙力がなくてすみません」
楓は恥ずかしそうに身を縮めた。
「で、私の方は。癒しのすすめ、これは学問のすすめからで福沢諭吉をリスペクト。あとはメディカルをポップにしてメカちゃんとか、せらぴぃ……これは平仮名です。ラーメンを平仮名でらぁめんって出してる、意識高い系の真似ですね」
渡辺はフンッと息を出し、得意げな顔をしていた。その姿に、
「勝手にらぁめんを意識高い系にするな。全国のらぁめんって出してるお店の方に謝れ」
と賢吾、
「渡辺さん、ふざけてる?」
橘も続いてツッコミを入れた。
「ふざけていませんよ! アプリ名は意外性が重要なんですよ」
渡辺は立ち上がって反論した。さっきのが正気だったのかと賢吾は驚いたが、渡辺の頑張りに報いたい気持ちもあり参加することにした。
賢吾は暫し考え込み、
「じゃあ、ケアフル……とか?」
顔を赤くして提案した。
「おー、社長。タミフルからですか? 心のインフルエンザを癒すアプリって感じですか? いいじゃないですか」
渡辺の表情はぱぁーっと明るくなった。
解説するな、恥ずかしい。と更に赤面する賢吾だった。
「では、カウンセラーとユーザーをリンクさせるという意味合いも込めて、カウンセリンクとかどうでしょう?」
もじもじしながら楓も発言した。
「楓ちゃんいい! 今のところベストかも。あ……ちょっと待って。いいのが浮かんだ」
楓を褒めた後、渡辺はハッとした顔となった。
「メンタルをメディカルする。メディタル! なんてどう?」
「あっ、何かしっくりきますね」
「でしょ! 私凄い!」
喜び合う渡辺と楓を後目に、橘は呆れ顔だった。
「あれ? 社長は何を持っているんですか?」
渡辺はひとしきり喜び終えると、賢吾が両手に抱えていた荷物に気付いた。
「ああ、これね。今日のスポンサーからのお土産、コスメだってよ。いる?」
賢吾は両手を前に出し、紙袋を渡辺へ手渡した。
「えー、いいんですかぁ? てか、もらっちゃお。ほらほら、楓ちゃんも」
渡辺は一応遠慮したものの、自己完結していた。
「いや、私はいいですよ」
「ダメだよ! 可愛い顔してるのに! 二十五歳を超えると肌のダメージが目に見えてくるからね。若い頃からやらなきゃ!」
渡辺が喧しくている中、
「じゃあ、今日は先に上がらせていただきます」
と賢吾は橘へ会釈し、橘も普通に挨拶し返してくれた。
……今までにない充足感である。
その後、賢吾は資料を整理してから竜次へ本日のことを共有し、用事があるので先に退勤させてもらった。
賢吾は会社を出てエレベーターに乗っている最中、財布から名刺を取り出し確認する。
名刺には、【リストランテ 道 オーナー 藤方凛】と記載されていた。
藤方凛は調布市在住で10.5被害者の会の会長であり、副会長だった輝成共々プライベートでも会う友人だ。
10.5当時は独身であったが、その時付き合っていた彼女とそのまま結婚しており、一男一女を持つ立派な父親となっている。よく店へ遊びに行き、輝成が子供達とじゃれていたなと賢吾は感慨深い気持ちになった。
今回賢吾が藤方に連絡を取ったのは、楓の依頼を完遂するため、興信所選びを相談したかったからだった。
というのも、10.5被害者の会で藤方と輝成は密に連絡を取っており、輝成のライフワークにも大きく加担していたからだ。
藤方から推薦されたのは向坂探偵事務所。
以前は調布にあったらしいが、数年前より横浜に移転したらしい。賢吾は藤方を信じ、向坂探偵事務所にアポイントを取った。
そして、その日が今日の午後八時というわけである。
賢吾は横浜でみなとみらい線から京急線へと乗り換え、黄金町駅で下車をした。
黄金町。
第二次世界大戦後、青線やちょんの間、と呼ばれ神奈川屈指の売春街だった場所である。
過去に青線区域だった黄金町近郊は、懸命に負のイメージから脱却を図ろうとしており、清潔な街作りに励んでいる。したがって、現在そのような店は多くない。
ただ、黄金町から徒歩五百メートルも歩けば、曙町という色町があるため、完全に脱却するのは難しいかもなと。賢吾はそんなことを思いながら歩いていた。
黄金町駅から徒歩五分、商店街の中にあった五階建ての雑居ビル。賢吾は一旦足を止め、恐る恐るビルの中へと入った。
エレベーター前にテナント看板があり、三階に向坂探偵事務所とあったので間違いない。と賢吾は確信し、エレベーターのボタンを押した。
三階に着くと、目の前には向坂探偵事務所というパネルが付いたドアがあり、賢吾はノックした。すると、コツコツと足音が聞こえドアが開いた。
「大宮賢吾さんですか? お待ちしておりました」
そう言って賢吾を中へ通した女性。
歳は二十代半ばくらいだろうか、身長は百五十五センチ前後、黒のニットに灰色のタイトスカートで紺色のタイツという身なりに、黒髪ショートカットで目鼻立ちがはっきりとしている美女であった。
「アシスタントの遠山彩夏と言います。本日はよろしくお願いします。中のソファへどうぞ」
美女、改め遠山彩夏は賢吾にお辞儀をしつつ誘導し、
「所長、いらっしゃいましたよ」
と奥へ声を掛けた。
遠山はその後、部屋の隅にあった給湯所へ向かった。
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