神がこちらを向いた時

宗治 芳征

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第一章

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 あー、片倉がいて良かった。と思った賢吾だったが、片倉から向けられた非難の視線に耐えられずに逸らす。そしてまた、片倉から溜め息が聞こえた。
「そうですか。少し話が変わりますが、もう就職は決まっているんですか?」
「いえ、臨床心理士、カウンセラーを目指していまして、できれば大学院に進みたいと考えています。ですが大学院へ進む学費を払える状況ではないので、何年かはアルバイトでお金を貯めるつもりです」
「カウンセラーになりたいんだ?」
 悪い空気もなくなったので、賢吾も再び会話にまざった。
「はい。というか、恩人に素質があると言われたので、そうしようと思っています」
 楓の言い分だと自分の意思ではない、ということか。そう賢吾は認識したが、それにしても全く淀みがないことに驚かされた。
「守屋さん。突然のお話になりますが、ウチで働いてみませんか?」
「……はい?」
 片倉の提案に、楓は目をぱちくりさせていた。
 あまりにも唐突で、そりゃそうだわな。と賢吾はフッと笑った。
「お話を聞く限りお金が必要なようですし、今のままでは興信所に頼むことは不可能でしょう? 大学院へ進むことを考慮すると尚更です」
「あの、私は入社面接に来たわけではないんですが?」
「わかっています。けれど、私と社長はあなたが気に入りました。是非入社して欲しいのです」
「……あ……はぁ」
 熱心な片倉とは対照的に、楓は色よい返事をしなかった。これは難しいかもなと賢吾は思ったが、片倉は不敵な笑みを浮かべる。
「時給は三千円。週に三回の出勤はマストですが、フレックスで構いません。学業もありますし、恩人を探す時間も欲しいでしょう?」
 片倉が出した条件に賢吾は目を大きく見開き、楓は瞬きを高速でしていた。
 何だその破格の条件は?
 どんなに有能な派遣社員でもそんなに出さんぞ、と賢吾は片倉を訝しむ。
「え? そんないい条件で?」
 聞き返す楓は明らかに驚愕していた。
「はい」
 困惑している二人を置き去りにするかのように、片倉はにっこりと即答した。
「ですが、二つほどこちらからもお願いがあります」
 片倉は両手を組み、楓を見据える。
「一つ目、インターンとして入社してください。あなたに我が社の魅力を感じてもらい、充実した時間を過ごして欲しい。そしてそのまま、あなたを大学卒業と同時に正社員として採用したいのです。勿論インターン期間中にここが合わないと判断されたとしたら、それはそれで構いません。続けて働きたいと思っていただけたら、是非にお願いします。正社員の給料については、その時にまた決めましょう。ウチは年功序列が一切なしの実力主義なので、頑張った分だけもらえますよ。そのお金で興信所なり、大学院への費用に充てるなりしてください。退職したい場合は、一ヶ月前に言っていただければ問題ありません」
 褒めながら外堀を埋めるような要求、絶対に欲しいという片倉の意思が感じられた。
「二つ目、恩人を探して会いに行く際には、私へ相談してください。女性一人では危険です。私や他の社員が同行したいと思います」
 これも、楓にとっては好条件だ。そう思った賢吾は楓を観察すると、破格すぎるのか完全に固まっていた。
「悪い話ではないと思うんですが、いかがでしょう?」
 十秒経った後、片倉は再度確認した。あえて考えさせないようにしていると賢吾は思った。
「え? はい……わかりました」
 楓は引きつった顔のまま返事をし、
「あの、今のバイトを辞めるために少し時間が掛かりますが平気ですか?」
 と申し訳なさそうに付け足した。
「勿論、いつまでも待ちますよ! じゃあ、話は以上ということでよろしいですか?」
「えっと……あ……はいっ!」
 私、何しに来たんだろう?
 とでも言いたげな顔を一瞬見せたが、楓は姿勢を正すとしっかりと答えた。
 それから、賢吾と片倉は楓を見送るためエレベーターの前まで付き添い、
「失礼いたします」
 とエレベーターの中でお辞儀をする楓に、
「待ってますからねぇ」
 にこやかに手を振る片倉であった。
 数秒後にエレベーターの扉が閉まり、賢吾はふぅと一息吐いた。
「お前、とんでもない条件を出したけど平気か? そんなに凄い子?」
「僕が目利きに失敗したことがあります?」
 片倉は眉をピクッと上げてから、得意げな顔。その所作で賢吾はふと気付く。
「もしかして、あの子の事情云々は関係なく、単に能力があると判断していて入社させたかった? だから一応内情をしっかり聞いたのか?」
 賢吾がそう聞くと、前を歩いていた片倉の足が止まった。
「……ファイナルアンサー?」
 片倉は振り返ると、厭らしい笑みで問い掛けてきた。賢吾はそれで察し、呆れた息が出る。
「ファイナルアンサーだよ」
 単調な声で返す賢吾に対し、片倉は顔を歪ませたり唸ったりしていた。ひと昔前のクイズ番組の真似であろう。
「んー。社長! なんと正解! 賞金十円です!」
「殴ったろかお前」
 満開の笑顔で声を張り上げる片倉に、半目で言い返す賢吾であった。
「あの子、僕の直属にしたいんですけどいいですよね?」
「いいも何も、いつもお前が決めてるだろ。はぁ、あの子もウチの女性社員同様、お前に惚れるんだろうなぁ」
「そう言うわりには、全くそんな気なんかない癖に……」
 片倉に図星を指され、賢吾はプイッと横を向いた。
 片倉から乾いた笑い声が聞こえたが、その後長く息が吐かれる。賢吾が顔を戻すと、片倉は前を向いて真顔であった。そしてそのまま口を開く。
「社長と瀬戸さんが言い争っていた件ですが、僕も瀬戸さんの意見に賛成です。橘さんはとても有能な方ですが、輝成さんの代わりにはなれないしそれは誰にもできません。そして、輝成さんが大宮賢吾を社長にした。これは、社長がそうなりたいと輝成さんにお願いしたからだけでしょうか?」
「それ以外にないだろ?」
 賢吾がすぐさま返答すると、片倉はニヤッと笑った。
「そう思っているのであれば、社長は自分を卑下しすぎですし、輝成さんをバカにしていますよ。輝成さんは義理だけで大役を任せる人じゃない」
 片倉の言葉に、賢吾は立ち止まって大きく目を開いた。
「大宮賢吾が社長でいることには意味があります。そして、輝成さんも大宮賢吾が社長を続けることを願っているはずです。ま、僕もそうかなって思ってます。あんまりわがまま言っていると、玲子さんに相談して給料を下げますからね」
 最後におちゃらけた片倉は、軽く手を振って社内へと戻っていった。
 輝成がまだ存命だった頃。輝成は片倉を右腕として人事や企画、給与の評価なども一部任せていた。
 そして、今や会社の心臓を担っている。
 したがって輝成の後継者は誰かといえば、プロデューサーの橘よりも片倉であろう。
 そんな片倉からの激に、賢吾は自然と顔がほころんだ。
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